中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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この頃気になることなど第20回

2012年07月28日 | Weblog
テロ

 7月22日は北欧の国ノルウェーで起こった連続テロ事件から1年とのことだった。同一犯による爆弾と銃乱射で77人が犠牲になった事件だ。銃乱射といえば、最近でも米国のコロラド州の映画館で12人が犠牲になった。こちらは政治的背景があるとは思えずテロとは言えないが、無差別大量殺人の意味では同様の仕業だ。人間個人の殺傷能力など野生の猛獣に比べれば微々たるものであるけれど、武器や毒物、爆薬から原子爆弾まで操れば短時間に大量殺人が可能になるところが恐ろしい。

 7月23日にはイラクでまた大規模なテロが起こったようだ。独裁者を倒せば民主的で平和な国家が生まれるとは幻想に過ぎなかった。米軍の圧倒的な軍事力も結局ゲリラ的テロ活動を制することはできなかった。

 テロといえば、わが国でも1995年に起こった地下鉄サリン事件がある。日本でも無縁とはいいがたい。一部の偏狭な思想を持つ人間集団の怖さは、人類が大量破壊兵器を有するがゆえに限りない脅威である。米国などが、途上国の核兵器開発を厳しく規制するのも、核兵器がテロリストに渡ることを懸念している。

 加えて、テロリストを操る裏の組織の存在も絵空事ではないだろう。大量殺戮や大規模破壊活動が、それらの表面上の実行集団の目論みからだけ起こるとは限らない。

 たとえば、今月18日に起こった自動車大手スズキのインド子会社「マルチ・スズキ」の工場で起こった大規模な暴動*12)なども一種のテロであり、従業員組合を操る背後関係が疑われる。インドは比較的わが国とは友好的な新興国のイメージがあり、スズキも長年インド経済に貢献してきたようだし、賃金など従業員への処遇もインド国内企業としてはけっして悪くなかったようだ。それでもこのような暴動が起きた。

 日本企業の海外進出は今や普通に行われる状況にあり、その失敗事例も数多(あまた)周知されていることで、すでに知れたことではあるが、世界には国家としてさえ国際的ルールを軽んじるところもある。グローバルの競争に、競合企業のモラルなど期待はできない。どのような追い落とし策を弄してくるかしれない。

 2008年1月に起こった農薬入り冷凍ギョウザ事件は記憶に新しいが、その後輸入元のジェイティフーズ(日本たばこ産業子会社)は、この事件を一種の食品テロと考えフードディフェンス(食品防御)の考え方による再発防止策を取った*13)という。

 海外事業展開においては特にあらゆるリスクについて徹底した対処法の確立が必要である。




*12) ニューデリー郊外のマネサール工場。インド人幹部社員1人が死亡、邦人ら約100人が負傷。
*13)日経ビジネス2010年4月19日号から

この頃気になることなど第19回

2012年07月25日 | Weblog
スキャンダル

 「バカ文春」に「バカ・・・」が堪えたか、文春は遂に橋下市長の過去の女性スキャンダルを突き止めた。政治家になる前のことだし、彼の政治活動には余り影響はしないと思うけれど、世間に知らされずに済めば波風のなかった家庭には影響が出るだろう。有名税といえばそうだろうけれど、他人の家庭を揺るがすような過去を暴きだすことは、それこそ個人情報保護法には抵触しないものなのか。

 少し前にはプロ野球の有名な監督のスキャンダルもあった。こちらは多少複雑で口止め料の流れに疑惑が湧いた。今回橋下市長は口止め料などの要求を受けていないようで、犯罪性はないようだ。

 それにしても、このような過去のことが明るみに出るためには、関係のあった人物の供述が必要で、どのくらいお金を掴まされたか、面白半分なのかは知らないけれど、人としての仁義に反することのように思う。もっとも犯罪などでは共犯者がいた場合は足が付きやすいというから、男女の不倫関係などまさに共犯関係で、バレルことは自然なのかもしれない。

 女性に限らず男性でも過去の異性関係を自慢げに吹聴することの好きな御仁が偶にいる。生涯でどれだけの異性と関係を持てたかということは、人生における一つのステータスでもあるらしい。しかし、実名を上げて吹聴することは如何なものか。それが当世の有名人だから吹聴することに意味があるのだろうけれど、それに大手の出版社が乗っかってお金儲けをするところが厭らしい。

