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プロジェクトZ弟14回

2008年05月13日 | Weblog
研究補助者として

  昭和46年6月、青年はM社K博士の若かりし頃の同じ研究室に異動した。高性能ポリエチレン触媒開発チームに属することになる。

  当時のM社の研究所では、大学の主に修士課程修了者の研究者に、通常工業高校卒の補助者を付けた。補助者は研究者の指示を受けて、正確な実験を行うことが任務である。青年は高校を卒業後化学実験には5年のブランクがあった。しかも元々アバウトな性格である。製造プラントから研究所に異動になる際、プラントの先輩からその点を危惧した言葉を聞いたけれど、青年には先輩からの愛惜の言葉程度にしか受け止めていない。

  確かに青年の実験精度は相対的にそれほど良いものではなかったかもしれない。元々M社は高卒とは言え地方の工業高校からトップクラスを採用する。当時の工業高校はまだ公立中学の成績上位者を集めていた。その中の精鋭を研究所に配属する。5年も現場をうろついていた青年とはレベルが違った。

しかし、人間には付いて回る運というものがある。若かりし頃のK博士にも運気があった。後で考えれば重要な触媒合成実験を青年に託した。後の大博士の業績を運と呼ぶのは、あまりに不遜とのお叱りを受けるかもしれない。しかし、運こそその人の努力の集大成であり、並み居る実業家の多くも運を重視する。運の背後に感性がある。「お前がやって出来た触媒だから現場化が容易だった」。青年は周囲の実験者達からそう揶揄されたけれど、神がたまたま偶然に青年を選んだとしたら、後に続く成果は生まれていない。

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