中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

時事散歩Ⅴその10

2016年05月28日 | ブログ
二つの事件

 不幸な事件であることに全く変わりはない。そして、法の下の平等に照らせば、両事件の被害者も加害者もそれぞれの立場で全く同じ取扱いを受けるべきである。しかるに片や周囲が外交・軍事基地問題にまで波及させ、ここぞとばかり米軍基地の整理縮小を訴える。ヘイトスピーチは新たな法案によって取り締まりを受けるが、在日米国人や米国軍人・軍属はこの対象とはならないようだ。

 わが国では昨年(2015年)313人の方が殺人(殺人既遂)事件の被害者となっている。世界の国々のレベルからすればもっとも少ないようで、米国と比べれば単位人口当たりで10分の1くらいではなかろうか。従って安全な国との評価がある。しかし、それでも毎年数百人の方々が殺されている。殺人事件の10倍も多い米国の軍隊が駐留する所ではやはりその確率は高くなるのであろうか。

 確かに米国の兵隊による少女への暴行など過去にもあるようだが、日本人の犯罪確率に比べて沖縄での米国軍人・軍属の犯罪が突出しているわけではなかろう。仮に米軍基地がなくなっても残念ながら、同様の事件は現在の確率くらいは起きるのではなかろうか。

 外国人観光客が年間2000万人を超えるようになって来た。長く日本に住みながら、日本国籍を取得しない外国人も居る。留学生だ、実習生だ、出稼ぎだ、移民だ、難民だという人々も多くはないが、珍しくもない。外国人が犯罪を起こせば、沖縄の米軍基地反対と同様に、この国から同族を追い払うシュプレヒコールを沖縄では知事を先頭に繰り返すのであろうか。

 この事件、背後関係はないのだろうか。あまりに不自然な犯行のように思える。強姦目的で、まずこん棒で襲うものだろうか。誰でも良かったというのも引っかかる。初めから誰でもいいから殺して事件にすれば良かったのではないか。被害者はたまったものではない。

 このような被害者を出さないために日米の地位協定の改正も必要だろうけれど、危ない米兵が本当にうろうろしている沖縄ならば、米軍の憲兵と沖縄県警が合同で米兵の取り締まりと県民の安全確保に一層注力すべきで、当面できもしない米軍基地出ていけデモをやっても全く実効はない。要は被害女性を人身御供に自分達の主張をしているだけのように見えてしまう。被害者の供養には全くなっていないように感じる。

 アイドル活動をしていた女子大生が異常なファンから襲われた事件。警察は今回も全く頼りにならなかった。ストーカーからのエスカレート犯罪をなぜ抑止できないのか。確かに忙しいのは分かる。しかし、女性から訴えのあった時点で、その状況を確認し、ファンという男に警告を発すべきであった。ツイッターなどの文面からも男の異常性は分かる筈で、警察からの警告に従わねば、厳罰に処すとの申し渡しがなければならない。付き合った過去があった訳でもなく、アイドルという夢を運ぶ職業の故のリスクは、有名税などからは遠い。

 権力の行使に権力者は臆病に成り過ぎている。正義は信じるべきで、罪なき人々を守る為に異常者は摘発し、相応の更生の機会を与える必要がある。マッチポンプのマスコミのご都合主義に惑わされてならない。

 このような事件、警察は誰か不手際の責任を取るのであろうか。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその9

2016年05月25日 | ブログ
伊勢志摩サミット

 明日5月26日、27日、先進国(主要国)首脳が一堂に会するサミットが伊勢・志摩で開催される。警備の警察官、運営に当たる方々には大変なお仕事であろうが、ぜひ成功させていただきたいものである。交通規制で一時不便な思いをされる地元の人もおられようが、一生のうちに一度あるかないかのイベントが地元で行われるのだ。光栄なことではなかろうか。

 付録みたいな感じではあるが、実はこちらの方が意義深いとさえ思われるけれど、サミット終了後オバマ大統領が広島を訪問されるとのことで、事前通告のこととはいえ、これは結構なサプライズであろう。米国では原爆投下の謝罪と受け止められ兼ねないとの懸念から、大統領の被爆地訪問には根強い反対もあるようだけれど、杞憂に過ぎないのではないか。この国の国民のほとんどは謝罪を要求するような気質にはない。お隣の国の方々とは本質的に異なった歴史・文化・風土・器量を持った国民なのである。