 もっとも週刊誌とはそんなもので、他人のスチャンダルで食っているものなのであろうけれど、文春といえば出版元は株式会社文藝春秋社である。先に本稿*11)でも文藝春秋の記事を批判したが、売りたいためなのか顧客を安く見込んで品位を落としているところがあるのかもしれない。しかし品質は命で、顧客を舐めると企業は凋落する。

 個人のプライバシーと報道の自由との凌ぎ合いもある。芸能人や政治家本人にはプライバシーがないようだけれど、取り上げる側に節度は必要であろう。従来から犯罪者家族や犯罪被害者とその家族のプライバシーも問題になったりする。週刊誌だけでなくテレビの報道番組の取り扱いにも批判が出る場合がある。すべてはマスコミの倫理観、担当する記者や編集者の品格が問われる。

 「雨降って地固まる」というけれど、最近は雨が降ると大幅な土砂崩れが起こる。マスコミは他人の下半身に興味を示すのではなく、国家間の諜報活動や政治や財界の闇、大幅な脱税などの部分にメスを向けるべきだと思う。


*11)「この頃気になることなど第7回」、“三文評論家の戯言”

この頃気になることなど第18回

2012年07月22日 | Weblog
政党崩壊

 現在の政権党である民主党の崩壊が始まっている。小沢新党に続いて、諸々の理由を付けて離党者が続出している。沈みかけそうな大型船から小舟で脱走を図っている姿に見える。元々寄せ集めで、選挙互助会とまで揶揄された政党である。当然といえばそうだ。

 「その頃優秀だった官僚はみんな民主党を選びましたよね」*10)というのがあったけれど、官僚として「優秀」な人材とは、いかに人間としてお粗末であったかと言われているような結果だ。

 要するに代議士に成るためにどの党を選ぶのが早道か、またどの政党ならば出世が早く見込めるのかだけの判断で、自分の主義主張は後回しにしたのではないか。優秀とは単に目先の「機を見るに敏」なだけ。国家観はなく、この政党を選んだ元官僚とは、官僚としても失格者だったのではないか。

 松下政経塾出身者も自民党と民主党に道が分かれたけれど、民主党選択者はどちらの党が公認を得やすく、その後も党内で出世が早いかを考えただけのように思う。出世は遅くとも自分の信条に近い自民党を選んだ人たちの方が、幸之助氏の塾創設の想いに近かったのではないか。

 池田勇人政権後期、「総理と語る」というテレビ番組で池田総理と松下幸之助氏の対談を何度か見た。松下氏は家電製品で洗濯など家事の重労働からこの国の主婦を解放した。池田総理は所得倍増計画によって国民の所得の向上を実現した。そしてお二人が次は「人づくり」との想いで一致されていた。人づくりに楽な道はない。

 選挙が近い。消費税増税も大飯原発の拙速な再稼働も「国民の生活が第一」で政権を取った人々からすれば大きな路線変更で、これで選挙を戦うには、言い訳が大変だ。それなら選挙民に耳触りのいい反原発、消費税増税もTPPも反対と言う方が庶民から一定の支持を得るためには楽だと考えているのだろう。

 しかし、振り返って、選挙の時に何を言おうが、後からどうにでも変更が可能であれば、誰が政治家の話をまともに聞くわけがない。あれだけマニュフェスト選挙を唱えながら、結果反対のことを行うならマニュフェスト選挙は無効だ。だからその人々を支持する選挙民はいない。選挙互助会政党は選挙のたびに作り直すしかない。楽な道を選んだ者の選択肢は再び「楽か苦か」になってしまう。楽を選んで幸せな未来は来ない。




*10文藝春秋平成24年7月号平成政治24年亡国の「戦犯」から政治コラムニスト後藤謙次氏の弁

この頃気になることなど第17回

2012年07月19日 | Weblog
役割分担

 家庭崩壊、学級崩壊、職場崩壊、政党崩壊そして国家崩壊に繋がらねばいいが。根はまず家庭の躾ができていないことに始まる。そして先生が変な思想を持って、国家観をなくしたこと。部下を叱れない上司。さらに選挙互助会でしかない政党にありながら、素知らぬ顔でテレビに出演してもっともらしく政権の成果を誇張してみせる政治家。こんなことを続ければこの国は崩壊する。

