中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

「現場力」再考 第10回

2019年10月28日 | ブログ
さびついた現場力

 2019.10.21号「日経ビジネス」の特集記事は「さびつく現場力」。日経ビジネスは2015年5月にも「日本の現場は強くない」という特集記事を組んでいる。中国やインド、東南アジアの国々の企業が日本的品質管理を学び、小集団活動や改善提案活動を取り入れ成果を上げているのに対して、バブル崩壊後のわが国では、それらの活動がマンネリ化してきたことに加え、それまでの日本的経営手法が否定され、短期業績評価など株主主導の管理経営が主流となった。団塊世代の退場で現場を支えてきた中堅層が細ったこともある。

 今回日経ビジネスは、まず昨今の大手製鉄所の火災等各種トラブル事例や大手企業のデータ改竄などの不祥事事例を上げ、この国の現場力が明らかに低下していると指摘する。その原因として危険で作業環境の悪い現場作業は、外国人に頼らねば成り立たなくなっている若手労働者不足の現実。それはものづくりの上流工程である設計部門にも及んでいること。

 そして、上場企業における株主の変化も要因としてあると指摘する。金融機関など安定株主中心から、外国人等もの言う株主が増え、短期志向の経営が目先の売上確保やコストダウンに走り、そのしわ寄せが現場の負担を増大させる。人件費の増加を抑えるべく、現場で働く従業員の4割は非正規社員で、挙句企業業績は上がり、内部留保や株式配当は増加しているが、従業員の所得は30年間横ばいのまま。現場の士気が上がるわけはない。

 一方アジアの企業では、わが国では当然のこととして重きを置かれていなかった5S活動を徹底する。改善提案活動を行い、従業員の意見を尊重することで士気を高め、製造業における生産性や品質管理もわが国に肉薄するようになっているという。

 『現場力とは、現場の自主的、自発的、自律的問題解決力です。現場自らが能動的に問題を見つけ、解決し、価値向上につなげます。・・・』遠藤功氏(ローランド・ベルガー日本法人会長)

 その現場力がこの国では「さびついて」しまった。現場力というと多くはものづくり現場を想い描くことが多いが、本稿(「現場力」再考)では今回、テレビドラマも借りていろいろな現場を論じてみた。

 わらわれ団塊世代と呼ばれる世代が大学への進学を迎えた時代、その進学率も上昇へのターニングポイントを迎えた。高度経済成長のお陰で、大学への進学率は上がったが、逆にものづくり現場を支える中堅層が細った。そして国家を支える官僚の現場力も最近頓に低下したのではないか。

 儲け第一主義の企業経営者の国家観も問題である。確かに稼ぐことで国民の胃袋を満たす使命は重要であるが、自由と人権、まじめに働く人々が報われる社会の継続こそ国家には重要である。経済人だから政治は知らないでは済まない。軍事大国を利するような当該国への投資や自由貿易は自制があって当然ではないか。

 現場の士気、現場力は、やはり政治・経済界のリーダーの器が左右しているのである。




 
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「現場力」再考 第9回

2019年10月25日 | ブログ
教育の現場

 この国の教育現場は、惨憺たる状況ではないか。児童・生徒同士のいじめを黙認するだけに留まらず、先生同士でいじめを行う。それも無視とか誹謗中傷的ないじめではなく、暴力的ないじめが横行していたというから呆れるほかない。そんなことは極々一部のことで、ほとんどはしっかりやっているよ。と言われるかも知れないが、人体にでも異様な吹き出ものが出来るということは、すでにその人に見えない病魔が潜んでいるからではないか。

 学校の先生は、地元の有力者等に縁故などがないと狭き門らしい。昔の話ではあるが、甥っ子が国立大学の教育学部を出たが弾かれた。先生に成れず仕舞いだった。そんなことをしているから碌でもないのが先生となる。教え子に対するわいせつ行為なども年々増加し、兎に角学校そのものが信じられないエリアとなって久しい。

 これにモンスターペアレントが参戦する。まじめな先生にも住みにくい現場なのだ。教育現場の荒廃は今に始まったことでもないが、問題があっても可能な限り世間から隠し続ける風土が、時代を跨ぎ改善されない根幹だ。校長など責任者が、自ら身を切る覚悟で事に当たれば、歯止めが掛かると思うが、皆自分の立場を守ることに汲々とする。無難に勤めを終えて、町の教育長などおいしいポストにありつきたいのか。

