ー裸足の1500マイルーRABBIT-PROOF FENCE
2002年 オーストラリア
フィリップ・ノイス監督 ドリス・ピルキングトン原作 エヴァーリン・サンピ(モリー)ローラ・モナガン(グレーシー)ティアナ・サンズベリー(デイジー)ケネス・ブラナー(ネビル)デヴィッド・ガルピリル(ムードゥ)
【解説】
1931年、西オーストラリアのジガロング。14歳のアボリジニの少女モリーは、8歳になる妹のデイジー、従姉妹で10歳のグレーシーたちと楽しく平穏な毎日を送っていた。ところがある日、アボリジニ保護局の人間がやって来て、時の政府の政策に従って彼女たちを拘束、母親から引き離して施設に強制収容するのだった。粗末な環境下で、白人社会へ適応するための厳しい教育が始まる。ある時、たまりかねたモリーたちは厳重な監視をかいくぐり脱走する。そして、延々続くウサギよけフェンスの先にある母の待つ故郷へ向けて1500マイルの遥かなる旅路を歩き始めるのだった…。(allcinema ONLINE)
【感想】
映画「オーストラリア」で、オーストラリア政府が行っていた、アボリジニの「隔離同化政策」を知って、この映画が見たくなりました。
映画は、淡々ととさらりと描写していますが、モリーたちがやったことは、まあ、私にはとても考えられないことです。
1500マイル=2400キロ、砂漠を走るウサギ除けフェンスを伝って、少女たちが歩いた。嘘でしょう?と言いたくなりますが、モリーはこの距離を2回歩いています。
母親から子供を引き離すと言う悪魔の所行が、よくできたもんだと思います。
どんな詭弁を弄したらそんな発想ができるのか?
アボリジニと白人の混血の子供を白人として教育してやると大義を掲げてはいますが、結局はアボリジニを、感情のある人間だとは考えていなかったということですね。
母親から引き離されて連れ去られる場面。
悲しかったです。
おばあさんは自分の無力さを責めてでもいるように、石で自分の頭を血が出るくらいたたいていました。
その行為を正当化する役割を一身に背負っていたのがネビルという保護局の役人(ケネス・プラナー)。
偽善者ぶった振る舞いがぴったりでした。
映画も、カメラワークも素晴らしい。
少女たちは寡黙で、何も語らないけど、その大きな瞳は、大人たちが自分たちにどんな仕打ちをしているかを、雄弁に語っています。
追跡する大人たちが何度もつぶやくけど、14歳のモリーは本当に「頭がいい」。
収容所に入れられて「こんなところは絶対いや」と妹のデイジー(8歳)と従妹のグレイシー(10歳)を連れて収容所を出る決心をしました。
雷が鳴り始めて、雨が自分たちの足跡を消してくれることを知っていたからです。
川上に行ったように見せかけて、川の中を下へ歩いたり、幸運も重なって、2400キロ、90日間を歩き通したのでした。
途中で出会って、助けてくれるアボリジニの召使いは、「私もあそこにいたのよ」と応援してくれました。
その彼女は、主人である白人に性的関係を強要されていることを臭わしていました。
私は保護の必要性を説くネビルに言いたかった。
まず、白人男性がアボリジニの女性に手を出すことを止めさせなさいと。
混血児を作らないことが悲劇を防ぐ第一歩だと。
まったく、腹立たしいことでした。
グレイシーは罠にかかって捕まってしまいます。
いままで泣かなかった二人が、グレイシーの行く末を思って号泣しているシーン、一番胸が痛みました。
モリーとデイジーは再び立ち上がり、疲れてぼろぞうきんのようになった時も、自分たちの守り神を信じ、執拗に追って来る追跡者(ムードゥ)を振り切り、歩き通し多たのでした。
母とおばあちゃんの住む村に戻り、女たちにかくまわれて無事大人になったそうです。
本当に感動的な母子の対面でした。
でも、その後に語られることに驚かされます。
モリーは結婚して2人の娘を得ますが、その娘とともにまた収容所に送られ、モリーは娘を一人連れてまた歩いて戻ったそうです。
それでも、また娘は収容所に送られてしまったそうです。
この政策は70年代まで続いていたのです。
最後に登場する現在のモリー(85歳)とデイジー(79歳)の明るい笑顔に救われた作品でした。
2002年 オーストラリア
フィリップ・ノイス監督 ドリス・ピルキングトン原作 エヴァーリン・サンピ(モリー)ローラ・モナガン(グレーシー)ティアナ・サンズベリー(デイジー)ケネス・ブラナー(ネビル)デヴィッド・ガルピリル(ムードゥ)