 家庭の躾で大切なのは、子供の頃から相応の家事を分担させることにあるような気がする。部屋の掃除や整理整頓は毎日自分できちんとやる習慣を身に着かせること。人間何事もすべて出来るわけは無いから、善悪の判断ができれば後はこの5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾:ルールを守る)だけでいい。習い事があったり、学校や塾の成績がいいからと免責しては駄目だと思う。

 子供だけでなく、定年を過ぎた年配者にあっても、少々体が動きにくくなったとしても、それなら一層家事を分担する気持ちを持つことが大切なように思う。まわりが年寄りを変に労わることで、先には寝たきりを誘発する。誰かがやってくれるなら人間だれしも楽をしたがるものだ。

 組織の中でも要領良く立ち振舞って、いやな仕事は周囲へ、そしておいしい仕事を求める輩は大抵子供の頃の家庭の躾ができていなかったためだと思われる。学校でも良い先生に出会っていない。そして、そんな国民は国からの給付を願うから大衆迎合政治が蔓延(はびこ)る。

 生活保護だって、このところ随分と給付が増えて深刻さを増大させているようだ。貰えるものなら「貰わなソン損」という人もいるのではないか。一生懸命働いて得た給料が生活保護者の得ている給付額に届かないという話は、中小企業にはあることだ。現実に身障者や高齢者など、どうしても収入を得られない人のために生活保護制度は必要なものであるけれど、適切な運用がされなければ国が傾く要因となる。「弱者救済」は単に取り柄のない政治家の決め台詞に過ぎない。

 年金にも最低保障年金などという取ってつけたような制度を考えた政党もあったようだけれど、年金とは一定の掛け金を一定期間以上払い込むことがその後の給付の対象であって、規定額を払わなかった者は年金給付を受ける資格などない(一時金として還付)ことを明確にしなければ、それは年金制度ではない。人間には同じ払わないも、払えない人と払わない人がいるものだ。老後に蓄えは無く収入も無い人を救済したいなら、やはり生活保護制度に回すしかない。

 子供手当や義務教育でもない高校の授業料無償化政策を正当化するために、国の年金制度への財政資金の繰り入れが年間10兆円にも上るのだから、年金受給者はそのことを自覚して民主党の政策を批判しろと文藝誌で述べているどこかの大学教授が居たけれど、民主党はその年金の上に「最低保障年金」を言っていたことをどう説明するのか。

 現在の年金受給者への税金からの給付額が多く世代間が不平等であるなら、年金給付を減じることを公約に掲げて、その上で別の諸手当給付を公約して選挙で訴えるべきだ。限られた税収から、あちらもこちらも給付することをバラマキと称するのだ。現在の年金受給者は、若い頃から強制的に年金を支払わされてきた、謂わば国に対する債権者だ。子供を育てているから月額何万円給付を受けるのとは分けて考えるべきだ。

 国から不労所得を与えられる国民は、本来持つ活力を削ぎ、他人への依存体質になることに想いが至っていない政治家や評論家が多すぎる。国民がそれぞれの能力に合わせて、国への役割分担を考えその責を果たすと言う心根を醸成しなくてはならない。恵まれない人へ愛の手も必要であろうが、「働かない者は食うべからず」が基本である。きちんと国民の役割を果たそうとしない輩を作らないために、まず家庭での役割分担を徹底したいものである。

この頃気になることなど第16回

2012年07月16日 | Weblog
事故と事件の間

 11日午後2時25分頃とある。首都高速湾岸線で起きた交通事故は、今年4月、京都府亀岡市で起きた無免許の果て居眠りで通学時の小学生の列に突っ込んで死傷させた事故と同様、単なる業務上過失致死で済ませられる問題ではなかろうと思う。渋滞で前方の大型トレーラーの手前で減速したワゴン車に、後方から自動車運搬用キャリアカーで、ブレーキ痕さえなく思い切り突っ込み、ワゴン車を面影ないほど押しつぶし、4人を殺し2人に重傷を負わせた。

 追突したキャリアカーの運転手は70歳という。前をよく見ていなかったというが、前方の大型トレーラーさえ視界に入らず、結果ぶつかったにしてもブレーキさえ全く踏めなかったというのは不自然ではないか。死傷した6名は暴力団や外国人グループなどによる密輸事件の取り締まりなどを担当する税関職員であったというのが気になる。

 中学生の自殺がいじめによるものだと、自殺した少年の父親が再三警察に被害届を出そうとしたが受け入れず、連日テレビなどで報道されるようになって学校や教育委員会へ立入調査を始めた警察。先に千葉県警が、ストーカー被害の受付を自分達の慰安旅行の都合で延期させ、大事件に発展してから大慌てしたことと同様の構図だ。

