中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

企業経営と品質管理(第19回)

2011年02月25日 | Weblog
社会貢献

 企業の社会的責任(CSR:Corporate Social Responsibility)が表立って叫ばれるようになって久しい。CSRとは、企業がその利害関係者(ステークホルダー:株主、債権者、顧客、取引先、従業員など)との調和を図りながら正常な経済活動を行うだけでなく、その社会に与える影響について責任を果たすことである。公害を発生させたり、無理な操業や安全管理を怠ることで事故や災害を発生させること。また贈賄、脱税や決算書の粉飾、株価の操作、杜撰な設計や品質管理で不具合品を流通させたり、詐欺的商法(賞味期限改ざんや産地偽装もこれに当たる)を行うことなど、過去に企業の反社会的行為は数々挙げられる。そのことがCSRを求める大きな世論となったことは確かだ。

 一方、企業の社会貢献も多岐に亘る。良質の商品、サービスを消費者に提供すること。それによって適正な利潤を上げ、納税して国家、地方の財政に貢献すること。従業員を雇用すること。原材料や消耗品の購入により、他企業や地元商店の売上に貢献し、銀行等からの借入金の利息を払うことで、預金者の利子を生み出す。地元商工会議所や経済団体での活動はじめメセナ活動といわれる文化、芸術、スポーツ活動支援やフィランソロピー活動といわれる各種寄付行為やボランティア活動などもある。

 あまり言われないことだけど素晴らしいと思うことがある。企業活動において、従業員の社会人としての成長を促すことである。回転寿司店にパートで入った少女は、これまで家でも包丁を使ったことさえなかったけれど、3か月の研修を経て、刺身包丁を使い鮮魚の切り身を作ることができる喜びを知る*36)。企業組織の中で仕事を覚え、仲間との協働の中で体得する知識、技能、礼儀、協調の精神などなど、生活の糧を得るだけでなく、人間として必要な素養が育まれてゆく。そんなことでも企業は大きな社会的責任を果たしていると思う。

 仕事柄企業経営者の方とお会いする機会が多いけれど、みなさん素晴らしい方が多い。人間として魅力的な方が多い。地位が人を作ったのか、優れたゆえにその地位を得たのか。いずれでもあろうと思うけれど、経営者から従業員まで結果として人を育てている企業の存続価値は高い。

 では、品質管理の社会的貢献はどうか。狭義に捉えても、品質保証された良質の製品を社会に送り出すことで、物品の購入に所与の安心感を与え、社会の安寧に貢献している。また、だいぶん昔にしかも聞いた話であるけれど、「ごきぶりホイホイ」を考案した方は、会社勤めの現役時代、改善提案活動で鍛えられ、創意工夫が日常化していたため、退職後に思いついたアイディアが特許につながり社会貢献につながった。確かに私なども会社での改善提案をヒントに家庭内の改善を行うことはしばしばある。

 また、品質管理を広義に捉えれば、世の中の多くの問題解決の手順に指針を与えていることは、本稿第10回「品質管理の真骨頂」でも述べた。正しい企業活動や品質管理は社会に大きく貢献することを誇りに、一層の研鑽を積みたいものである。




*36)2月17日、TV東京「カンブリア宮殿」より
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第18回)

2011年02月22日 | Weblog
商品(製品)開発

 企業にとって新しい商品(製品)を生みだし続けることは、企業の存続にとって重要である。例えばユニクロは、2000年のフリース旋風で飛躍したが、その後経営陣の交代などもあり一時停滞を感じさせた。しかし、一昨年あたりからユニクロヒートテックが大ヒットとなり、ユニクロブランドは再び大きくなった。ここでは素材となる新しい繊維のミクロの技術も生きている。携帯電話なども、どんどん新しい機種が生まれ、今やiPhone(アイフォーン)のようなタッチパネルタイプが主流となった。このタッチパネルで、世界的シェアを誇る日本企業がテレビで紹介されていたが、このような携帯型の通信機器等では使用する二次電池(充電式電池)も重要である。新商品開発を支える技術は多くの分野が絡み合って進歩する。研究者は分野ごとに世界で一番を目指す。

