こうじ神父今週の説教

日曜日の福音メッセージをお届けします。

待降節第3主日(ヨハネ1:6-8,19-28)あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる

2014-12-14 | Weblog
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(参考)実際の声を確かめながら読みたい方はこちらをクリック
↓↓説教者の意図が、より自然に伝わます。↓↓
http://hanashi-no-mori.news-site.net/voice/141214.mp3

(音声ファイルは、MP3形式です。)
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こうじ神父
「今週の説教」
14/12/14(No.741)
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待降節第3主日
(ヨハネ1:6-8,19-28)
あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる
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待降節第3主日、今年B年の福音朗読は洗礼者ヨハネに与えられた役割「使命」について紹介されています。わたしたちも、洗礼者ヨハネのように神から「使命」を託されていると思います。洗礼者ヨハネの使命に学びながら、わたしたちの果たすべき使命について思い巡らし、使命を果たす方法を考えてみましょう。

国政選挙当日を迎えました。大切な一票を無駄にしないように、誠実に投票して来てください。わたしはすでに期日前投票を済ませておりますが、クリスマス会を邪魔されたことと、多額の費用を使って何のための選挙なのかという疑問はとうとう拭えませんでした。

さてヨハネ福音記者は、洗礼者ヨハネのことを「彼は光ではなく、光について証しをするために来た」(1・8)と紹介します。決して自分が光であると言ったりせず、光について証しをすることに徹しています。これは、洗礼者ヨハネが、自分に託された使命をはっきりと自覚しているしるしだと思います。

自分の使命を十分に理解している人は、自分に託されていることを完全に果たすことに力を注ぎ、そこに集中するものです。たとえば野球では監督が場面によって打者に送りバントを命じることがあります。かつてバント職人と言われた川相昌弘選手は、ギネス記録となる通算533本の送りバントを決めました。

彼がバントをすれば、相手投手がどんなに難しい球を投げても、簡単にボールを転がしました。簡単ではなかったはずですが、観ている人にはいとも簡単にこなしているように見えたのです。自分に託された仕事を完璧に果たすために、常に集中していたからこそできる業です。使命に徹し、使命に生きる人の姿です。

洗礼者ヨハネは、「光であるイエス」について証しをすることに徹しました。まだイエスの働きはベールに包まれていましたが、自分は「荒れ野で叫ぶ声」(1・23)となり、「主の道をまっすぐに」(同)して舞台から去り、イエスに場を譲ったのでした。その時点ではイエスよりも洗礼者ヨハネのほうが評判を得ていましたが、彼が自分の使命を取り違えることは決してなかったのです。

洗礼者ヨハネはなぜ、自分の使命を正しく理解できたのでしょうか。実は洗礼者ヨハネの証しは今週選ばれた朗読個所と、そのあとに続く二つの証しがセットになっていて、三日連続の証しが行われています。今日の朗読では、「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」(1・23)が中心になっています。

二日目は、自分のほうへイエスが来られるのを見て「見よ、世の罪を取り除く神の子羊だ」(1・29)と証しします。三日目は、「水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである」(1・33-34)とあって、三日間の証しのどこかに、自分の使命を正しく理解した鍵があるはずです。

わたしは「わたしをお遣わしになった方が・・・であるとわたしに言われた」この部分が鍵だと考えました。「これこれの様子を見たら」と、洗礼者ヨハネは自分に対する声を聞いたのです。声を聞いたことで、自分の使命は「荒れ野で叫ぶ声」であり、声の持ち主は自分ではなく、これから出会う方であると理解したのです。使命を与える方の声がはっきりと聞こえたので、使命を取り違えることもありませんでした。

わたしたちはどうでしょうか。わたしたちにも、神は使命をお与えになっていると思いますが、その声は聞き違えたり、間違えたりしないほどはっきりしているのでしょうか。

わたしは、一人ひとりが自分に都合のいいように聞こうとしない限り、使命をお与えになる神の呼びかけははっきり伝わると思っています。そのことを考えさせるのは、洗礼者ヨハネが彼のもとに集まったファリサイ派に属する人々に言った言葉です。「あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。」(1・26)

これは文字どおりには、ヨハネのもとに遣わされたファリサイ派に属する人々の間に、あなた方の知らない方がおられるという意味ですが、わたしは踏み込んで、「わたしたち一人ひとりの心の中に、あなたがたの知らない方がおられる」と考えてみました。

つまり、わたしたちに使命を授ける方は、わたしたちの中にとどまってくださって、その使命を間違いなく実行できるように導いてくださると考えたのです。ですから、わたしたち一人一人に与えられる使命は、都合のいいように聞こうとしない限りはっきりと響いていて、常にその使命に生きる生き方から逸れないように、イエスが共にいて導いてくださると思うのです。

与えられた使命は、それぞれ違いがあるでしょう。生活全体をささげておこなう使命もあるでしょうし、家庭の中で、職場の中で果たしてほしい使命もあるでしょう。ぜひその使命をこの待降節に心の中で確認し、反芻してください。やがてお迎えする救い主の成長と共に、自分の使命を確実にまっとうして神の国の完成のために働くことができますように、このミサの中で取り次ぎを願いましょう。

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‥次の説教は‥‥
待降節第4主日
(ルカ1:26-38)
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ちょっとひとやすみ
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▼とうとう選挙の日を迎えた。わたしはすでに期日前投票を済ませているが、選挙が決まった時からこの選挙に疑問を持っていた。しかし選挙が取りやめになるはずもなく、最低限投票所に行くという責任を果たしに行ってきた。
▼だからおそらく選挙速報も、どの政党がどれくらい得票するのかも見ないと思う。翌朝の新聞は見ないわけにはいかないが、ツイッターで一度書きこんだように、議員定数の大幅削減のような大胆な改革もしない政府や国会議員にはもう期待していない。
▼選挙の話はこれで終わり。国の行く末どこ吹く風、この前2kgの鯛を釣ったが、1kg前後の鯛とは明らかに引きが違った。実際に取り込み終わるまで、久しぶりの緊張を強いられた。「ライン切れるなよ」とか、「針外れるなよ」とか「針曲がるなよ」とか。
▼たまたまこの2kgの鯛を釣る直前に針を交換していたのは幸運だった。その直前に1kgのキジハタを釣り上げたのだが、その魚の口から針をはずしてみると、2本針仕掛けの針のうち、口元にかかっていた針は曲がって伸びていた。この針に気付かずにそのまま仕掛けを投入していたら、2kgの鯛は釣り逃がしていたことだろう。
▼今年は初めて、12月に入ってからも釣りをしている。寒がりのわたしは例年だと12月に入ればアウトドアの趣味はすべて休業なのだが、1kg2kgの魚がかかる期待があるものだから、海水で指先は濡れ、しびれるくらいに冷たくなるが、それでも海に出たいと思ってしまう。分かっちゃいるけどやめられない。
▼周りのお父さんたちの話を聞けば、これからは正月用の魚を手に入れる時期に入るので、値段も高騰し需要は伸びるそうだ。わたしは漁協に卸したりはしないのだけれども、今年、そして年明けてからも魚が釣れたら小教区の信徒に無料で行商して回る予定だ。
▼ついでの話だが、大きめの魚をさばいたあと指先がガサガサになって、iPhoneの指紋認証が使えず苦笑い。何回か試すも「指紋認証が使えません。パスコードを入力してください」と断られた。使い慣れていたものが使えないのはやはり不便なので、もう少ししてから再度指紋を登録し直そうと思っている。

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今週の1枚
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第348回目。鯛とキジハタをさばいたあとの指先。ガサガサになってしまった。

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