 各国の首脳には、5月の陽光の下、美しい志摩の風景と、この国の伝統の発祥の地ともいうべき伊勢神宮や海の幸に松阪牛、和食の素晴らしさをご堪能いただきたいものである。

 それにしても、今回のサミットを、「中国とロシア(ロシアと中国ではない)が不在では、サミットは欠席裁判となる。伊勢志摩G7を機に再考を」<日経ビジネス2016.05.16号「賢人の警鐘」>の記事には驚いた。書き手の中国贔屓は知れたことだけれど、サミットを何と認識しているのであろうか。

 このG7とは先進国首脳の集まりであり、そのメンバー国は単に経済規模が大きい、軍事力が強大であるからという理由で集まっているわけではなかろう。共産党一党独裁の国家が、真に国家と言えるかどうかも怪しい。国民に指導者を選ぶ権利も与えられておらず、共産党の党利党略で選ばれたトップなど、サミットのテーブルにつく資格などないことは明白ではないか。

 「中国抜きに南シナ海問題に関する議論をし、懸念を表明しても、現実として何が変わるようにも思われない。」とあるが、それは国連安保理の課題である。そこに拒否権を持つ当事国が、その国の核心的利益と表明している問題を議論さえ許してさえないのではないか。そのような国際法さえ無視する国家の指導者をサミットに呼んで、それこそ現実として何が変わるというのか。

 G7は自由と民主主義を標榜し実践している、まさに経済力に加えて少なくとも良識ある行動を志向した国家指導者の集まりなのである。今の民主主義の運用がベストではないにせよ、自由と民主主義をいかにさらに普遍化し、世界の真の平和と豊かさを実現するか。そのための会合である。ロシアは共産党政権が崩壊し、大統領も不完全であろうとも国民の投票で選ばれるようになった。だからG8として参加していたのだ。ウクライナへの軍事介入などの問題で2014年から再びG7に戻っただけの話だ。中国のサミット参加は、民主化という改革が必要である。

 何を基準に「賢人」かは知らないけれど、この件などもこのような考え方があり、「人それぞれの意見は尊重しましょう」の類の問題ではなく、間違った論理はしっかりと間違いですと言わなければ、字面だけ読んで、そうだそうだと考えてしまう人が多くなることが恐い。

 大相撲で横綱白鵬が、どこまで記録を残しても、日本に帰化しない限り親方として相撲界には残れない。それは神事としての日本古来の伝統を維持することなのだ。時代とともにその時代に生きた人々の都合で変えていいことではなかろうと思う。

 サミットも単に経済力で測って原則や参加資格を曲げてはならないのだ。現状の中国をサミットメンバーとすることは、今の中国の政治体制を主要先進国が公認したと取られかねない。それは、チベットやウイグルの人達はじめ中国の民主化を望んでいる人達へも裏切りとなる行為である。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその8

2016年05月22日 | ブログ
スポーツの危機

 5月21日の読売新聞朝刊「よみうり時事川柳」に『五つの輪 やはりおカネに 見えてくる』というのがあった。この川柳に代表されるように、スポーツ界が今、金、薬、賭博、セクハラ、暴力と世の悪行の巣窟のようになってしまった。悲しむべき事態だ。もっともその多くは昔からあったことで、「顕在化して騒がれるようになった」だけと云えばそうかもしれないのだけれど。

 東京オリンピック招致に、「裏金」が使われたというわけではなく、正式なコンサル料だったにしても、庶民感覚からはかけ離れた額の国民の税金が、外国のペーパー会社の口座に振り込まれていたことは事実のようだ。

 「魚は頭から腐る」と言うけれど、まさにサッカーもオリンピックもそれを司るトップの人達が役務の正当な報酬以外に金儲けの途を望み、開催国選考の投票権を私物化している姿が浮かび上がる。情けない限りだ。

