中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

テレビ散歩Ⅱ その10

2017年12月28日 | ブログ
「ブラタモリ」

 「ブラタモリ」が始まった頃は、まだフジテレビの「笑っていいとも」があった頃で、タモリさんの都合上東京都内か横浜あたりの散策に限られていたようだ。当時のアシスタントの女子アナ(久保田アナ)は結構長くタモリさんのお相手をしていたように感じていたが、いつの間にか時は流れ、すでに結婚されて子供さんも居るそうだ。女性の20代半ばからの10年は人生の一大転機であろうが、視聴者の60歳からの10年など、死なずに生きていた程度のものだ。

 「笑っていいとも」が終わって、全国各地を巡るようになり2代目アシスタント(桑子アナ)に継がれていた。彼女は、いつの間にかタモリさんを御すようになっていたが、1年間で卒業、その後結婚もされ、NHK主要番組のキャスターとして活躍されているようだ。

 3代目(近江アナ)の方は、若くて素直な感じでこの方も評判がいい。物知りのタモリさんの脇で良い引き立て役にもなっている。若い女性はそこに居るだけで爽やかである。

 単なる旅番組は民放も加えて多いのだけれど、地質そしてそこから生み出された地形が産業や歴史に与えた影響を考察する番組は多くない。地質・地形は億年単位で、また江戸期くらいからは人の移動、街の変遷。数百年の時を経てもその痕跡を残す。

 地方地方に、その土地の成り立ちや歴史、地質などを長く研究している博物館などの学術員と呼ばれる方や学校の先生などがおられる。彼らは別にテレビになど登場したくて、その研究を続けて来たわけではなかろうが、人知れず地味な分野に貢献されている人々に、一時的であれスポットライトが当たるのも心地よい。登場する方々は、非常に魅力的で良い方ばかりのように見受ける。

 高校一年生の時に「人文地理」という教科があった。その先生は「人文地理」を「ヒューマン・ジオグラフィー」と言うのが口癖で、この英語がすっかり頭にこびり付いている。50代も半ば、昔気質の気難しい雰囲気のしかし学者の風格を持った先生で、校内の図書館長でもあった。ブラタモリを見るとこの先生を思い出す。

 川があり、平野があれば人が住み畑を耕し、水を引いて田を潤す。穀物の収穫の多寡で権力者を生み、交易のため道が出来、利権を守るために武力を持つ。治水、用水、水運は為政者の一大事業であった。当時のそれらの痕跡が、都市化された現代にも残っている様をブラタモリは紐解く。

 坂道があり、段差があり、湖沼がある。太古から続くプレートの移動、火山活動、そこに地質の異なりがある。理科という科目で習った物理、化学、生物、地学など。その中で現代社会の産業発展には比較的関与の薄い学問であろう地学もブラタモリのテーマである。火山活動によってできた地層なのか、海底からの隆起によるものか。

 中学2年生の時の担任は理科の先生だった。理科も好きな科目になり、中間テストや期末テストで、9科目の得点が800点を超えるようになった。ブラタモリにはそんな思い出もついてくる。





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テレビ散歩Ⅱ その9

2017年12月25日 | ブログ
続、日馬富士傷害事件報道

 大相撲の横綱による傷害事件を取り上げるのは3度目になってしまった。時間があれば朝のワイドショーや昼時のワイドショーを見るのだけれど、やはり中心は日馬富士の傷害事件。

 問題は、モンゴルの3横綱同席の集団的暴行傷害事件が、協会理事の貴乃花親方問題に半分程度すり替えられているところ。協会評議員会議長という元副大臣とかいうご婦人は、貴乃花親方が初めから事件を協会に届けておれば、ここまで問題は拗れなかったと事件の責任を貴乃花親方に被せ転嫁して見せた。

 しかしながら、協会が鳥取県警から事件の連絡を受け事件を知ったのは、九州場所前である。にも拘わらず、関係力士に事情を聴くことも無く、日馬富士も場所に出場していた。協会が貴乃花親方から報告を受けていたとしても同様であったことを伺わせる事実だ。相撲協会は公益財団法人であり、このような場合、所轄官庁に事実を遅滞なく届ける必要があった。八角理事長がスポーツ庁の鈴木長官に説明に出向いたのは、マスコミが騒ぎだして後のこと。

