私の教師生活は1953年4月、白梅学園玉名家政高校(現玉名女子高)から始まった。校門を入ると右側の塀際に日本赤十字発祥の地と書いた標柱が立っていた。
明治10年、我が国最後の内乱となった西南戦争で、薩摩軍が高瀬町(生なし高瀬)に進攻し、政府軍と戦闘した時、負傷した政府軍の兵士を前述の場所に運び入れて救護したそうだ。政府軍の救援隊が到着してから優勢に転じ、薩摩軍は玉東村の田原坂方面に後退したという。
現在の玉名女子高には看護科が設けてあるそうだが、日赤発祥にふさわしい気がするなあ。
熊本市東区 竹本伸二(90) 2018/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載
明治10年、我が国最後の内乱となった西南戦争で、薩摩軍が高瀬町(生なし高瀬)に進攻し、政府軍と戦闘した時、負傷した政府軍の兵士を前述の場所に運び入れて救護したそうだ。政府軍の救援隊が到着してから優勢に転じ、薩摩軍は玉東村の田原坂方面に後退したという。
現在の玉名女子高には看護科が設けてあるそうだが、日赤発祥にふさわしい気がするなあ。
熊本市東区 竹本伸二(90) 2018/11/11 毎日新聞鹿児島版掲載
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