私が意識した初めての鳥はイソヒヨドリで、縁側の戸袋を塒にしていた。
漁師はこの鳥をアカジョウドリと呼んで大切にしていた。この鳥が舞い込むと、アラに似たアカジョウという魚が釣れると信じられていたからだ。
アルミサッシなど無い時代の事、朝夕の重い板戸の開閉は子供の仕事だった。朝早く飛び立つ鳥のために「早く縁の戸を開けろ」と、父に起こされたので、美しい声で鳴いても、子供の私にとっては迷惑な鳥でしかなかった。
今も、その鳴き声を耳にする度に、父の声が蘇ってくるほどである。
薩摩川内市 森孝子(64) 2007/3/8 掲載
写真はBird Watchingさんからお借りしました。
漁師はこの鳥をアカジョウドリと呼んで大切にしていた。この鳥が舞い込むと、アラに似たアカジョウという魚が釣れると信じられていたからだ。
アルミサッシなど無い時代の事、朝夕の重い板戸の開閉は子供の仕事だった。朝早く飛び立つ鳥のために「早く縁の戸を開けろ」と、父に起こされたので、美しい声で鳴いても、子供の私にとっては迷惑な鳥でしかなかった。
今も、その鳴き声を耳にする度に、父の声が蘇ってくるほどである。
薩摩川内市 森孝子(64) 2007/3/8 掲載
写真はBird Watchingさんからお借りしました。