 国には文部科学省などという立派な名前の行政機関があるが、このトップになる政治家に子供の頃から公立の小中学校で、勤勉刻苦してきた人物が選ばれ続けているようには見えない。大臣待機組から当該大臣を選ぶようでは駄目だ。自分様ファーストのような人物では、本当の教育行政などできるわけなどない。

 若かりし頃、町の体育協会の役員やスポーツ少年団指導員をやったが、仲間の中学の先生がいつも学校の先生仲間のいい加減さを嘆いていた。教育現場の荒廃の歴史は長いのである。平和が続くということは非常にありがたいことだけれど、その陰で既得権者の利権の温存志向が腐敗を生む。人材が真っ当に評価されず、当たり障りのない人物が政治から教育現場まで蔓延り、時代に適う改善改革を遠ざける。

 私立の中高一貫校や一流大学への進学は塾任せで、教師はマニュアルに沿った授業と部活指導で成果を上げれば上々という現場風土を醸しているのではかろうか。

 本来教育とは、師がそこに居るだけで、導かれる雰囲気が必要である。知識や技能の伝承は当然に必要だが、それを通じた人間性の陶冶が必要なのである。

 昔から政治家は頭など悪くていい、優秀な官僚をどうのように活かして使うか、所謂ヒューマンスキルに長けておれば良い様な言われ方を聞いていたが、学生時代に碌に勉強もせずに親の遺産で政治家となり、要領だけで処しているような輩が権力を握るから、国家にとって最重要な教育行政の「現場力」は劣化の一途を辿るのではないか。



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「現場力」再考 第8回

2019年10月22日 | ブログ
軍隊における現場力

 世界の軍事力は、現在米国がダントツで、ロシア、中国(中共)と続く。わが国は続くインド、フランスに次ぎ、韓国(7位)、英国(8位)、ドイツ(10位)、イタリア(11位)などを抑えて6位にランクイン。ヨーロッパ勢はNATO軍があって国別の軍事力は大きくなくても良いのだろうけれど、フランスなど昔ドイツに相当苛められてきたトラウマからか原爆も早期に装備している。

 インドは中共(中国共産党)と国境を接しており、日本以上に軍事力に予算を割いているようだ。わが国は地続きでないにせよ、中共、ロシア、北朝鮮、今や韓国も含めならずもの国家に囲まれている関係上相応の軍事力は必要である。

 中共や北朝鮮は機会を捉え、その軍事力を誇示して止まないが、その軍隊の現場力には疑問符が付くと言われている。現場力はなくとも、いざとなれば核弾頭ミサイルを米国までも打ち込む力が中共にはありそうで、このような国が国連の安全保障理事会の常任理事国なのだから、まとまるものもまとまるわけはない。

 しかし、今更ここから中共を外せば、何を仕出かすか分からないからそっとしている雰囲気がある。もともと第二次世界大戦の戦勝国としては、現在の中華民国(台湾)にその権利があったが、圧倒的な人口を有する中共が乗っ取ったわけだ。先進諸国は自国の経済発展のため中国市場が欲しかっただけ。その先進国政財界人の現在も続く慾得のつけが現在この世界を暗く覆っているように思えてならない。

 さて中共軍の現場力だが、最近太平洋制圧のためロシアから中古の空母を譲り受け、自前でも建造したようだが、航空母艦を主力とする艦隊の運用は、過去にも実績はない。艦隊の運用実績があるのは、昔のスペイン、英国、ロシア、太平洋戦争時の米国、日本である。

 潜水艦も中共や南北朝鮮は持っているようだが、こちらも現実の戦争での運用実績はない。その点でもわが国の海上自衛隊の部隊は、米国軍から同盟国として大いに頼りにされているところがあるが、現在の安倍政権は財界に阿って、中共、米国を相手にこうもり外交を続けている。中共や韓国が何を言おうが、総理大臣なら年1回くらいは靖国参拝をして世界に自由と人権、国家を守る強い意思をアピールしないといけない。お国のために命を落とした先輩諸氏に恥ずかしくないのだろうか。靖国参拝しないなら首相を辞めるべきだ。

