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ー錦秋文楽公演第2部「心中天網島」ー11月13日午後4時開演
北新地河庄の段
天満紙屋内の段
大和屋の段
道行名残りの橋づくし
【感想】
友達が突然チケットを送ってくれて、お嫁ちゃんを誘って行くことにしました。
文楽を見るのは2年ぶりぐらいで、若いお嫁ちゃんも「見たことがない」というし、どうかなあと心配でしたが、思いがけず、大感動して帰ってきました。
帰り道、実は涙ウルウルでした。
チケットをくれたセーラン、付き合ってくれたお嫁ちゃんありがとうございました。
演目は「心中天網島」。
実は、この作品、すごく有名なのに見たことがなかったんです。
作者の近松門左衛門は、江戸時代の1653年生まれ。越前藩士の息子として生まれますが、父親が浪人となり京都へ移り住んだようです。
いつの頃からか、歌舞伎や浄瑠璃の芝居を書くようになり、最初に名前が登場するのが「出世是清」。
それまで、作者は名前を表さないという暗黙の了解を破って、作品に名前を書いた最初の人です。
これが30歳のころ、「曾根崎心中」は50歳の時の作品で、この「心中天網島」はそれから17年もたった近松67歳の作品です。
住吉の料亭にいた近松は、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を聞き、早かごに乗って大阪へ戻りました。
そのときに有名な「道行名残りの橋づくし」の段の書き出し「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」を思いついたと言われています。
〈あらすじ〉
妻子がいるにもかかわらず、曾根崎の紀伊国屋の小春という遊女と深い仲が3年も続いている紙屋治兵衛。
治兵衛の妻おさんは、治兵衛のいとこ。おさんの母は治兵衛の叔母にも当たっていました。
つまり、おさんは妻という立場だけでなく、親戚や商売仲間への体面やそれが及ぼす家業への悪影響を大変心配する立場にあったのです。
そんなおさんの心配もわからず、治兵衛の頭には小春のことしかありません。
折りも折り、伊丹の太兵衛が小春を身請けするという話が持ち上がりました。
太兵衛は独り者、小春を妻にすることもできると豪語して、小春に迫っていました。
治兵衛と小春は、この世で添えないなら心中も、と思い詰めていたのです。
でも、ある時から、小春は治兵衛から遠ざかるそぶり。
客として現れた侍に、「治兵衛さんと心中の約束をしたけど、本当は死にたくない」と心変わりを告げます。
それを窓越しに聞いた治兵衛は、小春に切り掛かるが侍に手を縛られてしまう。
その様子を太兵衛にからかわれていると、侍が出てきて、今度は太兵衛を追い払った。
この人物は、実は孫右衛門といって、治兵衛の兄で、小春と治兵衛を別れさせるために変装して来たのだった。
その孫兵衛の前で治兵衛は小春と別れる誓文を書いた。
そのとき、孫兵衛は小春が持っていたおさんから手紙の存在を知り、小春の心変わりが、治兵衛を思うおさんの心情のためで、本心ではないことを知るのだった。
それから10日たっても、紙屋の店先で治兵衛はこたつの中でごろごろしていた。
そこへおさんの母でもある治兵衛の叔母が、孫右衛門と一緒にやって来て、おさんの父親が「天満の商家の主が小春を身請けする」という噂を聞いて心配していると言う。
治兵衛はきっぱり別れると告げ、熊野権現のお札の裏に誓文を書いた。
しかし、二人が帰ると治兵衛はおいおい泣き出した。
おさんは、それはあんまりだと治兵衛を責めると、治兵衛は「小春は他の人に身請けされたら、きっと死ぬ」と泣く。
おさんも小春が死ぬと思い、「それでは女の義理が立たない、治兵衛さんに身請けしてもらう」と有り金全部、子供の着物までお金に換えようとまとめ始める。
そこへおさんの父親がー。
娘の前で身請けのお金を工面していると激怒した父親は、おさんの弁解も聞かず、おさんを連れて帰ってしまう。
こうして、すべてを失った治兵衛。
ふたたび小春に接触して、二人がいく道は心中しかないと心に決めるのでした。
小春19歳、治兵衛28歳。
おさんも治兵衛と同い年くらいでしょうね。
幼い子供が二人います。
(ちなみにおさんの母は56歳!私と○○…!!当時の人は老けていたんですねえ!!)
