ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

蜆(シジミ)(2)

2007-08-08 | いろんな人
新聞に広告が載っていたのだが、
蜆(シジミ)は うつに効くのだそうだ。

本当か?

シンジラレナイ・・・。

もしそうなら、多くの人が 
(シジミが嫌いでない限り)
泥沼のような苦しみから チョー簡単に!逃れられるはずなのだが。

義弟が‘うつ’だと聞いてから もう1年以上。







ジャガイモを収穫した後の小さな畑、
久々に見ると 新たにいろいろ植わっていた。






義母の四十九日を終えた直後
義弟の奥さんの父親が
癌で亡くなった。

戦後日本の高度成長を支えた ある大きめの企業に勤め、
工場長として日本中を転勤してまわりながら
日本の発展に尽くした企業戦士のひとりだった。

定年後 初めて家を建てて
しばらく勤めを続け
近年 ようやく 悠々自適の生活に入ったところだった。



母親は 主婦として 夫を支えつつ 子どもふたりを育てた。

自身も子宮ガンと闘ったが 
「お父さんを残して死ねない!」と頑張ったらしく、
今では落ち着いているようだ。

父親の‘看取り’を 家族で頑張り、
母親も充分に心を尽くしての 見送りだったはずだ。



父親が末期がんとわかってから 
義妹は 亭主の実家の方には 滅多に顔を出さなくなっていた。

その代わり 義弟は 下の娘を連れて 頻繁に義母を見舞い、
義母が亡くなってからも 自分の実家にはマメに顔を出していた。

お互いに お互いの親で大変なのだから
相手に自分の親の事で負担をかけるのは避けていたようだ。



義弟は 妻の親の葬儀に際しては
喪主でもないし、ビミョーな立場?

やり方も違うし それなりに気を使って 大変だったと思う。

単身赴任先からは その前に戻って来ていた。

(「親の死に目に会えなかった。」と訴えたら 
 年度の途中で すぐに戻れたと言う。)

冬の 雪との格闘も不要になる。

義母が亡くなった後ではあったけれども
家族と過ごせる生活になったことを
周りはみんな歓迎し、ほっとしていた。







ビニールトンネルの隣は ゴマだな。 その左はなんだろう?






その矢先、義弟は‘うつ’と診断された。

「引越しで疲れたんだよ。」
と亭主が言うと 電話の向こうの義弟は

「いや、単身赴任している頃から、症状はあったんだよ。」



冬の寒さの厳しい地域での 家族の居ない 独りぼっちの生活。

人は 声を出さないと うつになりやすいと言う。

つまり 家族との 緊張を伴わない 他愛のないおしゃべりが
精神の安定に どれほど寄与していることか、
ということだろう。

(IP電話を駆使しても 足りなかったと見える。)



子煩悩な義弟が 
幼い娘や 受験を控えた息子と別れ

公務員として勤めを果たしつつ
実父の介護や 実母の精神的支柱になっている妻とも別れて

寒いアパートに帰る毎日。

そして 事情が許す限り 週末には家(分譲マンション)に帰り 
娘を連れて ボケてしまった母親に面会に行く。

日曜の夜に また 単身赴任先へ戻る。

考えてみれば うつにならない方が おかしいかもしれない日々。



義弟は 亭主もびっくりするくらい マメな大人になっていた。

年齢も40代の終わりだから
仕事もそれなりに責任ある地位にいる。

一番忙しい年代。

妻との共働きで 経済的には困っている様子はないが
義弟本人の 精神的なものが 
悲鳴を上げていたに違いない。



義弟夫婦は 国家公務員。

羨ましいほどに 制度が整っている。

最近まで 新聞に 
双極性のうつになった記者の手記が連載されていたが
大手新聞社の記者も 
休職など 会社の制度が整っていて
理解ある上司もいて
すんごく羨ましい環境だと思った。

義弟も 
職場、精神科医、カウンセラーなどのサポートが
制度として整っており、
至れり尽くせり。

休職から復帰した後も サポート体制を維持していて
決して無理せず
(いや本人は多分大変だったんだろうとは思うが)
このごろは調子がいい、と言うようになっていた。

(調子がいい、と言う義弟の声にはまだ張りがなく、
 決して調子がいいようには思えなかったが
 本人が「調子がいい」と言ってるんだから
 薬が弱いものに変更になっているとか何とか、
 やはり調子がいいのだろう、と亭主と話していた。)



その義弟が
義父の 大汗の 腸の検査に付き合って
どっと疲れが出たらしく、
義父の検査に これ以上 付き合うのは難しい、と言って来た。

かと言って 
亭主に イバラキに帰ることができるほどの時間が空くわけでもなく、

その後の検査は
義父がひとりで行くことになった。

私が行こうか、と申し出たりもしたが
なにしろ遠い。

そして 何故か 検査の時間が 午前9時とか9時半とかいうので
(いやいや、今度は、8時半だって!)
前の晩から行って泊まりこむか
とんでもなく早い時間に出かけることになる。

(始発電車に乗って間に合うか?ってカンジ。)

亭主は 私(と、自分自身)にかかる負担を考えて、
お爺ちゃんには それくらいはひとりでやってもらうしかない、
と 決まった。

義弟のうつは ゆるゆると回復中。






きょうは立秋。

土用というのは 立秋前の18日間を言うらしい。

土用シジミは 特にいい、と言われている。

立秋を過ぎても もう少し頻繁に食べようかな。

もちろん、お碗に少々、程度を(笑)。