 先日(社)日本品質管理学会のクオリティパブに参加した。セミナーではあるけれど、ビールとおつまみが出る。ウーロン茶は勿論、ウイスキーさえ準備されていた。参加者は飲みながら食べながら歓談したり、講師の先生の話を聞くのである。その時のテーマが「品質機能展開(QFD)」の真実」であり、まさに商品開発手法の話であった。QFDについては本HPエッセー平成22年10月6日「続、品質保証再考其の13」を参照いただきたい。

 このような手法そのものについては、短時間のセミナーで会得することはできない。それが目的でもない。しかし、関連していろんな話を聴けることが嬉しい。商品開発ではどのような商品を開発するかが大切であるが、その方向性を掴むためには、過去、現代から未来に向けた世の中の変化に伴った顧客の心をつかむトレンドを読む必要がある。企業のマーケティング戦略も進歩している。例えば現代は「経験経済」の時代と言われ、またコンセプトの時代と言われる。すなわち商品開発ではこの時代を読む必要があるというのである。

 商品経済の発展につれて差別化された機能的商品*33)が求められ、そのためには開発と生産力が競われたが、近年ではさらに利便的サービスが求められるようになり、その仕組みと提供のノウハウが重要となった。現代が「経験経済」の時代であると言われるのは、顧客の心の中に作られる情緒や感性に根付いた経験を提供できる商品の開発*34)が必要な時代だということである。商品の中にこの感動的経験を盛り込むためには、創造と演出が必要であり、工業の時代に求められた工場労働者や情報の時代のナレッジ・ワーカーに加えて、コンセプトの時代には創造する人、他人と共感できる人がより求められるのだという。

 一方、世界的にみれば人口のほとんどを占める新興国などを中心にした貧しい層*35)をターゲットとした商品開発も見られる。インドでは世界一安い車(約2000ドル)とか、日本円で6,000円の冷蔵庫(チョットクール)などが市場化された。それらのニーズに応える為にどの機能を省くのかが問われる商品設計が求められる時代ともなっているという。

 QFDの、例えば品質表では顧客の要求事項を商品の特性(計測可能な性質)に転換するためにマトリックス表に展開するけれど、そこに書き込む内容も商品開発の巧拙を分ける。顧客の要求事項などの言語データは、想いを正確に伝える表現が必要で、そのためには気付きを与える豊かな感性が重要であり、正しい日本語や言い回しの表現力が必要となる。講座では左脳、右脳の話にもなり、右脳を磨く必要性が説かれた。

 全く別のセミナーで、観光地などでは顧客満足だけでは中々再訪されることは少ないことを聞いた。時間とお金があれば人々は別の観光地に流れる。リピーターを生む2大要素とはおいしい食べ物とその土地での人々との関わりだという。観光資源に絡めた地域のまち興しも盛んであるけれど商品開発も地域のまち興しも共通する点の多い課題である。企業経営からまち興しまで、品質管理の手法が活躍できる領分はさらに広いのである。







*33)商品・サービスが、その機能やベネフィットの追及だけでは、結局コモディティ化(どの企業の商品も同じものとみなされる状態)し、代替可能なものとなるといわれる。
*34) より強い差別化、ブランド化を可能にする。この商品の代表がディズニーランドやWindows XP (ウィンドウズ エックスピー)といわれる。XP は「経験、体験」を意味する experience に由来すると言われる。
*35)日本などでも中間層が減少し一部は上層に移るが、下層が増えると言われている。

本稿は、2011年2月17日に行われた(社)日本品質管理学会クオリティパブでの玉川大学/大藤正教授のご講演とその資料および参加者のご発言などを参考にしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第17回)

2011年02月19日 | Weblog
企業再建と品質管理

 日本航空(JAL)の会社更生法手続きが開始(2010年1月19日)されて1年余りが過ぎた。『2009年度の営業損益は1,467億円の赤字であったが、2010年4月から11月の営業利益は1,460億円の黒字が見込まれている。これは、為替や燃油価格の低下という追い風もあったが、ほとんどが地道なコスト削減の積み重ねである。聖域とされていた運航乗務員や客室乗務員のタクシー通勤の原則撤廃や客室乗務員による到着時における機内清掃や、地上係員の代わりとなるゲート業務など、意識を変えて取り組んだ』(文藝春秋2011年3月号「JALと日本経済日はまた昇るか」*31)より引用)とある。

