河村顕治研究室

健康寿命を延伸するリハビリテーション先端科学研究に取り組む研究室

私と歩行分析 3

2008-01-24 | 私と歩行分析
2.香川県身体障害者総合リハビリテーションセンター時代(平成2年4月~)

平成2年4月に香川県身体障害者総合リハセンターへ医局人事で異動となった。
ここは元々はひかり整肢学園という肢体不自由児施設であったところで、香川県の事業団として成人の病棟が整備されて小児だけでなく成人の治療もできる総合リハセンターに生まれ変わった病院であった。
中には更生相談所もあり、我々は毎週身体障害者手帳の診断書を書いたり、手帳で車椅子や装具を交付するための業務にも携わった。
今でも身体障害者手帳の診断書を書くのは苦にならないが、この時の経験が大きい。

香川リハに移るとそこにもアニマの大型床反力計が設置されていた。
ここのシステムについていたのはなんと8インチのフロッピーユニットであった。

患者さんは小児であれば脳性麻痺、成人では脳卒中片麻痺が多かったので、そのデータを取ることになった。
私は主には成人担当と言うことで、この頃脳卒中片麻痺患者の内反尖足矯正手術を盛んに行っていた。
そのため手術前後のデータをよく計測した。

当時行っていた手術はPerryの術式に則ったもので前脛骨筋腱を二つに裂いて外側を移行したり、後脛骨筋腱を骨間膜に穴を開けて前方に移行するなどかなり複雑な事をやっていた。数をこなすとかなり上手になり、当初2時間くらいかかった手術が1時間以内で行えるようになった。
症例数もかなりたまったので学会発表や論文にもしたが、ある時、関東のリハ専門医の先生と雑談していたとき、関東ではそんな矯正手術が必要な脳卒中片麻痺患者は見たことがないと言われた。
その時、はたと気づいたのが地域特異性で、香川では脳卒中の早期リハが普及しておらず、そのため徒手的には矯正不可能な内反尖足が生じてしまうと言うことだった。
当時は急性期の治療は第一線病院でだいたい3ヶ月行われ、その後リハセンターに転院してくると言うケースが多かった。
初期の3ヶ月はまともなリハは行われずに内科治療が中心だったのだ。
それに気づいてからは恥ずかしくて学会発表はやめてしまった。

香川リハには3年間いたが、その間にリハ専門医試験を受験したり結構忙しく、歩行分析ではたいした仕事はできなかった。

この頃一つ問題になったのがアニマ社製床反力計のメインテナンスで、突然ぶらりとやってきたアニマ社のサービスマンが無料で床反力計の状態を見てくれるというので見てもらったら、このままではまともなデータが取れなくなるので調整が必要だという。そしてその調整費用がちょっとびっくりするくらい高額だったのだ。
今でもその時の調整が本当に必要だったのかどうかはよく分からないが、アニマがそういうのだからと信用して、病院にお願いして予算を捻出していただいた。
経営状態は決して良くはなかったので、その後事務の方からは折に触れてイヤミを言われることもあった。
この頃から、歩行分析にはコストがかかる割りにはリターンが乏しいというイメージが強く残るようになった。

しかし、莫大な投資を行った歩行解析設備を使えない状態にするのはなかなかできないので、コストをかけても維持するしかなくなる。
その後時間をかけて8インチフロッピーのデータを3.5インチディスクに移し替えたり、将来にわたって使っていけるように自分としては頑張ったつもりだった。
今、あのシステムはどうなっているのだろうか。

この頃、必要に迫られてMS-DOSの勉強を随分行った。ほとんど独学だったが、小児科の先生でパソコンおたくのような方がいて、分からないことはその先生に教えてもらった。

MS-DOSのコマンドは今でも時々役に立つことがある。
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