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歴史に学ぶ 第3回

2018年06月07日 | ブログ


 明智光秀がなぜ本能寺の変を起こしたかは、歴史の謎とされている。関連して秀吉の中国大返しも謎の部分があるという。いろんな小説家がその結果を基に過程を検証して推測し、物語としている。

 それら多くの物語を勝手に総括して推測すると、明智光秀は足利将軍家や朝廷とのつながりから、信長の天下に大きな不安を覚えた朝廷に動かせられた公算が大きいとみる。光秀がこれまで通り、各大名がそれぞれの領地を安堵された上での天下を考えていたのに対して、信長はすでに中央集権的国家を構想しており、光秀や秀吉は優秀な高級官僚として遇する制度を考えていた気配があった。この大きな齟齬が本能寺に至ったとする考察も有力ではある。

 信長が光秀に中国遠征を指示し、その際彼が手塩に掛けた坂本を取り上げるという一事が謀反の着火源であった可能性は捨てきれない。しかし、そのような私事より光秀には根底に、朝廷を守るという大義があったように思う。しかし、すでに将軍足利義昭(1537-1597)は亰から追放(1573年)されており、また朝廷も秀吉に刃向う力はなく、光秀を捨て駒にした。

 秀吉の中国大返しは、おそらく十分事前にシュミュレーションされたもので、信長や光秀の行動は多くの密偵から逐一情報を得ていたのではないか。秀吉は信長の近習へも金品を贈りその行動を報告させていたという。秀吉の人間観察力と情報力の勝利である。

 これは当然、現代の企業経営にも通じる教訓である。勿論時代を見る目も重要であるが、まずはトップの重要な資質の一つは人間観察力。部下と言えど、信頼してくれる上司であろうが、敵が味方のフリをしているだけかもしれない。

 今、この国に抜け落ちていると思われるのが、情報収集・管理力。スパイ防止法もなく、公安警察はあっても本格的な諜報機関はなく、政治家、公務員の脇は甘く、ハニートラップの餌食にされる。中国、ロシア、韓国、北朝鮮、勿論米国や英国など同盟、友好国からさえ情報は盗まれ放題のように感じている。どのような内閣であれ、米国に追従するしかこの国の国体は維持できない仕組みが出来ているようだ。

 幕末の坂本龍馬の暗殺についても、誰が、何のために実行したのか謎であるとされる。実行犯さえ特定できていないのだ。

 坂本龍馬については、司馬遼太郎「竜馬がゆく」の大ヒットで、一躍時代を変えた立役者の一人となった。ただ幕末の混乱に乗じた英国(薩長を支援)や仏国(幕府側を支援)の暗躍については十分明らかになっているとは言えず、龍馬が海援隊などを立ち上げるための多額の資金の出所などに疑問を呈する人も居る。

 大政奉還を実現したが、その後の政治の仕組みについては薩長と龍馬の摺合せは十分ではなく、特に西郷率いる薩摩には武力による革命により、徳川将軍家を葬り去る意向があったのではかないか。江戸城無血開城には、同じ薩摩出身で島津斉彬の縁戚にある篤姫救済の心情が西郷に働いたかもしれない。その後の会津戦争では徹底して会津藩を叩いた。

 龍馬は15代将軍慶喜を議長とし、主な大名を議員とする合議制の新しい政治体制を考えていたかも知れない。恐らく土佐の山内容堂もその方向性ではなかったか。龍馬自身に政治家としての栄達を求めるたり、自身でこの国を統率しようという野心はなかったのだ。しかし西郷や大久保にすれば、世の中を変えるには慶喜は廃嫡する必要があった。

 新しい時代に向けて、薩摩は龍馬が邪魔になったのではなかろうか。







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