 再建の過程を東京放送の「ガイアの夜明け」(2月1日放送)でも見た。稲盛会長によるリーダー研修の成果が強調されていた。機長を束ねる部長でもある機長の述懐は、「これまで会社が赤字であるとか、無配になったとか聞いてもほとんど関心がなかった」というものであった。その機長が、自分の機に乗ってくれたお客さまに再びJALに乗っていただくように心を配るようになる姿をドキュメンタリーは映し出した。一方で解雇通知を受けた年配の客室乗務員などによる解雇取り消しを訴える集会なども伝えていた。

 今年度中に16,000人の人員を削減する大幅なリストラ計画*32)には、債権放棄、赤字路線からの撤退、大型機から高効率の小型機などへの切り替え計画、年金改革の実行なども当然含まれる。これらの再建計画の上に社員の意識改革であり、地道なコスト削減努力があって黒字化がある。

 それにしても、経営破綻前の日本航空の体質は、以前よりマスコミなどでも盛んに問題視されているわが国の役所体質と酷似しているように思える。何も公務員そのものが悪いのではない。公務員は企業でいえば従業員。経営者は政治家である。国家なら政権与党、地方であれば首長である。歴代政治家に経営センスがないために、及び選挙を有利に戦うために、バラマキをやり官僚機構を膨張させたものであろう。従業員である公務員がさぼっているわけでもなかろうけれど、やっている仕事の多くの部分で報酬に値する付加価値を生んでいないのである。それらの証左として国の借金は増え続けている。このままゆけば国家の財政の破綻は必至である。政府は増税により国民にそのつけを回そうとしているけれど、現体制のまま増税しても、使うお金が増えるだけで借金は減らないのではないか。

 再び、「それにしても」とため息が出る。破綻前の日航も現在の政治家も公務員も品質管理を学んでいないことが、本稿の読者にはお分かりであろう。一般のまともな民間企業では、従業員が品質管理を学ぶことで、自ら改善改革に取り組んで来ていることをこれまでに繰り返し述べてきたからである。






*31)日本航空会長稲盛和夫氏と東京理科大学大学院教授伊丹敬之(ひろゆき)氏の対談記事。
*32)破綻時の負債は2兆3,221億円。債務超過額(借金の額が資産総額を上回る額)9,500億円。債権放棄額5,200億円。公的資金3,500億円投入。従業員48,714人を32,600人に減らすなど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理第16回

2011年02月16日 | Weblog
内部統制

 米国はじめ日本でも証券取引に関わる不祥事が相次ぎ、投資家保護の観点からも、企業の不祥事を内部からなくしてゆく仕組み作りがより強く求められるようになった。2~3年前頃には「内部統制」という言葉が企業経営の新たな課題となった。それは、平成18年7月4日施行された「金融商品取引法」における財務面からの統制(平成20年4月1日施行)であり、会社法における「業務の適正を確保する体制」の整備に対しての要求である。法的には会社法にいう大会社*28)に課せられたものであるけれど、仕組み作りはすべての企業にとって有益なものとしてその取り組みが勧められた。

 しかし、品質管理の世界では品質保証の観点からすでに当然に行われていたやり方がある。以前にも本HP*29)に次のようにことを書いた。『この仕組み作りに、品質管理では昔から取り組んでいた。品質保証という取り組みである。商品を購入した、またはサービスを受けた消費者には、その製品やサービスの一次的な良し悪しは判断できる。しかし、消費者には判り難い品質がある。・・・・・