 国家ぐるみと見られるドーピングも、選手・コーチも了解の下に行われていたとすれば、スポーツマンシップなどという言葉は死語となる。現役のトップアスリートが違法な賭博に手を出し、後輩まで誘い込む。外国遠征で大麻に嵌る。栄光を重ねた伝説のヒーローが麻薬に取りつかれる。

 女子バレーなど、10数年前の話だけれど、元全日本女子バレー選手の講演会での生の発言によれば、当時は監督などから継続的に当然のようにセクハラがあったようだ。柔道なども女子までに普及したこともあって、男子の監督や指導者からの暴行やセクハラなど顕在化して元金メダル選手に逮捕者まで出した。

 東京オリンピック開催には大いに賛同したけれど、最も暑い時期での開催には疑問があった。都内の夏の暑さは尋常ではない。選手は勿論沿道などの応援者、役員、警備の人達にも熱中症続出とならないことを今から願うばかりだ。それもテレビの放映権の関係で、どこかの国のメジャースポーツの無い時期との意向で開催期間が決められるように聞くと、何のためのオリンピックなのか分からない。

 さらにスタジアムの設計費用だけで億というお金が動き、エンブレムだって、そのデザイン料は相当な額で、選考に裏でお金が動いていたのではないかと疑いの目を向けられるようになってしまう。選手も元々アマチュアリズムで始まったものが、その後の経済的メリットも含む賞金レースになってしまった。マイナーな競技のサラリーマンでも、世界のトップクラスの選手になれば結構稼げるらしい。お金の使い方を知らない若輩が大金を得て、ギャンブルに落ちるのも頷ける。要は、平和の祭典であったものが、拝金の祭典に変貌していたのだ。テロの脅威も付き纏う。警備にも莫大なお金が掛るような時代になってしまった。

 ここまで来るとIOCは一度解散して、オリンピックを総見直しする必要がある。多くのスポーツの頂点であるオリンピックの運営が腐れば、当然底辺も腐ってくる。それは純粋にスポーツを愛好する人達への脅威であり、スポーツの危機に他ならない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその7

2016年05月19日 | ブログ
知事のけじめ政党のけじめ

 舛添東京都知事の不祥事は、ほとんどの国民から呆れられ、辞任すべきと思われてしまっているようで、改めてこの稿を割いて、批判の駄目押しをすることもないのだけれど、やっぱり言いたくなるのも煩悩のひとつかも知れない。

 この件、大阪の橋下さんなど初めから批判的。自分など海外出張の飛行機は「エコノミーでいいと言っていたほどだ」とお冠。でも飛行機のファーストクラスやホテルのスイートは石原元知事が付けた先鞭で、石原さんの時は批判してなかったようなのだけれど。

 ホリエモンこと堀江貴文氏などは、フォーストクラスやスイートは許容できるような発言であったけれど、家族旅行のホテル代や飲食費に公金(政治資金)を使っていた件では遂に批判に転じたようだ。ここら辺り、それぞれの線引きがあって面白い。

 もっとも東京都知事ともなれば、他の県知事とは格が違う。飛行機のファーストクラスなど東京都知事も使えないとなれば、一流企業の社長さんでも株主から批判すべき案件となる。10時間も超えるような飛行機の旅であれば、それなりの地位の方にはたとえ税金でも許容されていいと思う。

 しかし、ホテルのスイートは確かに贅沢で、ビジネスで出張しているのであれば、実用的な部屋で十分ではないか。勿論随員なども極力少なくするべきだ。最近横綱白鵬の振る舞いには相撲内容にも批判が多い。駄目押し、立ち合いでの変化、張り手にかち上げ。「確かに反則ではないが、横綱の相撲としては批判が出ても仕方がない」とは、解説の元名横綱の評。都の出張規定がどうあろうが、舛添さんなど、以前はやたら福祉を強調していた筈だ。恵まれない人々への気持があるなら、極力国民、都民の税金の使い方を福祉に回せるように、自身の出張費くらい、必要以上の出費はしないようにするのがけじめで、批判は仕方がないと思ってしまう。もっとも福祉などを大々的に強調する議員も政党もその多くは眉唾ものであることは知れたことではある。

 資本主義の格差を批判して革命を成した革命家が、政権を取れば得てして資本家同様に贅沢をするのと似た構図。育休宣言の議員さんは、仕事を休んでガールハントが目的だったのかと勘繰られても仕方がなかった顛末と根っこは同じようなものだ。

