中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

ブログ10年の軌跡 第10回

2018年03月29日 | ブログ
平成29年(2017年)度

 この年私は古希を迎えた。現代に70歳で古き希なりとは言えず、古希の祝いは90歳くらいでいいように思うが、人生の節目のひとつではある。だからこの年の8月から9月に架けて、「70年を生きて」として自身の想い出と、自分なりに得た借り物でない人生談を綴ってみた。

 4月は「日本が危ない」。丁度1年前にも、今と同様国会やワイドショーは安倍首相絡みの森友学園問題で騒がしかった。この1回目には、まさに「忖度」問題の森友学園に固執するマスコミのレベルの低さを批判したが、マスコミより低レベルだったのが財務官僚で、首相夫人の存在をチラつかせただけで8億円も値引きしたのはどうも事実であったようだ。

 この事件、そもそも総理夫人が各方面で良かれと思ってであろう、その影響を十分精査せずに尽力したことのツケが回ったことで、公文書の改ざん、関連して官僚に自殺者まで出したことは、安倍1強の負の部分であり、首相は、ここは野党が言っているように、潔く総理を辞任すべきであろう。

 そもそも在任期間が長くなり、長期政権が目的化してリベラルに与するようになり、元々の信念など放り投げている。憲法改正なども改正することが目的化している。占領下に与えられた憲法には、その解釈に齟齬があって仕方ないが、現代に見直した憲法がその字面ゆえに新たな論争の種を残してはならないだろう。

 「日本が危ない」の4回目に危ない要因として国民の「甘さ」を指摘した。当時巨漢モンゴル力士が立会いに大きく飛んだことで、観客から「モンゴルへ帰れ」のヤジが飛んだらしい。これに「ヘイト」だという批判が上がった事。確かに良いヤジだとは思わぬが、隣国になど言いたい放題されながら、これに反発する国民の本音は「ヘイト」だと封印する。日本に住み日本で稼いでいるお隣の国の大学の先生などが、独島(竹島)は当然のことにわが(韓国)領土と主張して憚らぬ。「自国に帰れ!」と言いたい。

 横綱日馬富士が起こした暴行傷害事件なども、八角相撲協会は「暴力根絶宣言」で、モンゴル3横綱同席の下に行われた悪質なモンゴル力士会のリンチ事件(ともっぱらの噂)と、単なる素手による個人的な暴力を同一視して、モンゴル人横綱の犯罪を希薄化して見せた。モンゴル力士に必要以上に阿っていると見える。この度、貴乃花部屋の力士の付け人への暴行が発覚すると、一部から貴乃花親方に対して「天下の横綱を引退に追いやって、自身の弟子は何だ!」という批判が出てくる仕組みを作っていたのだ。

 所有権の話は、「日本が危ない」第6回に触れた。自国では土地の使用権は認められても所有することは出来ないように聞いている中国の個人や企業が、なぜ日本の土地は購入し所有することができるのか。また、最近は所有者の不明な土地活用が進められないことで問題になっているが、日本の所有権は土地に対してさえ過剰に権利が認められているようだ。それは国民全体、すなわち国家においては良い事ではない。先の大戦のトラウマから何でも個人の権利は厚く、国家での統率は緩くとなってしまった。その甘さが、現実の国際社会ではこの国を危うくしている。





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ブログ10年の軌跡 第9回

2018年03月26日 | ブログ
平成28年(2016年)度

 9年目ともなると題材選びに苦戦するようになる。何を書いても以前にも書いた気がする。そうは言っても世の中は動いており、経営学も進歩かどうかは兎も角、新しい考え方が入って来る。4月の企業経営理論では、入山章栄早稲田大学ビジネススクール准教授の「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」から複数回引用した。

 日本の新たな若い知性は、海外で学び多様性の中で育まれる。中国も韓国も優秀な人材を欧米の優れた大学に送り、新たな知を取り入れる。『世界最先端の経営学では、昨今の情報技術の発展と大いに関係があるが、メタ・アナリシス(過去の統計分析の結果をさらに統計的に総括する手法)の精度・確度の向上もあって、経営学の科学化が急速に進んでいるらしい。先端の経営学者はすでに「ドラッカー」など経営の啓蒙書はほとんど読まないらしい。』