主人公たちの若さに驚きますね。
お嫁ちゃんも言っていましたが、ほんと、ダメ男に振り回されるお話。
治兵衛に向かって、しっかりして!!と言いたくなります。
おさんや小春にも、「そんな男、掘り出せばいいのに」と。
でも、理屈と違うのが情念の世界です。
それをどこまでも美しく表現するのが道行きです。
よかったですよ、この道行き。
橋づくし。
この夏大阪では「水都祭」も行われていました。
大阪は、水の都です。
私の住んでいる土佐堀通り近辺の話で、とても親近感が持てました。
地図で辿ってみました。
曾根崎から都島の網島町まで。
お芝居に出て来る大長寺は、今は藤田博物館になっているそうです。
小春は、お人形ゆえの冷たく悲しげな表情がぞっとするほどの美しさでした。
人形遣は人間国宝の吉田蓑助さん。
若い頃、私の大学へいらして、人形の説明なんかしてくださっていましたが、ほんとうに、素晴らしい芸だと思いました。
大夫も竹本住大夫さんや竹本綱大夫さんという人間国宝の方々。
この日感じた感動を、うまく言葉にできればいいのですが。
虚と実の間にある慰みが近松の目指したもの(虚実皮膜論)ですが、それは、楽曲も演者も、観客の質など、その日の芝居を形成する要素すべてが水準に達しないと得られないものかもしれません。
改めて、芸術とは深いものだなあと思いました。
北新地河庄の段
天満紙屋内の段
大和屋の段
道行名残りの橋づくし
【感想】
友達が突然チケットを送ってくれて、お嫁ちゃんを誘って行くことにしました。
文楽を見るのは2年ぶりぐらいで、若いお嫁ちゃんも「見たことがない」というし、どうかなあと心配でしたが、思いがけず、大感動して帰ってきました。
帰り道、実は涙ウルウルでした。
チケットをくれたセーラン、付き合ってくれたお嫁ちゃんありがとうございました。
演目は「心中天網島」。
実は、この作品、すごく有名なのに見たことがなかったんです。
作者の近松門左衛門は、江戸時代の1653年生まれ。越前藩士の息子として生まれますが、父親が浪人となり京都へ移り住んだようです。
いつの頃からか、歌舞伎や浄瑠璃の芝居を書くようになり、最初に名前が登場するのが「出世是清」。
それまで、作者は名前を表さないという暗黙の了解を破って、作品に名前を書いた最初の人です。
これが30歳のころ、「曾根崎心中」は50歳の時の作品で、この「心中天網島」はそれから17年もたった近松67歳の作品です。
住吉の料亭にいた近松は、紙屋治兵衛と遊女小春の心中事件を聞き、早かごに乗って大阪へ戻りました。
そのときに有名な「道行名残りの橋づくし」の段の書き出し「走り書、謡の本は近衛流、野郎帽子は紫の」を思いついたと言われています。
〈あらすじ〉
妻子がいるにもかかわらず、曾根崎の紀伊国屋の小春という遊女と深い仲が3年も続いている紙屋治兵衛。
治兵衛の妻おさんは、治兵衛のいとこ。おさんの母は治兵衛の叔母にも当たっていました。
つまり、おさんは妻という立場だけでなく、親戚や商売仲間への体面やそれが及ぼす家業への悪影響を大変心配する立場にあったのです。
そんなおさんの心配もわからず、治兵衛の頭には小春のことしかありません。
折りも折り、伊丹の太兵衛が小春を身請けするという話が持ち上がりました。
太兵衛は独り者、小春を妻にすることもできると豪語して、小春に迫っていました。
治兵衛と小春は、この世で添えないなら心中も、と思い詰めていたのです。
でも、ある時から、小春は治兵衛から遠ざかるそぶり。
客として現れた侍に、「治兵衛さんと心中の約束をしたけど、本当は死にたくない」と心変わりを告げます。
それを窓越しに聞いた治兵衛は、小春に切り掛かるが侍に手を縛られてしまう。
その様子を太兵衛にからかわれていると、侍が出てきて、今度は太兵衛を追い払った。
この人物は、実は孫右衛門といって、治兵衛の兄で、小春と治兵衛を別れさせるために変装して来たのだった。
その孫兵衛の前で治兵衛は小春と別れる誓文を書いた。
そのとき、孫兵衛は小春が持っていたおさんから手紙の存在を知り、小春の心変わりが、治兵衛を思うおさんの心情のためで、本心ではないことを知るのだった。
それから10日たっても、紙屋の店先で治兵衛はこたつの中でごろごろしていた。
そこへおさんの母でもある治兵衛の叔母が、孫右衛門と一緒にやって来て、おさんの父親が「天満の商家の主が小春を身請けする」という噂を聞いて心配していると言う。
治兵衛はきっぱり別れると告げ、熊野権現のお札の裏に誓文を書いた。
しかし、二人が帰ると治兵衛はおいおい泣き出した。
おさんは、それはあんまりだと治兵衛を責めると、治兵衛は「小春は他の人に身請けされたら、きっと死ぬ」と泣く。
おさんも小春が死ぬと思い、「それでは女の義理が立たない、治兵衛さんに身請けしてもらう」と有り金全部、子供の着物までお金に換えようとまとめ始める。
そこへおさんの父親がー。
娘の前で身請けのお金を工面していると激怒した父親は、おさんの弁解も聞かず、おさんを連れて帰ってしまう。
こうして、すべてを失った治兵衛。
ふたたび小春に接触して、二人がいく道は心中しかないと心に決めるのでした。
小春19歳、治兵衛28歳。
おさんも治兵衛と同い年くらいでしょうね。
幼い子供が二人います。
(ちなみにおさんの母は56歳!私と○○…!!当時の人は老けていたんですねえ!!)
主人公たちの若さに驚きますね。
お嫁ちゃんも言っていましたが、ほんと、ダメ男に振り回されるお話。
治兵衛に向かって、しっかりして!!と言いたくなります。
おさんや小春にも、「そんな男、掘り出せばいいのに」と。
でも、理屈と違うのが情念の世界です。
それをどこまでも美しく表現するのが道行きです。
よかったですよ、この道行き。
橋づくし。
この夏大阪では「水都祭」も行われていました。
大阪は、水の都です。
私の住んでいる土佐堀通り近辺の話で、とても親近感が持てました。
地図で辿ってみました。
曾根崎から都島の網島町まで。
お芝居に出て来る大長寺は、今は藤田博物館になっているそうです。
小春は、お人形ゆえの冷たく悲しげな表情がぞっとするほどの美しさでした。
人形遣は人間国宝の吉田蓑助さん。
若い頃、私の大学へいらして、人形の説明なんかしてくださっていましたが、ほんとうに、素晴らしい芸だと思いました。
大夫も竹本住大夫さんや竹本綱大夫さんという人間国宝の方々。
この日感じた感動を、うまく言葉にできればいいのですが。
虚と実の間にある慰みが近松の目指したもの(虚実皮膜論)ですが、それは、楽曲も演者も、観客の質など、その日の芝居を形成する要素すべてが水準に達しないと得られないものかもしれません。
改めて、芸術とは深いものだなあと思いました。
私も早くそんな日が来ることを、楽しみにしています
megさんも急がなくても、そんな日がすぐにやってきますよ。
いいことか、寂しいことか、自分で確かめてね。笑!
ほんと、文楽にも行きましょう。
日本の芸術、大阪の芸術、見直しました。