 田母神さんは、政治資金を運動員への報酬として支払って、「買収」となって起訴されるようだけれど、政治資金を家族の飲み食いや行楽の宿泊費に使って、ばれたら「返金します」で済むものだろうか。

 それにしても先の都知事選挙で舛添さんを応援したのは、どの政党だったのであろう。反省の弁が聞こえない。引導を渡すくらいの役割を果たすのが政党のけじめではないか。小泉進次郎さんが、その選挙の折、自民党を飛び出した舛添さんを自民党が推すのはおかしいと言っていたけれど、その通りと思っていた。実際、これまで自民党を飛び出した議員さんには碌なのが居ない。経世会を割って飛びだしたお歴々のことは前にも書いた*1)。従軍慰安婦問題を日本政府の所為にした方も居た。みんなの党を立ち上げた方も一理はあったのだろうが、結局お金の問題で選挙に落ちてしまった。「普天間基地は最低でも県外」は、本人は議員を辞めても、問題は大きく尾を引いている。

 来るべき参議院選挙、各党は候補者の選択には十二分に注意が必要である。



*1)本稿(時事散歩Ⅴ)その2「日本に田中角栄は必要か」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその6

2016年05月16日 | ブログ
ゴールデンウイーク

 4月の昭和の日から土、日と続き、憲法記念日、みどりの日、子供の日と祝日が続いた。2日と6日に休暇を取って、10連休という人も多かったのではないか。この時期と年末年始にお盆の時期、長期休暇を取る習慣のない日本人勤労者のせめてものまとまった休養期間ではあるが、家族サービス週間でもあり、却って疲れる方も多かろうと思う。

 各地の行楽地、遊園地やテーマパークも賑わったことであろう。相変わらず高速道路などの渋滞状況がテレビ画面に映し出されていた。

 テーマパークといえば、一時期東京ディズニーランドの一人勝ちのように聞いていたが、この頃では、大阪のユニバーサルスタジオもハリーポッターの館が受けたようで、人気を博し、長崎のハウステンボスも倒産(会社更生法)まで経験したが、新たな経営者を得てから、諸々の改善策が功を奏し盛況と聞く。

 旭山動物園の新たな動物の展示方法が注目を集め大ブームとなったのは10年も前だったけれど、その後各地の動物園や水族館などもこれを見習い、新たな取り組みが次々と現れ集客に寄与しているようだ。良い意味の競争効果であり、手本を得た学習効果であり、大いに結構なことである。

 一方このゴ-ルデンウイークには、目に余る交通事故が多発した。相変わらず運転者の意識が飛んだ繁華街での暴走があり、渋滞で停止している車に中型トラックが突っ込んで一家3人が亡くなる悲惨な事故もあった。バスと正面衝突して親子が亡くなった事故。道路に落ちて来た大きな岩に直撃されて亡くなった女子大生。赤ちゃんを背負ったお母さんの自転車が車と接触して、赤ちゃんが亡くなる事故も聞いた。

 交通事故で亡くなる方(24時間以内)は年間4000人余り。1日に全国で11人余りの人がなくなっている勘定になる。昨年連休8日間の交通事故死亡者数は86人とある。今年もその程度だったようなので、特に大型連休だから交通死亡事故が増えているわけでもない。

 わが国では、毎年自然災害によって亡くなる方も相当数に上るが、文明の利器による交通事故死は、航空機事故や原発事故と異なり、個人の注意義務で、当事者の過失責任によるものとして片付けられ、生活の利便性と産業育成の面からその普及は進んだが、事故の抜本的対策が遅れる傾向にあった。

 また、道路の渋滞解消策も、基幹道路のバイパス建設などで進んでいるようにも見えるが、まだまだの状況と診る。ひとつは、国民の自由と、所有権を守ることが最優先され、交通規制や道路建設のための土地の確保が大幅に遅れるケースがあまりに目立つ。

 交通渋滞が見込まれる幹線道路は、ナンバープレートNo.による規制を全国に事前通達し、通行できない車両では初めからドライブを諦めて貰い、列車やバスを利用して貰うようにするなどの対策は打てる。

