6. 戦い終えて、すき家で腹ごしらえ
新春ウオークも、もう南大高駅のゴールを目指すだけだ。
ちょうど正午、お腹を満たそうと目に付いたすき家へ入った。
満席で5人ほど待って、1杯で2度美味しい 牛まぶしミニを食べた。
ウナギのひつまぶしをヒントにしたのだろうが、わさび・サンショウの実・ねぎと出し汁をかけると
本当に美味しかった。
ミニサイズが用意されていたのもうれしかったね。
すき家のメニューは豊富なんですね。
サイズだけでもミニ380円、並480円、大盛、特盛、メガ、肉1.5倍・・・6種類もあるんですね。
その反面でしょうが、オーダーしてから出てくるまでが長い、サービスが行き届かないの欠点がある。
味もボリュームも満足して、ゴールの南大高駅まで2.9kmをルンルン気分で歩く、でも少し足が痛いね。
靴が合わなかったかな?
JRの駅員さんから笑顔でお帰りなさい!と迎えられて
11.2kmの桶狭間の戦いゆかりの史跡を巡るコースのゴールをした。
私の歩数計は17782歩を示していた。
おわり
新春ウオークも、もう南大高駅のゴールを目指すだけだ。
ちょうど正午、お腹を満たそうと目に付いたすき家へ入った。
満席で5人ほど待って、1杯で2度美味しい 牛まぶしミニを食べた。
ウナギのひつまぶしをヒントにしたのだろうが、わさび・サンショウの実・ねぎと出し汁をかけると
本当に美味しかった。
ミニサイズが用意されていたのもうれしかったね。
すき家のメニューは豊富なんですね。
サイズだけでもミニ380円、並480円、大盛、特盛、メガ、肉1.5倍・・・6種類もあるんですね。
その反面でしょうが、オーダーしてから出てくるまでが長い、サービスが行き届かないの欠点がある。
味もボリュームも満足して、ゴールの南大高駅まで2.9kmをルンルン気分で歩く、でも少し足が痛いね。
靴が合わなかったかな?
JRの駅員さんから笑顔でお帰りなさい!と迎えられて
11.2kmの桶狭間の戦いゆかりの史跡を巡るコースのゴールをした。
私の歩数計は17782歩を示していた。
おわり
5.いざ!突入桶狭間古戦場公園へ
信長勢は天を揺さぶるような稲妻と豪雨の上がったのを見て、桶狭間の今川陣へ突入したようだが、
我々は曇天のウォーキング日和に足取りも軽く、桶狭間古戦場公園へ侵入していった。
織田今川両雄の像が仲よく並んで建てられていた。其の前方には義元公打ち首の場所があった。傍らの墓標には
お花が飾られていた。
桶狭間の戦いのジオラマが公園の中に作られていた。
参加者の多くは、思い思いの砦などに腰を下ろして足の疲れを癒していた。
私たちもしばし腰を下ろして休する。歩いていると汗ばんでくるが、休むと冷え冷えとしてくる
まだまだ早春の空気は冷たい
再び0.4km南にある長福寺へ向かう
境内には「今川公首検証の跡」の石碑があるというが、大掛かりな伽藍改修工事中で境内に入れなかった。
長福寺から0.5km歩いて、桶狭間神明社で参拝する。
4代尾張藩主徳川吉道が植えた杉の枯木が本殿前に立っていた。
信長勢は天を揺さぶるような稲妻と豪雨の上がったのを見て、桶狭間の今川陣へ突入したようだが、
我々は曇天のウォーキング日和に足取りも軽く、桶狭間古戦場公園へ侵入していった。
織田今川両雄の像が仲よく並んで建てられていた。其の前方には義元公打ち首の場所があった。傍らの墓標には
お花が飾られていた。
桶狭間の戦いのジオラマが公園の中に作られていた。
参加者の多くは、思い思いの砦などに腰を下ろして足の疲れを癒していた。
私たちもしばし腰を下ろして休する。歩いていると汗ばんでくるが、休むと冷え冷えとしてくる
まだまだ早春の空気は冷たい
再び0.4km南にある長福寺へ向かう
境内には「今川公首検証の跡」の石碑があるというが、大掛かりな伽藍改修工事中で境内に入れなかった。
長福寺から0.5km歩いて、桶狭間神明社で参拝する。
4代尾張藩主徳川吉道が植えた杉の枯木が本殿前に立っていた。
4.名古屋市町並み保存地区 有松の町並み
常夜灯から
国道1号線を1.0km有松宿目指して歩く。
左京山を過ぎ、国道から1歩道を入るとそこは旧東海道、有松宿の佇まいを今に残していた。
電柱、電線はすべて地下に移されている。
うだつの上がる建物、漆喰の蔵を持つおおきな商家、
軒先に「あ・り・ま・つ」と染め抜いた暖簾が掛かっているお店などまさに江戸時代の
景観を保存している。
ただやたら車が通るのは観光客の側から見れば不愉快極まりないですね。
住民の方が車の一方通行反対運動をしていた。
生活道路だから当然でしょうね
有松宿の東側の出口近くの軒先に菅笠や草鞋が掛けられていた。
え!粋な計らいに目を奪われると、横には、絞製品を販売します…という看板だった。
桶狭間はもう近い1.2km、信長軍勢は有松旧街道、大将ヶ根から武路釜ケ谷(たけじかまがたに)
(現在、名鉄桜花学園名古屋短大駐車場)辺りまで、ひそかにひそかに兵を進めて進軍した
