中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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品質管理ノート 第10回

2018年11月28日 | ブログ
組織をつくる

 品質に限らないのだけれど、何かを管理するためにはまずその管理体制を構築する必要がある。ISO9000でまず要求されるのが、経営者の責任であり、経営者は品質管理のための責任者を選定しその組織体制をつくることであった。

 間違えるのが、組織やハードを整えればこれで良しとなること。その運用こそが大切で実は難しい。わが国の新幹線技術など、ハード面の技術をいくら中国が模倣しても、その運用の緻密さまでは中々真似できない。

 中国などが海軍力に注力して、航空母艦や潜水艦などハード面を充実させているが、その運用と戦略面では、歴史的に潜水艦や航空母艦での実績経験もないことに加え、ハード技術は盗めても、その運用方法や戦略まで盗むことは難しく、米国の打撃力には今の所到底及ばないのが現状のようだ。

 組織は小さいものであっても、まず大切なのはそのトップは誰かということ。企業でも必ず代表取締役が誰かを明示する。それだけトップの影響力は強く、それだけの責任と権限を有するものなのだ。大企業の中の小さな課や係であっても、誰がその長であるかは重要である。

 リーダーとその部下の関係がフレンドシップなものであるか、主従関係的なものであるか、それは組織に与えられたミッション、その達成段階などによってどちらが良いか変わってくる。いずれにしてもリーダーは部下の能力を最大限に生かす対応を志向すべきであり、単に部下に対してやさしいとか権威的であるとかでリーダーの評価はできない。

 品質管理組織の場合、品質管理責任者は社長や工場長となるが、実務は品質管理に詳しいスタッフが務めることが多い。安全管理などもすべての権限と責任は社長や工場長(以下ライン管理者)にあるが、運用面は専任スタッフが取り仕切ることになる場合が多い。専任者は社長や工場長の権限を通じて実務を遂行する。

 品質管理を効率的に運用するためにまず必要なのが、「品質保証体系図」である。組織を横軸に業務の時系列を縦に実施する業務を記入する。組織の左端には顧客がくるが、次に経営トップ、組織の企画部門、営業部門、生産部門、メンテ部門、検査部門などと続く。

 新製品の試作から体系図に載せる場合など、進捗の過程で必ず躓くこともある。その場合計画変更はどの部署に返るのかを矢印で明確にする。試作の合否の基準を明確にすること。商業生産品に対する不適合品の処理やクレーム対応なども、返りラインで検討部署を明示する。

 製造業においては体系図の中央辺りに「生産」がくるが、この部分についての詳細が「QC工程図」となる。兎角このような書類は建前主義で、やたら詳細で緻密に作っているようで、実は実用的ではない場合が多い。詳細な工程図も必要であろうが、現場で使える、使いたくなるQC工程図を作りたい。作業マニュアルや標準書の類も同様。そこに企業組織の運用が上手くゆくかどうかの鍵が隠されているように思う。




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品質管理ノート 第9回

2018年11月25日 | ブログ
サービス品質

 戦後わが国の産業構造は大きく変容した。農業・水産業・鉱業など第一次産業に従事する人口が急速に減少する中、第二次産業(工業)と第三次産業(商業・サービス業など)が伸びた。しかし1970年代に入ると第三次産業がそのまま伸長を続けたのに対して第二次産業は頭打ちとなった。

 大都市圏の工業地帯から工場が地方に引っ越し、さらに中国など海外に拡散していった。国内製造業から溢れた労働者は第三次産業、特に賃金の安い商業や飲食業に多くがパートやアルバイトという雇用形態で就かざるを得なくなった。失業率が低いことは確かに結構な事であるが、勤労者の所得が増えない要因がそこにある。

 政府は少子化対策とか、地方創生などと結構な看板を掲げるけれど、その方策はほとんど的を得ていない。少子化対策には若者の賃金を上げ、結婚できる経済力を付けさせることこそ肝要である。地方創生には、覇権国家中国に進出している工場を直ちに日本の地方に帰還させることである。国内人手不足が喧伝されているが、災害復興とオリンピックが一段落すれば定年延長とAIの発達もあり、いずれ人余りとなる。海外から安い労働力を大量になど、資本家主導のよからぬ考えは止めた方がいい。

