2019年12月22日 (日)
岩国市 会 員 横山恵子
今もはっきりと目に浮かぶ光景がある。それは枯れない花だった。話は胸に刻まれた日々をさかのぼる。
夫は63歳の時、脳梗塞を発症した。その後の闘病生活は10年に及んだ。特に最後の1年は坂道を転がるがごとく悪化の一途をたどった。一緒に闘う私は心が折れそうだった。それでも奇跡を信じ、細い望みの糸を必死で手繰っていた。
しかし、平成26(2014)年4月29日未明、最期の時を迎えた。夫の顔をなでながら私は自然と言葉がこぼれていた。
「お父さん、ありがとう、ありがとう、つらかったね、よう頑張ったね・・・」
一瞬、夫の唇がわずかに開いた。笑みを浮かべるように見えた。「まあ気が付いたの。心配したよ」と思っても言葉に詰まった。必死で体をさすった。だが目を開けることはなかった。
幻だったのかー。われに返ると、看護師の方が何も言わず、私の背中をさすり続けてくれていた。
通夜、葬式を終えて四十九日法要を迎えた。まだ墓はなく納骨できなかった。少しでも長く家にいたいという夫の意思のような気がした。
供える花も暑さのため、すぐに枯れてしまった。その中で、1輪のアジサイだけは生き生きとしていた。何とも不思議だった。
そして9月11日、納骨の時が来た。枯れないアジサイを挿し木にしようとして驚いた。昨日まで元気だった花がしおれていた。まるで役目を
終えたかのようだった。
夫は63歳の時、脳梗塞を発症した。その後の闘病生活は10年に及んだ。特に最後の1年は坂道を転がるがごとく悪化の一途をたどった。一緒に闘う私は心が折れそうだった。それでも奇跡を信じ、細い望みの糸を必死で手繰っていた。
しかし、平成26(2014)年4月29日未明、最期の時を迎えた。夫の顔をなでながら私は自然と言葉がこぼれていた。
「お父さん、ありがとう、ありがとう、つらかったね、よう頑張ったね・・・」
一瞬、夫の唇がわずかに開いた。笑みを浮かべるように見えた。「まあ気が付いたの。心配したよ」と思っても言葉に詰まった。必死で体をさすった。だが目を開けることはなかった。
幻だったのかー。われに返ると、看護師の方が何も言わず、私の背中をさすり続けてくれていた。
通夜、葬式を終えて四十九日法要を迎えた。まだ墓はなく納骨できなかった。少しでも長く家にいたいという夫の意思のような気がした。
供える花も暑さのため、すぐに枯れてしまった。その中で、1輪のアジサイだけは生き生きとしていた。何とも不思議だった。
そして9月11日、納骨の時が来た。枯れないアジサイを挿し木にしようとして驚いた。昨日まで元気だった花がしおれていた。まるで役目を
終えたかのようだった。
(2019.12.22 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)
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