 ・・・このことを分かりやすく説明するため、「飛行機や電車」また「レストラン」のソフト面の品質を例に挙げる。「飛行機や電車」の品質とは、乗り心地、目的地までの時間そして機内サービスなど。その前提となる品質がある。操縦・運転する人は定期的に訓練を受けているか、機体・車輌の整備は出来ているか、車内やトイレの消毒はされているかなど。また「レストラン」の品質とは、料理のおいしさ、お店の雰囲気そしてサービスなど。ここでも前提となる品質がある。安全な食材の使用、調理人や厨房の衛生状態や食器の洗浄の徹底など。これらお客さまの目に見えない「前提」の部分をどのように保証してゆくかが真の「品質保証」となる。ISO9000などはまさに顧客の立場から普段お客さまの目に見えないところの徹底を、その管理システム面から要求しているのである』。

 現在TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への参加に関して賛否が国論を2分している。反対の中心にあるのは、食料自給率の確保や「食の安全」、農地を守ることによる環境保全としての農業保護の訴えである。

 「食の安全」と言えば、中国がすぐやり玉に挙がるけれど、従前よりわが国でも多くの事件があった。相当古い話だけれど砒素入りミルク事件もあったし、PCB油症事件*30)などはまだ記憶に新しい。最近でも事故米転用、賞味期限改ざん、産地偽装など大企業から老舗企業までが問題を起こした。食品業界に限らないけれど、企業が法律はじめ社会的規範を完全に守ることは中々難しいようだ。

 企業には、情報システム管理や安全管理の難しさに加え、社員による機密漏洩や金品の横領、セクハラ、パラハラ、取引先との癒着による背任などのリスクもある。企業を健全に保つために、内部統制は自ら行うことが企業存続の前提とさえなるものだ。

 大相撲が横綱の暴力事件から野球賭博、そして極め付けが八百長の動かぬ証拠の発覚と不祥事続きで、日本のひとつの伝統文化が消滅の危機さえ迎えている。少なくとも公益法人の認可は取り消されるであろうが、それらを仕切る政治の世界はどうか。野党時代、政権党の金権体質をするどく批判し、秘書が逮捕された自民党有力議員は議員辞職に追い込みながら、自らを律することにはあまりにも甘い。しかも税金から多額の政党助成金を受け続けて素知らぬ顔である。政治家は本来国民の軌範とさえならねばならぬものであろうに。内部統制が必要な組織は企業だけではないのである。








*28)資本金5億円以上または負債総額200億円以上の会社が該当する。
*29)本HPエッセー平成20年10月10日の「品質管理のすすめ⑭内部統制と品質管理」
*30)熱媒体としては非常に優れた性情を持つPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、製造配管の不具合で食用油に混入し、摂取した多くの人に深刻な健康被害が出た事件。1968年。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第15回)

2011年02月13日 | Weblog
経営ということ

 「論語読みの論語知らず」、「医者の不養生」など知っているようで分かっていない。知っているだけで実行が伴わない。など知ったかぶりを揶揄する格言がある。「経営」という言葉なども、私どものような中小企業診断士とか経営コンサルタントを生業にしている者が本当の意味で知っていると言えるのか。今を時めく経営者といわれる人だって、その著書に『当時は「経営」と「商売」の区別すらついていなかった頃で・・・』などと記述していることをみると、案外「経営」という言葉は日本語として理解しても、腹に落ちて「これだ」とつかみ取るまでにはそれなりの修行が必要のようにみる。

 「品質管理」なども同じことで、掴みきるまでには現場での失敗も成功も経験してなるほどと理解できる。それにしても、何かの機会に品質管理の勉強を始めてみれば、統計学など、ややこしい理論を振りかざされて挫折して、結局あまり好きになれずに気持ちが離れていることが多いのではないか。

 「品質管理とはお客さまを大切に思う気持ちであり、自分の持ち場の次の仕事を担当する人が自分にとってのお客さまである」*26)と理解すればいいことである。そしてそのために「自分は何をすればいいのか」と考えるところから理論的な学びを始めれば挫折は少ない。「企業経営」だって突き詰めれば品質管理と同じことで、お客さまを大切にする気持ちがベース*27)なのだけれど、ここではその「仕組み」を作ること、その仕組みを「運営する」こととなるのではなかろうか。では、そのために何を知り、何をしなければならないのかが経営を知る始まりとなろう。

