浜崎ヒカル交通館ブログ

浜崎ヒカルの独り言などを載せています。

高速バスで大阪へ出かけた(その2)

2024年03月20日 21時02分24秒 | Weblog
今さら、3月8日のことを記事化して、すみません。

3月8日の早朝は、マイカーで両備バス山陽インター停留所に向かった。
高速バスに乗るためである。
停留所の有料駐車場に車を止めると、デジカメなどの荷物を持って、待合室に入った。
そこで、しばらくバスを待った。
山陽インター停留所からは、6時26分発の大阪駅JR高速バスターミナル経由USJ行きのバスに乗った。
中国JRバス担当便である。
朝早いバスだが、山陽インター停留所から乗車した人は、わたし以外にも多数いた。
バス車内は、ほぼ満席状態だった。
そのバスは、山陽インター停留所を出発すると、山陽自動車道の山陽インターから高速道路に入った。
途中、兵庫県にある三木サービスエリアで休憩のために停車した。
そのあとも、山陽自動車道、中国自動車道を通り、いったん一般道に降りたあと、阪神高速道路を通った。
阪神高速道路の渋滞のため、大阪駅には定刻(定刻は9時00分)より10分余り遅れて到着した。
大阪駅のバスターミナルでバスを降りると、JRの大阪駅の地下ホームへ向かった。
おおさか東線の電車に乗るためである。
ICOCA代用のPITAPAで自動改札を通り、ホームに向かった。
そして、9時28分発の2428S・久宝寺行きに乗車した。
221系電車の6両編成で、わたしは、モハ221-24に乗車した。
電車は、大阪駅の地下ホームを発車後、地上に出て、少し経つと、新大阪駅に停車した。
新大阪駅では、乗車した人が多かった。
そのあとも、電車は、各駅に停車した。
私鉄との乗換駅では、乗客の入れ替わりが多かった。
10時01分頃、電車がJR俊徳道駅に止まると、下車して、自動改札を通り、駅の外に出た。
そして、すぐ近くにある近鉄の俊徳道駅に入り、入場券を買って、改札を通った。
その日、俊徳道駅に行った理由は、近鉄電車の駅撮りのためである。



上本町方面行きのホームの上本町方で、伊勢中川方面へ向かう列車を対象に撮影を始めた。
デジカメには、望遠ズームレンズを装着し、シャッター速度優先モード、連写モードに設定した。



はじめに撮影した列車は、普通電車の高安行きである。
6両編成の列車だった。

次は、撮りたかった列車の一つ、特急「伊勢志摩ライナー」を撮影した。



「伊勢志摩ライナー」の赤色の編成だった。



その次は、急行電車の青山町行きを撮影した。



次は、区間準急の大和朝倉行きを撮影した。



その次は、特急車両の回送列車を撮影した。



次は、普通電車の高安行きを撮影した。

そのあとも、撮影を続けた。

都合により、本日は、ここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高速バスで大阪へ出かけた

2024年03月09日 20時32分30秒 | Weblog
昨日3月8日は、仕事が公休だった。
そこで、高速バスに乗って、大阪へ出かけた。
早朝、山陽インター停留所へ行き、そこから大阪駅までバスに乗った。
そのあと、JRのおおさか東線に乗り、JR俊徳道駅で降りて、近鉄の俊徳道駅に行き、ホームで近鉄電車の撮影をした。
近鉄電車の撮影を終えると、おおさか東線で大阪駅に戻り、昼食後、買い物などをして、高速バスで山陽インター停留所に戻った。

都合により、詳細は、後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年の元旦は

2024年01月01日 16時15分45秒 | Weblog
今年の元旦は、6年ぶりに初日の出を見に出かけました。

わたしの車で、母親と一緒に行きました。



場所は、岡山県南部の某所。

わたしは、愛機α7Ⅲを三脚にセットして撮影しました。

では、よい一年でありますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迎春2024年

2024年01月01日 00時01分23秒 | Weblog
新年あけましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い申し上げます。

また皆様にもよい一年でありますように。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道友の会東中国支部60周年記念号に乗りに行った(続き)

2023年12月28日 20時40分22秒 | Weblog
今さら、11月23日のことを記事化してすみません。

11月23日の朝は、路線バスと山陽本線の普通列車とを乗り継いで、倉敷へ行った。
倉敷駅で下車して、改札を出ると、駅北側のショッピングモールのフードコートでうどんを一杯食したあと、水島臨海鉄道の倉敷市駅へ向かって歩いた。