 騒ぎが大きくなって、日馬富士が引退届けを出すと、協会はきちんとした事実確認のないまま即刻受理したようだ。「断腸の思い」との理事長コメントまで付けて。刑事訴追の軽減を図り、同席していた白鵬、鶴竜への責任追及の軽減を図ったとしか思えない。

 横綱は明治神宮などで奉納土俵入りなども行う。日馬富士だけでなく、暴行を容認していた白鵬、鶴竜も今後神前で奉納土俵入りが行えるのか。そう考えると、日馬富士が引退で済んだのは本来甘い処分である。力士への暴力と軽く考える向きもあるが、鈍器で「天倒」(頭頂部の急所)を打った傷害事件は、加害者の意思に関わらず殺人未遂と思われても仕方がないものだ。

 若い頃にはヤンキーで、傷害事件を起こした過去があったとする。しかし相撲界に入り、横綱まで登りつめた今は、期待される横綱の品格に恥じることない生活をしている。すなわち事件の時系列が逆なら問題ないし、暴漢に襲われて護身のために暴力沙汰を起こしてしまったなら仕方ない。しかし、横綱が屯して起こした一方的な暴行傷害事件。彼らに神の前で土俵入りする資格はない。大相撲はプロレスや異種格闘技ではない。勝てばいい。強ければいいとは次元が違う格闘技である。

 白鵬などこれまでも厳重注意を受けながら、全く反省無く新たな注意を繰り返し受けていた。審判に文句を付ける、巡業部長がどうのと協会幹部の人事にまで口出して見せた。今回の処罰など大甘。これまでも何度もけん責を受けている白鵬は引退勧告。鶴竜は数場所の出場停止処分が妥当である。それで、場所運営がどうのこうの言うのなら、協会は速やかに少なくとも公益財団法人は返上すべきである。

 貴乃花部屋を協会の危機管理部長の親方が何度も何度も訪問して文書らしきものを置いていった。対応に出ない貴乃花親方の印象を悪くするための世論誘導の一手段だ。これに呼応して、よくテレビで見かける評論家氏が猛った。「貴乃花親方は礼儀をうるさく言う人でありながら、度重なる先輩親方の直々の訪問に顔も見せないのは非礼ではないか。」

 横綱審議委員というのも眉唾ものだ。言わせて貰えば、功成り名遂げた本来隠居していい人達が、協会の意向を受けてもっともらしく審議されているようだけれど、今回でも貴乃花親方の問題を持ち出したのは大きな勇み足。加えて、白鵬の相撲内容など今更持ち出すまでもない周知の事実だ。今回の事件に絡んだ横綱の責任をどう考えるかに踏み込むべきだ。加えて言うなら横綱がモンゴル会など率いていていいのかどうかも審議すべきである。すべてはそこに始まっているのだ。

 マスコミが、貴乃花親方問題を出すたびに、現役横綱の起こした暴行・傷害事件が希釈される。刑事事件は警察・検察の捜査が済み、その結果を受けて協会としての関係者の処分等決定すべきであり、組織内調査を優先すれば、関係者のかばい合い、忖度が出て真実は捉えにくい。警察・検察への発言も翻る恐れがある。

 相撲記者クラブのメンバーは協会の意向を忖度し、テレビのコメンテーターとして貴乃花親方の協会への不忠義を謗ることで、傷害事件の矮小化を図っているように見える。

 貴乃花親方の問題は、横綱の暴行傷害事件とは切り離して、しかるべきところで審議すればいい話なのだ。



本稿は12月21日までのテレビ報道から述べたものです。

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テレビ散歩Ⅱ その8

2017年12月22日 | ブログ
「マチ工場のオンナ」

 原作「町工場の娘」諏訪貴子著、日経BP社2014年刊。勿論脚色はあろうが、ノンフィクションドラマと思われる。NHK金曜夜10時。

 埼玉県入間市の廃棄物処理業を営む会社の2代目女社長、石坂典子氏の話は聞いたことがあった。父の起こした会社を立派に継承し、それこそ女性の視点で、廃棄物処理業を汚い3Kの仕事のイメージさえ変えたと聞いている。