 経営学は「企業活動とは」に始まるけれど、それは、金融市場、原材料市場および労働市場から資金、原材料そして人員(労働力)を調達し、付加価値を与えて製品を製品市場に提供することで資金を回収することである。これら企業の外部環境に対する活動と共に、企業内部の生産なり販売活動に関わる内部組織に対する働きかけが必要となる。これら全般を効率よく運営することがまさに「経営」であろうけれど、企業を巡る環境は、法律あり、地球環境との関わりや地域社会との繫がりもある。また多くの情報を整理し、グローバルな観点から、過去を知り現在を踏まえ将来を見据える洞察力が必要であり、結果として、経営を司る者には多岐にわたる見識と判断力を問われる。

 それより何より、実際に企業経営をやる中で、いろんな試みをしながら失敗と成功を実体験しながら体得してゆく部分が多いものであろう。そしてそれらのすべてが、人間社会で行われる人による活動であるならば、「人づくり」の大切さに思い至ることは「品質管理」の世界と同様である。







*26)TQC(TQM)にいう「次工程はお客さま」
*27)社内教育では、従業員に「あなたの給料は誰からいただいていますか?」という質問がある。「上司でしょうか、それとも社長から」。「いいえ我が社のお客さまからいただいているのです」。という答えによって、お客さまを大切にと教えたりする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第14回)

2011年02月10日 | Weblog
経済性分析

 品質管理を学び、その手法によって歩留まりを向上させる。また問題発見能力を高めることで、改善を積み上げコストダウンを達成する。それらの活動の過程で関連する諸技法を学ぶことになる。例えばIE*22)であり、VE*23)、 OR*24)である。また会計学なども本来必要になる。それらについてどこまで専門性の高い知識を持ち得るかは各人の興味と努力に負うところが大きいが、少なくともそれらの概念は、現場の改善のために理解しておく必要がある。そしてそれらを総括して、基礎となるのが経済性という考え方であり、経済性分析*25)ではないかと思う。

 経済性分析は、改善を行う場合にも、何らかの経費を必要とする場合に都度行う必要がある。例えば歩留まり改善の効果は、生産性の向上、原材料使用料の低減や検査の効率化、手直し費用や廃棄処理費用の低減、不良品流出危険の緩和など多くのメリットが考えられるけれど、歩留まり改善のために設備や機械への投資や新たな人員が必要となる場合などには、やはり費用対効果の検討が必要となる。

 原材料や包装材の購入にしても、保管コストに陳腐化リスクも勘案して最小在庫を目指すなら、発注量を少なくして発注頻度を上げることが考えられるけれど、反面価格が高くなったり、発注コストの増加などの懸念があることは考慮する必要がある。

 また、コストダウンのための改善実施にあたっては、単に直接的な費用効果だけでなく、安全や環境への影響や企業内の人間関係、得意先や仕入れ先との関係、消費者からの信用やイメージ、地域社会への貢献等インタンジブル(非金銭的)にも配慮した総合的な観点で評価しなければならない。それは、経済性分析の実効を得るための前提となるものである。

 その他、製造業におけるプロダクト・ミックスの決定や内外作区分の合理的決定、機器を購入するかリースとするかなどにも経済性分析は欠かせない。経営者の課題となる設備投資の経済性計算手法には、現在価値を用いて将来の異なる時点のキャッシュフローの金額を、現時点での価値へ割り引いて評価するDCF(Discount Cash Flow Method)や回収期間法などのように割引現在価値を考慮しない方法があった。

 いずれにしても、改革・改善は企業経営にとって日常的に必要であるものだけれど、それを錦の御旗にすることなく、諸般の情勢を加味しながら冷静な経済性分析を経て進めるべきものであることを忘れてはならない。