と言われる。
常夜灯から
国道1号線を1.0km有松宿目指して歩く。
左京山を過ぎ、国道から1歩道を入るとそこは旧東海道、有松宿の佇まいを今に残していた。
電柱、電線はすべて地下に移されている。
うだつの上がる建物、漆喰の蔵を持つおおきな商家、
軒先に「あ・り・ま・つ」と染め抜いた暖簾が掛かっているお店などまさに江戸時代の
景観を保存している。
ただやたら車が通るのは観光客の側から見れば不愉快極まりないですね。
住民の方が車の一方通行反対運動をしていた。
生活道路だから当然でしょうね
有松宿の東側の出口近くの軒先に菅笠や草鞋が掛けられていた。
え!粋な計らいに目を奪われると、横には、絞製品を販売します…という看板だった。
桶狭間はもう近い1.2km、信長軍勢は有松旧街道、大将ヶ根から武路釜ケ谷(たけじかまがたに)
(現在、名鉄桜花学園名古屋短大駐車場)辺りまで、ひそかにひそかに兵を進めて進軍した
と言われる。
3.信長が桶狭間へ移る直前、兵を集結した砦
今川方の鳴海城から0.8km来たところに、1599年織田信長が築いた砦があった、善照寺
砦公園にやってきた。
南面が開けた高台で砦としては絶好のロケーションだっただろうね
信長が桶狭間の奇襲に移る直前、多くの旗・幟を立て本隊在陣を装い、
本隊は午前11時から12時ごろ中島砦に進んだという。
今は砦公園として遊具などが置いてあるが片隅に、「鳴海絞開祖三浦之碑」があった。
公園の片隅に腰を下ろして、
信長軍もここに集結、信長の檄を受けながら満を持していたのかと、古に思いをはせながらしばし休息する。
善照寺 砦をくだり0.5km歩いたところに、
織田信長が、今川勢の尾張侵入に対して築いたお城、中島砦跡に来た。
この砦跡は摩訶不思議、民家の門の中にあった。往時は250人の信長勢が常駐していた大きな砦だったそうだ。
この民家に大きなミモザの樹があった。もう花芽が膨らみ始めていた。
3月になれば見事な花を咲かせるでしょうね。
再び1.4km歩いて
鳴海宿の東の入口平部町に建てられた常夜灯に達する。
鳴海宿は東海道品川より四〇番目の宿場町である。
今川方の鳴海城から0.8km来たところに、1599年織田信長が築いた砦があった、善照寺
砦公園にやってきた。
南面が開けた高台で砦としては絶好のロケーションだっただろうね
信長が桶狭間の奇襲に移る直前、多くの旗・幟を立て本隊在陣を装い、
本隊は午前11時から12時ごろ中島砦に進んだという。
今は砦公園として遊具などが置いてあるが片隅に、「鳴海絞開祖三浦之碑」があった。
公園の片隅に腰を下ろして、
信長軍もここに集結、信長の檄を受けながら満を持していたのかと、古に思いをはせながらしばし休息する。
善照寺 砦をくだり0.5km歩いたところに、
織田信長が、今川勢の尾張侵入に対して築いたお城、中島砦跡に来た。
この砦跡は摩訶不思議、民家の門の中にあった。往時は250人の信長勢が常駐していた大きな砦だったそうだ。
この民家に大きなミモザの樹があった。もう花芽が膨らみ始めていた。
3月になれば見事な花を咲かせるでしょうね。
再び1.4km歩いて
鳴海宿の東の入口平部町に建てられた常夜灯に達する。
鳴海宿は東海道品川より四〇番目の宿場町である。
2.織田信長がひそかに行進した道を歩く
鳴海八幡宮から1.3kmの道を満開のロウバイ、咲き始た梅を見ながら歩く、畑の中にツボケが作られていた。
珍しいね。
真新しい 鳴海宿 高札場が現れてきた。
復元されたもので、本物は名古屋市博物館に保蔵されているそうだ。
高札というのは、江戸時代から明治初年にかけて、庶民が守るべき法度・掟等を板に書いて、街道の宿場や辻
などへ掲げたものである。
定
一人たるもの五倫之
道を正しくすへき事
一鰥寡孤独廃疾のものを
憫むへき事
一人を殺し家を焼き
財を盗む等之悪業
あるましく事
慶応四年三月
太政官
右之通被仰出之訖
高札場から0.6km歩いたところに、鳴海城跡、別名「根古屋城(ねごやじょう)があった。
小高いところに鳴海城跡と書かれた石柱が1本立っているだけでお城の痕跡は何も残っていない。
鳴海八幡宮から1.3kmの道を満開のロウバイ、咲き始た梅を見ながら歩く、畑の中にツボケが作られていた。
珍しいね。
真新しい 鳴海宿 高札場が現れてきた。
復元されたもので、本物は名古屋市博物館に保蔵されているそうだ。
高札というのは、江戸時代から明治初年にかけて、庶民が守るべき法度・掟等を板に書いて、街道の宿場や辻
などへ掲げたものである。
定
一人たるもの五倫之
道を正しくすへき事
一鰥寡孤独廃疾のものを
憫むへき事
一人を殺し家を焼き
財を盗む等之悪業
あるましく事
慶応四年三月
太政官
右之通被仰出之訖
高札場から0.6km歩いたところに、鳴海城跡、別名「根古屋城(ねごやじょう)があった。
小高いところに鳴海城跡と書かれた石柱が1本立っているだけでお城の痕跡は何も残っていない。