 「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」には、競争戦略についても『ポーターの競争戦略は、SCP(Structure-Conduct-Performance)戦略と呼ばれ、1980年代以降の競争戦略の代名詞になっている。このSCP戦略と対比して使われるのがRBV(Resource-Based-View)である。米国ユタ大学のジェイ・バーニーを中心に90年代に打ち立てられた考えで、「企業の競争優位に重要なのは、製品・サービスのポジショニングではなく、企業の持つ経営資源(リソース)にある」とするもの。・・・』

 入山先生のこの本は、6月の「新、経営を考える」でも引用させて貰っている。

 5月の「時事散歩Ⅴ」では、熊本大地震や米国大統領候補トランプ氏、東京都知事の舛添氏の不祥事や伊勢志摩サミットを取り上げている。沖縄で米具の元軍属による女性殺害事件が起こり、アイドル活動をしていた女子大生がストーカーと化したファンに襲われ重傷を負った事件もあった。後者は事前に危険を察知した被害者が警察に届けながら、ここでも警察は全く頼りにならなかった事件でもあった。

 12月の「未然防止を考える」は、先にも紹介した2008年のJSQC選書、日本品質管理学会監修の4冊セットの品質管理本のひとつである「トラブル未然防止のための知識の構造化」田村泰彦著から引いた。11月の「5Sと見える化」もそうだけれど、現場における基本の大切さを繰り返して自分自身に言い聞かせるために書き綴っているのだ。

 年が改まり2017年の1月には、この年の展望を予見してみた。世間は米国大統領に選出されたトランプ氏を悪く言う風潮があるけれど、私には彼は好ましく映る。国民に媚びを売るしか能のない政治家など、自身の無能を覆い隠しているに過ぎない。この国の首相も権力の座に長く居座ることを考えて守りに入り、より多くの支持を得ようとすることは、逆に国民の信を失うことにつながることは目に見えていたけれど、今顕在化している。

 3月「3分間のドラマ」。2016年のノーベル文学賞にボブ・ディラン氏が受賞したことから、わが国の歌謡界全盛時代の数ある名曲から、わが国の作詞家にノーベル文学賞候補を探した。
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ブログ10年の軌跡 第8回

2018年03月23日 | ブログ
平成27年(2015年)度

 4月、「質管理のための人材育成」。2008年、日本規格協会からJSQC選書として日本品質管理学会監修の4冊セットの品質管理本が出ている。その第2冊目が「質を第一とする人材育成」であり、この本を参考に人材育成の重要性を考えてみた。

 『「なぜ近年、質問題による不祥事が多発するのか、それは、経営トップに質を重要視する意識が足りないからである。・・・

 ・・・近年多くの企業において質問題が頻発し、消費者や社会を裏切る結果となり、企業の存続すら危ぶまれる事態が発生している。・・・

 経営トップから現場の第一線までが、質を第一とする考え方を実践できる経営体質を確立しなければならない。そのために今一度、質を第一とする人材育成を考えてみたい。・・・」

 これは、2008年9月8日付けで日本規格協会から刊行された、岩崎日出男氏編著「質を第一とする人材育成」(JSQC選書)のまえがき冒頭からの抜粋である。この本が出て、すでに6年以上が経過したけれど、現在においてこのような書物を出版したとしても、冒頭には同じような言葉が並ぶのではないか。』

 まさに、つい最近も大手名門企業の品質不具合が大きな問題となった。自動車会社の無資格者試験の常態化に始まり、データ改ざんから新幹線の車両を支える台車の材質が要求通りに作られていなかったなど、大惨事に結び付く品質問題まで発生したのだ。そして、それらの究極の原因として、有識者の結論は10年前と変わらない。全く過去の教訓が生かされていないのだ。