 自殺も実は他殺であったり強要された結果で、今回の事件のように実質他殺に近いようなケースまで、立証は非常に難しいものであろうが徹底追及する必要がある。

 国会議員の自殺というのも時々あるけれど、実は消されたのではないかという疑惑がいつまでも残る場合があったり、殺されたことは明白でも、背後関係がうやむやなまま実行犯のみの刑罰で終わることもある。病死で片づけられた政治家の死が、実は殺人ではないかと疑われることもあるとの話を、40数年も前になるけれど、野党の当時現職国会議員の支持者集会で聞いたことがある。

 わが国は、一応死刑制度はあるけれど全般的に犯罪者に甘い気がする。確かに比較的軽微な犯罪歴を背負ったために、世の中で必要以上に生きづらいというのは酷な話で配慮は必要だけれど、事件も事故も重大なものは厳格に処罰する必要がある。それが交通事故であっても、軽々に単なる事故で、過失致死で終わらせて貰いたくはない。

 外国船の領海侵犯などもそうだけれど、法を曲げる者へは毅然とした対応が絶対に必要である。北朝鮮の工作船を海上保安庁艦艇が追尾して交戦し自爆に追い込んでから、北朝鮮工作船による目に見える形での同様の活動はなくなったように聞く。いじめもそうだけれど、脅しをかけてくる相手は、怯めばさらに脅しをエスカレートするものだ。初めの一歩を引いてはならない。

 「罪を憎んで人を憎まず」、「右の頬を打たれたら左の頬を向けよ」。キリストの教えを流布したのは、侵略者のお先棒を担いだ宣教師である。武力でアジアなどの植民地を支配し、略奪し、またアフリカから黒人をさらって奴隷にしたのも人類である。国家も個人も性善説だけで生きられるほど、世間は甘くない。

この頃気になることなど第15回

2012年07月13日 | Weblog
資源大国

 6月29日の新聞だったか、太平洋の南鳥島周辺の海底に日本の年間使用量の200倍以上のレア・アース(希土類)が存在することが判明したとの報道があった。以前から沖ノ鳥島周辺にも同様の話はあったようで、中国や韓国が沖ノ鳥島は岩礁であって島ではないと文句を付けて、周辺海域は日本の排他的経済水域(EEZ)に当たらないと主張するようになっている(国連は日本の主張を支持しているそうだが)。そればかりか中国は、海底資源に目を付けて、周辺に調査船を派遣し尖閣ばかりかここも狙っているという話もある。

 一方南鳥島は、小笠原村に属し、気象庁の職員や自衛隊員20名が常駐しており、流石の中韓も文句を付けたり手を出したりし難いであろう。発見された鉱床は深海ではあるが、技術的に採掘は可能なようで、開発が進めば、中国に依存している電子機器に必須のレア・アースが自前で調達できることに意義は大きい。

 また最近は、新潟県沖合の日本海では新たな大規模な海底油田が見つかったというニュースもあったし、日本海のその場所付近には採掘可能なメタンハイドレートも存在するらしい。

 メタンハイドレートは以前から日本列島周辺の海底にその存在が知られており、これまで主に太平洋側で調査が行われていたが、深海にあることなどで実用化の目途が立っていない。しかし、日本海のメタンハイドレートは太平洋側より相当浅いところ(1000m程度)にあり、状態も良く実用化が見込めるそうだ。

 私など団塊の世代の先頭集団が小学生時代は、1950年代であった。昭和29年(1954年)4月小学校入学の頃は、まだズックはなく下駄履きで通学した。冬は足袋を履いた。社会科で日本の産業について学んだのは何年生の時だったか忘れたけれど、日本の資源と言えばセメントと硫黄くらいで、硫黄を使った硫酸の製造が世界に伍していたくらいと記憶する。ノーベル賞は湯川秀樹博士の1本だけが悔しく、南極観測船宗谷(昭和31年~)は誇りであった。

 中学時代には所得倍増計画の池田勇人総理が登場し、日本は高度経済成長を加速させ、いろんな産業分野で世界と伍するようになる。テレビの普及そして東京オリンピック。新幹線、首都高速道路。新3種の神器(3C:カラーテレビ、クーラー、マイカー)と消費は拡大し生活は豊かになった。それでも日本に無いもの、それは石油資源であり鉄鉱石であり、要するに天然資源であった。