倉敷市駅の待合室に着くと、鉄道友の会の方が来られていて、名簿の確認と参加代金の徴収を行っていた。
わたしも参加費を支払った。
しばらくすると、ほかの参加者の方たちも集まってきた。
12時過ぎると、わたしたちは、券売機で三菱自工前駅までの乗車券を買って、改札を通った。
そして、12時22分発の水島行きの列車に乗った。
三菱自工前までの切符を買った理由は、鉄道友の会の参加者は、その日特別に、倉敷貨物ターミナル駅隣接の車両基地まで乗せてもらえたのだが、定期列車に乗ったので、倉敷貨物ターミナル駅手前の三菱自工前駅までの乗車券を買って乗車した。
列車は、MRT300形気動車の単行のワンマン運転だった。
水島まで各駅に停車したあと、水島から回送列車となったが、上述どおり、鉄道友の会の参加者は、そのまま車両に乗って、車両基地まで移動することができた。
その途中、三菱自工前駅を通過した。



車両基地に着くと、倉敷市駅から乗車した車両から降りた。



そして、開業80周年記念カラーの施されたMRT300形304に乗り換えた。
それが、その日の貸切列車である。
だが、発車時刻まで時間があったので、車両基地内での撮影が許可された。

車両基地には、現役の気動車のほか、JR貨物の廃車解体中のDE10形ディーゼル機関車の姿があった。







発車時刻が近づくと、貸切列車の車両に乗り、車内で配られた軽食を食しながら、外の風景を眺めたり、雑談を楽しんだ。

列車は、倉敷市駅に向かって走った。





倉敷市駅では、数分停車した。
その駅で折り返すのだが、停車時間中に、車両の撮影をした。
鉄道友の会東中国支部60周年記念の貸切列車だが、ヘッドマークはなく、前面表示は、なぜか回送になっていた。

倉敷市駅を発車すると、貸切列車は、倉敷貨物ターミナル駅隣接の車両基地へ向かって走った。

そして、車両基地で貸切列車から降りると、車両基地内で、撮影会が行われた。









MRT300形のほか、キハ20形やキハ30形の撮影もした。

車両基地の片隅には、新型ディーゼル機関車のDD200も止まっていたので、撮影した。





さらに、気動車には、撮影会のために、特別にヘッドマークがつけられた。



そのあと、キハ20形とキハ30形の車内にも入らせてもらった。





キハ20形は、ブルーのボックスシートが多数並んでいる。
キハ30形は、ロングシートになっている。

そのあとも、車両の撮影などをして、それから、倉敷市行きの定期列車になる車両に乗車した。
それも、MRT300形の単行運転である。
その列車は、車両基地をあとにすると、三菱自工前駅に停車し、その駅から、旅客営業列車となった。
そのあとも、各駅に停車し、終点の倉敷市駅に到着した。
倉敷市駅で降りると、改札の係員に三菱自工前駅からの運賃を支払って、駅の外に出た。
そのあとは、JRの倉敷駅に行き、山陽本線の上りの普通列車と路線バスとを乗り継いで、帰宅した。

こうして、楽しい日は過ぎていったのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道友の会東中国支部60周年記念号に乗りに行った

2023年11月23日 20時44分49秒 | Weblog
今日は、路線バスとJR山陽本線とを乗り継いで、倉敷へ行った。
倉敷で下車すると、駅北側のショッピングモールに行ったあと、倉敷駅を通り抜けて、水島臨海鉄道の倉敷市駅に行った。
本日は、「鉄道友の会東中国支部60周年記念号」の運転日である。
その列車の乗車と倉敷貨物ターミナル駅隣接の車両基地での撮影会に参加してきた。

都合により、詳細は後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉備中央町へドライブ(その2)

2023年11月03日 21時28分11秒 | Weblog
一昨日11月1日は、マイカーで、加賀郡吉備中央町に出かけていた。
その日の11時台後半に、吉備中央町内にある、道の駅・がもがわ円城に到着した。

その道の駅の敷地内の車が通るところには、踏切警報機が設置されている。



なぜ、踏切が設置されているのかは、謎である。
廃止された踏切から移設されたものだろうか?
なお、吉備中央町内には、鉄道は通っていない。



道の駅に着くと、駐車場に車を止めて、野菜などを販売している建物に入った。
そして、大根と春菊を買ったあと、車に戻って、買い物したものを車に載せた。
そのあと、道の駅の裏を通っている道路を横断し、蕎麦屋に入った。
昼食のためである。
その蕎麦屋は、食券を買って注文をする、セルフサービスの店である。
セルフサービスの店にしては高い感じだが、蕎麦は美味しかった。
わたしは、てんぷらそばの大盛を注文した。
海老のてんぷら1尾に、いくつかの野菜のてんぷらがついていた。
蕎麦屋で昼食を済ませたあとは、車に戻った。
駐車場から道路に出る少し前、真庭市の給水車が通っていった。
給水車が通り過ぎたあと、道路に出て、円城ふるさと村に向かって、車を走らせた。