 女性は政治家には向かないが、中小企業の経営者は、男女による向き不向きは小さいのかもしれない。いずれにしても諏訪氏も石坂氏も、人間的にも女性としてもきっと魅力的な人物であろうと推測する。経営にしても何らかのグループのリーダーにしても、男性、女性に関わらず魅力的な好かれるタイプでないと成功はなかろうと思う。「いばる、すねる、怒る、切れる、開き直る」の人柄では本来長くは続かない。

 原作を読んでいないので、第4回(12月15日)までの放送内容からの話になるのだけれど、町工場の親父さんが突然亡くなって、さあ会社をどうするか。承継の問題が起こる。

 承継問題は中小企業にとって常に非常に大きな問題で、継ぐ人がいないために、廃業するか、買ってくれる企業があれば売却するかみたいな選択を迫られることにもなるのだけれど、このドラマのように、社長が十分な承継準備をしていない状態で突然倒れると残された者は右往左往することは必至である。現在経済産業省でも、特に60歳を過ぎた経営者には後継問題を指導することに注力している。

 ドラマでは兎も角専業主婦だった娘さんが継ぐことになったが、ただでさえ赤字続きの経営難であったため、新社長は人員整理をせざるを得なくなる。仲間を維持したい先代の情に甘えていた創業当時からの先代の盟友は、当然リストラに反発する。そこは先代の負の遺産であった。

 しかし、第4回の放送からは、先代社長のひそかに打っていた、将来への布石が功を奏すようになる。その布石とは、自分の工場の発展のためとか、自分ファーストでない人間の大きさにあった。要は「ものづくり」を真に愛し、人を愛した心根が、娘の事業承継を支えることになる。

 新社長は、工場でのものづくりのことも経理のことも分からない。しかし、それだから従業員みんなの知恵を借りようとする。若い職人達との交歓ノートを通じて、身近な作業改善を進める。メンタル面をサポートする。

 先代社長は、地元の中学校でボランティアの「ものづくり講習」の講師を務めていた。その中学からものづくりに興味を持って当工場に来た若者が居た。その講習を新社長のリストラに反発して工場を去ろうとしていた創業時からの職人が受け持つ。そして、どんなに時代が変わっても、自分で考え工夫してより良い物を作りたい職人の心情を吐露する。それは生徒に訴えると言うより自分自身への反芻となった。

 さらに、事情は不明だが、父親はメガバンクの元社員を経理担当で抱えていた。その若者が新社長にリストラを進言し、銀行との交渉を手ほどきしてきたのだ。

 新社長の家族の絆も彼女を後押しする。企業経営は一人ではできない。



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テレビ散歩Ⅱ その7

2017年12月19日 | ブログ
「ユニバーサル広告社」

 テレビ東京金曜8時。12月1日の第7話であっけなく終了。脚本は、11月26日(日曜日)の朝放送された「最後の同窓会」(本稿その4)と同じ岡田惠和氏。映画の場合は監督が重視されるようだが、テレビドラマは脚本が注目される。岡田氏はNHK朝の連ドラ「ひよっこ」(平成29年度前期)で一段と名を上げた脚本家のようだ。あっけなくとは、登場人物の淡い恋模様も、肝心の商店街の復興がどうなったかも曖昧のままであったこと。

 もっとも昨今のご時世、そう簡単に商店街が昔の輝きを取り戻せるものではない。成功可能性の条件が整うことは結構厳しい。しかしドラマのように、商店街の個店店主たちが真にやる気になり、ホームページの刷新から映画やテレビドラマのロケ地になることは、それが継続すれば大きな集客力になる可能性はある。

 広告は、マーケティングの4要素の一つ。「製品・サービス」、「価格」、「チャネル・場所」そして「宣伝・広告」の4要素。広告社の仕事は、企業の発展に貢献することで、経営コンサルの範疇の仕事というか、広告はコンサルタントには必要なスキルのひとつである。その意味でもこのドラマは興味深く見たのである。