 公共事業のためとはいえ、立ち退いたり、先祖伝来の土地を手放すのは忍びなかろうが、これも約束事として極力不公平が出ない施策を考えて実施することで、国民の土地などの所有権は制限を与える方向で検討してもいいのではなかろうかと思う。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその5

2016年05月13日 | ブログ
憲法改正(下)

 憲法記念日に寄せて、毎年行っているようだが、NHKの憲法改正の必要性の有無についての世論調査結果があった。今年は必要の有り無しそれぞれ30%前後で大差はないが必要無しが多い。数年前は必要派が50%近くまで勢力を伸ばしていたのに昨年、今年と大きく後退した。

 現行憲法下でも安保法制が通ったのだから、「敢えて変える必要もないのでは」と考える人もあったかもしれない。そうだとするなら原子力発電がすべて停止したけれど、電力は足りているではないか。やっぱり原子力発電は要らない。という論理に似ていなくもない。

 先にも書いたが、国家の自衛権は憲法がどうあろうが当然の国民の権利だ。人を殺すのは法律上も許されないことだけれど、個人だって殺されそうになれば、正当防衛は認められ、殺人であっても無罪となることもある。

 現行憲法は、単に第9条だけの問題ではなく、すでに大きく時代背景とのずれがあることも先に述べた。当然に改正の必要があるとの考えは常識的で普通の考えで、正しい考え方だと思われる。

 ところが、昨今のこの国の人々は、常識とか普通の考えも、人それぞれで異なるのが当然であると云う類の問題と混同させる傾向が顕著だ。だから常識的には変と思われる新興宗教に、信仰の自由を楯にのめり込み、「ポア」を常識と考えるのも「異なる意見」だとなる素地を生む。民主主義の解釈間違いの一端であり、多数を擁すれば白も黒となる恐れがあるのだ。すなわち民主主義でありながら独裁者を生む素地を生じる。

 似たような話に会社組織で、間違った行動を成す同僚について、「あいつの性格だから」で済ましていることがある。例えば会合の時間にいつも遅れてくる。「性格だから」と、部下に阿って上司でさえ注意しない。ルール破りが性格の問題で正当化さられるわけはないのだけれど。そのような組織で慣らされると、いけないことをいけないと注意された人間は、注意した人間を、自身の人格を否定されたと感じて逆恨みする。

 憲法改正の必要はないとの考えは、ここに来て明らかに間違いである。それは個々の考え方の違い云々の話ではない。必要ないと答える人の多くは、恐らく現行憲法を読んだこともなければ、他人から教わったこともないのだ。改正は平和を害するというマスコミの誤った扇動に陥っているだけだ。一人一票は結構だけれど、問われた問いに対して真剣に考え、場合によっては関連書物を読み返して応えた答えの価値が本来は同等ではない。

 憲法改正は、今や改正の中身をこの時代に合ったように国民総出で議論すべき段階である。

 国家の中の本来の異分子がメディアの中で変に力を持ち、時間を掛けてこの国の多くの人々を洗脳してきた。新興宗教に嵌っているのと大差ない状態でさえある。その人たちは今、目を覚まさねばならない。

 「第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 ○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」

 この第9条は、特に2項について独立国家としては当然に修正の必要がある。占領下の国家は自国を守る権利さえ放棄しろと言われていたのだ。この憲法を、この条項をもったいぶっている連中は、他国に奴属することを希求しているのであろうか。

 また日本国憲法前文は、「・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。・・・」とあるが、この前文を受けて第9条2項がある。われらの安全を他国に依存して良いわけはない。当然に書き換えが必要である。

 国連だって信頼できる存在ではない。事務総長が反日思想の持ち主であれば、ユネスコの記憶遺産、報道の自由度、女性の地位などについて、現状以上にわが国を貶めること甚だしい状態が続いているではないか。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその4

2016年05月10日 | ブログ
憲法改正(上)

 この月3日は憲法記念日ということで、護憲派、改憲派それぞれに集会があったようだ。それにしても民進党代表の岡田氏の「憲法9条を守ろう」との猛りにはうんざりする。これがこの国の二大政党制を志向する政党の党首だという現実が情けない。