円城ふるさと村に着くと、駐車場に車を止めて、ふるさと村の集落を歩いた。







平日のためか、人の気配はあまりなく、ひっそりとしていた。
道は狭いが、自動車の通行量も少なかった。

わたしは、円城寺を目指して歩いた。



円城寺のそばには、郵便局があるが、一般の商店などは見つからなかった。
郵便局横の参道を歩くと、左手には、公衆トイレがあった。



参道をまっすぐ歩くと、山門が見えた。
本宮山・円城寺である。



山門をくぐると、本堂が見えた。



円城寺は、天台宗の寺院で、715年(霊亀元年)に、行基菩薩が正法寺として、開基したと伝えられている。





山門をくぐり、右手には鐘堂があり、その少し奥には阿弥陀堂がある。





本堂を参拝後は、左手にある、鎮守提婆宮を参拝した。





そのあと、阿弥陀堂と境内の木々とを組み合わせた写真も撮影した。





そのときの境内は、わたし以外、参拝者がいなかった。

円城寺をあとにすると、ふるさと村の集落の道路を歩いた。





紅葉と鳥居の写真を撮影したあと、さらに道を歩くと、交差点の角に井戸があった。

それから、しばらくして、車に戻り、ふるさと村をあとにした。

そのあとは、上田西地区の道を走った。





その途中、車を止めて、柿の木の写真を撮影した。

撮影を終えると、車に戻り、上田西地区をあとにして、山道を下った。
すると、県道御津高梁線に出た。
しかし、その県道は、落石のために通行止めになっている個所があり、やむを得ず、また別の山道に入った。

そのあと、吉備高原都市に向かって走った。
吉備高原都市の中心部のきびプラザに着くと、車を止めて、トイレなどの休憩をした。

吉備高原都市をあとにすると、吉備中央町をあとにして、行くときに通った道を走り、帰路に就いた。
こうして、ドライブを終えることができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

吉備中央町へドライブ(その1)

2023年11月02日 21時16分30秒 | Weblog
昨日11月1日は、マイカーに、愛機α7Ⅲを載せて出かけた。
向かったのは、岡山県加賀郡吉備中央町である。

10時20分頃、吉備中央町下加茂地区の宇甘渓自然公園に到着した。
駐車場に車を止めると、カメラバッグと三脚を持って、県道31号線の横断歩道を渡った。
そして、ほかの人や車の通行の邪魔にならない場所に三脚を立てて、渓谷沿いの山などの写真を撮影した。
その場所での撮影は、レンズにPLフィルターを装着してから行った。



その日は、まだ色づき始めだった。





そのあと、撮影ポイントを変更するため、三脚からカメラを外した。



そして、川に架かる赤い橋の上に行った。

その橋の上では、道幅などの関係で、三脚を立てると、ほかの方の通行の邪魔になってしまう(わたしが撮影中、その橋を渡った人はいなかったが)。
そこで、三脚は使わず、手持ち撮影をした。



なお、引き続き、レンズにはPLフィルターを装着して撮影した。

その日は、天候が良く、雲がほとんどなかった。
また、平日のためか、宇甘渓谷を訪れていた人は少なかった(わたし以外にも若干名はいたが)。



手持ち撮影の際には、横構図だけではなく、縦構図でも撮影した。















その場所では、11時過ぎまで撮影を続けた。
そして、撤収し、車に戻った。

宇甘渓谷をあとにすると、車で道の駅・かもがわ円城に向かった。
その途中、道路工事があったため、片側交互通行の規制が行われていた。
しばらく走ると、県道31号線から国道429号線に入った。
国道を道の駅・かもがわ円城に向かって走っていた途中でも、工事のため、片側交互通行の規制があった。

それでも、11時半を少し過ぎた頃に、道の駅・かもがわ円城に到着した。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤穂線乗り鉄に出かけた(その3)

2023年10月28日 21時26分09秒 | Weblog
今さら、10月22日のことを記事化して、すみません。

10月22日の昼の12時半頃、わたしは、赤穂市街地にある、某そば屋にいた。
播州赤穂駅南口から南へ向かって歩いていくと、右手にある店である。
店に入ると、カウンター席に案内された。
12時台のため、わたし以外にもお客が居られた。
わたしは、たぬき蕎麦を注文した。



