姿三四郎
この小説*19)を読むのは何度目であろうか。高校2年生の折に古本屋で文庫本を入手して、中間テストか本試験で練習が休みの期間に読んだのが最初だった。試験終了後の練習では少し強くなったような気分がしたものだ。
全体の構成は、「序の章」に始まり「落花の章」で終わる全19章(上巻10章、下巻9章)より成るが、前4章に姿三四郎は登場しない。ここまでの主役は、嘉納治五郎をモデルとした矢野正五郎である。高校時代に入手した文庫本は5章「卷雲の章」から始まり全1冊にまとまり、矢野正五郎主役部分はなかった。
東京オリンピックの年(昭和39年)、テレビドラマの「柔」が大ヒットとなり、主題歌であった美空ひばりの「柔」*20)は翌年の日本レコード大賞(1965年第7回)とまでなったが、ドラマの主人公は矢野正五郎であり、小説「姿三四郎」の前段と登場人物は重なる(姿三四郎の作者富田常雄*21)の「柔」が原作であったとのこと)。
姿三四郎は、何度もテレビドラマ化され、歌にも歌われたので、われわれ世代の多くはある程度内容を知っているのではないかと思う。庶民に愛された武人を描いた小説として、吉川英治の「宮本武蔵」と双璧ではなかろうか。黒沢明の映画監督デビュー作(昭和18年)がこの姿三四郎でもあった。
姿三四郎は、匕首で迫るヤクザ者との争いに始まり、柔術家との決闘、米人拳闘家とはリング上で、唐手との死闘、一刀流免許皆伝の刺客、清国の手裏剣を操る忍者もどきの間諜との格闘など、今に云う数々の異種格闘技戦を戦いぬく。まさに実戦柔道を地で行く主人公の活躍を描いているけれど、その闘争シーンの描写の見事なことが、単なる創作の域を超え、読者に現実感を与えている。さらに読者は、彼を憎悪し殺そうとさえする敵に勝利しても恨むことなく、敗者に寄り添う主人公に、日本武道の精神を感じて共感するのである。勝ち負けを目的としない求道精神の高邁さが物語に深みを与えている。
時は、明治20年前後~講道館柔道もわが国新政府も黎明期、文明開化、富国強兵の時代。
『支那に対する諸外国、殊に欧州諸国の清国に対する利権争いは英国がその尖端を切ったものである。
英国は東洋侵略に於いて最も早くから着手し、香港を略奪してから着々歩を進め、各港における利権を占めたばかりではなく、支那の中央たる揚子江の権力をも占めようとし、又、印度(インド)から延長した鉄道は追々ビルマを経て支那の四川雲南に隣接することを計画している。蓋(けだ)し、英国の今日支那に対する政略は、実に清国政府を援助し、交際を厚くし、それに依って露西亜(ロシア)を防ぎ、東洋に於ける権力を保持しようとするにあることは十目の見るところである。だが、もし油断すれば将来印度の覆轍を踏むに至るべきは測るべからざるものがある。・・・
露西亜に至って、その雄図を展べようとする方略は日に急であり、最も恐るべきものがある。中央亜細亜(アジア)は大半その有に帰し、一方、アフガニスタンを越えて印度を衝こうとし、一方、支那の新疆(しんきょう)、蒙古、満州、それに朝鮮と境を接し、これを略取して遂に支那本部に入る計画は日々歩を進めている。シベリア鉄道は近く黒竜江を経て浦塩斯徳(ウラジオストック)に連接するだろうし、中央亜細亜鉄道は数年ならず新疆に達するだろう。かくすれば、露西亜が大兵を出して支那に入ることは容易であり、現在の清国の兵備ではとても防御できるものではないのである。・・・』(姿三四郎/愛染の章より)
まさに西洋列強によってアジア諸国は植民地と化し、支那さえ虫食いのようになっていた時代背景が小説には綴られている。
姿三四郎の時代から約125年。中国の台頭によって攻守所を変えた感があるだけで、世界に紛争の種は尽きない。国家に国防の備えが必要であることは論を待たないが、わが国は高い経済力と共に、武道精神など奥深い精神文化を維持することが肝要であることは時代を超えて普遍である。
*19)小説「姿三四郎」(作者:富田常雄)初出は、1942年から45年にかけて出版されたとある。本稿は昭和45年株式会社講談社から出版された単行本上下巻を参考にしています。
*20)日本コロンビア1974年11月、作詞:関沢新一、作曲:古賀政男
*21) 富田常雄(1904-1967):講道館四天王最古参、富田常次郎(七段)の次男。直木賞作家。講道館柔道五段。byウキペディア
