今日は所用で長万部町へ車を走らせた。函館は相変わらずの青空だが、どうしたことか北に向かうほど雲が多くなり、長万部町は厚い雲に覆われている。たかが100km程の違いでも天気は大きく変わる。確かに、トンネルを越えると雨が雪と言うこともあった....。
帰りは、八雲町にある「噴火湾パノラマパーク」に立ち寄った。噴火湾を見渡す丘陵地にあるこの公園は、オートキャンプ場、パークゴルフ場、ちびっ子広場など大人から子供まで楽しめる施設があり、なんと言っても眺めが良い....。国道5号から近いこともあって時々、メーン施設のパノラマ館に休憩や昼食時に、またトイレタイムなどで利用させてもらっている。
今まで気がつかなかったが、入口に台座に乗った大きな木彫りの熊があった。隣に熊の解説がある。“木彫り熊の発祥地は、八雲だぞ!、北海道名物といえば「木彫り熊」、でも、生まれた場所や歴史は、以外と知られていない。本当の発祥地は何と!この八雲です”と、ある。その説明
“明治11年より尾張徳川家がこの地に徳川農場を開設し、本格的な開拓を始めた。ここから道南の酪農の基礎が築かれていった。その後、第19代当主であった徳川義親氏が、大正11年にスイスから木彫りの熊をお土産として買って帰り、冬場に仕事の無くなる農民達に、副業として木彫りの熊を作るよう勧めた。
しかも完成品すべてを買い取るとまで宣言した。このような努力の甲斐もあって、大正12年3月に八雲小学校にて「第1回農村美術工芸品評会」が開催され、ここに木彫り熊の第1号が誕生した。”と、あった。この解説案内板を読み返し、「へえー...。」と納得。
この木彫りの熊の制作者は、北雪茂木多喜治氏で、昭和48年に八雲町に寄贈されたとのこと。
今日も、パノラマ館のキッズアリーナには、若いお母さんが子供たちと遊んでいる。子供たちは元気そのもの、まるで保育園のようだ。窓越しの眺めも最高.....。
夜は、「青雲時報縮刷版」の編集会議。保存されていた新聞をデータにし、これからこの新聞をもとに索引、年表などの編集に取りかかる。ところが、年表を作る基礎資料が見つからないという、「どうすんだ...、どうにかしないと....。」。考えていても仕方がない、記事を書く時と同じように足で探すよりなさそうだ。与えられた時間は、今月一杯......。
帰りは、八雲町にある「噴火湾パノラマパーク」に立ち寄った。噴火湾を見渡す丘陵地にあるこの公園は、オートキャンプ場、パークゴルフ場、ちびっ子広場など大人から子供まで楽しめる施設があり、なんと言っても眺めが良い....。国道5号から近いこともあって時々、メーン施設のパノラマ館に休憩や昼食時に、またトイレタイムなどで利用させてもらっている。
今まで気がつかなかったが、入口に台座に乗った大きな木彫りの熊があった。隣に熊の解説がある。“木彫り熊の発祥地は、八雲だぞ!、北海道名物といえば「木彫り熊」、でも、生まれた場所や歴史は、以外と知られていない。本当の発祥地は何と!この八雲です”と、ある。その説明
“明治11年より尾張徳川家がこの地に徳川農場を開設し、本格的な開拓を始めた。ここから道南の酪農の基礎が築かれていった。その後、第19代当主であった徳川義親氏が、大正11年にスイスから木彫りの熊をお土産として買って帰り、冬場に仕事の無くなる農民達に、副業として木彫りの熊を作るよう勧めた。
しかも完成品すべてを買い取るとまで宣言した。このような努力の甲斐もあって、大正12年3月に八雲小学校にて「第1回農村美術工芸品評会」が開催され、ここに木彫り熊の第1号が誕生した。”と、あった。この解説案内板を読み返し、「へえー...。」と納得。
この木彫りの熊の制作者は、北雪茂木多喜治氏で、昭和48年に八雲町に寄贈されたとのこと。
今日も、パノラマ館のキッズアリーナには、若いお母さんが子供たちと遊んでいる。子供たちは元気そのもの、まるで保育園のようだ。窓越しの眺めも最高.....。
夜は、「青雲時報縮刷版」の編集会議。保存されていた新聞をデータにし、これからこの新聞をもとに索引、年表などの編集に取りかかる。ところが、年表を作る基礎資料が見つからないという、「どうすんだ...、どうにかしないと....。」。考えていても仕方がない、記事を書く時と同じように足で探すよりなさそうだ。与えられた時間は、今月一杯......。