JA8MEMのつれづれ日誌

趣味のアマチュア無線での出会いやカメラ片手の散策の出来事を写真とともに綴るブログです。

“大三坂”...

2011-10-07 22:53:58 | 函館・坂めぐり
 函館・坂めぐり...。昨年春、八幡坂を歩いたときに「函館の坂を歩いてみるのも楽しいかも...。」と始め、たかだか20本程度ならそれほど時間を掛けずに歩けるさ...、と思っていた。それから1年半余りでまだ半分にも辿り着かない...、なかなか思うようにいかないもんだ...。

 
 今年中には後4,5本は...、そこで、先日友人から「大三坂のナナカマドが赤く色づいたようだ。」との情報もあり午後少し遅くなってから歩いてきた。友人の情報通り、大三坂(だいさんざか)の両側にある街路樹のナナカマドの実や葉は赤く染まり、秋の彩りを見せている。

                           
 カメラを坂の下に向けてシャッターを押していると、散策を楽しんでいる若いカップルが「この坂は、有名な坂なんですか...。」と声を掛けられた。一瞬、何と答えればいいのだ...、たじろぎながらも「この坂は、日本の道百選に選ばれているんですよ...。」と話をすると、納得したようにナナカマドをバックに記念撮影をしてくれた...。

 
 坂道の由来は「昔、坂の入口に大三という家印の郷宿(ごうやど)があったのでこの名が付いた。郷宿と言うのは、地方から公用で出てくる村民が泊まる宿である。それ以前は、木下という人の家があったので「木下の坂」といった。昭和62年「日本の道百選」に選ばれた。」(坂道の案内板から)

   
 大三坂は道幅の狭い石畳の坂で、亀井勝一郎が「世界の宗教が集まっている...。」と言われたように宗派の違う3つの教会と東本願寺が隣接し、伝統的建造物も建ち並び、民家を改装したおみやげ屋さんなども目に付き、函館らしい坂道なのかも知れない...。

                            
 ところで、大三坂のナナカマド...、今年は実が異常にに多いように見えた。実を沢山付ける年は雪が多いということを聞いたことがある。当たったらどうしよう...。今は葉に隠れてあまりよく見えないが、これから葉が落ちると赤い実だけが残る...。それもかわいいよね...。


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チャチャ登り...

2011-03-05 22:56:42 | 函館・坂めぐり
 朝、函館駅前へ行く用事が出来、ついでに“函館・坂めぐり”を...、と、函館山方向を目指し車を走らせた。車の中で、今日はどの坂を歩こうかと思案しながら...。
 
 着いたところは“チャチャ登り”...。この坂は函館では珍しいアイヌ語の坂名で幕末頃について名前のようだ。「日本の道百選」に選ばれた“大三坂”の坂上をさらに上のハリストス正教会と聖ヨハネ教会の間を登る坂道...。道幅は車1台がやっと通れるほどの石畳だが、まだ雪が残り急な坂道は足元が気になる...。
                             
 坂の名前の由来は、「チャチャとはおじいさんのことで、この坂が急なため前かがみに腰を曲げて登る姿が老人に似ていたことから“チャチャ登り”と呼ばれた。」(案内板から)

 
 チャチャ登りを上りきって振り向くと急勾配を実感できるが、なにより宗派の違う三つの教会が隣り合って立ち、その奥に函館港を見ることの出来るこの場所は函館を象徴する風景かも知れない...。

                         
 三つの教会はそれぞれ特色を持つ建物だが特に国の重要文化財に指定されている「函館ハリストス正教会」は白壁に6つの玉葱型のクーポラ、その上の十字架を戴く建物は異国情緒を漂わせてくれる...。

 花が咲き出す季節はもうすぐ...、教会の鐘を聞きながら、咲く花の下を腰を前屈みにして“チャチャ登り”を上る...、いいかもしれない...。


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二十間坂...

2011-02-25 22:13:07 | 函館・坂めぐり
 函館山から函館港に延びる坂...、名前の付いている坂が全部で19ヵ所ある。これらの坂を歩いてみようと始めた“坂めぐり”、すでに1年余り経ったのだがまだ半分も歩いていない。早めにやっつけようと思っているのだが、なかなか...。

 
 そこで、今回は“二十間坂”...。この坂は道幅も広く函館山ロープウェーからベイエリア、函館駅へと続き観光客の往来する函館観光のメーン通りでもある。
 坂の名前の由来は“かって、坂上に大工や工人が多く住んでいたことから「大工町坂」とも呼ばれた。函館は大火が多く、明治12年(1879年)の大火後、防火帯としてできた坂で、路幅が二十間(約36m)あるので「二十間坂」と呼ばれた。”(坂標から)
                         