 いくら装備が立派でもそれを運用する現場の能力が不十分であれば、軍備は張子の虎に終わる。その為のたゆまない訓練は当然に必要だが、軍人にこの国のためなら命を賭してという強い使命感がなければ、実戦において軍隊組織は機能しない。トップの口先だけの曖昧さは、士気を削ぐだけはないのか。




 
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「現場力」再考 第7回

2019年10月19日 | ブログ
研究開発の現場力

 今年のノーベル化学賞には旭化成の吉野彰さん(71歳)の受賞が決定した。企業マンとしては島津製作所の田中耕一さん(1959- )以来とのこと。日本人27人目の快挙。日本はアジアの国としてはダントツのノーベル賞受賞数である。

 吉野さんは「旭化成の社員家族が喜んでくれれば嬉しい」のような話もされていたが、関係者だけでなく日本人誰もが誇りに思い嬉しい受賞である。

 ただ、ノーベル賞は成果を出した時期と受賞までに時差が大きく、今後も継続して受賞者を出すには、現在の研究体制なり若い研究者の才能・努力が問われるわけで、近い将来には、これまでほど科学分野で日本人受賞者は出ないのではないかとの懸念が広がっている。

 ひとつに研究者の数。大学で博士課程まで進学する者の数が減っているという。博士課程まで進んでも就職にはあまり有利にならず、企業の研究所では理工系大学の修士課程で十分だという認識は50年前から変わっていないように思う。

 国別の科学技術力を比較する時、研究者が学会などに投稿する論文を他の研究者がどの程度引用しているかを指標にするらしい。論文引用数の上位研究者数の2014年と2018年の比較で、上位国は米国、英国、中国、ドイツ、オーストラリア、オランダと続くが、日本は2014年のドイツに次ぐ5位から2018年12位まで転落している。(日経ビジネス2019.10.07号)

 しかし、主要国の研究開発費の比較でみると、確かに米国、中国が急速に増加させて、わが国に水を開けているが、日本は年々微増ながら中国に次ぐ3位で、同じく微増のドイツもフランスも英国さえも継続して上回っている。

 最近、わが国の研究機関のノーベル賞受賞者の先生方から、日本では研究投資が少なく、若い研究者を養えず、頭脳流出もあり、その点でも将来の展望に期待が持てないとの発言を聞く。しかし、世界で米国、中国に次ぐ研究開発費を投資していることも事実で、英国やドイツ、オーストラリアなどに負ける言い訳が立たない。

 どこの国も同じあろうけれど国家予算をどのように使うか。各種団体の分捕り合戦が毎年行われており、医師会は医師不足を言い立て、弁護士会はその育成システムを維持しようと画策する。科学技術分野の団体だって、科学立国日本の維持にと予算獲得に奔走する。

 確かに何を成すにも先立つものは必要である。しかし、私の企業時代の研究所勤務時の経験からすれば、潤沢にお金が回れば実験担当者まで贅沢となる。私が勤務した研究室など最低限の費用で研究をやっていた。個人で言えば、業務に使う電卓なども自分で買った物で、残業はあまりなく、明日の実験条件や構想は、退社後も2、6時中考えていたものだった。関連プラントが稼働しても当該工場に出張にも行かせて貰えなかった。

 しかし、私の当時の直接の上司は、研究成果でその後紫綬褒章を受けた(2004年)。旭化成のこの度のノーベル賞受賞吉野彰さんの紫綬褒章と同時期である。

 研究開発費用も使いようである。少ない費用で大きな成果。それが研究活動の現場力である。




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「現場力」再考 第6回

2019年10月16日 | ブログ
テレビドラマに見る現場2

 テレビドラマに現れる現場は刑事ものばかりではない。企業の現場も描かれる。企業における中小企業などの現場における職人さんの活躍もあろうが、興味があるのは人事の現場。秋の新連ドラである「同期のサクラ」(日テレ)の一回目を観た。

 大手ゼネコンに入社した親入社員の研修が描かれる。この頃の大手企業の経営者は、定期採用という日本的人材採用方式を悪く言うことが多いような印象があるが、このようなドラマを観ると、入社式があり、新人研修があり、「定期採用」も良いではないかと確信する。もっともこの物語は10年前から始まる。