 ドラマのセリフ(第2話)に「広告は魔法じゃない」というのがあった。続いて「目立たない小さな輝きを、多くの人に知らしめるためのもの」「広告は人知れず輝いている素敵なものを、みんなに知らしめるもの。価値のないものを、価値のあるように見せるものではない」と続くのだけれど、コンサルも魔法ではなかろう。

 現状把握から課題を摘出し、課題解決、目標達成のためにいかに経営者はじめ従業員など関係者のやる気を引き出すか。やらねばならない答えは実は経営者自身が持っていることが多いと言われる。現状では出来ないと諦める要因となる障害を、物心両面からいかに取り除くか。名医といえど出来ることは半分、半分は患者自身に直すための強い意志があり、医者の指示を守れるかにあると言われる。

 このドラマの初回、当該商店街の風景を見たとき、映画「ナミヤ雑貨店の奇跡」(松竹)に登場する商店街を思い出した。1980年代の日本、そしてバブル期を経て変貌していった日本。古い商店街にはその歴史の痕跡が確かに存在する。

 若者は都会へ、後継ぎが居ない、人口減少、シャッター通り、買い物難民、地域社会と家族の絆の断絶。商店街は大型のショッピングセンターに取って変わり、街の酒屋さんも雑貨店もコンビニエンスストアに変わっていったご時勢。何を残し、何は失っていいのか。そこそこの豊かさの中で、国民は単なるお人よしとなり、米中合作の茹でガエル状態、世界の趨勢に立遅れているのではないかとの不安が募る。

 そんな中、広告という仕事は残る。人知れず輝いている素敵なものを、みんなに知らしめるために。
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テレビ散歩Ⅱ その6

2017年12月16日 | ブログ
「陸王」

 池井戸潤氏原作のテレビドラマには、「半沢直樹」、「下町ロケット」はじめ数々あって、ほとんどが高視聴率を記録しているようだ。

 下町ロケットもそうだったけれど、うまく行きかかったところでまた挫折。その繰り返しには観る方も少々疲れるけれど、新商品が開発され、世間に認められるにはそれくらいの苦労があるということ。

 池井戸氏は、元銀行員ということで、「半沢直樹」シリーズから「花巻舞が黙ってない」など銀行が舞台である小説は勿論、銀行と取引のある中小企業も実体験として学ばれたのではないかと思われ、その姿はリアルである。銀行は「晴れた日に傘を貸し、雨の日に取り上げる」と言われるけれど、バブルの頃には、まともな評価では回収に100年掛かる投資案件も、土地には投資したという企業が続出し、銀行がそれに加担した。

 土地神話に踊らされた庶民、企業を銀行が不動産投資企業を作って煽ったのだ。挙句ご存じの通りのバブル崩壊後の不良債権処理に国家ぐるみの大騒動となった。銀行というところはかくのごとくいい加減なところだけれど、長く資本主義社会の頂点に君臨する企業でもあって、銀行員は地方銀行員でもエリート意識が強いように見えていた。

 しかし、昨今の低金利時代、一昔前の大手同士の合併ブームの次は、大幅なリストラ時代に入っている。奢れる者は久しからずとは、昔からの格言である。

 一般の大企業は内部留保を溜めこみ、銀行は目覚ましい投資先が少ない。多くの国債を引き受けて日銭を稼いでいるように見えていた。まず地方銀行や信用金庫が支店の統廃合を行い固定費の削減を行ったが、今やメガバンクが同様に数ある店舗を店じまいすることで、運用経費と人件費削減に乗り出したのだ。

 そもそも銀行は、企業を育てることが主業務でなければならなかった。融資先の経営指導を行い、効率的な経営を行うことで、投資の効率性を高め、売り上げが伸びない時期にもそれなりの利益を出せる体質を企業に根づかせる必要がある。

 ドラマ「陸王」には、そんな理想に燃える銀行員の上司との葛藤も描かれている。世の中甘くないので、理想の想いからの情での企業への助力はリスクが高く、また確かに無理な融資を受けた企業が金利負担で立ち行かなくなれば逆効果で、貸さないことが親切の場合もあろう。

 また、ドラマ「陸王」ではエキストラ動員数が凄い。マラソン大会や駅伝大会では、走者に加え多数の応援者が必要だ。そして舞台となり、ロケ地ともなっている埼玉県行田市の知名度アップは大きく、経済効果もあるらしい。そんなことでも話題だ。足袋の行田市、田んぼアートの行田市。