 7月は「閑話つれづれパートⅢ」。閑話つれづれだから、話は四方八方に飛ぶ。第2回目では司馬遼太郎の「坂の上の雲」に触れた。『「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている」。・・・「春や昔十五万石の城下かな」子規。愛媛県松山市はこの松山城を中心に市街地が形成されているけれど、この城を作ったのは、豊臣秀吉の子飼いの武将加藤嘉明(よしあきら)・・・「坂の上の雲」の第1巻には、主人公のひとり秋山好古(日本騎兵の父)が身近に感じていた武将として嘉明に触れている。嘉明は晩年、ひとから、「どういう家来が、いくさに強いか」と聞かれ、豪傑を否定し、「戦場でほんとうに必要なのはまじめな者である」と言ったという。「たとえ非力であっても責任感がつよく、退くなといわれれば骨になっても退かぬ者が多ければ多いほど、その家は心強い」と言うのである。嘉明の時代は戦国末期16世紀半ばから17世紀初頭である。その時代の指導者層の人物観が、400年の時を超えて、わが国の高度成長期の現場力を支えた人物像と繋がっていることに、この国の歴史の深淵さを思う。』

 年が明けて2016年(平成28年)2月、3月は、やはりJSQC選書から「日常管理の基本と実践」について述べた。

 兎角人は、物事を難しく考えがちだけれど、勿論高度な学問や経験に裏打ちされた固有技術があってこそ企業活動は成り立つものだけれど、日常的な不具合は日常の業務に手抜きがあったり、ルールを無視したりで生じることが多い。その小さな積み重ねが企業ごとの大きな差となって顕在化するのである。




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ブログ10年の軌跡 第7回

2018年03月20日 | ブログ
平成26年(2014年)度

 この年、ブログ7年目に入る。4月、5月は品質管理学会偏の「新版品質保証ガイドブック」から「産業毎の品質保証」について書いた。当時丁度テレビで日本の自動車産業の草分けであるトヨタ自動車の創業当時の苦労話である「リーダーズ」が放送され、まずはその話から入った。

 『先日テレビでトヨタ自動車の創業時の苦労物語「リーダーズ」をやっていた。このドラマは、NHKのプロジェクトXのようなドキュメンタリーではないため、面白く見せるためのフィクションもあるだろうけれど、もっと日常的にあって欲しい番組のジャンルだと思う。

 トヨタ自動車は今や世界一の自動車販売量を誇る、まさに世界一の自動車会社であるけれど、ここまで来るまでに先人がどれだけ苦労したことか。後に続く者たちは、「苦労したんだよ」と聞かされても肌で感じることはない。それがまさに「売り家と唐様で書く三代目」ということにつながる。ドラマはその苦労の部分を映像で見せてくれるから、疑似体験に近い効果が期待できる。・・・

 戦後はGHQの統制下、わが国政府の経済政策も独自に推進できず、資金繰りも並大抵ではなかったことが描かれている。庶民はまだ乗用車を個人で買える時代でもない。まさに、「銀行は貸して下さらないもの、お客さまは買って下さらないもの」を地で行く時代である。』

 自動車、家電、食品、小売業、サービス業、化学、化粧品、土木・建築、情報そして自動車部品とつなげたのだけれど、勿論自身が体験したのは化学分野だけ。診断士に成りたての頃、専門分野は何ですか?得意な業界は?と問われ閉口したものだったけれど、診断士は本来スペシャリストではなく、ジェネラリストである。どんな業界でもどのような案件でも対応できると言っているわけではないが、一次的にはどのようなクライアント企業の相談にも乗ることができなくてはならない。

 その意味で診断士は、「品質管理」という管理技術をある程度にマスターしておく必要がある。品質管理の基本を心得ておれば、クライアントに当該業界や当該企業のことを教わりながら、経営改善などの指針を与えることは可能である。その意味で、品質保証ガイドブックを読み込むことは有意義であると考えた。訪問者はこの頃まではそこそこ多かったのだけれど、6月の「人事について考える」頃から急落してゆく。

 『近年は、中小企業にあっても海外進出が盛んとなっているが、海外事業においては、現地従業員への人事施策にさらに注意が必要である。2012年7月に起こったマルチ・スズキのインドマネサール工場での暴動は記憶に新しい。』(人事について考える第3回)

 最近は国内に於いても外国人を雇用するケースが増えており、人事管理は複雑となっていながら、グローバル潮流に流されて雑になっているようにも思う。長時間労働、パワハラ、非正規雇用とブラック企業が増殖しているのが実態ではなかろうか。しかし、「企業は人なり」人事こそが最重要である。

