今さら、4月24日のことを記事化してすみません。
先月24日は、朝早いバスで、岡山駅に行き、駅に入ると、1110円の乗車券を買った。
そして、駅改札の中に入った。
岡山駅からは、津山線津山行きの普通列車944Dに乗車した。列車は、キハ40系の4両編成で、8時7分に、岡山駅を出発した。もちろん、車掌乗務の列車である。
列車は、途中のすべての駅に停車し、終点の津山には、9時37分に到着した。
津山駅に着くと、改札を出て、駅前の観光案内所付近へ行った。
そこが、津山機関庫の見学者の集合指定場所になっていたのだ。
なお、見学を希望する場合は、前日までに予約する必要がある。
もちろん、わたしも予約していたのはいうまでもない。
集合場所の係員に、名前を告げ、予約した者であることを確認してもらった。
集合時刻は、午前10時。
10時をやや過ぎてから、機関区まで案内された。
途中、営業列車が通る線路を横断するので、横断の際も係員から指示があった。
その場所からは、機関区の建物や鉄道資料館の建物、屋外で保存されている腕木式信号機が見えた。
腕木式信号機を見たあと、鉄道資料館の横を通り、機関庫まで向かって歩いた。
その途中に、ブレーキの交換部品が置いてある場所があった。それについても、係員から説明があった。
そして、機関庫の前に着くと、展示されている車両について、係員から説明を受けたあと、自由見学になった。
展示されている車両は、気動車が、キハ58、キハ28、キハ52、キハ33が、各1両ずつの計4両で、機関車が、DD51、DE50が、各1両ずつの計2両だった。
キハ58とキハ28は、58系と呼ばれている急行型の気動車で、クリーム色に赤帯の車体の車両である。国鉄時代は、全国各地で、急行列車から普通列車まで、幅広く活躍した。
JR化後も、多くの車両が引き継がれたが、現在は、老朽化により、そのほとんどが廃車になり、残存する車両は少なくなった。
なお、その機関庫のキハ58系は、車籍があり、たまにイベント列車で使用される。
キハ52は、今年3月のダイヤ改正まで、新潟県と長野県を結ぶ大糸線で使用されていた車両で、ダイヤ改正後除籍され、津山で保存展示されている。
JR化後、地域カラーに塗り替えられていたが、何年か前に、塗色が国鉄色に復元された。オレンジとクリーム色の塗装は、わたしの世代からは、懐かしさを感じる。
キハ33は、50系客車を気動車に改造した車両で、当初は、鳥取県の境線で活躍していたが、晩年は、山陰本線などで使用されていた。それも、今年の春に引退し、除籍されて、津山の展示車両になった。
DD51は、非電化幹線用の液体式ディーゼル機関車で、四国を除く各地の幹線の無煙化に貢献した車両である。津山で展示されているのは、国鉄民営化後、JR西日本が引き継いだ1187号機で、晩年は、寝台特急『出雲』の牽引に活躍していた。同列車廃止後、除籍されて、津山の機関庫で展示されている。
DE50は、国鉄時代に作られたディーゼル機関車の中では、最もハイパワーの機関車だが、車両の不具合や電化の進展などから、1両のみの製造で終わった上、あまり活躍せずに休車になり、国鉄末期に廃車された不運の機関車である。廃車後も、岡山の車両基地で保存され、後に津山で保存展示されるようになった。セミセンターキャブで動軸5軸という点では、DE10と同じだが、キャブや運転席のつくりなどは、入れ替えの利便性を重視したDE10などとは全く異なっていて、似ているようで全く似ていない車両である。ボンネットの高さも、隣に展示されているDD51よりも高い。
キハ58系
キハ33とキハ52
DE50とDD51
展示車両を観察したり、写真を撮って楽しんだ。
また、ターンテーブルを回すところも見せていただいた。
ただし、見学時間中は、車両は載せていない。
なお、ターンテーブルは、現在も、キハ47など片運転台の気動車の方向転換に使用されている。
ターンテーブルが動くのを見学したあと、資料館の中の展示物の鑑賞をした。
回転式乗車券箱や過去の記念きっぷや社員の制服などを展示していたほか、因美線の列車の写真パネルも多数あった。
津山機関庫の見学を終えると、津山駅のトイレ取材と、津山駅向かいのバスセンターに出入りするバスの撮影を行った。
その途中で、近くの飲食店に入り、昼食にホルモンうどんを口にした。
そのあとも、バスの撮影をした。
そして、14時23分発の955Dに乗車して、津山をあとにした。
こうして、その日は、津山の機関庫見学などを楽しむことができました。
また、機会があったら、ぜひ行きたいと思います。