 何でも日本式を批判する経営者には薄っぺらのが多い。政治を批判するなら結構だけれど。「会社は株主のもの」という風潮が高まれば、「会社は当然株主のものだ」と言い、M&Aによる拡大戦略が蔓延れば、これに乗り遅れまいと頑張る。多様性人材と聞けば敵国である韓国人でも中国人でも採用する。特に日本に居る中国人は全員スパイと考えた方がいいだろう。中国共産党のひも付きである。自分たちがそうしているから、時々仕事で訪中している日本人をスパイ容疑で拘束したりする。スパイを採用するのは背任行為である。英語力が必要となれば社内公用語を「英語」だと言い出す。

 新人研修後には配属辞令が出る。このドラマでは人事部長の役に椎名桔平さん。適役である。良い雰囲気を出している。果たして善人役か悪役かはまだ分からないけれど、主人公である田舎者で空気を読まない変わり者の北野桜(高畑充希さん)の採用を決めた張本人らしい。どこが気に入って採用したのか今後説明されるのであろう。

 「企業は人なり」とは言い古された言葉だけれど、その通りと思う。大企業にあっても従業員一人一人の活躍の総和が業績となる。だから採用や配属・配転に責任を持つ人事の責任者の器は重大である。もっともその上の連中、例えば社長の器の肝心な部分が欠損していると人事担当重役も似たような欠陥人材が登用されてしまう。

 新規事業などに当該事業関連企業からの退職者を中途採用したりするケースがあるが、採用人材から人事担当責任者の器が見える。その人の好ましいと診た人物がその人の器を映し出す。

 ドラマの新人研修は、5名でチームを組んで課題に挑戦する。チームプレーはうまくすれば相乗効果を生む。同期の仲間が議論し、時に反発しながらも支え合い、一つの目標に向かって融合したチームの能力は、個人の能力の単純総和をはるかに超えてゆく。同様のことは配属先の職場でも生じる。それが日本式経営術の真骨頂であったのだ。

 現在日本で繰り広げられているラグビーワールドカップの日本チームの快進撃を見れば、経済の強かった時代の日本企業の姿とダブルではないか。ラグビーは最も戦略的なスポーツだと聞く。監督、コーチが描く戦略を受け止めて実現できる選手の能力はまさに現場力だ。現在の日本の多くの経営者が忘れていたものが、そこにはあるのではないか。


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「現場力」再考 第5回

2019年10月13日 | ブログ
テレビドラマに見る現場

 テレビドラマには刑事ものというか、そうでなくとも刑事が活躍するドラマが多い。安定的な視聴率が取れるのだろう。庶民は時代を超えて正義の味方が大好きである。

 1997年、フジテレビで「踊る大捜査線」という織田裕二さん主演のドラマがあった。人気を博し、映画化もされた。織田裕二さん演じる青島刑事の「事件は会議室で起きてるんじゃない!現場で起きてるんだ!!」という名セリフが残っている。

 お茶の間を席巻したドリフターズのリーダーでもあったいかりや長介さんが俳優としてのファン層を増やし『踊る大捜査線 THE MOVIE』では、第22回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を受賞している。彼が演じた和久平八郎という刑事の「俺たち所轄はなあ、あんた達が大理石の階段昇っている時、地べた這いずり回ってるんだ!」というセリフもあった。

 ついでに青島刑事の長セリフも入れる。「いいか、よーく覚えとけよ 、パパが偉いからってな何やっても許されると思うな。許してくれるのはなパパのお友達だけだ。俺たち現場の人間は違う。パパが官僚だろうがな。女を力づくで傷つけるような奴は俺たちがトコトン 追い詰める!お前みたいな奴に傷つけられて何年も苦しんでる女がいるのをしってるか?俺たちは区別しねぇぞ!そこまで計算して生きてないからな。」

 刑事ものでは、警察のキャリア官僚と現場刑事の相克が描かれることも多い。出世のために政治家や国家官僚に忖度し、場合によっては事件から現場刑事の手を引かせたりする。それに反発して職を賭して犯人逮捕に邁進する刑事たちの姿に庶民は喝采を送る。

 「国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。」「政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を恢復出来る。」と続く。三島由紀夫檄文より。

 デモに対する香港政府の対応では、人民解放軍出動を招きかねない。誰から何処から人民を解放するのか。人民の権利を縛りこそすれ解放などしそうにない軍隊は、直訳なのかどうかこの国のマスコミ等では中国共産党軍を未だにそう呼んでいる。

 話を戻して、刑事ドラマのような警察の上層部のキャリアが、政治家などに媚びて現場の権限を制限するようなことが現実にあるなら、本来大問題で、無いことを祈るが、全くないのならドラマにも成りはしない。

 企業にあっても経営者がその権限を悪用して私腹を肥やす、経営者でなくとも業務上横領や業者からの接待で、会社に損害を与えるような事件は間々ある。経営者も現場も己の責任と、業務に常に真摯に向き合わないといけない。

 上司に刃向っての正義面は、部下に非があることも多い。安易な命令、感情的な反抗など上下に関わらず注意が必要である。組織の指示命令系統を壊すことのない上意下達、意見具申こそ現場力の真骨頂である。


ドラマのセリフは「NAVERまとめ」から引用しました。
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「現場力」再考 第4回

2019年10月10日 | ブログ
政治の現場力

 現在の安倍政権は、表面上リベラル的な振る舞いで民衆を納得させてはいるが、一般人の分かり難いところでは非常に資本家の立場で政治を行っている。今回の消費税増税は、民主党野田政権の時に決まっていたことで、安倍さんの罪でもないが、第二次安倍政権になって、大企業向けにはいろんな名目で減税をし続けている。勿論グローバルな企業間競争には税金の高さは逆風となるという理由が付く。

 しかし、アベノミクスの開始から日銀の異次元緩和によって、法人企業統計で、その純利益は35兆円程度から60兆円以上(日経ビジネス2019.10.07号)まで、うなぎのぼりに膨らんでいるが、その間従業員の実質所得は減りこそすれ上がっていない。政府がいくら景気は良くなったと宣伝しても庶民にはその実感がないわけで、これはもう企業が儲けを従業員に全く還元していないことに他ならない。全くもって「論語と算盤」の渋沢栄一精神の真逆をゆく政策で、お金が回らないから当然デフレ解消どころか、庶民にとっては不況が続いているのだ。分かりやすく言えば格差拡大。もっとも好景気に踊って贅沢する庶民の出現を良しと言うわけではない。

 読売新聞の橋本五郎氏など、消費税増税を決めた当時の野田首相を、「庶民が嫌がる増税でも、必要な以上進めるのは政治家として勇気がいること」と評価していたのをテレビで聞いて非常に違和感を持ったものだった。使い放題にして、増税する政治が評価されるなら政治家など楽なものである。

 確かに社会保障費が膨らんでいることは解かりやすい。しかし、医療という独占業種が、皆保険を質に、医師免許を持てばそれなりに贅沢な暮らしができることを保障しているに過ぎない。しかもいつの間にか介護保険制度成るものまで作り、老人を質に国家予算と庶民から吸い取る仕組みを作る。

 だから消費税増税と言うけれど、それならなぜ苦しい台所事情の中で法人減税は続けるのか。言い訳は分かっているけれど、軍事超大国にまで膨張した中国とは米国の意向に逆らっても関係を続けることと同様、すべて財界の意向のまま。

 なぜ、そういう庶民を欺く政治が続いているかといえば、政治の現場を司る官僚が保身のための忖度ばかりに留意して、国民を向いていないからではないか。その意味でこの国の現場力は非常に低下していると言わざるを得ず、国民の心根まで含めた過去の遺産がいつまで持つものか気がかりでならない。



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「現場力」再考 第3回

2019年10月07日 | ブログ
初動と現場

 「現場」と一括りに言っても現場は、あらゆるスチュエーションを想定すれば無数にある。山梨県に複数の家族でキャンプに来ていた千葉県の小学一年生の女子児童が行方不明になった事件。自衛隊も出動した捜索は2週間を経て何の手がかりもないようだ。このような捜索の現場も「現場」である。