*22)(Industrial Engineering:生産工学、経営工学とも訳されている)元々、製造現場を対象とした改善・向上の技術であった(狭義のIE:テイラーの科学的管理法とギルブレスの動作研究が統合された作業研究中心)が、近年は企業の経営活動全般にわたって生産性を向上させる技術として発展している。
*23)(Value Engineering:価値工学)製品やサービスの「価値」を、それが果たすべき「機能」とそのためにかける「コスト」との関係で把握し、システム化された手順によって「価値」の向上を図る手法。この場合の「価値」は、そのものが持つ役割、機能で判断されるもの(使用価値)とそのものを所有することによって得られる満足感などで判断されるもの(貴重価値)が対象となる。
*24)(Operations Research:オペレーションズリサーチ)数学的・統計的モデルやアルゴリズム(問題を解くための効率的手順を定式化した形で表現したもの)の利用などによって、さまざまな計画に際して最も効率的になるよう決定する科学的技法。経営における意思決定のための科学的アプローチとして、需要予測や複数の製品を材料や人員、機械などの制約の下、最大の利益を得る各製品の生産量を決定するための「線形計画法」などに活用されている。
*25)個々の家計上の問題からNPO組織、企業に至るまでその組織を合理的に経営するために、できるだけ「経済的に有利な」案を選択しようとする。そのために行われる分析を経済性分析という。経済計算や採算分析も同義。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第13回)

2011年02月07日 | Weblog
なぜ1億円を超えるコストダウンができたのか

 無駄の撲滅は、政府の事業仕訳にも見るように、どこまでを無駄と言うのか線引きが難しい問題が多い。しかし、最低限無駄かどうかの検討が常に必要なことは言うまでもない。そしてそこに、先にも書いた(本稿第10回「品質管理の真骨頂」)けれど、問題発見能力が問われる。

 問題には、直接コストに跳ね返らない漠然としたものもあるけれど、通常コストは定量的に把握できるわけだから、何にいくら使っているかまずしっかりと現状把握してみることが必要である。品質管理にいうQCストーリーはそこから始まる。企業再建の世界では、事業DD(デューデリジェンス=精査)と言われる。

 会社勤めの41年5カ月の間に、私は数多くの職場を経験した。その事は、今を支える大きな財産である。その勤めの最終段階で担当した物流の仕事では、随分と無駄を見つけ1億円を超えるコストダウンの実を挙げた。その第1歩は、自分の印鑑で決済しているすべての費用の記録を自分で取ることから始まった。経理担当者任せでは、突出した経費の膨らみや、過去に実績のない費用項目の支出が無い限り、問題視されることは少ない。一般に職場のリーダーの面子は守られる。

 企業組織は大きくなるだけ権限移譲は已むを得ず、それぞれの長がシビアに所轄のコストを管理しない限り、大企業病という病に侵される危険が大きくなる。小さい会社ではなおさら、経営者が厳しいコスト意識を持ち続けない限り、繰り返し襲ってくる不況の嵐を乗り越えることは出来ないであろう。

 物流業務においては、在庫管理の費用が大きい。製品在庫管理は本来営業と生産管理部署の仕事となる。物流部門がその量を決められるものではない。しかし、その問題をアピールすることはできる。また、近隣契約倉庫へのシフト費用の削減のために、工場倉庫からの直接出荷割合を増やす算段は出来る。直接出荷の割合を増やせば、契約倉庫への入庫料、保管料、出庫料と多くの費用が削減できる。また、一定量単位で取引される製品では規定量に満たない端数がいつまでも在庫されていることがある。うまくまとめて売ることを考えることが必要である。

 借り上げ倉庫(坪借り倉庫)を見てみると、使わなくなった包装材やパレットの山ということはないか。見て見ぬ振りの問題の先送りかどうかは兎も角、放置されていることがある。面倒でも早めに整理すること。それも廃棄物扱いにすると費用が発生する。使わなくなった仕様のダンボール箱でもフレキシブルコンテナーでも、必要とするところに安くてもいいから売りさばく。その収入は僅かでも、空いた倉庫は製品が置けるし、借り上げ面積を減じることができれば、借り料を倹約出来ることが大きい。

 包装材の発注もリスクを取って取引最小単位で小まめに行う。担当者の心がけ次第で出来るならコストは掛からない。日常的に在庫量の変動が分かるようにエクセル表で管理すればいい。過剰な在庫は保管料が掛かるだけでなく、キャッシュの流出を伴い、陳腐化の恐れもある。

