はがき随筆・鹿児島

はがき随筆ブログにようこそ!毎日新聞西部本社の各地方版に毎朝掲載される
「はがき随筆」は252文字のミニエッセイです。

知らなかった父のこと

2019-11-05 17:24:36 | 岩国エッセイサロンより
2019年10月28日 (月)
   岩国市   会 員   片山清勝
 テレビ番組で、父と同じ明治生まれの人が明るく語り、「110歳」と出た。父はこの半分しか生きれなかったのか。あらためて早世を思った。
 父は明治42年10月28日生まれ。私も同じ誕生日だ。公務員だった父は勇退を翌年春に控え、夏の繁忙期を頑張っていた。そのさなか、突然の発病による入院からひと月。新築2年の自宅に帰ることはかなわなかった。
 葬儀は、病身の母を長男の私と3人の弟妹で支え、近所のご協力で済ませた。初秋の猛暑日だったことをなぜか強く記憶している。
 父のいない生活にようやく慣れたころ、死亡叙勲として勲記や勲章が届いた。突拍子もないことで戸惑った。もともと、秋の叙勲を受けることになっていたようだった。
 叙勲を知った人たちから、祝意やその意味を教えられた。ごく普通の父親と思っていたが、家族の知らないところで真摯な働きをしていたのだと理解した。その陰に母や家族、同僚の支えがあったはずだ。
 勲記や勲章を収める額縁を特注して飾った。今は両親の遺影と向き合う、かもいに掛けている。父はどう思って見ているだろうか。
     (2019.10.28 中国新聞「明窓」掲載)




母の味付け

2019-10-25 19:21:13 | 岩国エッセイサロンより
2019年10月25日 (金)
   岩国市   会 員   片山清勝
 父は長男、その弟妹は何人だったか、それが盆と正月には子連れで来る。その賄いで母は忙しい。賄いの一つに、1段30個で5段重ねの押しずしを作る。母が準備したネタを父はすし桶に重ねるだけ。客らは「兄さんのすしは日本一」と褒める。
 父が逝って私は結婚、母と同居した。「すし作りの支度は私一人でしたが、おいしいすしとは一言も言わなかった」。我が家の古い話の中で、母は笑いながら妻にこぼしたという。
 父は家長然とし、客に笑顔で「たくさん食べろ」と勧めていた。母の味付けを認めながら口にしなかったのは父らしい。
     (2019.10.25 毎日新聞「はがき随筆」掲載)




彼岸花

2019-10-25 19:20:10 | 岩国エッセイサロンより
2019年10月24日 (木)
   岩国市   会 員   片山清勝
 彼岸花はいつの間にか咲き、いつの間にか消えているといわれる。大きな花は1本茎の頂端で外側に反り返って咲く。花と葉を人に例えて「一生涯会うことがない」といい、だからこそ 「葉は花を、花は葉を思う」とされる。「相思花」とも呼ばれるゆえんだ。
 数年前、そんな彼岸花がどういうわけか、わが家の庭にやってきた。茎が地面からのぞくと、すーっと一気に伸びて花が咲いた。
 その翌年、子どもの頃にした夏休みの自由研究のごとく伸び方を観察した。
 1日目8㌢、次は14㌢、そして18㌢、8㌢と伸び、5日目の4㌢で伸びは止まり、6日目に開花が始まった。毎日、朝7時半と夕方に計測をした。
 そして茎はおよそ7割、夕方から朝までの陽光のない時間帯に伸びるのだと分かった。「知らぬ間に咲いていた」といわれるのは、人目のつかない夜に成長するからだと確信した。
 以前、彼岸花で有名な中国山地の公園を訪ねたことがある。一本一本の樹木の根元にびっしり敷き詰められたように咲いていた。まるで赤じゅうたんの座敷だった。こぼれ日に輝く赤色に不思議な感覚を覚えた。 
 彼岸花には毒がある。子ども時分、「触るな」と教わった。その毒がモグラから稲田を守ったという。
 今は庭でも咲く花。赤、白、黄などがあり、きれいに咲きそろう花壇が近所にもある。
 彼岸花は別名も多く不思議な花のようだ。その謎深いところがまた趣深い。
     (2019.10.24 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)