 岡田氏の経歴は良くは知らないが、元々は自由民主党議員ではなかったか。先に角栄さん話で書いた竹下派分裂後の残党の一人だ。親族はイオンというわが国では超のつく大手流通業を営む大資本家である。

 本来自民党という政党は、戦後の混乱期に共産党など極左勢力の拡大を阻止し、自由と民主主義を守り国家の自由な経済活動を推進することで、豊かな国民生活を志向する目的のために存在したのではなかったか。資本家にとっては、共産主義国家となって自由と民主主義が失われれば、資産を国家に没収される恐れが強い。ゆえに自由経済を守るために政財界一致して国家運営を行ってきたのではなかったか。

 ところが、未だ共産党一党独裁体制でありながら、経済活動の自由化を進めた隣国が、GDPでもわが国を遥かに凌ぐほどに力を付けた。このため、わが国の経済人の中にも、日本政府に阿るよりも隣国のご機嫌を伺っていた方が自社の利益につながると考えた言動を成す輩が出て来た。日本政府に都合の悪い言動をしても、特に商売に支障をきたすことはないが、隣国でスムーズに稼ぐためにはそれなりの配慮が必要になってくるのであろう。

 岡田氏もどうもその一派に与しているように見えてしまう。わが国が同盟国と手を携えて国家の安全を守ろうとする法案が、国家戦略にとって邪魔なのは、まさに隣国なのである。憲法改正もその範疇にある。

 現行憲法は、戦後のこの国が未だ独立を果たして居ない時に占領軍から与えられたものだ。確かにこの憲法を楯に、ベトナムにもアフガンにもクエート、イラクの戦場にも自衛隊を派遣せずに済んだ。しかし、そのことは世界から見くびられ続けた要因でもあった。

 現在の日本国憲法は、われわれ団塊の世代の先頭集団と同い年、今年で施行されて69歳となった。単に連合軍に与えられたものだから云々より、当時はインターネットもスマートフォンもなかった時代。国民は日々食べてゆくにも苦労した時代。後の経済成長に伴う交通戦争も環境問題も生じていなかった。中国も韓国も東南アジアも同様に皆貧しかった。米国、ソ連を除いて、わが国に軍事的脅威を与える国など存在しなかった。

 時代に合わせて憲法も改正して当然ではないか。安保法制をこの国の憲法学者の多くは違憲という、これを捉えて民進党は鬼の首でも取ったように「立憲主義」を強調する。

 しかし、国家の自衛権は憲法以前の国民の権利であり、そのための法制度の整備、同盟国との協働もその範疇にある。多くの憲法学者が間違っている。だから憲法学者でさえ間違わないように憲法を変えなくてはならないのだ。

 しかも、以前から指摘があるように、次の条文には違憲状態を続けている。すなわち私学への補助金である。

 「第八十九条  公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」以下次号



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその3

2016年05月07日 | ブログ
トランプ氏と安全保障

 海の向こうの話ではあるけれど、わが国の同盟国であり、安全保障上も経済的にも最も重要なパートナーである米国のトップを決める大統領選挙。それにしても、これだけ物議を醸した候補者も過去には居なかったのではないか。

 しかし、米国人だけでなく多くの現代人の本音を探れば、トランプ氏の発言となる。ヨーロッパでは押し寄せる難民や不法移民の群れに困り果てている。かと言って人道上粗末にも対応できない。

 トランプ氏が声を高くしているのは、メキシコ国境から米国に入りこむ違法移民問題だ。現状ではそのような違法移民を十分取り締まることは難しい。だから国境に塀を作ると言っている。そしてその費用はメキシコ政府が出すべきだと言っている。

 他国に侵入して、または住んでいながらテロを働くイスラム教徒が居る。これを選別して取り締まることは難しい。だからトランプ氏は、「すべてのイスラム教徒は入国させない」という。

 その発言は、人道上許されないとして批判が沸き起こる。しかし、一方で「そうだ、そうだ」とトランプ氏に賛同する者も多く居る。綺麗事の建前政治にうんざりしている民衆は多い。核兵器廃絶なども最たるもの。言い出しっぺがまず廃絶してはどうか。仮に米国がすべての核兵器を撤去した途端、何が起こるか。ロシアや中国は、どのような行動に出るだろうか。