 包装材等も品質には十分配慮しながら、購買部と連携して安価購買を志向して購買先を探索する。原材料なども長年の付き合いというしがらみで、他のメーカーからの購入検討もせず、結果高いままに購入していることがあるのではないか。

 その他、製品配送を委託する物流会社の選択と契約価格交渉から、製品に貼るシール1枚、ロットカード1枚の仕様とその購入先まで検討し直してみることなど必要な検討項目は多い。後は骨身を惜しまず実行することだ。そしてその結果を検証して次につなげるために「PDCA」を確実にまわすことだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第12回)

2011年02月04日 | Weblog
なぜ歩留まりは飛躍的に向上したのか

 製造業におけるコストにおいて、不良品を作ってしまった部分のコストほど無駄なものはない。ただ、不具合品は良品を得るための捨石*21)であり、その意味で良品製造のための必要コストであり、必ずしもすべて無駄とは言えないという考えで納得しているのが現状であろう。また、最近は原材料の回収リサイクルや不具合品の程度によっては、格外品として安価販売など諸々の方策による救済もあり、ここでもすべては無駄になっていないという慰め理論で歩留まり向上への努力を止めている場合が見られる。

 確かにあるレベル以上に歩留まりを上げる方策には、よりコストが必要となってしまうリスクがある。歩留まりにもどこかに妥協点というか限界点はある。しかし、それはしっかりした工程解析を行い、現状の不具合の原因を検証した上で結論づけされなければならない。

 特に開発段階から商業ベースへの移行期には、工程毎の歩留まりも、銘柄別の歩留まりもしっかりと把握されていないことがある。全体の投入量と製品の産出量から推して、歩留まりを勘定している程度の管理状態であることがある。勿論大赤字であるが、将来性を見込んだ開発投資の一環として事業は継続を許容されていたりする。

 そのようなケースでは、品質管理の担当者は厳しい出荷検査によって顧客からの苦情を受けないことを第一義としていることがある。どうしても工程管理まで目が行かない、というより工程管理は生産管理部門の仕事だと思っている節があったりする。生産管理部門からしても、品質管理担当者にとやかく言われたくないという気分もある。全体最適には職場のボスのリーダシップが重要だけれど、それぞれの担当者を説得するだけの論拠を持たないケースがある。要はいろんな知識・経験がありながら、ボスが品質管理について体得していないケースだ。

 そんなボスの要請に応えて、大幅な品質改善に貢献した経験がある。まずやったことは、現場をまわって正確な工程フロー図を描き、それを独自のQC工程図にまとめた。そして工程検査のパートさんにお願いして、不良品の種類ごとにそれぞれの箱に入れておいて貰うようにした。午後4時にパートさん達が仕事を終えて帰った後で、それぞれの箱の不良品の数を数えた。3か月が過ぎて、関係部署のリーダーなど技術者を交えた報告会で、私の検討結果を報告した。研究・開発を中心に仕事をしてきた有能な知能が見落としていた知恵に、彼らは「目からうろこ」を体験することになる。工程毎の、そして銘柄ごとの歩留まりが明らかになり、今後の改善の方向性さえ明確になっていたからである。

 何のことはない。私からすれば生産工程をフロー図で「見える化」すること。銘柄別、工程別歩留まりを分けて計算したこと。不具合品の不具合の異なりはその原因の異なりを意味する。ゆえに不具合品の中身についても「分けることは分かること」を実践したこと。加えて、現場の担当者の話をよく聞いて、彼らの考える歩留まりが悪い原因の推論についても仮説検証も試みたことなどであったに過ぎない。

 結果、歩留まりは平均で70%程度から96%を超えるまでに改善した。商業生産で利益の出る水準まで歩留まりを上げることが出来たのである。







*21)鉱山・炭鉱で、採掘・掘進などの際に生じ、棄てられる無価値の岩石。囲碁で、取られることを承知で、他の手段として打つ石。さしあたって効果はないが、将来における利益を予想してする投資、また予備的行為。など。By広辞苑。囲碁の世界では、同じように取られる石も、「捨てる」のと「取られる」のでは全く意味が違うといわれる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

企業経営と品質管理(第11回)

2011年02月01日 | Weblog
なぜ世界一の触媒を開発できたのか

 私は、会社勤めの内でも若かりし頃、研究所において世界一のプラスチック用触媒の開発に携わることができた。その経緯は本HPの最初のエッセーである「プロジェクトZ」(平成20年4月-5月)に詳しいが、今さら想うにひとつの日本的経営というか日本の品質経営の成功例ではなかろうかと思う。あらためて品質管理の歴史を交えて、そのことを振り返ってみる。

 従来安かろう悪かろうの代名詞であったという「made in Japan」の戦後の品質管理は、1949年米軍のMIL規格がGHQを通じて導入されたことに始まる。翌年1950年に始まった朝鮮戦争に備えて、日本をしっかりとした兵站基地にするための米国の戦略であったと考えられる。翌1950年、日科技連の招きでデミング博士が来日、1954年にはジュラン博士が来日し、品質管理をわが国に伝えた。ここに戦後日本の品質管理がスタートした。併行して経営学のドラッカー博士の考え方も日本の多くの経営者に取り入れられて、日本独自の品質経営が形づけられていったものと考える。

 私が入社後まず配属された製造プラントの交代勤務から研究所勤務になったのは1971年6月のこと。当時わが国の品質管理は、前年の1970年に日本品質管理学会が設立されているくらいで、まだまだしっかりとした体系を構築していたとは言えなかったのではなかろうか。当時すでに自動車や家電業界ではQCサークル活動などが盛んに行われていたと思われるけれど、私どもの会社、工場ではそのような活動は未だ行われていなかった。

 職場は、ポリエチレン用の既存触媒の改良と革新的な高性能触媒の開発を担当していた。スタッフは若く、20代半ばの研究補助者が、職場のパートによっては仕事のやり方の実権を握っているようなところさえあった。社員が若い会社でかつ装置産業である会社の人件費負担は他産業に比較して小さく、給与水準は一般企業に比して高かったし、日本の高度経済成長の波にも乗って、社内にも活気があった時機であったといえる。

 職場の構成は、一流といわれる大学の修士課程修了以上の学歴を持つ研究者と、われわれ工業高校卒業者の研究補助者で成っており、研究者は自らも実験を行うが、もっぱら実験は補助者の仕事という2階層の分業体制であった。しかし70年代半ばからポリプロピレン触媒の共同研究で付き合いのあったヨーロッパのブランド企業の研究所では当時、研究者から実験器具の洗浄作業を行う者まで7階層くらいに人と業務が分かれていたと聞いた。

 比較するとまず、それぞれの担当者に仕事へのやりがいが違う。しかも人的階層が多いと情報が分散する。研究者に上がってくる結果のデジタル情報だけでは、微細分からない部分がある筈である。しかし指示命令はしっかり徹底していたと思われ、単純なスクリーニング実験では効率的なところも見せた。最も優れた触媒の第三成分の探索などでは、ブランド企業は成果をあげた。一方われわれの研究室では、研究者と補助者のコンフリクト(衝突)も一部には見られた。

 しかし、われわれが彼らの10分の1程度の陣容で同等以上の研究成果をあげ得た決定的なものは、階層に関係なく全員が考える人になり、より良い結果を求めたことにある。それは当時のわれわれに自覚はなかったのだけれど、品質管理の求める全員参加そのものの成果であった。

 サッカー・アジアカップでの日本チームの活躍に称讃の声が大きい。神がかりと言われたキーパー川島選手、決勝戦で決勝ゴールを決めた李選手プラス長友選手のように、一人一人の技量は重要であるけれど、何より控え選手も含め全員が心を一つにして勝利への執念を燃やしたこと。チームワークの大切さがメンバー全員に体得されていたことが大きいのではないか。

 振り返ってわが国の失われた20年。欧米企業が日本の品質管理や経営法を必死に学んだ一方で、日本企業はそれまでの成果の要因を忘れ、中途半端な成果主義的人事制度などで目くらましの人件費抑制策をとった。顧客に真に向き合うためには、まず従業員に真剣に向き合わねばならぬことを忘れ、品質管理を忘れた経営がそこにある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする