最近、小さな蹉跌から人生を諦め、他人を巻き込んでの自死が頻発しているが、諦めは万人が通る出発のスタートラインである。
人は多くの蹉跌を繰り返し、一人では何もできないと諦め、無力を知った時に初めて他者を受け入れ、社会と出会い、協力を学び、人生を共に生きる伴侶を探す恋を始める。
諦めも初級から上級までの段階があり、蹉跌と再出発を繰り返して諦めを学んでいく。人生とは多くの諦めを要する出発の繰り返しの波である。名人とはいわないが、諦めの有段者くらいにはなりたいものだ。
鹿児島県湧水町 近藤安則(68) 2022.5.7 毎日新聞鹿児島版掲載
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