 函館では何度も大火に見舞われ、市内には何カ所か「防火帯」としての役割を持つ道幅の広い道路があるが、この「二十間坂」もその一つ...。この坂は、明治年間は函館山要塞に大砲を運搬するために、また、戦前は弾薬の運搬にも頻繁に利用されていた。現在は、坂道に長方形の石が綺麗に敷き詰められ、その美しさは異国情緒漂う町並み形成の一端を担っている。

 
 坂道には老舗レストランの「五島軒」。また、国内最古の鉄筋コンクリート造りで瓦の大屋根が特徴の「東本願寺函館別院」がそびえている。東本願寺函館別院で氷割りをしていたお寺の方の話では「このお寺は大火で2度焼失したのを機会に、コンクリート作りにした。ただ、人が還る砂で作ることに抵抗もあって何度も洗い清めたらしい。建築後100年近くの年月を経ているので管理も大変で...。」とのこと...。

 “二十間坂”を歩いてみると函館のさまざまな歴史に触れることが出来る。そんな歴史を振り返りながら、少し冷たい風の中をロープウェーの山麓駅から明治館の前までノンビリ歩いてきた...。
                          
 ところで、“はこだて冬フェスティバル”に合わせて、坂道を生かしたイルミネーションが行われている。ここ、二十間坂も坂の上から麓を越えて「はこだて明治館」(旧函館郵便局)まで続く壮大なイルミネーションは、他の坂とは趣の異なるロマンチックな感動を与えている...。そのイルミネーションも28日まで...。



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基坂...

2011-02-07 21:26:13 | 函館・坂めぐり
 一週間ほど真冬日から開放され暖かい日が続いたが、今日は陽が昇るまでは気温はプラスで夕べは雨が落ちていた...。ところが陽が昇ると時折吹く強い北風が冷たい空気を持ち込み、日中の最高気温はマイナス、現在(午後8時)は-6℃...、明日は久し振りの真冬日の予報...。

 
 函館の坂シリーズ、今回は“基坂”...。夜になると“はこだて冬フェステバル・”で元町周辺の代表的な坂道がイルミネーションに輝き、光の回廊で彩られている。ここ基坂も元町公園ともに華やいだ雰囲気を醸し出している。

                        
 函館山山麓から函館港に延びる、石畳が引き詰められた坂道“基坂”...、坂の上には大きなバルコニーのある木造の洋館「旧函館区公会堂」、その後ろには函館山がそびえ立つ、函館らしい景観を創り出してくれる。

 “基坂”の名前の由来は「かっては、函館から札幌へ向かう函館本道の起点で、坂下に里数を計る元標が建てられていたので「基坂」といった。坂の上は箱館奉行所があった中心地で、江戸時代には「お役所坂」、「御殿坂」とも呼ばれた。」(坂道の案内板から)

 元町周辺は函館の歴史の中では政治の中心地であったようだ。室町時代に「館」が築かれ、その後江戸時代以降は亀田番所、箱館奉行所、明治時代には開拓使函館支庁、函館区役所などの建物があったことから「お役所坂」とも呼ばれたとのこと。

 
 坂の上から港を望むと真正面に「海上自衛隊函館基地隊」がある。ウオーターフロントの整備の一環で何度か移転の話しもあったが立ち消えになってしまい、この景観を考えるとそれもありかも知れない。
                         
                                 (基坂にある「旧イギリス領事館」)
 付近には元町公園や旧函館区公会堂、旧イギリス領事館、文学館、北方民俗資料館など観光施設も多いが、なにより道幅の広い石畳の坂道で坂下から見上げる景色は絵になる...。

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あさり坂...

2011-01-24 22:03:49 | 函館・坂めぐり
 予報に反して今日の函館は朝から晴天...、函館では余り使わないが「冬晴れ」の一日。それでも、路面の雪は少し解けてはいたが最高気温は-0.6℃と真冬日、今週も寒い日が続くようだ。この寒さも後1週間?...、そうあって欲しいのだが...。

  
 久し振りに函館の坂道探訪...、今日は“あさり坂”...。宝来町電停の交差点から函館山に向かうなだらかな坂でそれほど長くもなく目立たない地味な坂道...。坂道の名前の由来は「明治11年(1878年)、英人ジョン・ミルン、米人エドワーズ・モースらが来函し、函館在住していた英人ブラキストンと協力して貝塚を発掘したが、この坂の付近から古代人が食べたアサリ貝の殻が数多く発見されたので「あさり坂」と命名した。」(坂道の標識案内板から)

 この坂道の上り起点にすき焼きと最近ではコロッケで有名な「阿さ利(あさり)本店」が古くからあり、以前からこの店の名前に由来して「あさりの坂」と勘違いをしていた。逆に「あさり坂」から店の名前を付けたのかも知れない...。

                                 
 坂道に面しては老舗の商店が並び、坂の上には亀井勝一郎文学碑があり今は雪に埋もれているが緑地帯でベンチが置かれ、散策の休憩場所になっている。坂の上から町並みを眺めると函館らしさを感じることが出来る。...。