 この年度のブログの目玉は「実戦柔道」(10月、11月)。これまでも柔道については実体験を度々書いていたが、平成23年に新潮社から刊行された増田俊也氏の力作ドキュメンタリー「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか」の影響もあって書きたいと思った。木村が力道山に敗れたことで、最強の格闘技はプロレスであるような認識が一般に敷衍した。大山倍達の極真空手も実戦格闘技の雄であるようなイメージもある。勿論それぞれの格闘技の差というより、実戦にあっては、個人がその技をどこまで極めているかが大きいことは言うまでもない。しかし、徒手空拳の最強の格闘技は、投げ技・固め技(抑え込み技、絞め技、関節技)・当身を備えた「柔道」なのである。





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ブログ10年の軌跡 第6回

2018年03月16日 | ブログ
平成25年(2013年)度

 この年度に訪問いただいた読者数は、延べ24,540人で平成23年度に次ぐものだが、1か月の訪問者数では12月に3,065人という当ブログ10年間の最高記録を残している。1日平均98.9人である。毎日ほぼ100人の方が訪問してくれたことになるが、私のブログとしては全体平均の丁度倍に当たる。

 その月のテーマは「私の本棚から」。ここで紹介させていただいた本とは、第1,2回にD・カーネギー(1888-1955)の「人を動かす」(原題:How to Win Friends and Influence People)山口博氏訳、昭和33年11月初版、創元社刊。第3回で「第三の道(非“民主”・反独裁の組織論)」昭和51年(1976年)9月初版、マネジメントセンター出版部刊。著者はソニーの厚木工場長や常務取締役を歴任し、「ソニーは人を生かす」などの著者で知られた小林茂氏。次の第4,5回は、会田雄次、伊藤昌哉共著、致知出版社刊「日本を愛する」平成8年9月初版。第6,7回、「子々孫々に語りつぎたい日本の歴史」中條高徳、渡部昇一共著、致知出版社平成17年8月刊。そして新雅史氏の「商店街はなぜ滅びるのか」株式会社光文社、平成24年5月刊(第8,9,10回)の以上5冊。

 中で最も訪問者が多く、その後も検索で訪問していただくことが多かった印象のあるのが、ソニー小林氏の「第三の道」である。ソニーは技術的にも人材活用面でもわが国の戦後復興、高度経済成長を象徴する企業ではなかったか。最近のわが国にも多いブラック企業や中国や韓国企業のように技術の盗用、ものまね、何でもアリでのし上がる企業とは対極にあった企業という印象がある。

 『当時のソニー厚木工場は5~600名の従業員数でその約75%は女子で、中学校を卒業して地方から集団就職してきた人達であり、そのほとんどが会社の寮に住み、二交代勤務についていた。そんな従業員を前に、小林氏はその就任挨拶で、「私はトランジスタのトの字も知りません。しかし人間が大好きです。私たちは、この工場を世界一の工場にできると思います。いっしょにがんばりましょう」というようなことをしゃべった。従業員は皆なんとも若々しく、どの顔も明るくニコニコとして可愛らしく見えたことから、思わず出た言葉だったという。』

 この年の5月に書いた「仕事の基本」も自身好きなブログだ。「安全」のこと「5S」、「カイゼン」そして「カイゼンの手法」。最後の第10回は「夢」で締めくくっている。

 『「会社は夢で始まり、情熱で大きくなり、責任感で安定し、官僚化でダメになる」とは、エルピーダメモリ最高経営責任者である坂本幸雄社長の言葉(2005年10月25日、日本経済新聞「日経フォーラム世界経営者会議」)だが、今年(2013年)の5月.20日号日経ビジネスの『東電、「外様」に託す新市場開拓』(硬直した人事システムを打ち破る施策として、左遷されて子会社に出向していた人物を本社中枢に呼び戻し、新ビジネスを主導させる)という記事の冒頭に、「官僚以上に官僚的、独占市場の中でコスト意識がない。東京電力はこれまで、こうした批判を受けてきた。・・・」とあり、会社がダメになる原因としての坂本社長の言葉を裏付けている。・・・ 