 今年は、映画「3月のライオン」、そして藤井4段の登場や羽生永世7冠達成、レジェント加藤一二三九段の引退と盤外での活躍など話題の多い将棋界であったが、埼玉県行田市には、高級な将棋盤を作る職人さんが居られるそうだ。女流棋士矢内理絵子5段(女流名人3期、女王2期など)の出身地でもある。そういえば今年女流棋界には初の外国人(ポーランド人)棋士が登場した。囲碁だけでなく、将棋も一部であれ欧州にも愛好者が増えているそうだ。子供たちの知能の発達に単なるゲームよりは遥かに効果的であることが世界的に認められつつある。

 話が逸れたけれど、ドラマには松岡修造さんも出演され始めた。最後まで目が離せない。




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テレビ散歩Ⅱ その5

2017年12月13日 | ブログ
「プレバト」

 プレバトとは、プレッシャーバトルの略であるそうだ。木曜午後7時、TBS。俳句、水彩画や華道、書道に料理の盛り付けなどもあるようで、芸能人の多彩な才能が覗く番組である。もっとも俳句以外はあまり見ない。

 俳句と言えば正岡子規で、伊予は松山の産。JR松山駅前には、子規の句を刻んだ大きな句碑がある。そして子規と言えば司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公の一人でもある。その句は「坂の上の雲」の冒頭に紹介されてもいる。『子規は明治二十八年、この故郷の町に帰り、「春や昔15万石の城下かな」という句を作った』とある。

 蛇足ながら正岡子規は、当時アメリカからこの国に渡った野球が大好きで、ベースボールを「野球」と訳したことでも知られる(他にも野球用語の和訳多数)。その功によるものであろう、2002年野球殿堂入りを果たしている。今年、子規の生誕150年を期に、囲碁の殿堂入りともなるそうだ。囲碁も好きだったようで、囲碁の句を30数句残しているそうだが、囲碁が特に強かったということではないようだ。(NHK「囲碁フォーカス」より)

 子規を生んだ松山市は、現代でも俳句や野球は盛んな土地だ。句碑が多く、観光地には俳句の投稿箱があったりする。高校生の「俳句甲子園」(全国高校生俳句選手権大会)は今年20回を数えた。初回1998年の参加校は近隣の14校であったが、急速に拡大し、現在では全国から50校以上、100チーム近い参加があるそうだ。今年はプレバト特待生チーム(藤本、石田、村上)と優勝校東京開成高校チームの特別対戦があり、テレビでも紹介されていたが、見事プレバトチームが勝利(2-1)した。開成高校は東大進学者数が毎年トップであり、俳句甲子園では20回の内10回優勝という圧倒的な実力校。プレバトの芸人チームの半端ない実力が知れる。

 プレバトの夏井いつき先生は松山の方で、俳句甲子園でも長く審査員を務める俳句界の重鎮であるようだが、相手かまわぬ毒舌と見事な添削が冴え、そのことがこの番組を引き締めている。生徒さんでは梅沢富美男さん、藤本敏史さんや東国原英夫さんなどが名人上位にランクされているが、梅沢さんは評価が悪い時に夏井先生に悪態をつくという本音キャラで盛り上げ、藤本さんは視聴者の子供さん達に人気が高く、そこでは梅沢さんが悪役にまわるようだ。東国原さんは流石と思わせる視点からの句で才能の多面性を見せる。

 日本の伝統文化を、芸達者な人たちが、面白おかしく視聴者に伝える。その俳句界への貢献や大である。
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テレビ散歩Ⅱ その4

2017年12月10日 | ブログ
「最後の同窓会」

 平成29年度文化庁芸術祭参加作品。脚本、岡田惠和、監督、内片輝。主演は、市村正親さん(68歳)。共演に片岡鶴太郎さん(62歳)、角野卓造さん(69歳)、でんでんさん(67歳)、松坂慶子さん(61歳)ら。テレビ朝日。11月26日午前10時。日曜日の朝のドラマなどこれまで観た覚えがないのだけれど、当日の朝刊のテレビ欄の紹介に出ていた当ドラマが名優ぞろいで面白そうで、観ることにした。