 思い出すのが昨年8月、山口県の周防大島で不明となった2歳男児を救出したスーパーボランティアの尾畠春夫さん(79歳)のこと。組織だった捜索ではなく、自身の経験と勘から幼児の行動を推測し、みごと捜索参加30分で無事救出した。

 今回の行方不明も、当初単なる道に迷ったためのものと考えられたが、これだけ探して何も出ないということは、誰かに連れ去らえた拉致誘拐の可能性も論議されるに至っているようだ。

 どんな事件や災害にしても初動が非常に大切で、火災拡大を阻止する、消火器等による初期消火訓練は防災の基本のキである。

 今回の捜索では、「早期に自衛隊の導入が必要ではなかったか」などの意見もあったようだが、自衛隊の本分からは大きく外れることで、ない物ねだりだと思う。災害救助犬などによる捜索でも発見できなかったらしいが、警察犬の出動はできなかたのか。

 初動といえば、今回の台風15号の大災害に対して、国(官邸)も県も対応が不十分。テレビなどの報道機関の対応も、安部官邸の内閣改造を面白おかしく報道することを優先して、後で顰蹙をかっていた。大地震、堤防決壊や土石流などの水害被害に比べ、風の被害、それも竜巻などの局地的であれ劇的な爪痕を残す災害と比べると地味で、広範囲の長期に亘る停電も離れた所に住む人に痛みは伝わり難い災害ではある。

 我が家に入っている新聞など、自治体の対応の鈍さを大きく伝え、官邸批判は押さえる。グループ会長がどこかの大使に登用されるくらいだからしょうがない。お陰で千葉県知事は針のムシロではなかったか。森田知事はやることはやったと抗弁するが、長期間の停電に県が保有する非常用発電機など半数が活用されていなかったなど指摘され、「要請がなかった」ではさみしい。しかし、官邸は地元行政機関をスケープゴートに、首相などは大好きな外交三昧である。

 東国原さんが宮崎県知事に就任直前に発生した鳥インフルエンザに早々に的確に対応したことで、男を上げたが、トップリーダーは不測の事態にも対応してこそ評価される。災害はこの頃では忘れる前にやって来る。

 昔のトップリーダーは、所謂「お殿様」で良かった。実力ある補佐官がまさに現場力で周辺を固めた。この頃の取り巻きは、味方ばかりとは限らない。リーダー自身が常に緊張感を持って仕事を継続しなければならない。緩みは退任の潮時であろう。

 マスコミまで手中に抑える首相の下では、誰もが生贄にされる危険を孕んでいる。




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「現場力」再考 第2回

2019年10月04日 | ブログ
現場力衰退の要因

 今の政権もそうだが、財界の上層部の連中も昭和の時代の遺産で食っているところがある。昭和からではなく、文化面も加えれば室町時代、否、万葉の時代の頃からの遺産と言うべきかも知れない。

 日経ビジネスに「日本の現場は強くない」という特集号が出たのは2015年だったが、品質管理学会の会報ではすでに2009年頃、アジア企業の従業員が一生懸命日本の品質経営を学んでいる姿を伝え、一方わが国ではゆとり教育で、しばらく「統計分野」が教育指導要領から消えていたことなどを指摘し、日本の若者が相応の教育を受けておらず、現場の品質管理を指導できる人材が居ないと危機感を強めている様を報じていたものだ。

 1980年代英国、1990年には米国で日本発のTQCの考え方を小中学校の教育現場に導入し、児童・生徒が自分で課題を見つけ、それを統計的手法によって自分たちで解決してゆくなどの教育が行われ始めて久しかったのだ。

 そしてわが国では、2012年日経新聞などで大学生の4分の1は「平均」の意味さえ理解していないという驚きの現状を記事にしていた。

 バブル崩壊後のわが国では、銀行の不良債権処理のため、企業経営の徹底した合理化志向で株主主導経営に大きく舵を切り、米国風経営である短期業績評価、そしてM&Aという安易な拡大戦略を取り入れ、日本的経営は見捨てられた。特に一般社員などへの教育は後回しにされたというより捨て置かれたのではないか。