 米国では個人の拳銃所持でさえ規制できない。核兵器をなくすことなど単なる建前の議論であることは見え透いている。だから本音のトランプ氏に共感する人々が予想以上に多かったのだ。

 予備選途中で、トランプ氏の対抗馬であったクルーズ上院議員がインディア州での予備選の結果を受けて撤退した。大統領本選は民主党のヒラリー氏との間で行われることが事実上決定した。

 それにしても、大富豪であっても政治家としての経験のないトランプ氏が、米国を率いることになった場合の不安はわが国をも覆う。直接的な経済的損得だけで物事を計るのは政治家ではない。しかし、トランプ氏は、日米安保の駐留米軍の費用は日本負担を求めるという。現在でもわが国は米国に思いやり予算諸々で1兆円近く負担しているらしいのだけれど、全額だと言っているらしい。それではお引き取り下さいとなり、日本駐留の米兵を自国の基地に転属させれば問題ないが、解雇すれば失業者が出る。それらは織り込み済みなのだろうか。

 米軍基地に反対している日本人は喜ぶだろう。お隣の中国などもこれで日本にさらにチョッカイ掛けやすくなると大いに喜ぶだろう。太平洋のパワーバランスが大きく変化する。グアムやハワイの基地が米軍のアジアの前線基地に変わる。

 一連の過激発言は、選挙のためのもので、大統領になればそこまではやらないだろうし、やれないだろうとは、一般の人の推測であるが、常識は通用しないかも知れない。わが国はトランプ氏とアジアの安全保障について徹底議論が必要となるが、自国は自国の軍隊で守るという原則に立ち返る良いチャンスではある。非核三原則は撤廃して、早急に核武装の必要が生じるであろう。

 誰が大統領になろうが、安全保障体制に空白期間は許されない。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその2

2016年05月04日 | ブログ
日本に田中角栄は必要か

 この命題は、文藝春秋5月号の対談記事の「日本には田中角栄が必要だ」を捩ったものだ。ロッキード事件から40年、世は角栄ブームだという。もっとも以前から歴代総理の人気投票などで角栄氏はトップにランクされていたように思う。

 ただ、田中角栄氏が自民党を牛耳っていた時代の空気の中で、企業の平社員で過ごしていた私などから見れば、褒められる存在とは今も思えない。

 確かに今太閤と云われた立身出世の人で、人情の機微に優れ、しかもコンピュータ付きブルドーザーと呼ばれるほど、数字に強く何といっても実行力があるように喧伝されていた。官僚づかいもうまいという評判であった。しかし、勉強の出来た秀才など賢いようで隙だらけで、人間力には案外乏しいから、壷を心得た角栄氏などからみれば返って御し易かったのではないか。それだけのものだ。

 功績として日中国交正常化があり、列島改造論で、新幹線網の拡充、高速道路、地方空港や港湾設備など国土のインフラ整備を提唱し実行したことがある。確かに国土のインフラ整備は重要であるが、その過程で政治家であるゆえに知り得た情報を元に、利権を得て、蓄財した部分があることは否定できないのではないか。時には野党の政治家にまで選挙資金を供与するほどのお金は、ロッキード疑惑は米国の罠であったにしても、自らが額に汗して得た労働の対価であったとは思えない。

 今またパナマ文書なるものが、世界の政治家を脅かしているけれど、国家リーダーの激務にはそれなりの報酬があって当然であり、必要以上の倹約生活を政治家に求めるのも逆差別ではあるけれど、税金ぐらいは真っ当うに払うべきだし、金権政治や地位を利用した蓄財は前近代的な政治様式である。

 日中国交正常化にしても、中国のわが国に対する足蹴にさえする態度からみて、けっしてそれを遂行した政治家に功績があったとは言えないように思う。尖閣問題にしても正常化交渉の際に、領土問題が存在することを認めるような発言を聞いたという有力政治家の陳述さえあり、火種を残した張本人ではないのか。

