終戦の年、私は国民学校の4年生でした。当時、村の学校は陸軍に接収されていて私たちは集落ごとに分散教育でした。
私の集落は大きくて人数も多く、4年生以上と3年生以下に別れて女先生が一人ずつついておられました。天気の良い日は鍬をかついで集落の坂を上り、奥の畑へ荒地開墾に行かされました。「勝ち抜く僕ら少国民」と隊列を組んで大きな声で歌いながら行きました。
雨の日はお宮やラミー小屋(繊維素材になる苧麻を収納する小屋)で藁草履作りを村の古老に教わりました。まだ戦勝国だと信じていましたから。
熊本市北区 佐々京子(86) 2022.7.31 毎日新聞鹿児島版掲載
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