 夢は実現できる。夢を具体的な目標とすること。現実には、与えられた仕事に対して誠実にささやかでも日々努力し続けることが、夢の実現へのバイパス無き道であり、まさに仕事の基本ではなかろうか。』と締めくくっている。

 まさにこの年、東京へのオリンピック招致が成功した。そのことは10月度「この国の風景Ⅲ」第1回に書いた。「おもてなし」が流行語となり、安倍政権は安定し、長く続いた政治・経済の低迷から脱し、7年後の未来に希望を持った年でもあった。





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ブログ10年の軌跡 第5回

2018年03月13日 | ブログ
平成24年(2012年)度

 この年、民主党政権は3年目にして三代目となっていた。9月の自由民主党総裁選挙では安倍さんが復帰し、12月には政権を奪還した。

 野田政権では東京都の尖閣諸島購入に待ったをかけ、国が購入したが、これに中国が反発し、中国国内で大きな反日暴動が発生した。日本企業の中国国内の店舗などが暴徒の襲撃を受けて破壊された年でもある。民主党政権は成すすべもなかった。2010年の海上保安庁の巡視艇へ衝突した中国漁船の船長を無罪放免した政権である。中国は舐めきっていた。

 安倍政権のスタートについては年明けの平成25年1月「新しい年に想う」第1回に次のように書いている。

 『安倍第二次政権がスタートした。世論調査では熱狂的な支持はないものの、堅実な結果で、株式市場などは解散が決まったところから上昇を始めていた。安倍総理の日本再生に向けた意気込みには相当の決意が感じられるし、組閣の顔ぶれを見ても、前政権との違いは素人目にも歴然である。一方懸念がないわけではない。選挙前の安倍総裁の中韓との領土問題、歴史認識に関しての発言に、①尖閣に公務員を常駐させる。②竹島の日を国家行事に格上げする。③前回総理の時に靖国参拝をしなかったことは痛恨の極み。などがあり、中韓の横暴に心中穏やかでない普通の日本人にはこれら頼もしい発言が選挙戦を自民有利に導いた。今回の自民党の大勝は、前述の通り民主党の化けの皮が剥がれていたことと相俟って、中韓の過激な反日行動が貢献したのだ。従って、この公約的な発言は重い。しかし、実現できるかと言えば簡単ではなさそうである。現実を踏まえたプロの外交だとか何とか言って、先延ばしされそうな気配がある。』

 加えて、初期の第二次安倍内閣では、憲法を改正して「国防軍の創設」もあった(「新しい年に想う」第4回)。現在、上記①、②、③の全くの不履行に加え憲法改正も、「9条二項をそのままに三項に自衛隊を明記する」すなわち加憲論に大幅後退させている。竹島の日の政府主催式典は見送られ、「やっぱり竹島は韓国の固有の領土だから安倍政権といえども政府行事に出来ないのだ」という韓国内への口実を与えたに終わっている。

 前後するが、平成24年5月の「経営に活かす品質管理」は、企業での品質管理の知見と診断士の企業経営サポートのスキルを融合させたもので、地元商工会議所や地元信金の産学官セミナーでも講演させて貰った内容がベースにある。

 平成24年は、ロンドンオリピックの年でもあり、ローカルな話題では、千葉県木更津市に日本一のスケールという三井不動産系アウトレットが開設した。東京湾アクアラインが、本格的に真価を発揮し始めたのだ。

 年度末2013年2月、3月は「石油化学工業」。18歳でわが国の石油化学工業のパイオニア三井石油化学岩国大竹工場に就職して定年までの42年間を過ごした業界である。米国有力企業との米国での合弁事業の失敗。イランプロジェクトの崩壊。オイルショック、スクラップ&ビルドの進行、新興国の台頭。そんな逆境の中でも三井石油化学工業(株)は、チーグラー触媒の高性能化によって業界トップのロイヤリティー収入を得ていた。三井東圧化学との合併。住友化学との合併騒動。怒涛の42年間に見聞した話を社史も参考に綴った。

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ブログ10年の軌跡 第4回

2018年03月10日 | ブログ
平成23年(2011年)度

 年度で言えば平成22年度であるが、平成23年3月11日東日本大震災が発生した。本稿でも当然震災に触れた。震源から200km以上離れた首都圏にも結構大きな被害をもたらした地震のエネルギーは強烈であった。