 また、見せかけの資本主義と自由貿易で得た富を、軍事費に充てる中国などに投資することは、国内で言えば反社会的勢力に資金援助することと変わりはしない。

 大企業優先、中国に阿る安倍政権はこの簡単な数式さえ解けていない。日中友好40周年かどうか。日本の大企業はすでに中国無しに成り立たないのかどうか。自民党親中派が財界と組んで勢いがあり、安倍首相の近視眼的で建前重視な姿勢と相まって、世界制覇を狙う中国に付け込まれている。自由貿易は自由と人権が保障される民主主義国家間で成立するもので、米国を保護主義と揶揄し共産党独裁国家との自由貿易を主張するなど笑止である。

 先般のAPEC(2018年11月)では米国のペンス副大統領と中国の習近平主席が対立したが、その前に来日し安倍首相と対談したペンス副大統領はその際から繰り返し、安倍首相の中国政策を牽制したのではないかと想像する。米中対立の狭間で中国と仲良くしたい安倍首相は困り果てた表情をしていた。APECの記念写真で中央に並ぶ安倍首相とペンス副大統領の微妙な距離感がそれを示唆している。

 トランプ大統領が仕掛けた中国との貿易戦争は、正しい政策である。米国クリントンの中国との融和政策やオバマの不作為が、どれだけ危険な国家を増長させたことか。

 本題に返る。第三次産業は、ほぼサービス業と重なるが、本来の狭義の品質管理、すなわち形あるものの品質から、サービスという形の見えないものへ品質管理は所掌範囲を拡大する。

 この分野は、科学的管理法から出発していない分、わが国の「おもてなし」精神が有力にも思えるが、サービス品質の均一性からみれば、外資系ファーストフード店のマニュアル方式も軽んじれない。また過ぎたるは何とかで、都度客の心情に配慮し、サービスの押し売りにならない接客が必要で、そこらあたり、相応の教育と経験が必要である。





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品質管理ノート 第8回

2018年11月22日 | ブログ
改善(KAIZEN)

 品質管理と聞けば「改善」という言葉が浮かぶくらい、1970年代頃からこの言葉は世界に普及し、KAIZENとなった。柔道用語(はじめ、一本、技ありなど)、SUSHI(寿司)、SAMURAI(侍)、NINJYA(忍者)、最近の「かわいい」や「おもてなし」まで、世界共通語となっている日本語の先駆的役割を果たした。

 1960年代に加速したわが国の高度経済成長は、乗用車と家電品を筆頭に欧米市場を席巻していった。安いから売れたのではない。品質が良かったのである。性能が良いだけではなく、故障しないという面も含めた品質なのである。もっとも価格という点で言えば、わが国は輸出に関して二重価格を取った。国内販売価格より低価格で輸出したのである。企業は規模の経済により、輸出品の価格を安くしても十分利益を出せる。

 テレビが国内で普及した当時(昭和30年代初頭)、白黒14インチのテレビが4万円くらいしたが、当時の一般的な大企業社員の月給額以上ではなかったか。その意味で庶民はその消費行動で国家施策に貢献している。

 特に家電品の品質で劣勢を強いられた欧米で1970年代頃から、わが国の家電品等の生産・品質管理のやり方(TQC)の研究が進んだ。わが国では欧米の縦割り階層社会では考えられないやり方をしていたのである。またそれができる土壌が豊かであった。

 第二次世界大戦でとことん敗れたわが国は、それまでの社会の有り様が壊れた。明治維新に次ぐ大変換が起こっていた。加えて厳しい窮乏の中、進学できない地方からの中卒の集団就職生や工業高校卒の技能工など中間層が厚く、期待以上の働きができた。QCサークル活動や改善提案制度が人材育成の面でも著しい成果を上げた。小集団活動など、労働者が経営に関わることとして当時の米国などではご法度だった。

 いい加減な会社ではいい加減な改善提案も多かったが、乗用車や家電品を作る企業では従業員は生産者ではあるが、使用者でもあった。使う側の視点で設計にまで提案できたであろう。細かい所まで気配りの設計が行き届くだけでなく、作業員は与えられた作業の細かい点まで、言われなくてもしっかりと仕上げた。

 わが国のTQCを学んだヨーロッパではこれをControl(支配・管理・制御)ではなくManagement(統御・経営)としTQMと呼ぶようになった。KAIZENが世界の企業に浸透した。21世紀アジアの企業にTQMが広がっている。わが国が、IoTだAIだ、M&Aだと、確かにそれも大切だけれど、新しい時代こそ人を育てるところから見直さなければ、この国が足元を掬われる懸念が強くなる。いつの世も企業にKAIZENは不滅である。
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品質管理ノート 第7回

2018年11月19日 | ブログ
人質管理

 1960年代頃の話ではないかと思うのだけれど、松下電器(現、パナソニック)の創業者松下幸之助氏が部下に語りかけたと言う「君な、品質管理は大事やけど、人質管理はもっと大事やで」という言葉は有名である。さらに幸之助氏は、「松下電器は人をつくっています。電気製品もつくっていますが、その前にまず人をつくっているのです」と言っていたと語り継がれている。

 先日、パナソニックのご出身で、在籍当時から松下イズムの伝道師の資格を得ていた中小企業診断士の方のセミナーを聴いたが、その中にもこの話は出てきた。

 ただ、幸之助氏の時代は「品質管理」は所謂狭義の範疇で捉えられており、モノづくりにおける品質をより良く維持するための活動で、顧客のためには何より大切である認識に変わりはないが、そのための人材育成は別のジャンルの課題であったであろう。

 現在のTQMでは、TQCの時代から、実は人材育成は品質管理に必須のものとして捉えられるようになっていた。TQCは「教育に始まり教育に終わる」などという言葉も生まれた。

 ただ、TQMにおける人づくり教育は、あくまで品質を管理するという視点を軸にするが、幸之助氏の「人質」には人間としての真っ当な生き方までも追及した「人質」であるように思える。後に幸之助氏は松下政経塾を創設して、政治家を育てる活動にも精力を傾けられたが、まさに政治の世界にも人質管理を実践したいと考えられたのであろう。残念なことにその部分に於いて夢は遠い。

 改善提案や小集団活動(QCサークル活動)の効能として、問題発見能力や解決能力、そして自身の頭で考える習慣。それはすなわち現場力の向上につながってゆくものとして語られる。しかし、自分たちの判断で仕事を進めることはいいことだが、過ぎれば上司を無視して勝手に権限を持って、管理職でもない従業員が超勤管理やグループで業務の割り振りまでを行うようになったりするから注意が必要だ。

 これに、もの言えぬ上司が加われば職場で企業の目的から外れた共同体化が一気に進む。筋の通らぬ職場となる。上司が部下の顔色を覗わねばならないなど、場合によっては必要なこともあろうが、部下は、勤務中は原則上司の管理下になければならない。大企業の中堅管理職だけでなく、幹部社員もやたら現場の社員に気兼ねすることが常態化している様を見てきた。パラハラは論外だが、嫌われたくなく多勢に無勢に恐れを成して、言わねばならないことを職場の長が押しとどめるなどみっともないことだ。

 外交などでも、きちんとものの言える人物が当たらないと、尖閣問題ではないが、敵国に付け込まれてしまう。今はロシアの北方領土と日露平和条約のことで、ロシア側の術中に嵌らないか懸念がある一方、前進であると評価する向きもあるから素人には分かり難い。

 幸之助氏の「人質」とはまさに背筋の伸び、信念のある、曲がったことの大嫌いな人材を指すように思える。このような人材が営む企業に品質問題は無縁であろう。


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品質管理ノート 第6回

2018年11月16日 | ブログ
検査

 品質管理の第一歩は、出来上がった製品を基準に照らして検査し、基準に満たない不良品を出荷しないことにある。

 ただ、製品によって1品1品検査を必要とし、また検査が可能なものと、ネジや釘のように1個1個は小さく、一度に大量に生産するものの場合のように到底1品1品の検査は無理なこともある。このような場合、等しい条件下に生産した製品集団をロットと呼び、出荷検査もロット毎に抜き取りで行うことになる。

 この抜き取り検査による判定基準によって、全体の不良率がどの程度になるか(OC曲線)、その不良率をどこまで許容するか(AQL:acceptable quality level:合格(許容)品質水準)など、統計的品質管理の嚆矢と思われるものだ。

 液状の化成品(化学薬品等)なども、保管タンクや出荷の際のタンクローリーや貨車のタンク毎に一部を抜き取って(サンプリング)検査をして判定する。コンビナートのように他社に専用のパイプラインで輸送出荷する場合には、輸送中のパイプラインから抜き取って検査することになる。装置産業である石油化学工業では、製品タンクに納める前に工程のパイプラインなどからサンプルを採取して工程検査とする。工程検査の数値の動向によって、工程の諸条件を微調整する、また不適合であれば輸送先のタンクを切り替えることになる。外乱が入らないように行うサンプリングは気の抜けない業務であり、重要である。

 検査の場所・頻度、抜き取り量なども管理項目として決めておく。これをQC工程図に規定するが、特に工程検査で異常が出た場合、どの部署に一番に報告し、対応して貰うかを決めておく(フロー図の返り線の表示)ことが重要で、出来上がってからの検査だけでは、場合によっては不良品の山を作ることになってしまう。

 技術部門でも研究開発・設計部門などはエリート集団の意識があり、それはそれで確かに重要な部署ではあるが、決められたことを決められた通りに行うだけと思われがちな検査部門をどれだけ重視できるか、企業の品質管理意識の強さが問われている。

 検査は精緻なサンプリングに始まり、各種分析機器の校正など地味だが重要な業務がある。より迅速で精緻な分析法の開発もある。品質保証のためには検査部門にも企業を背負うキーマンが必要であり、有名企業、大企業の品質問題撲滅に必要なことである。 
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品質管理ノート 第5回

2018年11月13日 | ブログ
現状把握

 問題や課題を解決するための指針としてQCストーリーがある。TQCの研究から生まれた「シックスシグマ」もMAIC〔(M:Measure、A:Analyze、I:Improve、C:Control):測定(現状把握)、問題点の摘出と目標設定、改善、歯止め〕というステップ解決法を用いるが、いずれにしても最初の現状把握が最重要である。

 現状認識を間違うと問題点の把握もその対策もすべて狂ってくる。現状認識に時間を掛けるべきである。企業コンサルも同じことで、業界の事前調査から経営者への聴取、事務所から工場、倉庫まで見て回ることが大切である。そこで働く人々の雰囲気を感じ取ることが必要である。

 中小企業診断士にやたら専門性を求め、協会の研究会なども必要以上に難しい課題と取り組むことがある。向学心は尊重しなくてはならないが、多くの場合自己満足に過ぎない。本当の専門家は診断士資格など要らないので巷に十分存在する。ただ私は診断士には品質管理のスキルは必須だと思っている。そのため3年前に品質マネジメント研究会を立ち上げた。マネジメントは「経営」であり「管理」とも読める。

 企業勤めの40歳半ばに工場の品質管理課で3年を過ごした。この間工場にISO9002が導入され、課内の担当スタッフとして、その取得に至る経緯をつぶさに経験できたことは貴重であった。この間、通信教育で「統計」を学んだ。ISO9000も統計も専門家からはほど遠いが、その手法を使って実績は上げた。

 工場の各職場にISO9000が行き渡ったところで、品質管理課で用済となった私は、品質管理文書作成の能力を理由に、新規事業の情報電子部品製造の部署に転出となった。客先の大手企業から品質監査が入るということで、準備が必要だが適当な人材が居ない。品質管理の担当者は猛烈に忙しく手がまわらないらしい。実際には開発初期段階の検査中心の品質管理を続けており、みごとに不良品は選り分けられて除去されていたが、銘柄ごとの歩留まりも把握されておらず商業生産でありながらコスト意識も低かった。

 石油化学専業企業が新規事業をと始め、電機電子業界からの若手退職者を採用していたが、転入者は客先へまで、個人への評価を期待するところがあったように診る。ほとんどの者がその後いろんな形で転出していった。当時の採用を担当した人事の責任者の趣向にも問題があったと考える。その後経営者層にまで登りつめたけれど、当時の社長の下、リーマンショックになす術もなかったように見えた。組織の経営者にもっとも重要なことは人物眼である。

 新規事業のリーダー層には優秀な人材も居た。しかし品質管理の素養に乏しかった。歩留まり算出や歩留まり向上の根本解決のアプローチ方法が分からない。TQCもどきの活動も実施していたけれど、IEの真似事ではプレゼンでは誤魔化せても実効は上がらない。

 結局客先からの品質監査はなく、製造現場の歩留まり改善が私の当面の主業務となった。

 現状把握は、まずは現場担当者の声を聴くこと。現場パートさんの協力を得て新たなデータを採る事。誰にも分かりやすいQC工程図を現場と確実に照らし合わせて作る事。3か月後関係職場のリーダーも参加しての私の報告会での説明で、みなさん目から鱗が取れた。「なあんだそうやればいいのか。簡単じゃん。後は専門の技術者に改善して貰えばいいや」。

 組織はとかく失敗の原因究明と対策はそれなりに行うが、うまくいった時に、その要因をきちんと確認し記録を残し、成果を正当に評価して次につなげることを怠る。

 やったことは確かに簡単。TQC(TQM)にある「分けることは分かること」を実践したに過ぎない。難しい学問を習得しても自身の頭脳を謙虚に柔らかく維持できる人は居るが、多くは傲慢で習わないことは分からない人に陥る。習えば習うほど知恵が出なくなることがある。

 研究所時代(1970年代)に一流大学出の修士連中が、「博士号は足裏の飯粒だ、取っても食えない」「研究開発は、修士卒までが良い。博士までゆくと視野が狭まり過ぎていて駄目だ」などと言っているのを聞いた。そのことと符合しないでもないが、要は組織の要所にゼネラリストが必要なのである。専門家ばかりを集めると角が立つばかりだ。

 話が逸れてきた。兎に角、しっかりと現状と向き合うことが品質管理には重要なのである。難しい解析が必要なこともあるが、自身の知識と照合してより難しくするのではなく、シンプルに考え知恵を出すことである。



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品質管理ノート 第4回

2018年11月10日 | ブログ
バラツキの指標

 品質管理は、狭義には製品品質のバラツキを少なくするための管理手法であると言える。製品品質をより良くする領分は、固有技術の範疇であり、現場での品質管理はその設計通りに量産するための管理技術と言える。

 そのためには、バラツキを定量的に捉えるデータ採取が必要で、製造工程等においてサンプリングを行い、随時製品の出来栄えを評価し、運転の微調整などを行いながら最終製品のバラツキを押さえる。

 バラツキの指標として、標準偏差があることはよく知られているが、その計算式やその意味、活用方法まで知っている人は意外に少ないのではないか。もっともその計算は計算式など知らなくても、エクセルは勿論、気の利いた電卓ならデータを入力すれば答えが出るようになっている。

 わが国では近年学校で統計を教えていなかった(学習指導要領から外されていた)時期があったことで、従前(2012年2月)大学生の4分の1が「平均」の意味さえ十分理解していなかったという驚きの調査結果が報告されたりした。しかし、一応品質管理を理解したいと思う人なら、統計的品質管理などと大上段に振りかざす以前に、標準偏差の意味や活用方法、計算式くらいは知っておくほうが良いだろう。

 単にバラツキを知るだけなら、簡易的に最大値と最小値の差(R)を見ることや、平均値との差(偏差)の絶対値の合計をデータ数(n値)で割ったもの、また偏差平方和(偏差の2乗の合計)をn値で割ったもの(すなわち「分散」)の比較でも可能であるが、標準偏差(σ=√分散)は単なるバラツキの指標に留まらず、±σ内に何割のデータが納まっているかを示しており、そのことから所定の範囲から外れるデータの確率を示してくれるのである。

 QC7つ道具というものがあって、QCサークル活動などでも利用されるもっとも基本的な問題解決手法とされるが、この中のひとつである「管理図」にも標準偏差が必要となる。管理幅に過去のデータからの±3σが使われるのである

 ±3σ内には99.7%が入るが、±1σ内には68.3%、±2σ内には95.4%のデータが入る。「1000に3つ」と言われるめったに起こらない事象は±3σ内からの外れとなる。管理図において、このようなデータが検出されれば、直ちにその原因を探索し対策する必要がある。もっとも管理図では、単に±3σから外れたデータだけを監視するのではなく、データが一定数以上(通常7連以上)連続して上昇する、または下降するなど、バラツキ方の異常についても監視するところに真骨頂がある。

 標準偏差に関係はないが、QC7つ道具のひとつであるヒストグラムも、バラツキの形状から異常を検知しようとするものである。
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品質管理ノート第3回

2018年11月07日 | ブログ
続、品質管理ということ

 1990年代に入り、勤めていた工場でもISO9000(ISO9002)を導入することになった。工場の品質管理部内にISO事務局を置き、工場内特に製造部内の各課・係に向け、まず教宣活動を行う。ISO9000の初版1987年版では、特に文書管理が非常に厳しく、対応させるためには各課係に必要なマニュアルや帳票類を整備する必要があった。これまでの日常業務に加え多くの資料作成の作業が発生することになった。

 そのための新たな人員増はない。第一線の気鋭の係長が、ISO事務局に「われわれは品質管理の仕事だけをやっているのではない」という抗議に乗り込んできたことが強く印象に残っているけれど、当時製造部においては安全管理と生産管理が優先され、品質管理を行っているという意識はあまりなかったのである。

 私の入社1年目(1966年)、現場での三交代勤務。所掌プラントは石油化学プラントでも最も危険なエチレンオキサイド(エチレンに酸素が1個ぶら下がった構造をしているため、酸素を供給しなくても爆発の危険がある)製造プラント、そして直接の誘導品であるエチレングリコール製造プラントであった。

 同期入社は10名。新工場へのベテラン社員の異動に伴う穴埋めに備える大量採用であった。工業高校出身者でも機械科卒、工業化学卒が中心で、電気科出身者は居なかったように思う。電気科卒、機械科卒はメンテナンス部署、工業化学科卒は研究・分析要員が中心となるが、そこから外れた連中がプラントの交代勤務に配属された。

 オキサイドプラントの大型のコンプレッサーがある部署は、主に機械科出身者が充てられ、私は工業化学科出身だからグリコールプラント担当となった。工場内の数ある製造プラントの中で、もっともオペレーションの容易な部署であったと思われる。

 しかし、グリコールの最大顧客である東洋レーヨン(現、東レ)はその主力製品であるテトロン(ポリエステル繊維)の原料であるエチレングリコールの品質に殊更厳しかった。私などが入社する以前に、東レの技術者がしばらくプラントに駐留し、その品質管理を徹底させた。ハーゼンNo.(着色判定)基準や蒸留試験に加えてUV規格を導入していた。微量の不純物も紫外線の吸収で検出するようにしていたのである。

 エチレンオキサイドはエチレンプラントのサイドカット品。ポリエチレン原料などには高度に精製されたエチレンが必要なのに対して、エチレンオキサイド原料には少々の不純物は許容された。

 またエチレンオキサイドの高純度品は、界面活性剤用途等にそのまま出荷され、アルデヒドなどの不純物を含む最終精製塔のボトム品がエチレングリコールの原料に使用された。いわば、3級品の原料を使い、恐らく当時世界の最高品質のエチレングリコールを製造していた。

 そのため、工程管理ではサンプリング頻度を多くし、少しでも品質悪化の兆候があればリアクターへの原料供給水をプラント回収水から高純度水に一時切り替えるなど、「品質管理」という意識はないもののそれを立派に実践していたものだった。




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品質管理ノート 第2回

2018年11月04日 | ブログ
品質管理ということ

 戦後のわが国の工業製品の品質向上は、デミング博士*註1)やジュラン博士*註2)の指導によるところが大きいとされている。確かに工業的に大量生産において均一な製品を高い歩留まりで生産するための管理技術は、F.W.テーラーの科学的管理法*註3)やシューハートの管理図(1924年)に起源を持つ米国が発祥と言える。

 しかし、それ以前においてもわが国の産業界における品質管理は立派に存在していたと思える。例えば、陶磁器などの職人が、出来栄えの悪い製品を叩き割る姿をテレビドラマなどで目にするように、出来栄えの評価すなわち品質評価は厳密に行ってきた。焼き上がった陶磁器などもその出来栄えによって、等級が付けられ、芸術品から実用品にあっても高価なものから庶民が買えるものまで等級分けされて販売されてきたと思われる。

 江戸時代の浮世絵にしても、絵師、彫師、刷師の分業で、それぞれが非常に繊細な仕事を熟した。彼らが使う絵筆、絵具、彫刻刀、バレンひとつまでも浮世絵の出来栄えを左右する。立派に品質管理されている物である必要があった。

 農産物にしてしかり。現代において1個100万円もするメロンや一粒1万円のぶどうなども、恐らくその育成期間の管理に繊細な心配りがあって、その出来栄え評価も細心のものがあろう。神戸牛や松阪牛などブランド牛肉にしても同様である。

 また名のある飲食店の調理人の、その味をよりよく維持するために行っているノハウハウとその努力は半端ではないようだ。すべて立派な品質管理である。

 すなわち、われわれの品質管理は、長年に培われた職人技をベースに、顧客の目に見えぬところにも注力した伝統の上に成り立ってきたもので、まさに現代工業製品に冠せられた「メイドインジャパン」ブランドのベースはそこにある。

 謙遜かどうか、仲間内で「私は品質管理が分からない」という言葉を聞くのだけれど、科学的管理法としての品質管理は確かに理屈が難しそうに感じるけれど、品質管理そのものは、われわれが庭で花を育て、野菜を作り、子供たちと紙ひこうきを作り、折鶴を折る作業においても自然のうちに行っているものだ。

 日本人は豊かな自然と四季に恵まれ、山の幸、海の幸から繊細な情緒を育まれ、主婦が家事ひとつ行うにも、出来栄えよく、効率よく改善を繰り返しながら行う。手洗いの習慣、細部にまで心を込める習慣。いただきます、ごちそうさま、ありがとう、すみません。そのような伝統の灯を消さないことがまさに品質管理ではなかろうか。




*註1)米国の統計学者(1900-1993)。1950年に来日し、日本の学者や企業経営者に統計的方法による製品設計や品質管理の手法を伝授した。
*註2)米国の経営学者(1904-2008)。1954年に来日し、現場における実践的品質管理の手法(パレート図による重要度分析など)を講義した。「品質管理は経営のための道具である」として、日本の「品質中心主義に基づく経済」への基礎を築いた。
*註3)20世紀初頭の米国で、方法研究と作業測定により、生産工程を成り行き管理から科学的管理に移行させIE(生産工学)の基礎を築いた。作業標準化と作業管理を可能にする組織形態を創設した。すなわち課業管理を行い、従業員に報酬に見合う一定のノルマを課した。テーラーの他ガントやギルブレスらもその発展に寄与した。ただ、科学的管理法は人間性尊重が希薄として、その後の経営学では見直しがされてゆく。



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品質管理ノート 第1回

2018年11月01日 | ブログ
哲学無き経営

 企業の製品品質不正が止まらない。この10月にも油圧機器メーカーの免震・制振装置の検査データ改竄が発覚。すでに多くの建造物に組み込まれていただけに、公表もままならない所もあって、正確な被害は確認されていないが、1000件は優に超えるようだ。

 背景に、競争が激化する中で、コストダウンを求められる現場は人手不足という現状がある。品質問題、一年前に神戸製鋼所が不正を公表し、三菱マテリアル、日産、スバル、東レと続いた。

 特に製造業にあっては「安全第一」「品質第一」「顧客第一」は単なる建前ではなく、企業存続の前提であり、有識者が後付けでいろいろ苦言を呈するまでもなく、企業の経営者から現場担当者まで、本来骨身に沁みてついていなければならないことだ。

 企業は、製品やサービスを顧客に提供することで収益を上げ、利益を得て発展する。ところがどんなに良い製品やサービスであっても、世間の人が知ってくれなくては売れない。また顧客の投資/効果を満足させるには適切な価格戦略も必要である。マーケティングの4つの要素のうち広告・宣伝や価格に目が行き、最も肝心の製品品質が疎かになる。

 また企業の発展には、ボチボチとモノづくりするより、余った金で金貸しをしたり、M&Aで企業買収を仕掛けたりの方が手っ取り早いという風潮が20世紀後半ごろからこの国にも蔓延した。作業着を汗まみれにして働くより、パリッとしたスーツに身を包み、高層ビルのオフィスでパソコンでも打っている方がお好みとなる。ホンダの本田宗一郎氏やソニーの井深大氏をモデルの世界ではなくなった。

 そして現代の経営者の多くが哲学を失ったのではなかろうか。直截に言えば、お金儲けにしか関心が薄くなり、従業員を一流の技術者・技能者、そして人間的にも立派な人材に育てようとする意志が疎かになっている。

 人件費は費用であり、従ってこれを固定費ではなく、変動費化することだとして、非正規社員の割合を増やす。グローバル競争の中で「背に腹は代えられない」ことも現実であろうが、そこに哲学の趣はない。

 政治にも今や哲学はない。私などが中学生の頃、高度経済成長を主導した池田勇人首相と松下電器(現、パナソニック)創業者松下幸之助氏が「総理と語る」というテレビ番組でこの国の将来について熱く語り合う姿を何度か見た。中学生の目にもこの国の政治家も企業経営者も信じられる存在に思えたものだった。

 現在の政治家も経団連の上層部も学者さえ当時と何かが違うのである。それは人間として自身の生き方に哲学を持っているか否かではなかろうかと思う。





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