katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

さくら教室と、新作の看板の下地の続き

2013-12-19 06:51:08 | モザイク教室
今日は午後からの教室。当然それまでは新作の看板下地の続き・・・


更なる進展。これでもまだまだ。後は文字。けれど欲張らない・・・何しろ寒いし、
緊張感もあって体も硬直している事だし・・・無理には進まない。

だから、ノアさんの下地のペ-パ-掛けとか、ちょこまか挟んで・・・。
それが、こう言う単調なペ-パ-掛けのような場合、リズムが大事なのね。

そうリズム・・・それがね、最近遅ればせながら、恋するフォ-チュンクッキ-の良さが判ってね・・・あれでキュンとして、それでいてリズムが俺に合う。

あの歌詞をそのまま恋愛って取れば、50の俺には何も関係無いのだけれど、恋愛では無く
違うものに置き換えると、誰にでも当てはまるものになり、何とも切なく、

何とも元気付けられる、そんな歌詞に聞こえて来る。それでいて何と言っても可愛い。
俺にはそれが大事で、ピュアな感覚って言うのが、可愛さの原点だったりもする。

そして、そのピュアって言うのが、基本とか、初心とか、そう言うものに繋がっていて、
初心忘れるべからず・・・なんてのは、俺の感覚では、ピュアな心を忘れない・・・・・

みたいになって、今回の看板の趣旨に繋がっていたりもする・・・。
昔、ここはかめやなる屋号を持ったお店があって、それを降ろしてこの看板が掛かる。

それこそ先代から続く歴史ある看板をね。俺はその看板に替わるものを頼まれた事になり、そこで色々考えた結果、ここはかめやであるべきと考えたのね・・・。

ここはずっとかめやであるべき・・・とね。ただ、カルチャ-教室のような、今までのお店のような日常では無く、非日常を売る感じであるとなると、改築までして新しいので、

それ相応のお洒落を求めると、やはり英語の方が良いかな・・・とも思って、どう入れるか?になる。ただかめやを残すと、亀は作りたくなる。

ただ更にこの2つを残すと、依頼のお母さんの好きなものでは無く、単なる看板となる。
となると、依頼者の大事なもの・・・それが仏像彫刻。

ここでは仏像彫刻の教室も行われている。当然モザイクの看板を頼まれたのだから、
モザイク色が強くても良いのだろうが、俺はそのテイスト、つまり木も見せたいと考え、

この方の2枚看板でもある、そんな事を考えていた・・・そんな中の銘木ブビンガ。
見せる木である。そうなると、当然神様が必要となる。何しろ仏像彫刻なんだから・・・

そんな訳で色々と調べていると、観音様に興味を持ったのね。確かに昔、大船観音を観た時の衝撃ってのは、半端無かった・・・何しろ凄いを越えて、怖かった・・・・。

俺は神様ってのは、そんなものでもあると思う。ただあの大きさでの迫力は出せない。
この大きさであの大船観音にも負けないような観音様になるには・・・

ただ頼まれているのは看板であって、単なる観音様でも無いのね・・・。
そこで母であったり、女の人であったり・・・ってのが出て来るのね。

別に神様は作るけど、神様になりたい訳じゃないだろうし・・・でもね、きっとお母さんってのは、人だし女なんだけれど、俺は子供産めないし、その神秘さはある意味、

神にも等しい。ただね、昔の伝統的な・・・じゃなくて、少なくても昭和の人じゃない?
だから、その神秘なるものでも、何でも良いが、そんな風味を残した看板なのね。

だからちょっと可愛く見せたいのね・・・威圧感よりも・・・・。
そんな中、それを教えてくれる、さくらの登場である。

そもそもが、この人の人生そのものが病院と言っても過言じゃないくらい、生きている
時間の大半が病院なんて言う人。体が薬で出来ている・・・そんな感じ。

やれ手が動かないだの、あっちこっちがポンコツで、それでも頑張って生きている。
働いているのなら、休みは休めば良いし、子供と遊ぶのも良かろう。

なのに、わざわざモノ作りなんて、時間が掛かり面倒なものをずっと続けている。
しかも俺の所では、かぐやと同じ弟子で同じ様な時期だったのもあって、

どうしても本人としても、比べる事もあったが、ばかちん・・・良く考えれば判る事。
方やかぐやは主婦以外の時間はすべてモザイク。この世で俺と同じくらいの時間を、

費やしている者と、方や病気で働いていて、1ヶ月に何時間やる?って言う者が一緒な訳が
無いでしょ?世の中のくだらない質問に惑わされては駄目。と何度も言い続けて来た。

それが何年やってるの?・・・入った年がかぐやと一緒だけで、時間が全く違う。
比べても仕方の無いもの。それよりも大事なのは、続けている事。

その内にこのまま続けていると、今までの人生で一番続いているものになる。
どれもこれも身にならなかったものが、これだけは一生懸命に続けている。

すると何が起こるか?そもそもがさくらの作品はやった事が無い人には、可愛いだけの作品に見えるはずなのである。ただ奴の凄さが判るのはモザイクを真摯に取り組んでいる、

そんな人にしか判らない。そもそも真の技術なんて経験者にしか判らない。
けれどね、さくらの作品ってモザイク未経験でも見ていて楽しいのね。

何かね・・・それがさくらで、さくらは今はそれで良いのね。そして続けていたら、
さくらの何が凄いか?はさくら自信がその内に知る事になるだろうから・・・。

奴の病気の根源・・・それ自体が己のきちんとした評価を知る。他人の言葉に惑わされずに・・・それが頑固で無く、それが流されっ放しでも無く、自分を自分らしく持つ・・・

それには誰の言葉を信じ、何を大事にするか?己を持つ事は、時に人を傷付ける事にもなる・・・受け入れるだけなら奴隷と一緒。ただ自分を出し過ぎればただのわがまま。

いずれにせよ、比べられる事も踏まえて、自分らしく続けられると良いのね。
少なくとも、かぐやはもう子供と一緒にモザイクは出来ない・・・それ1つ取っても、

今ある事ときちんと向き合えば、いつかそれは辛くても良い想い出に変わる。
しかし、適当にただこなしただけで過ごせば、それは単なる出来事・・・あはははは。

単なる出来事は思い出そうと思っても、沢山の中に埋もれて行き忘れて行く・・・
ただそれだけ。そう言う意味でも、続けている・・・これがどんな事を意味するか?

判る人だけ判れば良い。古文でも習ったのね・・・伝わる人にきちんと伝われば・・・

そんな中、目を終えた時に帽子のやり方をひと通り教えたのに、さくらの花びらを切っているので、何で?と聞くと、細かいのがもう切れそうに無いから・・・って。

良いね・・・それで。昔なら、ただ意地で進んでいた。ただ意地で辞めた・・・の繰り返しだった。そんな意地っ張りが、今、出来る事を選んだ。俺もそれで良いと思う。

細かいタイルを持つ左手って言うのは、中々大変でね・・・そんな中、今日は良く目を完成させたものだ。もう十分である。

そんな中、送ろうと思ったが、お互いに凍結すると心配となり、今日は電車で帰った。
当然、少なくとも送っていたと思われる時間は、アトリエにいるべきで・・・

神って言うのは、母って言うのは、もしかしたら・・・・こんな気分でもあるのかな?
とおもったので、新作の観音様の顔を直した・・・・



とても良い表情になった・・・・

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