ジョルジュの窓

乳がんのこと、食べること、生きること、死ぬこと、
大切なこと、くだらないこと、
いろんなことについて、考えたい。

『大奥』

2007-08-07 | マンガ
よしながふみ(→ウィキペディアへ)のマンガは
『西洋骨董洋菓子店』を読んで、面白かった。

この人のマンガには カッコイイ男の子がいっぱい出てきて
それぞれが違う魅力を持っている。

『西洋骨董洋菓子店』は
『アンティーク』と題したテレビドラマになったが
イケメン俳優がゾロゾロ出てきて
そのひとりひとりの俳優にファンが付いて
まさにテレビ向きの題材だったと思う。







収穫したてのトウガラシ。






よしながふみ(この作者って、オトコ?オンナ?)の『大奥』は 
書店に平積みされていて 気になっていた。

そのうちに、と思っていたら
そのうちに ブック○FFに出回っていたらしく、
(当然、100円じゃ買えない。高価!)
亭主が買ってきた(1~2巻)。

(白泉社、JETS COMICS、2005年10月4日~2006年12月4日)



読んで、びっくりした。

やはり 男の子がいっぱい出てくるマンガなのだが
大奥の男女が逆転しているのだ!

つまり、上様がオンナで、
大奥に居るはずの 大勢の女性たちが 全部オトコ、
の物語なのだ。

悲喜こもごも!




第1巻では 質素倹約を強調した吉宗公がオンナ。

(加納久通もオンナ。)

暴れん坊将軍、というわけか、気は強い(笑)。

特に美しい男の子たちを集め、居並ぶ彼らに
「そちたちのように容色のすぐれた若い男なら
 すぐに婿のもらい手がみつかる。」
と 暇を出す(笑)。



第2巻は 家光。

そもそも 男女逆転の大奥ができたのは
家光が29歳で疱瘡で死亡したため。

(ふつうの疱瘡ではなく、赤面疱瘡。

 お福が気張って 疱瘡では快癒したのにね。)

家光の隠し子の女の子が
家光として三代将軍を継ぐのだ。



家光は まだ少女だ(処女ではないが)。

僧侶から 還俗させられ、
無理矢理連れてこられた若者<お万>(当然、美形!)が
死んだ猫の墓をこしらえる。

猫の名は <若紫>。 源氏物語だねえ。



お万:「どうか <若紫>が成仏できますよう
    念仏を唱えてやって下さりませ。」

家光:「嫌だ。

    唱えたところで
    猫が生き返ってくるでなし。

    何になる。」

お万:「上様。

    弔いというのは
    残された者が
    気持ちの整理をするためにあるものだと
    私は思うております。

    念仏を唱える間 しばし心を落ち着け

    失ったものを思い出しては また念仏を唱える。

    そうするうちに 人は 
    少しずつ悲しみから立ち直ってゆくのでは
    ございますまいか。」(p189)




これは 私の 死者を弔う、
あるいは 追善供養をすることに対する考えと
とても似ている。

この<お万>の言葉も
充分に傷ついた家光の心には
すんなりとは 入ってはいかなかったのだが。

死んだ人は 帰らないのだ。



恨みは 晴らしたからと言って 本当に晴れるものではない。

死んだ者は 帰ってこない。

その怒りにも似た悲しみを
私たちは どうやって 克服したらよいのだろう。



念仏を唱えるもよし。

念仏でなくともよし。

泣きわめくもよし。

ただ ひたすらに 鎮魂を祈るのも
心の整理をつけるためには 有効かと思う。

それでも 
のたうちまわるような 苦しみや 悲しみや 怒りが 襲ってきたら。

そうしたら やはり 同じ事を 繰り返すしか ないのだろう。






きのうの土手に生えていたキノコ。





昨日は 原爆の日。

苦しみも 悲しみも 恨みも 祈りに替えて
私たちは 平和を希求する以外に できることはないかもしれない。

「あやまちは くりかえしませぬから。」

本当に 繰り返してはならないのだけれど。

それを 世界中の人に 伝えたいのだけれど。

恨みを忘れることを拒否する人々に
私たちは 何と言ったらいいのだろう。
    
あったことを 忘れてはならないと思うのだけれど
忘れてしまいそうな私たちは
どう生きていけばいいのだろう。



2 コメント

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常々 ()
2007-08-08 16:21:12
死者を時間をかけて弔うのは、残されたものが、弔っていく中で段々と死を現実として受け止めるもの、50年で最後とするまでの折々の行事?死者に繋がる者が集まることで絆も深まる?現代は必ずしもそうではありませんが(笑)
悲しみはその人にとって耐え難いものでも、関係のない人には気の毒にと思う感情はあっても自分の悲しみではないのですよね。それはそうですよね。全ての人の不幸に嘆き悲しんでいてはとても身が持たないですものね。
でもその悲しみは、形が違ってもほぼ全員に行き渡るような気がします。

核開発など、止めようと思えば簡単に出来ること、何故それが出来ないのかいくら被爆された方が、家族が声を大にして叫んでもなくなりませんね。核兵器を持っていなければ不安なんでしょうか。有る意味それも哀れなことのように思えます。

土手に生えていたというこのキノコは、見た目はシイタケに似ていますが、食べられるのでしょうか。綺麗なトウガラシクリスマス用のリースに使えそうですね(笑)
大奥は読んでないので良く分かりません
まとまり無くながながだらだらごめん。
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マンガに関しては わかかる人とわからない人が。 (ジョルジュ)
2007-08-08 22:46:37
時間が解決する、と簡単には言いたくないのが
失った悲しみです。
でも 本当のところは 時間だけが確実なのかも。。
きょうあって あしたになくなっているものと
惜別の時間を持てなかったときには
なおのこと時間がかかるように思います。
それと 残された人間に 死者のために何ができるか?と考えた時に
死の後には何もない、無だ、となると
何もできることがなくなってしまうのです。
私は 残された人のために ‘弔い’があり、宗教がある、と思っています。
そして
それが どんなふうに かはわからないけれど
きっと 死者のために役に立つ、あるいは 喜んでもらえる、と信じたい。

ヒロシマ・ナガサキについては 
私は語るものを何も持っていません。
せめて 想像をめぐらしながら情報に接し、それを忘れないでいたいと思います。

トウガラシ、クリスマス・リースにいいですね。
オリーブはないけど ベイリーフをもらってきて 今年こそオリジナルを作ってみようかしら。
仏教徒ですけど(笑)。
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