高齢者集う公園

2019-10-12 18:20:19 | 岩国エッセイサロンより
   岩国市   会 員   吉岡賢一
 令和の時代になるとともに、私が暮らす小さな団地の小さな公園でグラウンドゴルフを通じての小さな交流活動がスタートした。
 造成から四半世紀を経た団地は75世帯が寄り添う。公園は以前、駆け回る子どもであふれたが、少子高齢化の波にのまれて何年もたち、今や子どもの姿を見ることすらなくなっている。
 人生100年、超高齢社会とされる時代。子どもに代わって公園をわれわれ高齢者が活用する方法はないかと、あれこれ考えた。
 「グラウンドゴルフに使ったらどうだろう」。そういう声が寄せられ、周囲の同意も得られた。だが、公園は思いのほか狭く、50㍍のコースは取れない。15㍍、25㍍、30㍍の3本なら何とかなるので、ミニグラウンドゴルフで始めることにした。
 まずは道具を借用して2週間のお試し期間を設けた。その後、マイクラブ、マイボールを手にした者で同好会を発足させた。
 集まったのは11人。平均75歳で、キャディー経験を持つ80歳の女性もいれば、ゴルフの経験が豊かな男性もいる。
 1回約2時間で週3回、屋外で同じ遊びを楽しむ。何とも自然に心を開き、会話も弾む。親交があまりなかった人たちも、一つの話題で盛り上がる。自治会組織はあっても、趣味の会やサロンなどない団地だったので、物珍しさも良いように働いた。
 これからは地域内の支え合いがもっと必要になる。ゆっくり仲間を増やそう。
      (2019.10.11 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)



めだかちゃん

2019-10-12 18:18:46 | 岩国エッセイサロンより
   岩国市  会 員   稲本 康代

 知人が「癒やしになるよ」とメダカを持って来た。生き物を飼うのは癒やしよりストレスになるのにと、内心は嫌だなぁと思いながら、笑顔で受け取った。
 あれから1週間。毎朝「おはよう!」と声かけをして、餌をまいている。サァーと集まってくる姿は、何とも言えず可愛らしい。何匹居るのかな? 30匹は居るなぁ。めまぐるしく動くので正確な数は掌握できない。
 幼い頃、山かげの小さな流れをせき止めてメダカを追い込み、いつまでも遊んでいたことを思い出した。めだかちゃん! やっぱりあなたは私の癒やしなのかもね。
  (2019.10.11 毎日新聞「はがき随筆」掲載)



おあずけ

2019-10-05 00:14:11 | 岩国エッセイサロンより
2019年10月 4日 (金)
  岩国市  会 員   吉岡 賢一
 
 日本名水百選に選ばれた「桜井戸」で催される観月お茶会にお邪魔した。地域活動やグラウンドゴルフなど普段の慌ただしさを忘れ、冴えわたる中秋の名月を眺めながら、心静めて手にするお抹茶。うーん、これぞ忘れかけていた日本古来の詫び寂びの世界か。 
 と思いかけたとたん「じいちゃん、オレも飲みたい」と小4の孫君が友達連れて目の前に立った。
 あーあ、しょせん私など詫びも寂びも、心静めて、などという風流も、今しばらくは縁遠い世界なのかも。孫君の野球応援に声をからし、汗を流すのがお似合いのようである。
 (2019.10.04 毎日新聞「はがき随筆」掲載)




「至福の味わい」

2019-10-05 00:12:44 | 岩国エッセイサロンより
2019年9月26日 (木)
  岩国市  会 員  吉岡 賢一 
 男性料理教室が面白い。
 かつての企業戦士やお役人だった人など、平均年齢70ン歳20人の集まり。
 掛け声ほどには動かない手足やメタボになりかけの身体にむち打って、供用
会館の調理室は熱気とやる気で盛り上がる。
 指導していただくのは、酸いも甘いも噛み分ける主婦が6・7人。
 彼女たちは単にベテラン主婦というだけでなく、岩国市食生活改善推進協議会
のメンバーで、健康な食生活推進の立役者である。
 ときに厳しいご指導もあり、優しい叱咤激励もある。もちろんお褒めの言葉も
頂く。そのようにして出来上がった料理に、反省や苦労話をトッピングしてお腹
を満たす。まさに至福のひとときである。
 美味しい料理とは、必ずしも高価なものではないことに思い至る。
 包丁の入れ方が曲がっていても、塩がひとさじ多くても、顔なじみの食推のお
ねえさんに教わりながら、気の合う仲間が自らの手で作り上げる料理の数々。
 これこそ最高の美味である。
     (岩国市食生活改善推進協議会機関誌「食推いわくに」 掲載)




歌のボランティア

2019-09-16 18:19:57 | 岩国エッセイサロンより

2019年9月16日 (月)

 

    岩国市  会 員   吉岡 賢一

 近くのカラオケ同好会のリーダーから「カラオケに行きましょう」とお誘いがあった。まんざら嫌いな道でもないので一応お受けして約束の場所に出向いた。男性3人、女性2人が待っていて「得意な歌を3、4曲ぜひお願いします」と乗せられ、つい破れ声を張り上げてしまった。
 「実は私たちは同好会のメンバーで介護施設などを訪問して歌を聞いてもらっています。もちろんボランティアで」という意外な方向に話が進み「あなたにも、ぜひご一緒してもらって、この曲とこの曲を歌ってほしい」と曲目を指定されたのだ。
 「下手の横好きで自ら楽しむために歌ってきただけです。人様に間いていただく声でも歌でもありません」と一旦はお断りした。だが待てよ。「施設のお年寄りに喜んでいただくボランティアを一緒に」と誘われたのだ。
 地区の社会福祉協議会を通して、あれこれボランティア活動に精を出している今を考えるとむげにお断りするのもねー。しかもよく考えてみると100歳を生きた母も晩年の2年間は施設でお世話になった。そのとき、いろいろなグループが施設を訪れ、お年寄りが笑顔を浮かべていたのを思い出した。
 演歌が大好き、芝居も映画も好きだった母の前で、本気で歌って聞かせたことがなかった私に、遅ればせながら一つの親孝行の場を与えてもらったような気がして、お断りを撤回した。
 となると、歌に合わせたステージ衣装も吟味したくなる。これから胸躍る秋を迎えられそうである。
    (2019.09.16 毎日新聞「男の気持ち」掲載)


血管やわらぐ

2019-09-16 18:18:37 | 岩国エッセイサロンより

2019年9月13日 (金)

 

   岩国市  会 員   片山 清勝

 「次回来院の日、検査しましょう」。家庭医はカルテを繰りながら促す。定年後、「定期ミニ人間ドック」と思い、医師の指示通り検査を受けている。
 朝食抜きで病院へ。毎回、CTや胃カメラ、心電図、血管年齢、採血などいくつもある。手際よく検査は進み、結果が即判明する検査について説明を受けた。
 その一つ、血管年齢が.「年相応の中心点」との判定。退職からまもなくの頃、年相応の許容範囲上限を超えていた。見えない血管が少し柔軟に。この年になっても素直にうれしい。これは家内の食事療法のおかけだ。
   (2019.09.13 毎日新聞「はがき随筆」掲載)


じいのお好み焼き

2019-09-16 18:17:21 | 岩国エッセイサロンより

2019年9月12日 (木)

 

    岩国市  会 員   山本 一

 毎週木曜日の夕食は、近所に住む次女家族も一緒だ。妻はその度に、何にしようかと悩む。小3の孫息子と父親は肉、4歳の孫娘と母親は魚が好み。私たち老い二人は、悔しいがこれといったものがない。毎週続けていると、全員が喜ぶメニューはほんの数種類に限られてくる。 
 この中に、唯一私の作るお好み焼きがある。「じいちゃんのお好み焼きが食べたいって」と妻は私をけしかける。策略とは分かっても、4歳がペロリと平らげるのを見ると悪い気はしない。「混ぜ過ぎない、蒸し焼き」という私のひそかな技術を、誰も盗もうとはしない。
  (2019.09.12 毎日新聞「はがき随筆」掲載)


養護先生の力

2019-09-16 18:15:34 | 岩国エッセイサロンより

2019年9月 8日 (日)

   岩国市   会 員   片山清勝

 朝、小学生の登校がピークになる時間、玄関を出て元気な姿を見る。家の前は裏通りの小さなつじだが、3方向から児童の列が合流して表通りへ向かう地点になっている。
 それがある時、外に出てみたら、複数の高学年の女児がしゃがんで大きな声を出していた。その中心で男児が横たわっていた。
 裏通りでも車は多い。急ぎ駆け寄ると、男児に音識はあり、ほっとした。
 訳を聞くと、ふざけ合っていて、誰かの手荷物が当たり倒れたという。
  「どこか痛いか」
  「耳の中が痛い」
 私は「養護の先生に連絡しなさい」と児童たちに言った。女児の一人が「分かりました」と答え、皆で男児を立たせて表通りへ向かった。
  「養護の先生」と言ったのには理由がある。養護教諭のいる良い光景を覚えているからだ。
 何年か前、わが家の前で自転車の女児が転倒した。口から出血していたのでお世話させてもらった。その子の家族には連絡がつかなかった。小学校に連絡すると、校長と養護教諭がすぐ駆け付けた。それまで女児はめそめそしていたが、養護教諭が声を掛けた瞬間、大きな声で泣きだした。
 これこそ先生の力だと思い知った。教諭は口中を確認し 「歯科医に相談します」と言って頭を下げられた。女児と手をつなぎ、学校へ戻っていったI。
 翌朝、また児童の元気な姿を見た。私もまた元気をもらった。   
      (2019.09.08 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)  

 

 


悲しみを背負って

2019-09-16 18:14:35 | 岩国エッセイサロンより

2019年9月 2日 (月)