どのような具が入っているかが楽しみだった。
蕎麦の上には、油揚げが2枚載っていた。

昼食後は、歩道をさらに南へ向かって歩いた。



すると、いきつぎ広場に着いた。
案内板を見ると、花岳寺まで、あと200mらしい。






その場所には、からくり時計と、息継ぎ井戸がある。

さらに進むと、日中は自動車などが通行止めの商店街の道に入った。



その道を少し西に進むと、台雲山・花岳寺の山門の前に到着した。

花岳寺は、曹洞宗の寺院で、赤穂藩の歴代藩主の菩提寺である。



門をくぐると、本堂が目に入った。



その付近には、二代目大石名残の松がある。





少し右手に進むと、鳴らずの鐘と水琴窟がある。

その日は、晴天の日曜日だったが、参拝に来ていた人は少なかった。

本堂を参拝後、拝観受付の場所で、拝観料を支払って、宝物館や墓所などがあるところに入った。









なお、宝物館と木像堂は、撮影禁止になっているので、もちろん、撮影をしていない。



本堂前から、西のほうへ目を向けると、報恩堂と坐禅堂がある。

花岳寺の参拝・拝観を終えると、山門をくぐり、境内をあとにした。

そして、商店街を東へ向かって歩いた。
営業している店もあるが、シャッターが閉じた建物が多かった。

播州赤穂駅へ向かう道に出ると、北へ向かって歩いた。
その途中、ある店で、塩味饅頭を買った。
そのあとも、北へ向かって歩いて、播州赤穂駅に入った。
播州赤穂駅でも、買い物をした。
そのあと、改札前の待合スペースで、しばらく過ごした。

14時半より、少し前に、PITAPAで改札を通り、ホームに入った。



ホームでしばらく待つと、折り返し、15時07分発の960M・姫路行きになる列車が入線してきた。
223系電車の4両編成で、わたしは、上り列車では最後尾になる車両に乗車した。
車番はクハ222-2033だった。
発車まで、かなり時間があった。
わたしが乗ったばかりのときは、車内は空いていたが、時間が経つにつれて、車内は乗客が増えていった。

15時07分、姫路行きの列車は、播州赤穂駅を発車した。
播州赤穂の次は、坂越駅に停車した。
坂越駅からは、車内は混雑してきた。
立ち客も結構いた。
坂越駅を発車した列車は、少し経つと、千種川の橋梁を渡った。
その次は、西相生駅に停車した。
西相生駅を出発すると、次は、相生駅に停車した。
わたしは、相生駅で下車した。
その列車が停車したホームの向かい側には山陽本線の相生発の列車がすでに停車していた。



15時25分発の1323M・岡山行きである。
115系の3両編成の列車で、わたしは、先頭の車両に乗車した。
車番はクハ115-1088だった。
わたしが乗車したときは、まだ車内は空いていたが、姫路発播州赤穂行きの列車が、ホームの向かい側に停車すると、多数の人たちが乗り換えてきた。
車内はあっという間に混雑し、立ち客も多かった。
その列車は、相生駅を発車すると、有年、上郡の順に、各駅に停車した。
上郡を発車すると、船坂峠を通り、船坂トンネルに入り、岡山県に入った。
そして、三石駅に停車した。
三石を発車後は、吉永、和気の順に停車した。
和気駅停車後は、すぐには発車しなかった。
何か良からぬことが起きたのか心配になったが、列車は2分遅れで発車した。
そして、次の停車駅の熊山に止まると、下車した。
そのあとは、駅の外に出て、マイカーで帰路に就いた。

こうして、日生のフェリー撮影と、赤穂の花岳寺の参拝などを目的とした外出を終えることができた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤穂線乗り鉄に出かけた(その2)

2023年10月27日 16時22分15秒 | Weblog
今さら、10月22日のことを記事化して、すみません。

10月22日の朝は、マイカーで山陽本線の熊山駅に向かった。
駅付近の自家用車用の駐車場に車を止めると、駅へ向かって歩いた。
駅舎内にある券売機で、ICOCA代用のPITAPAのチャージ残額を確認したあと、ホームに入った。
そして、下りホームで、8時06分発の1305M・三原行きを待った。
しばらくすると、黄色に塗られた115系電車が入線してきた。
多分6両編成だっただろう。
わたしは、2両目の車両に乗車した。
車番はモハ114-1149だった。
なお、その日、わたしは、約3年9か月ぶりにJRの列車に乗車したのである。
日曜日のせいか、車内は比較的空いていた。
その列車は、熊山駅を出発後、万富、瀬戸、上道、東岡山の順に、各駅に停車した。
途中の停車駅の東岡山に止まると、下車して、赤穂線の列車を待った。



上り赤穂線のホームでしばらく待つと、3両編成の115系電車が入線してきた。
播州赤穂行きの1908Mである。
その列車は、8時44分に、東岡山駅を発車した。
日曜日のためか、車内は空いていた。
わたしは、最後尾の車両に乗車した。
車番はクハ115-1402だった。
車掌乗務の列車である。
なお、JR西日本は、7月から乗務員室のネームプレート掲出を廃止したらしく、プレート差しにプレートはなかった。
東岡山駅を発車した列車は、山陽本線の下り線路を横切ったあと、単線の線路に入った。
そして、国道250号線(旧2号線)の下をくぐったあと、岡山城東高校のそばを通った。
その付近は、田園と新興の住宅地が多かった。
しばらくすると、大多羅駅に停車した。
1面1線の駅である。
大多羅の次は、西大寺駅に停車した。
西大寺駅は、赤穂線の中間駅では比較的大きな駅で、下車客が多かった。
西大寺を発車後は、車内はさらに空いていった。
西大寺駅を発車した列車は、田園の中を走り、吉井川の橋梁を渡った。
しばらく走ると、瀬戸内市に入り、大富、邑久、長船の順に、各駅に停車した。
そのあと、しばらく走ると、国道2号線や山陽新幹線と並走した。
列車は、備前市に入り、香登、伊部、西片上、備前片上の順に停車した。
そのあとも、国道2号線から離れながら、東へ向かって走り、伊里駅に停車した。
伊里駅を発車した列車は、少し経つと、国道250号線と並走した。
そして、しばらく走り、日生駅に停車した。









列車が日生駅に停車すると、下車して、駅トイレの取材を行ったあと、駅前に出た。

その日、日生駅で降りたのは、駅前の日生港に入出港する日生・大部航路のフェリーの姿を撮影したかったからである。





しかし、フェリー入港まで、かなり時間があったので、駅前から東へ歩いたところにある喫茶店で、コーヒーを飲みながら、しばらく過ごした。
そのあと、港の岸壁付近に行き、フェリーの入港を待った。
その日は、天候が良く、岸壁で釣りをしていた方がおられたほか、わたし以外にも、カメラを持った方がおられた。



しばらくすると、フェリーひなせの姿が見えた。
日生港と小豆島の大部港とを結ぶ航路のフェリーで、1日4往復運航しているが、11月30日限りで、休止になることが決定している。
そのフェリーの姿をカメラにおさめたくて、日生港に行ったのである。





その日は、天候が良く、青空をバックに撮影することができた。





乗降のため、日生港に停まっているフェリーや、出港したフェリーの姿も、撮影した。







出港直後は、備前日生大橋をバックに入れて、撮影することもできた。

フェリーひなせの撮影後、しばらくして、日生駅に戻った。



そして、上り列車のホームに行き、11時52分発の1912M・播州赤穂行きを待った。

しばらくすると、黄色に塗られた2両編成の115系電車が入ってきた。
それが、播州赤穂行きの列車である。
わたしは、先頭のクモハ115-1508に乗車した。
その列車は、ワンマン運転だった。
日生駅を発車した列車は、次は、寒河駅に停車した。
1面1線の駅である。
寒河駅を発車し、少し経つと、長いトンネルに入った。
トンネル通過中に、兵庫県に入った。
そして、トンネルを出て、しばらく走ると、備前福河駅に停車した。
駅名には「備前」がついているが、所在地が兵庫県の駅である。
そのあとは、途中、天和駅に停車した。
その付近では、車窓右手には、大きな工場と貨物輸送用の専用線が見えた。
その専用線は、旅客駅の天和駅より少し東から分岐していて、定期貨物列車の運行はないが、極稀に大物車が入線する。
天和駅を発車してしばらくすると、その列車の終点の播州赤穂駅に到着した。



播州赤穂駅は、赤穂線の中間駅であるが、その駅を境に、列車の運行系統が分かれている。



わたしは、下車したあとは、改札を出て、北口、南口にあるトイレの取材を行った。



そのあと、南口の駅舎から外に出て、駅前から南へ向かう通りの歩道を歩いた。

都合により、今回はここまでとさせていただきます。
続きは、また後日書かせていただきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする