中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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安全考その10

2011年05月28日 | Weblog
国防

 私は、現政権が発足する先の衆議院選挙の前後から、政権交代のリスクを本エッセーで幾度も強調した。大災害はいつ起こるかもしれず、寄せ集めの民主党政権では的確な対応が困難であるという予測である。私の危惧は不幸にも的中してしまった。それは国防にもつながる。

 現在、約70%の国民は、このような時に首相交代論はおかしいと考えているという世論調査結果があるけれど、衆愚政治という言葉がある通り、世論がいつも正しいとは限らない。このような時にこそ国家のトップリーダーは非常に重要であることは論を待たない。西岡参議院議長の言われる*21)通りなのだと私も考える。

 首相は浜岡原発を止めることを要請し、中部電力は従った。それは、明日東海大地震が起こり、福島原発の同様の事態が起こることを想定したためと説明された。一部に近隣の横須賀米軍基地を守るため、米国からの強硬な申し入れがあったためとも聞くけれど、浜岡原発停止は、そこに至るプロセスに疑問符は付くもののほとんどの国民の賛同を得た。

 その結果は期せずしてかどうかは知らないが、「要するに原発は津波に弱いのだ」との国民への刷り込みのダメ押しに成功した。今回の福島原発の初期対応における東電と官邸関与の不手際が当面覆い隠されることになった。もし、初期対応が最善に行われてのこの事態であるなら、日本の原発は1基も動かすことはできないのではないか。今回の津波の大きさを想定外と言うなら、想定外のリスクは津波だけではなかろうと思うからである。

 今回の事態では、官邸は米国等の協力を取り付けることの窓口や状況に応じて住民避難の対応として機能し、後は電力会社の技術者の対応に全てを任せて、結果責任だけを取ることを明言すれば良いことだった。原発そのものは、確かに廃棄物処理などに困難な問題は山積しているけれど、その本質的な問題と今回の事故対応は分けて考えないといけない。当面地震にも津波にも耐え得る能力を備えているかもしれない。

 原子力に詳しい自分が現場を視察するとのパフォーマンスがベントのタイミングを誤らせたとの疑念を抱かせ、今は「私は原子力の専門家ではない」と言い、また「海水注入する報告さえ受けて居ない自分が中止させることはあり得ない」と国会で押し問答をしていた*22)けれど、東電に押し掛けて何らかのアクションをしたならば、この事態に至ったことに無罪と言うことはあり得ない。

 テレビによく登場する某評論家氏は、国会で首相の言った言わないをやり玉に挙げるのでなく、与野党で復興についての議論を高めるべきだと、逆に首相を追及する野党党首を批判していたけれど、明日東海地震が来るかもしれないと浜岡原発を止めたということは、今回の震災に匹敵する国難が別の形でさえいつ起きてもおかしくないということではないのか。その時に現政権で日本は大丈夫と、当の評論家氏は考えているのだろうか。正論を口にしているつもりだろうが、結局国家のことなど全く考えていない発言に思える。

 近くに居る者さえ見限る首相であれば、一刻も早く替えることが国難に対応する第1の方策ではないのか。勿論民主党の一部議員の小沢氏待望論は論外で、軽い神輿の傀儡政権は願い下げなのだけれど。

 震災に同情を寄せ、被災国民の道徳心の高さを賛美さえする国際社会の中でさえ、この機に韓国さえ巻き込んで*23)北方四島に実効支配を強め、10万人の自衛官を災害対策に送り込んだ間隙に、その防衛体制を伺う隣国もある。

 国の防衛は、国民の生命財産を守る政府の最重要の任務だ。原発対応の住民避難さえ後手後手の現政権に、万一某国の工作部隊がわが領土である島嶼にでも侵入してきた時、周辺島民の安全確保と毅然とした討伐作戦を指揮できるとは考えにくい。

 政治とは見えない部分で他国の要人や自国のアウトローまで、網の目のようなネットワークを築いていることで、有事にここを押せばここまでが動き、これだけの仕事ができると算段できることである。仮設住宅の建設さえ遅滞する現政権に我が国の防衛は任せられない。









*21)5月20日、読売新聞朝刊への西岡参議院議長の寄稿文による
*22)5月26日、東京電力は、海水の注入は所長の独自判断で継続され、当初伝えられた注入の一時中止はなかったと発表した。
*23)ロシア、イワノフ副首相ら5閣僚は15日、日本政府の中止要請を無視する形で東日本大震災の発生後、初めて北方領土の国後島と択捉島を視察。5月24日には、韓国の国会議員3名国後島上陸。☆産経Webニュース☆

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安全考その9

2011年05月25日 | Weblog
自然災害

 四方を海に囲まれ、四季に恵まれた日本列島は、どこを切り取っても美しい風景が広がる。四季折々の山海の珍味が食卓を潤してくれる。しかし一方で、もし太平洋の海水がなかったとした風景を想い描けば、日本列島の私たちの住んでいる土地は、8000メートルにも及ぶ深い渓谷*19)の上にあり、まさに崖っぷちに住んでいることに気づくであろう。さらに日本列島は火山列島でもある。それは国内どこでも温泉が湧く幸運に恵まれた一方で、火山の噴火と地震の脅威にも晒されるということだ。加えて夏から秋にかけては台風の通り道となる列島でもある。自然に恵まれるということは半面、種々の自然災害の脅威も併せ持つことになる。

 昔から、「地震、雷、火事、親父」とはよく聞いたものだけれど、四国は瀬戸内海沿いの町に育った私には、子供のころ地震はほとんど経験せず、夏に雷はよく発生していたけれど、落雷で誰かが負傷した話も聞かず、もっぱら怖いのは台風だった。

 台風は毎年やって来た。そのたびに父は雨戸を固定するなど対策を行っていた。結果、屋根瓦が風でずれたくらいの被害はあったが、大きな川が近くにあるわけでもなく、災害にまでなることはなかった。ただ、国内には台風の風水害被害は多く、特に昭和34年の伊勢湾台風は強く印象に残っている。5千を超える人の命が失われたが、高潮と川の氾濫による洪水の被害だった。当時は東京でも洪水の被害は多かったようで、高度経済成長に併せダムと堤防作りの河川の治水はその後急ピッチで進んだ印象がある。

 自然災害をすべて無くすことは難しい。冒頭に触れた通り、海辺や山間の風光明美な例えば温泉宿は、常に危険と隣合わせだ。行政も分かっていても踏み込んだ規制はできない。住民だってリスクは承知している筈である。山間の民家や温泉宿さえ豪雨による土石流や河川の氾濫で流された話など、日本には幾らもあろう。

 対策が難しいからと言って放置して良いものではない。その対策は、企業等で行う日常の問題解決法と基本的には変わらないと思う。まず現状把握をしっかりと行うことだ。自分の住んでいる土地、地域にどのような自然災害の危険があるのか。現在は国土のハザードマップ作りも進んでいるようだ。火山が噴火した場合の溶岩流の予測も、山津波の恐れのある地域も、津波や川の氾濫で浸水の恐れのある範囲もある程度予測できる。であれば、その際にどのような行動を取るべきか、地域で個人で書き出しておくことだ。行政でできるハード面の対策と共に、地域のコミュニティーはさらに重要であるけれど、個人の責任においても、自らの命を守る手立てを考えておく必要があろう。

 三原山の大噴火*20)で全島避難のあった伊豆大島へ、数年後職場旅行で出かけたけれど、島は火山噴火の大災害を見事に観光資源に変えていた。定期観光バスの運転手は、諸々当時の大変だった様子を聞かせる一方で、「万一今、山が噴火をはじめても、みなさまをまず安全な場所に誘導しますのでご安心ください」のようにアナウンスしていた。そこには危機を乗り越え復活した自信が漲っていた。







*19)日本海溝、ここに太平洋プレートが潜り込んでいる。
*20)1986年11月。噴火の衝撃波は、ここ千葉県市原市まで届いた。
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安全考その8

2011年05月22日 | Weblog
交通安全

 昭和40年代に乗用車が国民の間に急速に普及した。私が社会に出た昭和41年には、100名くらいの独身寮で乗用車は3台程度、それも360ccの軽自動車だった。その年日産は1000ccのサニーを出し、翌年トヨタは「プラス100ccの魅力」とカローラ1100ccを出した。昭和43年には510型ダットサン、いわゆるニューブルーバードが発売された。4輪独立懸架が売り物で、スーパースポーツセダンでSSS(スリーエス)というグレードがあるのもかっこ良かった。蒸気機関車を颯爽と追い越して行くブルーバードのテレビのコマーシャル映像は車への憧れを強くさせた。価格は1300ccで60数万円。当時21歳の私の年収よりは少し高かったかと思う。

 そんな時節私の入社当時、すでに普通乗用車に乗っていた先輩がいた。工場柔道部の先輩で私が最も世話になり、また尊敬する先輩でもあった。その車種は410型ダットサン。ニューブルーバードの前身、日産の幸福の青い鳥ともなった二代目「ブルーバード」であった*17)。

 柔道部の夏の合宿は、日本三景のひとつ(現、世界遺産)宮島の鳥居のある裏側にあたる包ケ浦海水浴場で行ったりしたが、当の先輩の車に資材を積んで貰いフェリーで宮島に渡ったり、周防大島に会社の直営保養所がオープンして間もなく、その車に乗せて貰って二人出かけ、一晩飲み明かしたことなど、昨日のように思い出される。柔道も酒も人間としても敵わぬ先輩でもあった。

 その後に免許を取った私は、その先輩から次のような訓示をいただいた。「運転中道路で子供を見かけたら、それは地雷だと思え、触れればお前も吹き飛ぶ」と。それから丁度40年目になるけれど、今もその言葉は耳から離れない。運転するたびに思い出す言葉である。余談ながら現在私は、ブルーバード40周年記念車(平成12年製)エプリーズに乗っている。

 交通事故の悲惨さは、ここであらためて言うまでもない。交通事故の頭部損傷治療のため、脳外科手術の手法や技能が急速に進歩したとまで言われる。交通事故死のピークは昭和45年。年間16,765人の方が事故後24時間以内に亡くなっている。事故後1年以内の死者を加えると21,000人以上に膨らむ。当時は運転席のシートベルトさえ装備されておらず、道路や交通標識の整備も急速な車の増加に追いついていなかった。罰則規定もゆるく、運転者のモラルも低かった。

 その後、交通事故対策の向上もあって、交通事故による死者は漸減したが、10年後の昭和55年(約8500人)を境に再び増加し、平成4年11,451人という第2のピークを迎える。2009年のデータでは4,914人までと年間5千人を切るまでに減少しているけれど、先月18日の重機が登校中の小学生の列に突っ込むなど、悲惨な事故は後を絶たない。

 若者に死者が多いこともあって、交通戦争と呼ばれた昭和3,40年代と異なり、現在は65歳以上の高齢者の交通事故死亡者が若者(16~24歳)のそれの1.5倍ある*18)ことも様変わりである。

 とはいって、官民挙げての諸施策も功を奏して全体として死亡事故は減少する中、交通事故の総発生件数は2004年(平成16年)がピークであり952,191件。2009年(平成21年)では736,688件まで減少はしているけれど、まだ死者数が最大であった昭和45年(1970年)レベルにある。

 交通事故は現代でもなお、出かける時は元気だった家族を無慈悲に帰らぬ人とさせる懸念の強い安全への脅威である。その防止は、企業にとってはその安全管理活動の一環であり、次代を担う子供たちにとっては最重要である。そのためには、職場や学校で交通KYT(危険予知訓練)を取り入れることが、事故防止に有効であると思う。行政による道路や標識のさらなる整備、メーカーによるデジタル技術を駆使した車の安全対策とともに、人への訓練を忘れてはならない。












*17)ここらあたりのエピソードを含め、新車発売年次、価格などは私の記憶によるもので、不正確の部分はご容赦ください。
*18)平成4年に逆転している。高齢者の増加、若者の車離れも要因と思われる。
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安全考その7

2011年05月19日 | Weblog
熱中症

 ここ20~年頃からだろうか。花粉症の季節が過ぎると今度は熱中症という、こちらも昔は聞かれなかった病に注意喚起される季節が訪れるようになった。昔から「日射病」というのはあって、真夏はひさしの大きな麦わら帽子が定番だった。日本の夏は昔から蒸し暑く、涼を取るさまざまな生活の知恵が真夏の風物詩ともなっていた。

 ただ、昨今の地球規模の温暖化によって、日本は温帯地方から亜熱帯、否、真夏は熱帯地方といえるほどになった。私の小学生の頃の夏休み、自宅にあったアルコールの寒暖計で気温をチェックしたものだけれど、31~32℃程度までは記憶があるけれど、現代のように35℃を超えるなどということはけっしてなかった。

 瀬戸内地方の夕方の凪(なぎ)は、真夏には堪えるけれど、他の地方を知らない者にとっては当然の自然であった。ただ、瀬戸内の山口県時代の社宅アパート住まいでは、上下左右の隣近所にルームクーラーなるものが普及して、風がピタリと止む凪の時間、窓を開け放したクーラーのない我が家には、近所のクーラーからのホットな排気が入ってくる感じで、これには参ったものだ。

 同様のことで、以前都会の生活保護のお年寄りがクーラーを止められて熱中症で亡くなる事故があったけれど、コンクリートジャングルの中の民家の人々はクーラー無しでは生きてゆけないであろう。

 千葉県に転勤になった28年前も社宅アパート住まいだったけれど、こちらではクーラーのあるご近所さんもほとんどクーラーを使わずに過ごせたようで、結局我が家はその後の10年間の社宅暮らしをクーラー無しで乗り切ったものだ。こちらには凪がないのと、元々風の強い土地柄なのも幸いしたし、西日本と比べて緯度が高い分涼しいのかと納得していたものだ。

 ところが、ここ10数年千葉の夏の暑さも半端ではなくなってしまった。関東地方のホットスポットベスト5くらいに、市原市の観測点が入るようになった。そんな中、会社勤めの最後の6年間を私は充填・物流管理業務を担当した。充填場のある倉庫は全体を空調するわけにはゆかず、暑いに任せた環境での作業が多く、現場作業請負企業の管理者共々、熱中症対策が夏の最重要課題となった。

 この季節、5月から6月頃には現場作業員全員を対象に、健康管理室等の資料を拝借して熱中症対策講座を開催したものだ。作業員の方々にお願いしたことは、深酒や夜更かしをせず可能な限り良い体調で仕事に臨んでいただきたいこと、作業中に不調を感じれば遠慮せずに休むこと。みなさん非常に熱心に受講してくれた。

 請負企業は現場の休憩室にはスポーツドリンクを常備したし、こちらはスポットクーラーを毎年予算化して買い増していった。元々、昼食休憩の1時間に加えて、午前午後各1回の休憩時間を取っており、クーラーの利いた現場事務所や休憩室で休むことができたこともあり、熱中症事故はなかった。
 
 原子力発電の停止により、電力不足が懸念されるこの夏は特に、クールビズによる冷房温度の高め設定、早朝出勤などはすでに実施している企業もあるようだ。北海道ではリゾート施設を事務所に使いませんかと、都会の企業に呼び掛けているところもあるとか。「窮すれば濫(らん)す」*15)とか「貧すれば鈍す」とも言うけれど、どうかこの夏「窮すれば通ず」*16)で、知恵を絞り熱中症のリスクも考慮して健康と企業活動の維持を図ってもらいたいものである。









*15)どうにもならない立場に追い込まれると、人はつい悪ことでもやってしまう。考えの浅い者はこらえることができない。☆農学博士折井英治編「暮らしの中のことわざ辞典」集英社☆
*16)行き詰ってどうにもならなくなると、かえって、行くべき道が開かれる。人は土壇場に追い込まれると、なんとかやれる。☆同上☆
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安全考その6

2011年05月16日 | Weblog
スポーツ障害

 「スポーツ亡国論」というのがあった。「マージャン亡国論」は聞くがスポーツ亡国論は知らないという人は多いかもしれない。以前本稿でも逆説本について触れたことがある。TQC(全社的品質管理)が盛んだった頃には、「TQCは会社を滅ぼす」的な本が出る。その類で、正鵠を得ているとは言えないが何事も、過ぎたるは及ばざるが如し」で行き過ぎを警告するものではある。

 企業の採用試験でも、学生時代クラブ活動でスポーツをやっていた人が好感を持って受け入れられる風潮があった時代があった。スポーツマンというと爽やかで協調性があって、礼儀正しく、物事に前向きである。「後は会社で育てるから」という時代でもあった。

 本来スポーツそのものに生産性はなく、行き過ぎた商業化もあって、「プロスポーツだオリンピックだと浮かれていると国が滅ぶぞ」、という警告を発したくなる気持ちも分からないでもない。数年前、ラジオで要職にある政治家とあるプロスポーツの代表者の対談で、数学のルートか三角関数だったかを例に挙げ、社会に出てから使ったこともない。若者はスポーツで体を鍛える方がいい。のような話をしているのを聞いて驚いたこともある。

 一歩間違えば、学校のクラブ活動の部室は、未成年者の喫煙者の溜まり場であったり、エネルギーを持て余した良からぬ学生の巣窟と化したりしているかもしれない。それはそれで、青春の一風景であろうけれど、スポーツが尊重されるあまり、学生の本分である学問が疎かになることは問題と考えるのが自然である。もっとも昔から文武両道、いずれにも秀でる人は多い。

 スポーツには確かに多くの効能があり、素晴らしいものであるけれど、反面行き過ぎには弊害もある。要は行う人のコントロールに掛かっているけれど、スポーツの問題点のひとつにスポーツ障害がある。打撲、骨折(疲労骨折を含む)、捻挫、脱臼、肉離れ(筋断裂)、腱断裂、熱中症、スパイクなどによる切傷、網膜剥離(眼病)や昏倒、失神。頭部の強打や頸椎損傷では死に至る恐れもある。冬山登山やダイビングまでスポーツと考えれば、元々死と隣り合わせのものも多いことになる。損傷は慢性化し、後遺症が残る危険もある。また精神的には過度の依存症に陥るリスクもある。

 改善はされているとは思われるけれど、お相撲さんなどは短命を宿命とするような職業であるとさえいえる。オリンピック選手のドーピングもあれほど騒がれ続けて今なお根絶されない。メダルと自らの命を秤にかけてさえメダルを求めるアスリートもいるようだけれど、先述の過度の依存による一種の精神異常とさえ言えるのではないか。

 私の勤めた会社の工場でもスポーツは盛んであった。各種スポーツの同好会活動や職場対抗の各種スポーツ行事を会社は支援してくれた。駅伝大会などは長年工場のメインイベントであった。会社が認めた同好会活動の対外試合や職場対抗競技では負傷した社員の休暇を有給にする制度もあった。

 それらは当時若い社員の多かった会社にとって、社内の活性化と進取の気性の醸成に大いに貢献し、業績にも好影響を与えていたと思う。ただ、社内のサッカー大会や柔道大会では怪我人が続出したことがあって、次回の開催が危ぶまれたこともあったりした。それは、労働災害で休業する社員よりも多いようにも聞いていた。

 スポーツによる体力と根性、集中力やチームワークの陶冶は確かに重要であるけれど、優れた指導者による正しいトレーニングがされなければ、スポーツは健康と安全にとって脅威とさえなる恐れがある。十分な準備運動を行うこと。路上でのジョギングは目立つ服装で行うことなど、基本的な怪我の防止に努めた上でスポーツを楽しみたいものである。
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安全考その5

2011年05月13日 | Weblog
食の安全

 焼き肉店の生肉による食中毒が大きな問題になっている。その被害は、過日の中国産農薬入りギョーザの比ではない。O-111の威力は凄まじく、被害者は相当の痛みを伴うようで、小さいお子さんの苦しみの報道には心が痛んだ。生食用牛肉の安全管理に明確な規格がなかったとか、デフレ下安売り競争の犠牲だなどと、遠因について考察があり、捜査当局は感染源の特定を急いでいるようであるが、要は食肉を取り扱うサプライチェーン全体の日頃からのお客さまに対する尊厳の欠如であり、すなわち「品質管理」思想の欠如である。その拡がりから見ても、十分な管理をしていたのに、たまたま何かの手違いがあったという問題ではないように感じる。

 人は食べなくては生きてゆけず、点滴などなかった時代は、食べられなくなったら命も尽きた。昨今の長寿の一因は、点滴療養ができる点にあるようにさえ思う。また人体は、毎日代謝を繰り返しているから日々摂取する食べ物から形作られていることは自明である。知能や精神状態でさえ食べ物に左右される。どのような食べ物を、どのようなバランスで食べるか。食生活は健全な生活を送る上で非常に重要である。分かっていても昨今は主婦が働きに出る家庭がほとんどとなり、ファーストフードの発達と相まって、食生活の貧困化がいわれる。それにしても食べ物に有害物質や有害な細菌が混入することは論外である。

 しかし、戦後の日本では食糧増産のために米作にHg(水銀)入りの強力な農薬を使った。農薬散布後の田んぼには赤い旗が立てられ、川の河口付近の海水浴場は遊泳が禁止された。微量とはいえHgは米粒に残留し、多くの人の肝炎の原因になったと聞く。

 また、アルミニウム製の調理器具が普及した時期があった。アルミニウムは鉄に比べて軽く熱伝導が良い。鍋などには最適な金属にさえ思える。金属の中でも熱伝導率が良いのは、銀(Ag)、銅(Cu)、金(Au)の順で次にアルミニウム(Al)がくる、鉄(Fe)の熱伝導率はAlの3分の1程度である。

 ところが、鉄鍋は微量ずつ溶け出して食品に混ざってFe分という人体に必須のミネラルとなるのに対して、Alは痴呆など脳障害に関連が疑われて、その後アルミ鍋は姿を消した。悪意はなくとも食の安全が脅かされる事例である。

 戦後は、食塩も科学的な方法で効率的に生産されるようになり、高純度のNaCl(塩化ナトリウム)が食用に供されるようになった。私などが子供のころの食塩は、放置しておくと湿っぽくなったものだ。これは天日干しの製法による天然の食塩には潮解性のある塩化マグネシウム(MgCl2)が多量に含まれていたためで、食塩10g中Mgは50mg程度あった。これが科学的製法では3mg程度まで減少したため、潮解という欠点はなくなったがMgの摂取量不足*12)を招く要因となったのではないか。

 これは気付きにくいことだけど、MgはAlと非常に仲良しである*13)。仮にアルミ鍋から溶け出したAlがあっても、天然塩を十分摂取しておれば、MgがAlを捕捉して、少しでもAlの有害性を緩和してくれたのではないかと勝手ながら考えている。

 人体に有益なミネラルの存在はかなり古くから知られていたと思われるが、個々のミネラルの人体に対する働きが細かく分かるようになった。最近注目されているミネラルに亜鉛(Zn)がある*14)。若い人に味覚障害が多いことが問題視され、その原因が亜鉛不足であるとされた。加工食品に使用されるリン系の化合物(特にリンを2つ持ったもの)などは、強力なキレート剤としての働きがある。2個のリンが蟹の鋏(キレート)のように、亜鉛などの金属を捕捉する。加工食品ばかり食べていると、体内の有益なミネラルを排出されてしまう恐れがあったのだ。因みに蛇毒の一種はたんぱく質の末端に亜鉛が付いた構造をしており、有機キレート剤の投与で60%くらいは解毒できると聞いたことがある。

 食品添加物にはその添加許容量が定められており、「人体に直ちに悪影響を与えるものではない」。放射能汚染に対する官房長官談話のごとくであるけれど、出来得れば、添加物のない自然食品を摂取するに越したことはない。







*12)1日のMg必要摂取量は300mgといわれる。
*13)筆者は、企業の研究室において、重合触媒の脱灰法の改良のため、金属イオンの働きや相互作用を調査していた時期があった。
*14)亜鉛は性機能・妊娠の維持にも重要なミネラルという。その不足は女性の生理不順を引き起こし、男性の精子の減少につながり男性不妊*)の原因になるとも考えられている。40年前は精液1ml当たり1億くらいが普通だった若者の精子の数が、近年2500万~6000万という調査結果もある。*)精液1ml中の精子2000万以下 ☆「元気生活」5月号富田寛医学博士の記事から



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安全考その4

2011年05月10日 | Weblog
防犯

 日本は安全な国とのイメージがある。わが国では古来「水と安全はタダ」という神話があった。昔の日本の田舍を訪れた西洋人などは、開け放たれた農家の佇まいに感動さえしたと聞く。農村では今も古き良き時代のなごりを残すところもあろう。

 しかし、現在では都会といわずほとんどの地域で、犯罪が増加し危険を感じることが多くなった印象がある。一つにはマスコミの発達で事件や事故が悪く言えば興味本位に取り上げられる面もあり、さらに昔なら中々知りえなかった遠方の事件や事故も瞬時に伝わることから、随分犯罪が多いような錯覚を持つ。

 例えば、少し趣が異なるが校内暴力なども、一時期ものすごく多かったような報道があったけれど、私ども団塊の世代でも中学時代校内暴力はまさに日常茶飯事*10)だったけれど、一切マスコミに取り上げられることはなかった。そのためマスコミが発達した後の世代で急に増加したようなイメージがある。

 日本で殺人事件は現在年間約千数百件。ここ20数年1000件から1500件程度で推移している。毎年10万人に1人~くらいの割合で人が殺されている勘定になる。強盗は年毎のばらつきが多いが平均で殺人事件の3倍程度ある。

 殺人事件は、昭和初期から太平洋戦争開戦までの15年間で、人口10万人当たり2~4件程度であり、現代に比べてはるかに多い。戦後も3件台で推移し10万人当たり2件を切ったのは昭和45年(1970年)である。経済成長で豊かになったことが減少の要因と考えられる。

 2000年代に入り強盗の件数は増加した*11)が、全体的な犯罪件数でみても、近年日本の犯罪が増加しているわけではない。人口1000人当たりの犯罪件数で日本は世界で30番台。因みに米国は一桁台。米国の4分の1程度の発生率だ。世界平均の6割程度の発生率とのデータもある。

 しかし、犯罪にも国際化の波が押し寄せて、海外からの窃盗グループが暗躍するなどのニュースもあり、特に一部富裕層に防犯意識が高くなっていることも分かる。戦後の高度成長時代、家電や自動車業界では1代で世界的な企業を築き上げた創業者が名を成したが、その後産業構造の変化もあり、ITそしてネットビジネスなどの業界では、現在も1代で世界に名を成す創業者が現れている。そのひとつに、セキュリティー企業もある。

 あるセミナーで、東京渋谷の当該企業を見学させて貰ったことがある。1962年(昭和37年)日本初の警備保障会社を設立したのは、当時29歳の2人の青年であった。昭和40年(1965年)テレビドラマ「ザ・ガードマン」は当該企業がモデルであったそうな。今やグループ年商6500億円企業に成長している。

 当該企業の犯罪における現状認識として、犯罪件数は減少するも凶悪犯罪は高水準にあり、行きずり・無差別犯罪が増加していること。検挙率が20%まで落ち込んでいること。同じ窃盗にしても金庫ごと持ち去る、また建設重機でATMを根こそぎにする、ガラス窓どころか壁を壊して侵入するなど、手口が大胆かつ悪質化している。などを上げ、備えの重要さを訴えている。資産家の自宅の防犯では、金庫を置く夫婦の寝室を鉄製の扉で防備し、夜間賊が家の中まで侵入しても被害を食い止めるような施工も受けているとのこと。

 もっとも、警備会社と契約して夜間の無人の事務所などの通報システムを徹底しても、警備会社や警察が通報を受けて現場に到達するまでの6~7分の間に仕事を終わらせる犯罪グループもあり、「盾」と「矛」の関係はいつの世に課題となるようだ。

 テロのような犯罪に代表されるように、社会や地域住民の連帯感が薄まると犯罪が生まれる素地が拡大する。犯罪被害者には罪なき弱者も多い。遺族となった人々の恨み悲しみは大きい。個人の防犯意識を高めると共に地域コミュニティーを大切にする必要がある。また、労働災害撲滅活動に見られる「ゼロ災」の理念のごとく、殺人事件などゼロの国を目指す想いも改めて必要かもしれない。
 
 
 





*10)教師の児童、生徒への体罰も日常茶飯事であった。
*11)それでも戦後の1時期の半分程度
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安全考その3

2011年05月07日 | Weblog
知識の重要性

 若い頃に何かの本で読んだ次のような話は、安全管理の一つの教訓となった。

 『先の大戦が終わって中国戦線から引き揚げる日本兵は、大変な思いをした。中国大陸は広い。加えて日本兵には食料がない、水がない。日本兵といっても、徴兵制度や開戦後徴兵された一般国民も多い。青白きインテリといわれるような人から、頭は兎も角、体育会系で体力自慢の無頼者まで様々であった。彼らの中で、無事に生還を果たせたのは、過酷な環境に耐え得ると考えられる屈強な体力自慢の者ではなく、青白きインテリが多かったというのである。それは、体力自慢の者は喉が乾けば、泥水でもすすった。しかし、インテリは、そこに生息する細菌の怖さを知っており、怖くて飲めなかったためだという』。

 産まれおちて、本能的に知っている自己防衛能力は限られており、意識するかしないかに関わらず、体験による感覚知および教えられ、または自ら学んだ知識によって人は危険を知ることは多い。文明社会は利便性の見返りとして新たな危険を限りなく生み出している。人間が作り出した危険物も多い。本能だけではリスクを回避することは不可能なのである。

 例えば、車の燃料であるガソリンや家庭で暖房用に使用している灯油は、非常に燃えやすい危険な液体であることは大抵の人は知っている。その取扱いについては、ガソリンは一層の注意が必要であることも知っている。そんな漠然とした知識に少し科学的考察を加えると危険の本質が見えてくる。

 ガソリンの引火点はマイナス40℃以下(-20℃~-40℃とのデータもある)で激寒地にあっても空気との燃焼範囲の混合気を常に発生させるのに対して、灯油の引火点は40℃以上。すなわち、灯油は真夏でさえその蒸気が燃焼範囲に到達しないのである(但し、霧状に噴霧された場合は常温でも引火の危険がある)。また沸騰する温度すなわち沸点*4)もガソリンは灯油より低く、開放状態においた場合の気化拡散速度も灯油より早い。いずれも蒸気となった場合、空気より重く(約3~5倍程度)低地や窪地に滞留し、引火爆発的燃焼のリスクを高める。
 
 とにかく化学物質には、燃えやすい物から発がん性など人体に非常に悪影響を与える物など、危険なものばかりと考えた方がいい。しかし、それをうまく使えば、錬金術のごとく人類に有益な物質を生み出してくれる。要は取り扱う物質の危険性を熟知して、取扱い法を心得ることが必要と言う訳である。知ることが安全の第一歩なのである。

 労働災害として酸欠事故は多くはないが*5)、一旦発生すれば救助をしようとした仲間をも巻き込む事例が多く、死につながり易い怖い事故である。それらは、事業者の酸素欠乏症等に対する認識の不足が原因で、そのため、労働者に対して必要な知識が与えられていないために発生しているとの報告がある。すなわち、これを防止するためには偏に一般常識以上の知識が必要なのである。

 空気の組成は酸素が約21%を占めている*6)が、マンホール、発酵タンク、穀物サイロ、井戸、基礎抗、トンネルなど換気の悪い場所では、穀物や微生物の呼吸、土中の鉄の酸化などにより酸素濃度が低下しやすい。また船倉タンク、ボイラーなどの密閉された鉄の構造物も、鉄さびが発生すると酸素濃度は低下する。これらの場所での作業では、まずこれら危険性についてよく認識しておく必要があるのだ。また高圧ガスや可燃性液体、空気との接触で酸化劣化する物質などのシールに使われる窒素などの不活性ガスも酸欠事故の原因となる*7)。

 酸欠事故と硫化水素(H2S)中毒*8)は併せて取り上げられるけれど、それは水の酸欠が嫌気性バクテリアである硫酸還元菌を増殖させるためである。動物の体を構成するたんぱく質*9)は、アミノ酸重合体の硫黄架橋された構造をおり、動物や魚介類の死骸が硫黄供給源となり、硫酸還元菌の働きで硫化水素を発生させるのである。

 防災のために必要な知識は限りない。前項の危険予知(KY)と絡め周辺の危険物について改めて調査し、安全作業や日常生活の安全に生かして欲しいと思う。






*4)ガソリンも灯油も混合物(ガソリンは炭素数4~10程度、灯油は炭素数9~15程度のいずれも炭化水素からなる混合液体)のため、一定の沸点を持たない。
*5)酸欠場所における硫化水素中毒と併せ年間20~30件というデータがあり、
 毎年10数名の命が絶たれている。
*6)酸素濃度18%が安全下限。16~12%で集中力の低下、頭痛、耳鳴りなど人体に障害が出る。10~6%では嘔吐、幻覚、意識喪失などさらに重篤な症状が出る。酸素濃度6%以下の空気を吸うと直ちに失神、昏倒、心臓停止。
*7)中央労働災害防止協会編「新酸素欠乏危険作業主任者テキスト」から引用。
*8)空気中50ppm以上で障害が出る。600ppmでは、30分の曝露で生命の危険。0.1%(1000ppm)以上で即死の危険。
*9)人体(60%は水分)にたんぱく質の占める割合は約~20%といわれる。
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安全考その2

2011年05月04日 | Weblog
KY

 この頃は、「KY」というと「空気の読めないこと」、「空気の読めない人」のことらしい。すなわちその場の雰囲気を把握して、その場に合った言動につなげることの下手なことを言うらしい。しかし、私などにとっての「KY」は、「危険予知」である。会社勤めの現役時代、改善提案活動や小集団活動と共に、随分と鍛われた記憶がいまだ鮮明である。「KYT」といえば危険予知トレーニング(訓練)であり、「KYK」、危険予知活動*2)というのもあった。「4RKYT」*3)は4ラウンド危険予知訓練。

 トレーニングでは一般的にはKYT用イラストを用いる。作業の様子の書かれたイラストには、わざと危険な行動や機器・設備の危険な状態が描かれている。そのイラストを見て、危険な個所や行動を指摘する。数人のグループで行うことが多いが、なるべくたくさん上げることが大切。イラストには表現されていないような潜在的な危険源もあげる。その中で特に重大と思われる危険源や行動を絞り込んで、その危険に対する改善策を考えるのである。

 直接的な仕事での作業から、交通事故に関するものまで、職場で繰り返し訓練を受けたことは、仕事上の安全管理だけでなく、日常生活にも大いに役立っている。その延長で、一般の人々の何気ない行動にも注意したい衝動にかられる時がある。ただ、多くは「小さな親切大きなお世話」になりかねないので止めにする。声を掛ける勇気がないだけかもしれない。

 例えば、これは女子高生や小さい子供さんに多いのだけれど、電車の走行中に出入扉にもたれていることがある。もし扉が開いたら、確実に外に放り出される。そんなことはありえない。と多くの人は考えるかもしれない。確かに走行中に扉が開けば、鉄道会社は重大な責任を負う必要があり、人命尊重は鉄道事業の要諦であるから、車掌さん教育をはじめ社内の安全管理を徹底している筈である。電車が走っている時には仮に扉を開ける操作をしたとしても扉は作動しないようになっていると思われる。しかし、安全装置の故障だって考えられる。何かの必要のため、安全装置を解除したまま忘れていたなんていうことも皆無ではない。止まって開くものなら動いていても開くかもしれないと考えた方が自然である。

 最近よく目にするのが、小さいお子さんをつれた若いお母さんの不安全行動。幼児がお母さんの後からついてヨチヨチ歩いている。幼児は手を引いて歩くのが原則で、自立を促すために歩かせるなら、自分の監視が行き届く前方直近を歩かせるべきだ。

 以前ビルの回転ドアに頭を挟まれて亡くなった子供さんがあったが、勿論ビル会社の施設設計管理上のミスは重大であるが、その事をいくら責めても子供の命は帰らない。その命を守る義務は第一に保護者にある。わが子の手を安易に放してはならない。「子供は社会で育てる」などと選挙目当てに親の義務を免責する発言もあるけれど、わが子を守るのは親の責任である。母親の危険予知能力は重要である。

 特にこれからの季節、くれぐれも幼子を車に残してパチンコなどに興じて欲しくないものである。




*2)企業、事業所または職場単位で取り組むKYTを取り入れるなどの危険予知活動。
*3)イラストを見て
 1R:どんな危険が潜んでいるか。「~なので~して~になる」というように表現して取り上げる。グループとして7項目以上はあげたい。
 2R:これが危険のポイントだ。あげられた項目のうち特に重要と思われるものに○印をつけ、さらに1~2項目に絞り込んで◎をつけて、全員で指差唱和する。
 3R:あなたならどうする。◎の項目に対して各3項目程度の対策案を提案する。
 4R:私達はこうする。対策案を各1項目に絞り込み、全員で指差唱和する。
「~する時は~を~して~しよう」ヨシ!
  これらの訓練を現場に生かすと4RKYとなる(Tがとれる)。現場にKYボードを持ちこんで、本日の工事や作業で考えられる危険について上記1Rから4Rを実施する。
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安全考その1

2011年05月01日 | Weblog
職場の安全

 工場には「安全第一」という掛札がよく見られる。企業経営にとって「安全」はその基盤であることは、今回の震災による東京電力の事例をあげるまでもなく、みんなよく分かっている。しかし、中小企業診断士受験の教科書にも安全に関する記述は少なかったし、中小企業診断協会発行の中小企業診断士用テキストの「企業診断チェックリスト」にも、申し訳程度しか盛られていない。診断士の企業診断業務において安全はその周辺業務の位置づけの感がある。

 しかし、私など企業訪問で仕事場を見せていただくと、5Sをはじめとして、安全への配慮ができているか些細なところまで気になる。階段の手すりや滑り止め、注意喚起のための塗色の有無、通路区分の床表示や溶剤等の臭気まで、改善点に加えさせていただくことがある。

 本来従業員にとって、安全な職場は何より優先される筈だけれど、その環境に慣れてしまうと存外危険性に鈍感になり、改善の対象になりにくい。安全管理も時に第三者の視点でレビュー(確認、見直し)が必要である。

 私など会社勤めの現役時代は、職場間で相互の安全パトロールを定期的に行っていたものだ。工場内または部内の他部署をグループでパトロールして、不安全個所や不安全行為を指摘して改善要請するのである。

 もっとも、安全パトロールレベルで摘発される問題と、機器や装置の設計段階のデザインレビューや工場の安全管理体制などの経営者レベルで対応する問題では専門性に隔たりがある。しかし、一般の従業員が他部署を参考にできること、安全について真剣に考える時間も持てることなど、今思えば安全パトロールは非常に有意義な活動であった。

 品質管理の世界で、全員参加の改善提案活動や小集団活動が推奨され成果を上げたと同じく、安全管理についても上からの指図で、規則を守るという受け身の取り組みだけではなしに、自分たち従業員の安全は自分たちで守るという前向きな全員参加の取り組みが大切である。

 私が若かりし頃、目の病気で入院した大学病院に苛性ソーダ(水酸化ナトリウム=NaOH)*1)で目を負傷した若い人が運ばれて来た。すでに応急処置は終わっていたと見えて、その方は待合のベンチに目を閉じ静かに俯いて座っていたが、近くで作業服の年配の方が二人そわそわと落ち着かない様子で付き添っておられた。部下を負傷させてしまった職長さん達であったろうか。後から聞いた話では被災者は失明したという。一旦事故を起こせば、その悲惨さは取り返しが利かない。その場の雰囲気の深刻さから、私は職場の事故の怖さを教えられた。






*1)毒物および劇物取締法による劇物。工業用には非常に重要な基礎化学品であるが、強アルカリ性で人体に接触すれば激しく皮膚、粘膜を侵す。
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