 主人公は、小学生時代はみんなのリーダー役だったが、人生で輝いていたのはそのときだけ。その後は、可もなく不可もない人生を送ってきた。定年を迎えた日、つまらない人生だったと落胆していた矢先、同窓会の誘いを受けたというもの。

 今年、同じテレビ朝日は昼間に倉本聰氏の脚本で「やすらぎの郷」を大ヒットさせていたが、こちらは老人ホームでのお話であったようで、今回の同窓会物語とは一回り上の世代の物語。主演の石坂浩二さんは1941年生だから76歳。

 団塊世代はすべて65歳以上となり、定年延長されていても長年勤めた会社をすでに去った者がほとんどであろう。だから、このような定年を迎えたシニア層向けのドラマは、どんどん作られるかも知れない。

 映画の「釣りバカ日誌」に描かれる三国連太郎演じた鈴木建設社長の家庭にあってさえ、社長は家族の尊敬を集めているように描かれてはなかった。一般サラリーマンの家庭で、銀行振り込みの給料は、朝、亭主を送り出せば自動的に振り込まれるものであれば、その給料を得るために、亭主がどれだけの我慢と辛抱を続けているかなど想いも寄せず、妻としての権利を主張するのみの細君が、またその子弟が世に多いことを伺わせるものだ。

 「最後の同窓会」の主人公もそんな普通のサラリーマンだった。思えばそのような働きアリが大勢居て企業を支え、国家を支えている。一部の生産性のない世界で優勝を何回やろうが、その地位に相応しい品格がなければ、単なる権力志向の強い守銭奴に過ぎないと言いたいけれど、犬の遠吠えにしかなりはしない。一方、同じ日本の伝統文化の勝負の世界の覇者である羽生さん(永世7冠)の言動を見ると、その品格の対比が際立つことは、それこそ子供でも判る。

 私に、同窓会はない。小学6年生の一学期に全校児童1600人の児童会長を務めたが、このドラマの主役同様、その頃が人生のピークで、その後は、可もなく不可もない人生を送ってきた。自分では随分企業業績に貢献したと思ってはいるが、評価して貰っていなければ人生の成果は無きに等しい。会社のOB会など入会もせず、会社関係者との定年後の年賀状のやりとりも70歳を境に止めることにした。

 ドラマは、亡くなった者、罪を犯していた者は兎も角、それぞれに残りの人生はハッピーに終わっていたようだが、現実の働きアリの人々にも幸せな老後がもたらされることを祈る。しかしそれは、各人の運と努力とそこまでの人生の在り方に依存するものでしかない。
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テレビ散歩Ⅱ その3

2017年12月07日 | ブログ
日馬富士傷害事件報道

 ワイドショーの続編など書くつもりなど全くなかったのだけれど、3日日曜日の朝の報道番組を観ていてあきれたもので、書かざるを得なくなった。

 気にはなっても若いタレントさんがコメントするのは、番組の一般視聴者へのアピールもあって少々本筋を外したと思える発言も仕方がないのだけれど、本など出して高名な、所謂知識人と思われる方々の事件の本質、協会の体質に対する捉え方のピント外れには、聞いていてあきれたものだ。

 今回の傷害事件をきっかけに噴出した関係者の言動から、もっとも問題の人物は誰かということで、以前から大相撲に関わりの深い漫画家の方が、1に白鵬、2に日馬富士、3に貴乃花親方を上げた。

 私などは、同意できる意見と思ったが、コメンテーターの一人、元アナウンサーの女史は、過去の賭博、八百長問題などで協会が苦しかった時代に一人横綱で頑張った白鵬の功績を上げ、白鵬擁護にまわった。その後、協会理事会の写真を見て、「違和感がある。女性が一人も居ない」と来た。最近流行りの何でも女性登用で解決できるというワンパターン発想なる意見。はたまた著名な作家(男性)氏は、大相撲もグローバル化しているにも関わらず、横綱の品格という抽象的なもので、横綱の言動を縛るのは無理がある。とこちらも白鵬の一連の言動を擁護して見せた。女性登用とグローバル化を上げれば問題が見えると考える短絡的な発想であり、発言である。

 私は、日馬富士傷害事件は、一連の報道から現役力士のそれも横綱さえ参加するモンゴル会が起こしたものと思っている。その代表者である白鵬が現場に居て、「私が止めました」と言うけれど、被害者の頭が割れるまでの暴行に到ってようやく制止するという緩慢さは、直接の加害者と同罪に近い。

 元アナウンサー女史は、白鵬の過去の相撲界における貢献を言うけれど、貢献度が高ければ、現在の言動を大目に見ていいというのは真っ当な意見ではない。この方は組織の在り方、またわが国の近代史の誤りさえ勉強していないらしい。この程度の人物がテレビでコメントするから視聴者である日本人の知的レベルが低下する。

 日清・日露、第一次世界大戦と我が国は勝利しまたは勝利側にまわった。これは偉大なことで、当時の軍指導者の貢献度は計り知れない。しかし、そのことがその後、この国の軍人をのさばらせることになり、当時の政府も天皇さえも無視して大陸で暴れ始めた。

 グローバル化というけれど、大相撲を野球やサッカーその他のスポーツと同列に論じていないか。特殊な世界ゆえの悪習も確かにあろうが、大相撲は相撲協会だけのものではない。相撲ファンでなくともその存在に一目置く世界にひとつのわが国の国技と言われるものだ。確かにハワイから東欧やモンゴル、ブラジルからも力士が、国内で志望者の少なくなった国技の穴埋めを行った。しかし、彼らが自身の親方さえ軽んじ、相撲界の掟や伝統を無視するなら、協会は堂々と解雇すればいいのだ。横綱の品格を理解できない横綱は引退して貰うことだ。力士がグローバル化しているからと制度までグローバル化する必要などありはしない。

 モンゴル会は、母国を離れ、言葉も風習も分からない異国で過酷な稽古に明け暮れるモンゴル力士のオアシスとして、また彼らのボランティア活動の拠点ともなって社会に貢献していると言うけれど、それはせいぜい幕下までの共同体に留め置くべきなのだ。真剣勝負の世界に生きる関取となって、部屋を超えて横綱を筆頭に徒党を組めば、周囲は当然に懐疑的な目で見る。相撲協会への圧力団体化であったり、土俵での星勘定にまで活用するのではないかとの疑念を抱かせてしまう。

 協会の危機管理の責任者の元検事は、貴ノ岩が素直に謝れば事件は起こらなかったと加害者サイドからの報告をした。加えてわざわざモンゴル会擁護まで盛り込んだ中間発表をしていた。ここにも現在の協会幹部の事なかれ主義が垣間見える。外部から人を入れても適任でなければ意味は無い。女性を入れても同じこと。協会の危機管理の責任者の元検事が、今の法曹界の低レベルを象徴して見せただけだ。



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テレビ散歩Ⅱ その2

2017年12月04日 | ブログ
「奥さまは、取り扱い注意」

 綾瀬はるかさんは、テレビドラマの「JIN-仁」での武家娘の役が見事で、主役の大沢たかおさんを盛り立てた。思えばこの時の綾瀬はるかさん役の兄を演じていた小出恵介さんも適役、好演だったが、不祥事でテレビに出られなくなったのは残念だ。

 TBS日曜劇場で「JIN-仁」が放送されたのは2011年というからもう6年以上経った。その後、綾瀬さんはNHKの大河ドラマ(2013年、八重の桜)で、銃を持って会津戦争を戦う女性を演じ、最近ではやはりNHKで「精霊の守り人」パルサ役でアクションスターとなった。

 天然と言われたボケ役キャラ、美人のお姉さん役、そして庶民のOL役などからの見事な転身と言うか、芸域拡大である。時代劇の立ち回りとはまた違った難しさが現代劇の格闘シーンにもあろうが、うまく演じられている。

 特殊工作員という人々の能力は知らないが、諜報、格闘(素手、武器を用いるもの)など役割によって相当高度な訓練を受けるものであろう。われわれ巷の武道好きが、柔道、空手などからの護身術を多少稽古したとしても、到底及ぶものではない。