この小説*19)を読むのは何度目であろうか。高校2年生の折に古本屋で文庫本を入手して、中間テストか本試験で練習が休みの期間に読んだのが最初だった。試験終了後の練習では少し強くなったような気分がしたものだ。
全体の構成は、「序の章」に始まり「落花の章」で終わる全19章(上巻10章、下巻9章)より成るが、前4章に姿三四郎は登場しない。ここまでの主役は、嘉納治五郎をモデルとした矢野正五郎である。高校時代に入手した文庫本は5章「卷雲の章」から始まり全1冊にまとまり、矢野正五郎主役部分はなかった。
東京オリンピックの年(昭和39年)、テレビドラマの「柔」が大ヒットとなり、主題歌であった美空ひばりの「柔」*20)は翌年の日本レコード大賞(1965年第7回)とまでなったが、ドラマの主人公は矢野正五郎であり、小説「姿三四郎」の前段と登場人物は重なる(姿三四郎の作者富田常雄*21)の「柔」が原作であったとのこと)。
姿三四郎は、何度もテレビドラマ化され、歌にも歌われたので、われわれ世代の多くはある程度内容を知っているのではないかと思う。庶民に愛された武人を描いた小説として、吉川英治の「宮本武蔵」と双璧ではなかろうか。黒沢明の映画監督デビュー作(昭和18年)がこの姿三四郎でもあった。
姿三四郎は、匕首で迫るヤクザ者との争いに始まり、柔術家との決闘、米人拳闘家とはリング上で、唐手との死闘、一刀流免許皆伝の刺客、清国の手裏剣を操る忍者もどきの間諜との格闘など、今に云う数々の異種格闘技戦を戦いぬく。まさに実戦柔道を地で行く主人公の活躍を描いているけれど、その闘争シーンの描写の見事なことが、単なる創作の域を超え、読者に現実感を与えている。さらに読者は、彼を憎悪し殺そうとさえする敵に勝利しても恨むことなく、敗者に寄り添う主人公に、日本武道の精神を感じて共感するのである。勝ち負けを目的としない求道精神の高邁さが物語に深みを与えている。
時は、明治20年前後~講道館柔道もわが国新政府も黎明期、文明開化、富国強兵の時代。
『支那に対する諸外国、殊に欧州諸国の清国に対する利権争いは英国がその尖端を切ったものである。
英国は東洋侵略に於いて最も早くから着手し、香港を略奪してから着々歩を進め、各港における利権を占めたばかりではなく、支那の中央たる揚子江の権力をも占めようとし、又、印度(インド)から延長した鉄道は追々ビルマを経て支那の四川雲南に隣接することを計画している。蓋(けだ)し、英国の今日支那に対する政略は、実に清国政府を援助し、交際を厚くし、それに依って露西亜(ロシア)を防ぎ、東洋に於ける権力を保持しようとするにあることは十目の見るところである。だが、もし油断すれば将来印度の覆轍を踏むに至るべきは測るべからざるものがある。・・・
露西亜に至って、その雄図を展べようとする方略は日に急であり、最も恐るべきものがある。中央亜細亜(アジア)は大半その有に帰し、一方、アフガニスタンを越えて印度を衝こうとし、一方、支那の新疆(しんきょう)、蒙古、満州、それに朝鮮と境を接し、これを略取して遂に支那本部に入る計画は日々歩を進めている。シベリア鉄道は近く黒竜江を経て浦塩斯徳(ウラジオストック)に連接するだろうし、中央亜細亜鉄道は数年ならず新疆に達するだろう。かくすれば、露西亜が大兵を出して支那に入ることは容易であり、現在の清国の兵備ではとても防御できるものではないのである。・・・』(姿三四郎/愛染の章より)
まさに西洋列強によってアジア諸国は植民地と化し、支那さえ虫食いのようになっていた時代背景が小説には綴られている。
姿三四郎の時代から約125年。中国の台頭によって攻守所を変えた感があるだけで、世界に紛争の種は尽きない。国家に国防の備えが必要であることは論を待たないが、わが国は高い経済力と共に、武道精神など奥深い精神文化を維持することが肝要であることは時代を超えて普遍である。
*19)小説「姿三四郎」(作者:富田常雄)初出は、1942年から45年にかけて出版されたとある。本稿は昭和45年株式会社講談社から出版された単行本上下巻を参考にしています。
*20)日本コロンビア1974年11月、作詞:関沢新一、作曲:古賀政男
*21) 富田常雄(1904-1967):講道館四天王最古参、富田常次郎(七段)の次男。直木賞作家。講道館柔道五段。byウキペディア