 人間は「棺を蓋(おお)うて事定まる」と云われるが、本人の力量は実は両親に負うところが大きい。実は本人の実相は子をみれば分かる。子は親の鏡とも言う。両親は選べず、生まれ落ちた境遇を許容するしかない。しかし、自身の子については伴侶の選び方から始まり自己の責任で定まる。自分は貧しても子には与えることはできる。命を削って育てることはできる。

 しかるに、総理になれなかった安倍晋太郎氏は今の晋三総理を育てたが、角栄氏は真紀子氏しか育てられなかった。

 またリーダーの値打ちはその後継者に見られる。角栄氏の派閥には竹下、羽田両元総理はじめ、小沢一郎氏、渡部恒三氏など多くの有力な政治家が居たが、結局何をやったか。竹下氏は田中派を乗っ取り、小沢氏などはその派閥を二分して自民党を飛び出し、二大政党制などと銘打って、権力の私物化を図り、民主党などというヌエのような政党に与して政権を取り、挙句どれだけの国益を失わせたか。未だ普天間基地移設は進まず、加えて残党は共産党と組んで安保法制を廃案になどと猛っている。

 小説家が何を書こうがフィクションであり、勝手だけれど、やっぱり現代のわが国に田中政治は要らない。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時事散歩Ⅴその1

2016年05月01日 | ブログ
大震災

 熊本でのダブルの震度7災害のことは連日テレビで大々的に報道されているので、大抵の人は私などより状況は詳しいのではないか。現地も見ず、論評するのは気が引けるけれど、重大ニュースを外すわけにもゆかない。

 熊本のことは、先にNHKの「ブラタモリ」でその地形や阿蘇山からの地下水脈、熊本城のことなど結構詳しく見せて貰っていたので、身近に感じていたことで、石垣さえ崩落し、清正天守閣の屋根瓦が散乱するさまは痛ましい限りであった。大きな橋が崩壊し、畑に亀裂を生じ、潤沢であった地下水が止まってしまった箇所もあり、温泉も出なくなった温泉場もあるらしい。相当の地殻変動があったのだ。

 被災した個々人の災難に変わることは無いが、全体として亡くなった方が阪神淡路と比べて100分の1程度で済んだことは、人口密度の差もあろうが、これまでの教訓がある程度活きていたように感じる。自衛隊の出動も阪神淡路と比べて格段にスムーズではなかったか。今回初めてオスプレイによる資材の空輸も行われたようだけれど、最新の備えが重要であることを物語っている。

 一方、週刊誌の見出しによれば、政府の激震災害への指定に時間がかかりすぎだとか、救援物資がだぶついた問題など、ここぞとばかりの安倍政権の批判もあるようだ。勿論指摘は指摘、反省は反省として項目を上げて後日のためにも検証の必要がある。政権に緩みがあったとするなら、政治の責任にはしかるべき追及もあってもいいけれど、突然の自然災害に神でない限り、全ての人々に得心のゆく行政の対応など不可能でもあろう。参議院選挙を睨んだ政争の具にするのは卑怯である。
 
 また、鹿児島県の川内原発は停止しろなど、ここぞとばかり持論を有利に展開しようとする方もおられるようだが、一義的な発想である。福島第一原発は地震の揺れで壊れたわけではない。熊本地方の復興にはしばらく相当のエネルギーが必要だ。原子力の力も大いに借る必要がある。原発を停止しても核燃料は存在しその危険があるとするなら、停止によって取り除かれるわけではない。

 それにしてもいつものことながら若者などのボランティア活動には頭が下がる。消防、警察、自衛隊など被災者救援対応の昼夜を問わぬ活動もありがたいことと思う。政権への批判はあっていいことではあるが、国民が行政の対応を何もかも当然と考え、またマスコミや反政権勢力が、庶民の国家への依存心ばかり煽るような言動は問題である。救済する側からは当然の行為も、国民一人一人はいずれの境遇にあっても自立する心根は失ってはならぬであろう。その意味で今回、被災した地元高校生などの救援物資などを避難所に配る活動など、今後の日本の希望に見えたものだ。

 以前、ある政党の「コンクリートから人へ」などという珍妙な選挙用キャッチフレーズがあったけれど、道路整備などインフラ設備の充実はこのような災害に備える意味でも重要であったのだ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする