Mさんが友人に誘われて拙寺で毎週早朝に行われている「土曜礼拝」に来るようになってから、間もなく1年になる。でも、50半ばのMさんが、がんを患って余命幾ばくもないことを知ったのはつい最近のことで、既に肺に転移しているとのこと。
一緒に読経した後、私は「歎異抄」を題材に約50分の法話をしているが、彼女は食い入るように聴聞する。そして明るく「寺に来ると心が落ち着きます」と言う。死は人生の終焉ではない。「ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし」という、親鸞の言葉をかみ締めて、彼女の最期を共有したい。
志布志市 一木法明 2014/2/17 毎日新聞鹿児島版掲載
一緒に読経した後、私は「歎異抄」を題材に約50分の法話をしているが、彼女は食い入るように聴聞する。そして明るく「寺に来ると心が落ち着きます」と言う。死は人生の終焉ではない。「ただ念仏して、弥陀に助けられまいらすべし」という、親鸞の言葉をかみ締めて、彼女の最期を共有したい。
志布志市 一木法明 2014/2/17 毎日新聞鹿児島版掲載
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