 『テレビで東北地方を襲った凄まじい津波の姿を見た。浮遊物に着火して火の海と化した町。2万人を抱える町も消えたという。けっして他人事ではない。どんな災害も事故も同じだけれど、一瞬にしてかけがえのない家族や多くの仲間を失ってしまう。堤防を築き、ダムを作り、水路を管理して長年人類は治水を行ってきたけれど、その努力は大津波の横綱の前に、まだまだ子供相撲の域を出ていなかった』。時は菅民主党政権。税金は所得の再配分であるとの認識から、「コンクリートから人へ」をモットーにしていた。その政権時に未曾有の大災害が起こったことは偶然だろうか。

 ブログも4年目となると、訪問者も増えた。この年の5月の「安全考」から1日平均の訪問者数が70人を超え、続く「経済学のすすめ」、「時事散歩Ⅱ」そして「マネジメント」、「続、この国の風景」まで月平均70人台を維持し、この年度は年間でも72.1人となった。

 「安全考」は、品質と共に企業存続の前提となる安全管理について述べたものだが、企業活動に限らず、家庭での日常生活においても重要である。われわれ世代は企業において、小集団活動や改善提案活動と同時に4RKYT(4ラウンド危険予知訓練)などによって安全管理を日常的に学んできた。そこから得られた知見や実体験を述べた。日常生活においては、犯罪や健康、災害における防止策も重要な安全管理となる。

 さらに食の安全やスポーツ障害、交通事故、はたまた国防についてまでも「安全考」では踏み込んだ。当時の民主党政権では外敵からこの国家が守れるとは思えなかった。

 続く、「経済学のすすめ」は、この年に限らず、10年間のブログで最も長編(23項)であり、経済学者の著作からの引用ではあるが、最も意味ある力作ではなかったか。

 最終項に『これまで伊東光晴先生らが(株)筑摩書房から1968年に出された「経済学のすすめ」に導かれて書いてきた。この本を買った当時の私は、工業高校を卒業し社会に出て3年目で「経済学」という言葉をただ知っていたに過ぎない。だからほとんど読みこめていなかったと思う。しかし、中小企業診断士の勉強をするようになって、本格的とはいえないまでも一応「経済学」というものに体系的に触れ、到底得意科目と言えないまでも、自分にとって好ましい科目とはなった遠因くらいにはなった気がする。あらためて、この本を読んで、当時の本はそうなのだろうけれど、またこの本の性格上そうなるのだろうけれど、全編に哲学の香りがただよっていることを感じる。』と書いている。

 『・・・経済現象はあまりに多くの変動要因に支配されているため、その予測が必ずしも的確であるとは限らないけれど、経済の仕組み(経済学)を知ることは政治家や企業経営者、経営コンサルタント、投資家などにとっては特に重要であり、家計を預かる主婦まで一般国民にとっても必要なことであろう。しかしながら、「金儲けをするために経済学を学ぶのではない。イギリスの19世紀半ば以後、イギリスにとってかってない繁栄の時代に、なぜ一方においてイーストエンド(ロンドン貧民街)のような貧乏が生まれているのか。この問題を解くことこそが経済学の問題であるということであった。」と「経済学のすすめ」の著者は言う。・・・』のである。





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ブログ10年の軌跡 第3回

2018年03月07日 | ブログ
平成22年(2010年)度

 平成22年のNHK大河ドラマは福山雅治主演の「龍馬伝」だった。この年本稿4月のテーマは「リーダー」としたが、そんなことで、まずは坂本龍馬の話から入った。ここでも過去の文藝春秋の記事からの引用になるのだけれど、『文藝春秋2008年7月号の特集に「司馬遼太郎/日本のリーダーの条件」という記事がある。司馬先生といえば、当然最初に出てくるのは龍馬なのだ。

 この特集は、半藤一利氏、吉田直哉氏、田中直毅氏、関川夏央氏そして磯田道史詩の対談記事なのだが、開口一番半藤氏は、「いまの日本は混迷の時代に入っています。・・・おそらく、各界においてしっかりしたリーダーシップを発揮できる人物が少なくなっているのも一つの要因ではないでしょうか。・・・」とある。』そして2009年の政権交代へと続くこととなる。