【解説】
1931年、西オーストラリアのジガロング。14歳のアボリジニの少女モリーは、8歳になる妹のデイジー、従姉妹で10歳のグレーシーたちと楽しく平穏な毎日を送っていた。ところがある日、アボリジニ保護局の人間がやって来て、時の政府の政策に従って彼女たちを拘束、母親から引き離して施設に強制収容するのだった。粗末な環境下で、白人社会へ適応するための厳しい教育が始まる。ある時、たまりかねたモリーたちは厳重な監視をかいくぐり脱走する。そして、延々続くウサギよけフェンスの先にある母の待つ故郷へ向けて1500マイルの遥かなる旅路を歩き始めるのだった…。(allcinema ONLINE)
【感想】
映画「オーストラリア」で、オーストラリア政府が行っていた、アボリジニの「隔離同化政策」を知って、この映画が見たくなりました。
映画は、淡々ととさらりと描写していますが、モリーたちがやったことは、まあ、私にはとても考えられないことです。
1500マイル=2400キロ、砂漠を走るウサギ除けフェンスを伝って、少女たちが歩いた。嘘でしょう?と言いたくなりますが、モリーはこの距離を2回歩いています。
母親から子供を引き離すと言う悪魔の所行が、よくできたもんだと思います。
どんな詭弁を弄したらそんな発想ができるのか?
アボリジニと白人の混血の子供を白人として教育してやると大義を掲げてはいますが、結局はアボリジニを、感情のある人間だとは考えていなかったということですね。
母親から引き離されて連れ去られる場面。
悲しかったです。
おばあさんは自分の無力さを責めてでもいるように、石で自分の頭を血が出るくらいたたいていました。
その行為を正当化する役割を一身に背負っていたのがネビルという保護局の役人(ケネス・プラナー)。
偽善者ぶった振る舞いがぴったりでした。
映画も、カメラワークも素晴らしい。
少女たちは寡黙で、何も語らないけど、その大きな瞳は、大人たちが自分たちにどんな仕打ちをしているかを、雄弁に語っています。
追跡する大人たちが何度もつぶやくけど、14歳のモリーは本当に「頭がいい」。
収容所に入れられて「こんなところは絶対いや」と妹のデイジー(8歳)と従妹のグレイシー(10歳)を連れて収容所を出る決心をしました。
雷が鳴り始めて、雨が自分たちの足跡を消してくれることを知っていたからです。
川上に行ったように見せかけて、川の中を下へ歩いたり、幸運も重なって、2400キロ、90日間を歩き通したのでした。
途中で出会って、助けてくれるアボリジニの召使いは、「私もあそこにいたのよ」と応援してくれました。
その彼女は、主人である白人に性的関係を強要されていることを臭わしていました。
私は保護の必要性を説くネビルに言いたかった。
まず、白人男性がアボリジニの女性に手を出すことを止めさせなさいと。
混血児を作らないことが悲劇を防ぐ第一歩だと。
まったく、腹立たしいことでした。
グレイシーは罠にかかって捕まってしまいます。
いままで泣かなかった二人が、グレイシーの行く末を思って号泣しているシーン、一番胸が痛みました。
モリーとデイジーは再び立ち上がり、疲れてぼろぞうきんのようになった時も、自分たちの守り神を信じ、執拗に追って来る追跡者(ムードゥ)を振り切り、歩き通し多たのでした。
母とおばあちゃんの住む村に戻り、女たちにかくまわれて無事大人になったそうです。
本当に感動的な母子の対面でした。
でも、その後に語られることに驚かされます。
モリーは結婚して2人の娘を得ますが、その娘とともにまた収容所に送られ、モリーは娘を一人連れてまた歩いて戻ったそうです。
それでも、また娘は収容所に送られてしまったそうです。
この政策は70年代まで続いていたのです。
最後に登場する現在のモリー(85歳)とデイジー(79歳)の明るい笑顔に救われた作品でした。
アメリカ原住民の問題やアボリジニの問題。
(自分も含めて)人間て勝手だなぁ・・・と呆れますね。
でも逞しい!!
このお話 何年頃の話だったのですか?
こうやって歩いて脱走している人が結構多かったのでしょうか?!
風土にあった暮らしを何世代にも渡って続けて来たので、誰も想像もできない奇跡が起こったんだと思いました。
でも、脱走して成功した人がいれば、失敗した人もいたでしょうね。
1931年と書いてありますね。
70年代までこの政策が行われていたのですから、文明人でござい、と威張っている人たちも、眉唾ですね。