 起点となる「宝来町」は以前は「蓬莱町」と情緒のある呼ばれ方をしていたが、昭和40年7月に函館市で住居表示が行われたときに現在の名前に変更された。「宝来」と「蓬莱」発音が同じでも意味が違うのに...、当時「蓬莱」は常用漢字になかったからかなあ...。

                           
 ところで、昨日お年玉年賀葉書の抽選会が行われ、その当選番号が今朝の新聞に載っていた。早速調べると市内の友人から来た葉書が「3等」に当選...。地域の特産品38点の中から有名ブランド食品1点が選べる。昔々に余り利用価値のない「レターセット」が当たった記憶がある程度で、ここ何十年は切手シート2,3枚が定番だっただけに、まさにお年玉を頂戴した気持ち...。ところが38点から選べというのも酷な話で全部貰えれば良いのにだって...。
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日和坂...

2010-08-16 21:13:56 | 函館・坂めぐり
 今日の函館は最高気温が30℃を超え真夏日を観測...、この夏5回目と例年になく多い。お盆も過ぎたしそろそろ秋風が...、と思いきや気象台の予報ではまだまだ暑さは続くという。正直、もう勘弁してといいたいのだが...。

        
 久し振りに函館の坂道探訪...、今回は「日和坂(ひよりさか)」...。函館港の旧桟橋に立って函館山を見上げたときに目の前にある坂が「日和坂」...。この坂は、観光ルートとなっている基坂と八幡坂に挟まれ、道幅も狭く、更に途中でカギ型に折れ曲がっていることなどもあって、他の坂と比べるとあまり目立たない、地味な坂かもしれない。

                            
 坂道の名前の由来は「坂の上から港の景色を一望でき、空模様をよく判断出来るということからこの名が付いた。また、坂の上にある船魂神社辺りからトビの飛ぶ姿が良く見られたことから“トビ坂”と呼んだ。日和もトビも共に天気に関係がある。」(坂道の案内板から)

 そういえば10年以上も前の話になるが、日和坂に面して高層マンション建設の話が持ち上がり、地域の方や市民団体が眺望が妨げられると建設反対の運動が持ち上がった。「眺望権」侵害の争いだったと思うのだが、結論は高さを下げて建設したように記憶している。確かにここに住む住民の方にとって、毎朝見られていた港の景色が見られなくなるのもね....。

   

                                              
                                                     (カギ型から上の坂道)
 「日和坂」は、目立たない地味な坂というが、坂の起点には旧桟橋、坂に面して6月には一般公開された「旧相馬邸」のような函館市の伝統的建造物が建ち並び、坂の坂の上には北海道で一番古いと言われている「船魂神社」があり、函館の歴史が凝縮している場所かも知れない。時間を見つけてじっくりとこれらの建物を見学して歩きたいものだ...。
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魚見坂

2010-06-05 22:12:13 | 函館・坂めぐり
 春先は週末になると天気が崩れるというパターンがあったが、ここ数週間は逆に週末は天気が回復し行楽日和となっている。こんなパターンが続くと、週末は少しノンビリしたいのに...、と思うから不思議だ。今週末は函館市内の小学校は運動会が予定されている。去年は天気が悪く何度か延期という学校もあったが、明日は運動会日和で大丈夫...。

 
 函館の坂道探訪...、今回は「魚見坂(うおみざか)」...。市電・函館どつく前の停留所から高龍寺に続く緩やかな坂、函館の大きな坂道の中では最も西に位置する。

 坂道の由来は「函館で一番西にある坂で、坂の上から湾岸に押し寄せてくる魚群の発見に便利なところだったのでこの名が付いたといわれている。この坂の上の方は昭和40年まで台町という町名だったので、最近まで“台町の坂”とも呼ばれていた。」(坂道の案内板から)

                         
 台町は昭和40年の住居表示でその名は消えたが、安政3年(1856年)弁天台場の築城が始まり、その時に出来た平坦地を台町と名付け、港口を見下ろす台地という意味だそうだ。確かに、高龍寺山門前から眺めは函館湾を一望でき、当時は山背泊方面に来る魚の群れを見るのに便利な場所だったのかも知れなた。

 魚見坂沿いには、高龍寺の他に称名寺、実行寺などの寺院が並ぶ寺町、坂道の先には外人墓地や台町検疫所跡など名所・旧跡も多い。また、西小学校の辺りには台町遊郭があり当時は賑わいを見せていたが明治12年(1880年)の大火で焼失したとのこと。
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幸坂