 「リーダー」の2回目以降文藝春秋の上記記事に沿って、「坂本竜馬と勝海舟」上、下。4回目、5回目は「維新の三傑」(上)、(下)。

 『西郷隆盛、大久保利通そして桂小五郎のちの木戸孝允を維新の三傑と呼ぶ。明治維新の原動力となった、薩摩と長州を率いて維新を成し遂げた。しかし、西郷は西南戦争に倒れ(満49歳)、大久保は戦争終結の翌年暗殺された(満47歳)。まさに相撃ちという形でこの世を去ったけれど、桂は二人に先んじて西南戦争中に満43歳で病没している。』

 今、NHKの大河ドラマは「西郷どん」(せごどん)。またまた維新ものかとの批判もあろうが、主役の西郷を演じる鈴木亮平さんの熱演や島津斉彬を演じる渡辺謙さん、篤姫の北川景子さんらの存在感で盛り上がっている。維新を成し、日清・日露を勝ち抜いた当時のこの国のリーダーと、環境の異なる昨今の政治家を比べては酷である。マスコミの肥大化で現代のリーダー達には不自由なところもある。しかし、軸として政治家には国家がなければならない。たとえ小さな組織にあっても、リーダーは己に優先して組織を思う心が必要であろう。それが出来ない者がリーダーとなってはならない。

 この年、民主党鳩山政権は「最低でも県外」との無責任な発言から1年に100日程度残して辞任した。その政権については5月の「時事散歩」で批判しているが、続く管政権となってさらにこの国は落ち込んでゆく。政治の混迷は勿論政権に責があるが、国民に事実を伝える責任のあるマスコミの大きな過ちがあった。NHKでさえこの国の歴史や政党支持に明らかな偏重が見えることがある。これらは11月~12月の「日々是好日」に一部書いた。

 この年には、少し背伸びして6月に「統計(学)のすすめ」を書いた。昔、通信教育で「統計」を学んだ。毎月課題と苦しみながら取り組んで、結果「賞」までいただいたが、人様に講釈できるほど統計が分かっているわけではない。しかし、その考え方は「品質管理」には必須であり、基本は社会生活の常識としても必要なものと思う。




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ブログ10年の軌跡 第2回

2018年03月04日 | ブログ
平成21年(2009年)度

 2年目に入ると当ブログへの訪問者は急増した。1年目の平均は1日当たり20人の訪問者が2年目365日の平均は49人超と2.5倍に増加した。仲間等に宣伝したこともある。ただ、診断士の仲間などはよっぽど暇でなければ他人のブログなど継続して読まない。ブログの更新案件が増えると、ネット上のキーワード検索に掛かる確率が増加するため、訪問者が増加したものと思う。

 ただ、この年度の初めに書いた「いい話を尋ねて」や「農商工連携」については好評をメールで届けてくれた心優しい仲間があった。

 私は、昔から気になった雑誌や新聞の記事は切り取って保存しており、「いい話を尋ねて」など2002年の文藝春秋の記事を借用させてもらった。初回「宮崎ぼっけもん町長の遺産(上)」では、『「ぼっけもん」とは「向こう見ず」の意味だそうだ。「向こう見ずの町長」、この話は文藝春秋2002年12月号「無名人国記」に載ったノンフィクション作家奥野修司氏のレポートからの紹介である。』ごとくである。

 「この国の風景」という題で、日本の姿を描こうとし始めたのもこの年だった。これは司馬遼太郎氏の「この国のかたち」の捩りであり、まさに「この国のかたち」の内容に沿った構成にもした。司馬先生のようにこの国をリアルな3次元では描けないため、この国の「風景」と二次元にした。もっとも「風景」にしてこれも司馬先生の「空海の風景」のパクリである。

 平成21年、2009年は民主党への政権交代があった年だ。政権交代が起こる前に診断士の仲間などに意見を聴くと、多くの世論と同様「一度変えてみればいい」が主流だった。確かにそうかも知れないが、国家権力を担う政党として当時の民主党がその要件を微塵も有していない(構成員が共通の国家観、歴史感、ビジョンを持っていない)ことを感じており、私には全く納得がいかなかった。大学を出て士業にまでなっていても、政治そして権力、国家などというものがほとんど分かっていない人が多いことに愕然とした。従ってその後、繰り返し民主党批判を続けた。もっとも最近の安倍自由民主党も似たようなものになってきたように感じる。吾に信念なくただ権力に寄り添うのみ。

 年が明けて2010年に入るが、その1月に載せた「日本の名詩」は自身好きなブログである。『「日本の名詩」という古い本がある。昭和42年に金園社から出たものである。“珠玉150選の鑑賞”という副題が付いている。編者は榊原正彦氏。「世界の名詩」と姉妹本であったようで、同時に買って持っている。1冊350円。給料が2万数千円の頃である。・・・』に始まる。

 第1項に島崎藤村の「初恋」を載せた。この詩は戦後の歌謡曲として舟木一夫さんが歌いヒットさせた。藤村の「破戒」や「家」は当時すでに読んでいた。一昨年になってようやく「夜明け前」を完読した。あらためてしみじみ凄い小説家であり詩人であると思う。
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ブログ10年の軌跡 第1回

2018年03月01日 | ブログ
平成20年(2008年)度

 今月末でブログを始めて丁度10年となる。10年は続けたいと思ったのは7年を過ぎた頃で、どうやら頂が見えてきた。ほぼ3日に一度更新して来たので、結構な分量となり、自分でもどの時期に何を書いたかおぼろげになってきた。10年を振り返りレビューしてみようと思う。

 診断士に登録されたのは平成20年4月1日であるが、ブログは4月8日にスタートしている。当初から3日に1度の更新と決めていたわけではないので、間隔はまちまち。ブログの長さもまちまち。しかしこの年度を書き続けたことで、1回の分量や更新の間隔が定まってきた。

 最初の「プロジェクトZ」は、NHKのプロジェクトXの捩りであるが、実際の企業での研究開発物語であり、自身の成功体験がベースにある。プロジェクトXは、成功までのプロセスに大きな挫折があり、それを克服して世界的な偉業を成し遂げるのであるが、ここでの挫折は筆者個人の話である。

 ただ、研究室での成功は本物で、ポリオレフィンの生産技術においてはまさに世界に冠たるものであった。ポリエチレンやポリプロピレンなど世界で年間何億トンも生産され、消費される汎用プラスチックの生産コストを低減し、環境負荷も大幅に軽減させたのである。

 続いて「将棋」の話を載せた。今、丁度将棋ブームである。工場の将棋部にいた頃、社内文集に載せる原稿を請われ書いたのが「将棋と人と人生と」。評論家大宅壮一氏とその長男歩氏の逸話、升田幸三実力制第3代名人の話などを紹介したものであった。

 診断士になって中小企業本を結構読むようになり、そんな中で、痛くない注射針を開発した岡野工業(株)の岡野雅行氏の逸話や、一緒に本を出されている元経済産業相官僚の橋本久義氏、日本の製造業の「応援団長」(筆者命名)であった唐津一(はじめ)氏の本から「ものづくりへのオマージュ」を書いた。ここには私自身の石油化学プラントオペレータ時代の体験も綴った。

 平成27年の10月に念願であった品質管理の研究会を診断士の仲間を募って発足させたが、本ブログに初めて品質管理について真っ向から書いたのは9月から10月半ばまでの「品質管理のすすめ」であった。30代半ばからの約10年間、会社では改善提案と小集団活動を熱心に行った。日本はそれらの活動の全盛時代でもあった。品質管理課でスタッフとして工場のISO9000取得に取り組み、その後GEの関係会社に出向になり、「シックスシグマ」にも取り組んだ。出向になる前には電子部品の製造の生産管理で歩留まり向上に成功しており、委託先工場の品質管理も短期間だが担当した。いろいろな品質管理の実体験を積めたことが診断士の研究会へとつながったのである。

 10月半ばからの「一陽来復」。これが膨張無法化する中国への懸念と、極楽蜻蛉現代の日本人の国家観、歴史感に一石を投じ続ける端緒となった。その後も繰り返し書くことになる。
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