 一般人が地域を汚す悪を懲らしめるというこのドラマの設定は、「三匹のおっさん」(テレビ東京:2014,15,16年。来年1月2日放送予定のスペシャル版も楽しみ)に通じるものもあり、最後の「成敗」はワンパターンでも痛快である。

 医療行為ではないが、本来資格のない一般人が正当防衛や現行犯以外で、犯罪者を追い詰める行為は危険でもあり為すべきではなかろうが、いじめなど、中々警察も動きにくい悪行は誰もが出来ることなら懲らしめたいと思うものだ。そのような庶民の心情にうまく嵌ったドラマだと思う。

 また、このドラマの舞台はセレブが暮らす高級住宅街だ。庶民が憧れるであろう家庭の内情が、実は困らないのは日常生活のお金くらいで、精神的には満たされない暮らしをしているように描いている。満ち足りぬ人間の性が発する臭気を嗅ぎつける悪人どもが、その心の隙を縫って仕掛けてくる。売春、ドラッグ、詐欺、弱みに付け込んだ恐喝。一度落ち込むと抜け出すのは大変だ。そんな警告もこのドラマには込められている。

 綾瀬はるか演じる元女性特殊工作員が、その技量を駆使して、それら悪人どもをなぎ倒す。繰り返すけれど痛快である。
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テレビ散歩Ⅱ その1

2017年12月01日 | ブログ
ワイドショー

 本稿で「ワイドショー」を取り上げたのは昨年7月の「テレビ散歩」以来2度目。前回当時、ワイドショーは舛添東京都知事のスキャンダル報道一色だった。

 今のワイドショーは大相撲横綱の傷害事件。併行して北朝鮮問題。北朝鮮がミサイルを持ち、原子爆弾を持つ相当前に、中国は原子爆弾もミサイルも質・量共に高度化している。そしてわが国への領空・領海侵犯を繰り返している。そちらの方へこそ制裁が必要だ。

 日馬富士傷害事件では、日馬富士の引退届けとその会見を受けて、日馬富士への同情報道が過熱している。もう少し軽い処分を期待していたので、警察や協会からの処分が出る前の引退は残念という老舗の相撲ファンもいるけれど、相撲ファンなればこそ、横綱の品格、神聖な本場所の土俵の厳粛さを知っている筈で、傷害事件を起こした横綱をテレビ電波を使って擁護するのは如何なものか。

 この暴行から傷害に発展した事件。時間が経って我々にも分かってきたことがある。貴乃花親方は、モンゴル出身の貴ノ岩にモンゴル力士との飲み会等に参加しないよう申し渡していたそうだ。勿論星の譲り合いなど起こさない予防のためだ。今回出身校の恩師が同席するということで、特別に許可してみればこのような事態になった。日馬富士が貴ノ岩に日頃モンゴル力士の会合に出ないことに腹を立てていたことが暴力に繋がったという説もある。さすれば、この暴行は貴乃花親方に向けたものとなる。

 白鵬や鶴竜はじめモンゴル力士中心の寄合での暴行は、集団リンチの色合いもあり、日馬富士以外の横綱、同席力士も無罪ではありえない。ワイドショーなどでは、モンゴル現役力士の会合への批判は全く封印しているが、真剣勝負を戦う同志が、場外で屯して酒を飲む姿は好ましいものではない。(30日、週刊誌に記事が出てから貴乃花親方の意向として紹介するようになった)

 白鵬は優勝インタビューで「膿を出し切って」と発言していたけれど、当事者の一人で、本来被告席に連座しなくてはならない膿の一部だ。協会やモンゴル会に反発する貴乃花親方を膿と考えた節もある。白鵬の万歳に同調する観客の付和雷同が、今の日本人の姿だ。

 日馬富士の引退の報を受けて、モンゴル力士の一部には、貴乃花巡業部長の下では冬巡業に参加したくないというのが居るらしい。力士が協会幹部の人事に口を出すか。ここらあたりにも外国人力士への協会や部屋の親方の教育不足と白鵬を頂点に増殖したモンゴル勢の驕りが覗く。巡業など参加しなくていい。そのままモンゴルに帰国されては如何であろうか。

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