     岩国市  会 員   横山 恵子


 父が亡くなった約7年前から度々お寺に参っている。我が墓近くに見覚えのある名字。もしかして以前勤めていた老人施設に入所してたEさんでは。
 そう思っていたある日、「お母ちゃーん、会いに来たよー」とお墓めがけて走って来た人は、やはりEさんの娘さん。「母の十三回忌を終えました。父は特攻隊員だったので墓には石しか入ってませんし、幼かったので顔も覚えてない」
 淡々と話される中に深い悲しみを感じた。本人の無念さ、遺族の苦労は想像以上だったろう。
「よう頑張ってこられました」と言うのが精いっぱいだった。
(2019.09.02 毎日新聞「はがき随筆」掲載)

 


墓の行く末悩ましく

2019-08-31 16:39:49 | 岩国エッセイサロンより

2019年8月19日 (月)

   岩国市   会 員   吉岡賢一

 お盆を前に、墓掃除に行った。古い集団墓地なので水道などの設備はなく、掃除用の水は家から車で運んだ。普段の無沙汰もあってまずは墓石周辺の草取りから始める。次いで石塔を磨き、供物台、花立てなど、動かせる石は全て動かし、完璧に磨き上げた。
 日暮れの涼しさを狙って出掛けても汗は滴り、相応のエネルギーを要する。今は私たち夫婦が車を運転するし、水も運べる。石も動かせる。しかし、やがてはできなくなるだろう。その時はどうするか。順番からいけば長男夫婦が面倒をみることになるが、遠くに住んでいて思うに任せない。
 先祖代々の墓を守る役割は、次世代に重荷を背負わせることになると、心配せざるを得ない時代である。
 終活という言葉に沿って身辺整理に取りかかってはいるものの、墓石の行く末までは手が回らない。盆の帰省を楽しむ孫たちの笑顔に囲まれると、悩み事の相談は、つい先延ばしになってしまう。
    (2019.08.19 中国新聞「広場」掲載)


平和歌う舞台に感涙

2019-08-14 21:46:37 | 岩国エッセイサロンより

2019年8月12日 (月)

   岩国市   会 員   横山恵子

 平和をテーマにした創作ミュージカル「I PRAY 2019」を広島市内で見た。
 原爆犠牲者を悼む黙とうに続いて開演した。3歳から大人まで約30入が仲良く暮らす日々から始まる。それが突然の原爆によって一変し、みんな心身共に深く傷ついた。その地獄から立ち上がり、平和を願う・…
 人々の再生の過程を、歌と踊りで舞台狭しと表現していた。圧倒されるような迫力で、出演者と観客の間に一体感が生まれた。
 最後に「いのちの歌」を全員で合唱。「生まれてきたこと 育ててもらえたこと 出会ったこと 笑ったこと そのすべてにありがとう この命にありがう」。歌詞にそれぞれの親への感謝の思いが感じられ、涙があふれた。
 上演に携わった人から、子どもたちは練習を重ねるうちに、当たり前の毎日が幸せなことであると思うようになった、と聞いた。感動に感謝し、子どもたちの未来が平和でありますようにと願った。
    (2019.08.12 中国新聞「広場」掲載)


畑仕事の親睦

2019-08-14 21:44:16 | 岩国エッセイサロンより

2019年8月11日 (日)

   岩国市   会 員   片山清勝

 100坪ほどの畑で月1回、十数人の仲間と汗を流す。朝から昼まで、運動不足の私もくわや鎌を手にする。草抜きでしゃがみ、自然と腰を鍛えている。
 予定の作業が終わると昼食だ。手作りの食卓に手作りの差し入れ弁当が並ぶ。皆、思い思いにいただく。きれいになった畑を眺めながらのにぎり飯や家庭料理は格別である。
 全員が高齢なので、食卓を囲んでの話題は政治、経済、地域、ボランティアと幅広く深い。また、各人の経歴も多種多様だから、この年になっても教えられることが多い。驚き学ぶ有意義な時間になっている。
 話題はプロ野球に及ぶと、熱を帯びる。広島東洋カープのファンばかりなので、リーグ4連覇と日本一について戮持論を展開する。カープ2軍の由宇球場まで数㌔の所にある畑だから、チームへの親しみはどこにも負けない。試合の日は多くの車を見る。
 植えたりまいたりすれば次は収穫、これは何度経験してもいいものだ。畑に通い続ける大きな理由だ。
 土中の成果は掘り出すまで分からない。大きければ「ほおー」と歓声が湧く。時には悩ましいポーズの大根やニンジンの形が笑いを誘う。取れたてを参加者で分けあう。家内はいつも野菜を待っている。
 はびこる草を抜くのに時間かかかる。手抜きはできない。野菜もそれぞれの根元に日が当たるようになると、喜ぶように見える。
 こんな親睦がまもなく10年に。
      (2019.08.11 中国新聞セレクト「ひといき」掲載)