 「人は自分が考えたような人間になる」。国家もこうありたいと強く願えば、いつか実現してゆくものかもしれない。そんなことを思える今はまだ仮想の資源大国日本である。

この頃気になることなど第14回

2012年07月10日 | Weblog
夢の尖閣諸島

 今年4月石原東京都知事が、私有島である尖閣諸島の主要3島を東京都が買い上げる計画であると発表した。勿論、東京都議会の承認などの手続きが必要なこと、買い取り価格決定のための現地調査や資金調達も必要であり、知事の一声だけで可能となることではないようだ。しかも中国が領有権を主張していることから、中国を刺激するなという反対意見も出てくる。

 しかし、中国の領有権には全く根拠はなく、周辺に豊富な資源が眠ることが分かった1970年以降になって急に主張を始めたことだとは誰もが知るところである。購入資金については短期間に13億円を超える(7月5日現在)巨額の寄付が集まった。ネットの賛否投票では95%が賛成である。民意はすでに石原知事にあり、野田政権も協力せざるを得ない*9)し、東京都議会も一部の反対者は出るだろうが、否決はないであろう。

 では、なぜこの時期に東京都が買い取りなのか。現在尖閣諸島は個人が所有する無人島であるが、中国のごり押しがあるためか、国が賃借料を払って管理している状態(立入禁止)であるそうな。ところが最近中国が「尖閣諸島は譲れない中国の核心的利益」だと主張をエスカレートさせてきた。万一、中国人民軍やその工作部隊が島に上陸してきた場合、個人ではあまりに弱体である。所有者は過去に、私有地を強制接収されたことがあることから国に不信感が強い。そこで石原さんの東京都へならということになったらしい。東京都が買い上げた後、国に譲渡すれば1件落着である。石原都知事も東京都の保有に拘っているわけではないようだ。

 中国からすれば、所有者が誰であろうが、日米同盟さえ揺らげば、武力ででも取りに来る気配があり、その危機感が国民の間にも浸透している結果が、ネットの賛否投票結果や多額の寄付金に表れている。

 しかし、東京都や国が所有した場合の有効活用の方法も問題である。現状のままでは事態は好転しない。

 尖閣諸島の中で一番大きな魚釣島は周囲11km、面積は3.8km2(380ヘクタール)とある。沖縄普天間基地飛行場は480ヘクタール。ほとんどは私有地で3,031人の地権者に年間65億円余りが支払われているそうだ。普天間基地は市街地に隣接するため、その移転が長年の課題であるが、ご存じのような経緯で全く進んでいない。

 そこでだが、お金は掛り、中国好き一派の反対はあろうが、魚釣島を巨大な不沈空母に見立てて米軍基地を建設し、普天間基地の機能を移転してはと思う。そこで働く人々には申し訳ない気もするけれど。

 最上階は滑走路と管理棟、その下は格納庫、その下に商業、娯楽、文化施設を備えた兵士の居住空間、最下層すなわち元々の島は、潜水艦や空母、輸送船、日本の海上保安艇の接岸できる港や用役・発電設備、諸々の備蓄施設を置く。

 米軍兵士の家族は沖縄本島または宮古島に住まいして貰い、兵士は適宜勤務を交代する。日本の米軍基地の75%が沖縄にあり、普天間は「最低でも県外」というのもあったけれど、尖閣諸島へ移設できれば実質県外ではないか。これが実現すればオスプレイの危険性もジョット戦闘機の騒音問題も沖縄から少しではあるが減衰し、中国の脅威に備えるわが国の安全保障も維持される。

 米軍に対しては少々手前勝手の話だし、虎の威を借りてはいるが、去勢された草食男子から、そして土下座外交から立ち直るいい機会ともなるではないか。まさに夢の尖閣諸島と言う訳である。




*9)7月7日の時点で、国が買い取りを決めたようだ(当日の読売新聞夕刊による)が、却って話はややこしくなっている。

この頃気になることなど第13回

2012年07月07日 | Weblog
原子力発電

 福島第一原子力発電所の国会事故調査委員会の最終報告が出た。福井県の大飯原発再稼働の後からこのような事故報告が出るということは、順序が違うようにも思うけれど、この政権は消費税増税もそうだったけれど手順無視で突き進む傾向にある。

 大飯原発再稼働を受けて総理官邸前では日増しにデモ隊が増加したことも当然であろう。現実路線といえばそうだけれど、現政権は決める政治を志向するあまりリーダーシップを履き違えているのではないか。

 もしこのようなことが、自民党政権下で行われたとしたら、民主党はここぞとばかり徹底追及に出ていたことだろうと思う。福田康夫内閣時の日銀総裁選出の際の天下りだからダメという訳のわからない論理でゴネまくったことを思い出す。立場が変わるとやることがコロリと変わる人間集団の怖さを感じる。

 野田首相は、デモ隊の声を「外で大きな“音”がする」と国民の声をまるで雑音のように捉えたと、テレビで怒っていた評論家の先生がいたと思えば、原発反対デモには、日頃は全く政治に無関心だったような人までが立ち上がっていることで、60年の安保反対以来だと、喜んでいる評論家もいた。こちらは世の中を騒乱に持ち込むことがお好きな方のようだ。

 その評論家氏は左派だから、どうも今も政権は自民党で、国の責任とは自民党の責任だとする習慣がよく抜けていないのであろう。全共闘時代の幻影が折に触れて蘇るのであろう。馬鹿なことだ。そのような評論家を使うテレビ局が悪い。大いなる時代錯誤だ。

 60年安保も時を経て、それを貫いた当時の岸首相はその後評価されることが多いが、民衆の声など当てになることもあれば単なる感情論のこともある。要は苦しくても政権が丁寧に国民に説明しながら、決定に至る手順を踏むことだと思う。

 原発は今やすっかり悪者になっているが、当然のようでもあり、福島第一原発の事故を「人災」と断じた国会事故調査委員会の報告からして、人類の英知で管理可能な優秀な発電手段であるとも言える。70年代に2度のオイルショックを経験し、狂乱物価を生んだ当時を思えば、原子力の平和利用への技術も尊いと思える。

 原子力発電には、これまでの技術的蓄積とその未来、国家の資産、雇用など正の部分と大きなリスクの負の部分があり、正負が天秤にかかっていることは確かだ。しかし、軽々に結論を出せることではない。感情論の「脱原発」をスローガンにして選挙を戦うなど、子供じみた選挙戦略をいかなる政党も、政治家個人も取るべきではない。それは先の政権交代と同じ、幻想を国民に抱かせるだけだから。今後の原子力政策は超党派で議論を深めるべき命題であると思う。




この頃気になることなど第12回

2012年07月04日 | Weblog
スパイ天国

 今年5月、日本の中国大使館に勤務していた中国の一等書記官である李春光に警視庁公安部が出頭要請を行うという事件があった。直接の容疑は外国人登録法違反ということだが、どうも根は深いらしい。李春光は当然のように出頭要請には応ぜず帰国した。尖閣で海上保安庁の艦船に体当たりした漁船の船長を、真夜中に那覇空港を開けさせて、迎えの中国機を受け入れお見送りしたと聞く政権だから仕方がない。

 先に野田内閣は問責の両大臣に加えて、鹿野農水大臣と筒井農水副大臣を更迭したが、李春光と農水省のつながりを国会で追及されないためであったとのこと。大臣や副大臣を辞めさせて済む問題ではなかろうに。対中国問題となるとマスコミも尻込みするようで、報道が少なく一般国民に真実が伝わらない。昔々の沖縄返還交渉における隠蔽された情報をほじくり出して喜んでいたのはどの政党だったのか。現政権は輪を掛けて秘密主義である。

 米国にとっても日本の情報管理の拙さは噴飯もののようで、最新鋭の戦闘機などは日本には供与出来ないと言う話もあった。現職の自衛官などにも中共のスパイは忍び寄るという話も聞くが、わが国にはスパイ行動を取り締まる法律さえないらしい。一説には現政権がその成立を阻止しているという。

 前原氏や野田現首相への外国人からの献金問題に加えて、菅前首相の北朝鮮系団体に不法な献金をしていたことなど、最近は全く問題に上がっていないけれど、これらは根っこは同じで中韓への大いなる売国行為だ。政治家や公務員と企業の贈収賄事件は昔から随分と問題になって、都度当時の政権は揺らいだものだが、それらよりも遥かに国家の存立を揺るがす悪質な行為である。

 ネット情報によればスパイと知ってか知らずか民主党からそのような類の人物に、活動費が支出されているような話もある。ネット情報で中傷するわけにはゆかないが闇の深さを感じる。勿論他の政党にもあることかもしれない。日中、日韓友好の目的を理由に、彼らへの利益供与を行い、際どくお互い立場を守っている図が見えるような気がするけれど、事実とすればいかなる政治団体であっても国家・国民への背信行為である。

 われわれ一般国民は、自身で闇を探ることはほとんど不可能である。メディアはドラマやネットで疑似・粉飾して語るだけではなく、他国からのスパイ行為や工作活動の現実を白日の下に晒し、行政は全国民と一体となってその防止を徹底すべきだ。税と年金の一体改革も結構だけれど、国家の存立に関わるスパイ行為という大変な問題にも目を向けなければ現政権への疑惑はさらに深まるであろう。

この頃気になることなど第11回

2012年07月01日 | Weblog
消費税増税狂奏曲

 6月26日衆議院本会議において消費税増税法案が可決した。反対を唱えて反対票を投じた小沢氏や鳩山氏など民主党員は57名に上り(欠席・棄権は15名)、次のステージは党議拘束違反に対する処分に移った。もっと少数であれば、民主党はこの際全員除名でも良かったのだろうけれど、減少幅として54名が衆院過半を制するボーダーラインだから57名全員は無理。同時に行われた社会保障関連法案の採決への投票行動も加味して処分を決定するようだ。鳩山氏などとは事前に話ができていたのであろう、其処ら辺りは彼の投票行動に表れていた。しかし、処分が甘ければ、参院の採決に自公は反対する理由ができる。そして、参院で反対して法案を潰せば総選挙は近くなるが、ちぐはぐな対応の自民党も自公では過半数を得られず、選挙後はさらに混沌のうちにさらに何も決められなくなる懸念も生じる。

 その次のステージは、どうでもいいけれど小沢氏が新党を立ち上げるのかどうか。先に党運営に異議を唱えて離党している勢力もあり、彼らなどと合流すれば内閣不信任案の提出等可能な勢力ともなり得るようで現政権にとっては面倒で、先行き不透明感は付き纏う。少数党提出の内閣不信任案に、現内閣の消費税増税に賛成した自民党が乗れるのかどうか、乗るとすれば言い訳を探すのにこちらも面倒だ。

 今回の騒動を国民また有権者の一人として見ていて思うことは、野田首相側に大義は薄いということ。マニフェストといっても出来ること出来ないことがあってもある程度仕方がない。しかし、5%もの消費税増税(国民負担)を騙し打ちのように決定するのは如何なものか。これは大阪の橋下市長も指摘していたようだけれど、誰彼が言ったに関係せずおかしいことはおかしい。

 テレビの報道番組のコメンテーターとして登場していた企業経営者の方は、「今の世の中諸情勢の変動が早く、トップリーダーの言うことやることが短期間に変わることは仕方がない」のように発言されており、日経の政治部長もその朝刊一面で同様の発言をしていたけれど、企業など単なる民間組織のトップと国家のリーダーを混同する発言で、従う身が部下で給料を貰っている側と税金を払う立場(主権者)では全く立ち位置が異なり、違うと思う。

 元々10%を公約していた自民党は、この際増税を決定しておいて貰えれば、政権を奪還した際に苦労が減ることを目論んで、いろいろ理屈を付けながら賛成にまわったが、民主、自民共に国民不在の政治志向であることを改めて露見しただけではないか。10%に独り歩きさせた感がある。同じ10%でも自民党の増税案に付随する想いと、民主党の10%では元々異なる筈で、社会保障案の修正に口だけ応じたからといって、賛成したのは失敗。国家観の視点から圧倒的に怪しげな民主党政権を倒すチャンスを逃したとも言える。

 読売新聞や日本経済新聞も消費税増税に賛成の意向で、野田政権の手続き上の問題点(増税を事前に国民に問うていない)への批判さえ控えている印象があった。先の太平洋戦争に向かう時期、主要な政党が結集して大政翼賛会(たいせいよくさんかい)を結成し、大新聞も開戦に向けて煽ったと聞いているけれど、歴史は繰り返す。政権交代を可能にする二大政党論で進めた政治改革の意義はどこに行ったか。

 「民信なくんば立たず」政治は政治家と国民の信頼関係がもっとも大切で、手続きは重要である。野田首相、谷垣総裁の財務省コンビの進め方にはやはり問題が大きいように思う。