2010-05-03 21:35:30 | 函館・坂めぐり
 大型連休も後半戦...、いや、もう終盤だ。毎度のことだが「休みは書類の整理をして、懸案の物置の大掃除...。」結局何も手を付けずに終わりそう...。それにしても、一気に春から初夏の気候、函館の最高気温は19℃...、観光スポットを歩く人の中には半袖姿も見られた。サクラが咲いていれば最高なのに....。

   
 函館の坂道探訪...、今回は「幸坂」...。函館の坂道のうち、最も高いところまで延びており、しかも上に登れば登るほど勾配がきつくなる坂。しかし、坂の上にある常磐小学校跡地(現在は船見公園)からの眺望は抜群...、それにしても小学校のあった頃子供たちはこの坂道を通ったんだろうなあ...。

 坂道の名前の由来は「昔、坂の中ほどに神社があり、これを神明社(しんめいしゃ)といったので、この坂も“神明坂”と呼ばれた。神明社は明治7年(1874年)山上(やまのうえ)大神宮と現在名に改め、のち坂の最上部に移転した。明治8年、坂下の海岸が埋め立てられ、幸多かれと幸町(現弁天町)ができたので、町名に従い“幸坂”となった。」(坂道の案内板から)

 幸坂沿いには旧ロシア領事館、また、坂道を登り切ったところに常磐小学校跡地、山上大神宮があるが、いずれも函館の歴史上に出てくるものばかりで、時間を見つけてゆっくり訪ねてみたい。それにしても急勾配のきつい坂道で酔っぱらっては登れないだろう...。

                                       
 ところで、アルバムの中に幸坂から函館どつくの大型クレーンを撮影した写真が出てきた。昨年の6月12日に撮影したもので坂のすぐ前に見えている。あれから1年、もちろんクレーは見えないが、無くなってもそれなりの風景だよなあ...。
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姿見坂...

2010-03-22 21:54:41 | 函館・坂めぐり
 同窓生から電話で「続・青雲時報縮刷版」の購入の申し出があった。早速届けたいので住所を尋ねると「弥生町で、姿見坂の登り切った辺りです。姿見坂はご存じですか?」と逆に訪ねられた。多分、弥生小学校の辺りだろうと思いを巡らせ「大丈夫...、坂の看板を頼りにいきますよ。」と電話を切った...。

                       
 「姿見坂」...、函館の坂道は観光的な要素の含まれているのが多いが、この坂はなんの変哲もない地味な坂道に見える。ただ、名前由来は「かつて坂の上にあった遊廓に因む名で、遊女達のあで姿が見られたことからこの名がついた。遊廓は江戸の吉原を模し、付近は茶屋町と呼ばれて賑わいを見せていたが、明治4年(1871年)の大火で焼失し、蓬莱町(現宝来町)へ移った」(坂道の案内板から)とあり、それには歴史が感じられる。

 かっては、この坂の上に門があり、門の中は遊郭となっており、明治の4年の大火までこの周辺は遊郭地域として繁栄、坂道を遊女の歩く姿が見られたことから名付けられたようだ。ほかに何か歴史的なものでもと探しては見たものの、これといったものを見つけることができなかったが、ただ、坂の上には集合住宅を含めて小綺麗なモダンな建物が多く、何よりも坂の真下は、西ふ頭から函館港、万代埠頭から横津連峰までを眺められる眺望は抜群...、住んでみたい所かも知れない...。
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八幡坂...

2010-03-08 20:26:45 | 函館・坂めぐり
 今日の函館は時折青空が覗くものの、最高気温がマイナスの真冬日...、週末に暖かな日が続いたこともあってやけに寒さが突き刺さる。今週末にはまた暖かさが戻るそうなので、これこそが三寒四温ということかな...。

                      
 函館は坂の街で、函館山からの麓に下がる坂道が谷地頭から弁天まで20本近くある。坂の名の由来や景観に函館らしさがあり、改めて訪ねて見ることにした。今日はTVやCMなどでもお馴染みの「八幡坂」...、まっすぐ伸びる坂の下は函館湾で、その先に昭和63年(1988年)の青函トンネル開通まで活躍した青函連絡船「摩周丸」が係留されている。
 TVやCMでよく使われるせいもあってか最も函館らしい景観と思っているが...。ところで、名前の由来は 

「基坂の箱館奉行所付近にあった八幡宮が、文化元年(1804年)奉行所の拡張工事に伴い、この坂の上に移されたことからこの名が付いた。八幡宮は明治11年(1878年)の火災によって焼失し、明治13年に現在の谷地頭町に移った。」(坂道の案内板から)

  
 卒業旅行なのだろうか、2,3人の女学生らしきグループが10分ほどの間に入れ替わり立ち替わり坂の道の真ん中に立って記念撮影...、「これが函館なんだ...」との声も聞こえ、そして、慌ただしく港ヶ丘通りを旧函館区公会堂の方向に向かう。この通りの土産店夏場は賑やかなんだけどまだ冬眠中、ちょっと寂しいもんな...。
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