小さな幸せを感じながら生きている。一人暮らしを余儀なくされた結果かもしれない。宝石の輝きではなく河原で見つけた小石の美しさのような、時分だけが心豊かになれる幸せである。見過ごしてしまいそうなところに、その幸せはある。
笑顔であったり料理をする後ろ姿であったり。犬や猫に投げる慈愛の視線でもいい。いや、笑い声でも鼻歌であっても足音でもいいのかもしれない。いとしさが実感できれば……。
わたしを心地よくさせてくれる一つ一つが小さな幸せの源であり、それを感知できる自分を大事にしたい。ありがとう。
志布志市 若宮庸成(68) 2008/2/22 毎日新聞鹿児島版掲載
笑顔であったり料理をする後ろ姿であったり。犬や猫に投げる慈愛の視線でもいい。いや、笑い声でも鼻歌であっても足音でもいいのかもしれない。いとしさが実感できれば……。
わたしを心地よくさせてくれる一つ一つが小さな幸せの源であり、それを感知できる自分を大事にしたい。ありがとう。
志布志市 若宮庸成(68) 2008/2/22 毎日新聞鹿児島版掲載