 気が付けば、この国の企業では現在、非正規と呼ばれる社員が4割にのぼり、正社員さえその多くが管理職になりたくない、さらに向上心を亡くし、自身で啓蒙する自己への教育投資を怠るようになっているという。外国の人達の仕事への熱意は日本人より遥かに高いという。この先の競争力において負けは必至の状況ではないか。

 長年に渡って培われた日本人の仕事への取り組みや、勤勉さが全世代で急に消える訳はないから、政治家の質が落ち、財界人の心根が短期業績に囚われようと、急に凋落するわけではないが、明らかに下降へのターニングポイントは超えているのではなかろうか。

 中国との関係が「正常な状態になった」などという政権中枢の政治家のコメントなどを聞き、来春には習近平を国賓で招くなど誰も批判しないこの国は、一体どうなることかと不安に駆られる。その中国の建国70周年の軍事パレードを報道するテレビなどのコメンテーターも、このような軍事大国にすり寄り続ける政府や財界を誰も批判しない。彼らの最新鋭の核弾頭長距離ミサイルはじめその軍備だって、他国のKnow Howを盗み産業を興隆し、自由貿易で稼いだ金が資金源だ。

 ウイグル、香港、台湾そして尖閣、その頃には自分は総理ではないから、現在の野党議員さえ国会議員でもないならいいのであろうか。そんなアホで無責任な政治家やら経営者の下で働く従業員の現場力が下がりこそすれ上がるわけはないだろう。



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「現場力」再考 第1回

2019年10月01日 | ブログ
働き方改革

 政府の「働き方改革」の方針が打ち出された折、これは本来企業の「働かせ方改革」ではないのかと思ったものだ。農業や漁業または自由業など、自分で自身を管理する、また管理し得る働き人ならいざ知らず、勤め人は建前上会社や上司の裁量によって労働を行っており、働き方を改善しましょうと言われても、「上に言ってよ」の筈である。

 ただ、「働き方」というフレーズが企業労働者にも響くのは、いつの間にか権限が委譲され、残業なども労働者の裁量で行っているからであろうと思う。職場の残業管理は中間管理職の悩みの種でもあり続けていたのだ。

 企業内でパラハラと言えば、上司から部下へが一般的だが、一般職の部下の集まりが職場の実務を取り仕切り、横滑り人事の彼らの上司であるキャリア社員は、部下の意向に逆らい難い職場が現出したりする。キャリア社員は、部下とのトラブルで経歴に傷を付けたくないが、一般職の部下はどうせ出世とは無縁の立場だ。逆パラハラが暗黙の裡に成立する場合がある。

 人事権を持つ上司は、職場の癌細胞を摘出すれば良いのだが、大企業では簡単に社員を馘首できないから人事課等と連携して配転となるが、そのような社員の受け入れ先がなかなか見つからないことが多い。どこの職場も問題社員は受け入れたくない。

 そこで、工場の中には吹き溜まりのような職場が出る。懲りない社員は転出元の上司の悪口などほざいて正当化するけれど、そのような社員の多くなった企業は衰退する。救済合併などの大手術しか手はない。

 横並び査定で、良い社員も普通の社員も悪い社員も待遇がほとんど変わらず、残業が多いか少ないかで手取りに大きな差が出るだけの給与システムも問題だ。

 そんなことを続けているから、この国の労働生産性は先進国中では最低グループで、これでは世界の中で見てくれが悪いと、政府が残業はなるべく止めて早く帰るようにしましょうなどと言わなくてはならないまでになった。一方労働者団体は政府施策で残業が減って所得が落ちたと文句を言う。

 以前、この国の企業でTQC(現在はTQMと言う)花盛りの頃は、現場力が高いと評判だった。現場力が本当に高ければ、労働生産性も高くなければいけないと思うけれど、現場力を高めるために一般職社員にまでなし崩し的に権限を委譲してしまったからおかしいことになった。この国の人口が増えていた時代には、現場力の高さが、労働生産性の低さをカバーしておつりが来たが、低成長時代ではそうは行かない。

 人手不足と言いながら労働者の実質所得は増えず、それが当たり前となって久しい。抜本的解決策として、消費税増税が庶民の生活を直撃する中、どこかのIT企業のように、1兆円規模の利益を出しながら欠損金を計上して法人税を免れるような企業は解体すべきところから始めなくてはならない。




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