中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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実戦柔道第20回

2014年11月28日 | ブログ
実戦柔道の役割

 核戦争まであと何分という、米ソ核戦争までのカウントダウンが日常となっていたような冷戦時代。ベトナム戦争、イスラエルや中東での戦乱も、反戦フォークソングが流行った程度の平和な日本に慣れ親しんで、「戦争反対」、「基地反対」、「自衛隊増強反対」、「平和憲法維持」と叫んでおれば平和でおられると信じている能天気の文化人や何が革新なのか不明だが、そう呼ばれる政党の面々、その類の評論家やニュースキャスターなど。

 現在の中共軍の覇権行動をどのように見ているのだろうか。順法意識の低い中共軍の台頭によって、南の海で空で危険なバトルが繰り返されているようだが、その多くは報道されていない。まさか、わが国は米国と中国どちらの影響下でも同じではないかと思っていないだろうか。香港はじめ中国の民主化運動の活動家たちの想いは間違っているのだろうか。中共の勢力圏に組み込まれれば、わが国民の権利や自由がどれだけ制約されるかを考えているだろうか。

 わが国は、個人的な拳銃の所持などが厳しく規制されており、単一民族からなる伝統ある歴史国家ということもあって、世界の国々からみれば比較的犯罪の少ない安全な国である。しかしその為、自分の身は自分で守る意識が薄い。警察が守ってくれると思っている。しかし警察は確かに犯罪の抑止力とはなっているが、出動するのは事後であり、傷つけられ、奪われ、殺された後にうまく犯人逮捕に至ったとしても、還らないものはあまりに多い。

 ストーカー殺人、拉致・監禁、DV、虐待、家庭内殺人に危険ドラッグ、ネット犯罪などに代表される、一昔前にはあまり聞かれなかった事件も多発している。児童が消え、失踪者も後を絶たぬらしいが詮索は十分ではない。国民の多くは、暴力の恐さをまだまだ肌で感じていない。

 力に力で対抗するのは、新たな対立の連鎖を生む恐れがあって、一般的に奨励されるべきものでもないが、警察官、刑務官、自衛官、海上保安官、民間の警備員など。現代に至っても実戦柔道を必要とする人々は多いのである。

 世界のパワーバランスを見ても、結局軍事力の大小で存在感が決まってくる。しかし、帝国主義、覇権主義をこの21世紀に蔓延らせてはならない。国家を守るのは軍事力、経済力だけではなく、国民の思想、気迫、精神力も重要な要素となる。自己を磨くことを怠ってはならない。周囲から侮られる愚は避けなければならない。「精力善用・自他共栄」の柔道精神はいつの世にも不滅である。

 最後に工藤雷介氏が昭和50年(1975年)に東京スポーツ新聞社から出された「秘録日本柔道」の巻末の言葉を添えさせていただく。

 『小賢しい欲の固まりみたいに「道義」を忘れてしまった人間が充満している現代だからこそ、永い日本の伝統、風土の中に培われてきた武道によって逞しい肉体の錬磨と、高尚な品性の陶冶が絶対に必要なのである。

 武道は、いまもなお日本人の血管の中に、脈々として伝わっている。遠い祖先からうけついだ尊い「遺産」なのである。

 武道から脱皮してスポーツ化する柔道も、それはそれなりに認めなくてはなるまいが、柔道の本質が武道にあることを忘れずに、精神的にも技術的にも、武道的研究と伝承がおこなわれなければならない。』



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実戦柔道第19回

2014年11月25日 | ブログ
感性を鍛える

 先に触れたけれど、小笠原諸島周辺などに押し寄せている中国漁船団は実に困ったもので、普通の日本人なら怒り心頭の筈である。

 本来領海に入り込んだ時点で、警告を繰り返し、それを無視して操業を続ければ撃沈させればいいだけの話で、そうすれば彼らは二度とわが国の領海に近づかない。同じことをわが国の漁船団が中国の領海で、たとえ中国の漁船団でもロシア、米国の領海で行えばどうなるかを考えれば、本来そのような違法行為は出来ない筈なのだ。

 中国共産党の軍事力(中国の人民解放軍は中国共産党の私兵であるが、そのシビリアンコントロールには疑問が呈されている)を背景に白昼堂々不法操業や領海侵犯を続けているのだ。国際法はあっても力がなければ群れとなった無法者を十分取り締まることはできないのだ。そんな野蛮な国(反近代国家)と変な合意文書を交わしてまで首脳会談を行う必要などなかった。本来友好条約を締結している国家間の首脳会談に合意文書など要らぬ。それを求めるには当然に相手国の思惑がある。

 中韓同様のことで、河野談話で決着させようと曖昧なコメントを残した故に、ますます付け込まれてしまった。話し合っても分かろうとする連中ではない。一時的にそれなりの対応をみせても、次なる手段までの単なる時間稼ぎでしかないと考えておいた方が無難と思う。特に中共はわが国の権益を飯上げるまで、何十年かかろうとその力の衰えぬ限り、じわじわと領土領海に忍び寄ってくる。

 台湾を見捨て日中友好条約まで結んで、焼け野が原から綿々と築き上げた技術や資金を巻き上げられたあげくこの様である。

 鳩山由紀夫政権のブレーンだったという元商社マンは、今やどこかの大学学長にまでなり、以前は盛んに戦後60数年、いまだ米軍基地がこの国にあることはおかしいと批判し、米軍排斥を訴えながら(鳩山を洗脳して普天間基地移設の迷走を成功させた)、最近は、米国では日米より米中関係が優先されるから、日米対中国の構図は成立しないと、この国の民に偏見による個人的見解を吹聴して不安を煽っている。いずれも、それならしっかりとした国防体制を増強せよと言うなら筋は通るが、要は中共軍に目障りな米軍の追い出しと中国への従属をほのめかしているだけのこと。

 なぜかこの国には言論の自由を盾にした、この手の評論家と称するいかがわしい人種が結構数いる。戦後わが国の教育制度とマスコミ報道のあり方の一大欠点である。

 最近は、小中学校などでは道徳教育をしっかりやろうという動きがあるようだが、道徳には、祖国を愛する根本精神がなくてはならぬ。学識は重要であるが、大学教育まで受けながら、国家観や軍事に関する知識など全くおかまいなく育ち、社会の指導層になっていくからおかしい事になってしまう。学校では変な悪平等思想が蔓延り、難関校への進学は塾頼みである。結果、先の民主党政権が誕生してしまうようなことが起こる。庶民に本物と偽物の見分けがつかなくなっているのだ。もっともいつの世も与党議員にも、問題がある人が多いことも現実であり、政権交代そのものが悪いわけではない。

 権力とは何か、それはどのように行使しなければならないものか。世界がどのようなパワーバランスで動いているのか。これだけの情報化社会にありながら、またそれだからこそ核心は捉え難い。テレビで先述のいかがわしい評論家がワシントンで聞いた話ではとか、中東ではこのように言っているなど、確かに一部の人間はそのように言っているかもしれないから嘘ではないにせよ、けっして大勢ではない聞きかじりの意見を、いかがわしいと見抜けない洞察力しか持ち合わせない情けないのが増殖する。

 同じスポーツをやるにしても、格闘技をやっているにしても、実戦というギリギリの緊張感の地平に想像力を逞しくして、あらゆる自身の感性を研ぎ澄ます鍛錬ができておれば、いかがわしい評論家の言論の虚を少なくても「おかしい」と感じられる筈なのである。単なるきれいごとで世の中が渡れるほど甘くないことも認識できる筈なのである。




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実戦柔道第18回

2014年11月22日 | ブログ
群れに対する

 いかがわしい連中は群れていることが多く、群れの中には喧嘩慣れした者もいるであろうから、彼らとのトラブルに巻き込まれるとやっかいである。相応の経験とまさに高度な実戦力が問われる。別に戦う必要がなければ逃げるのが一番であり、端からいかがわしい場所に近づかぬことである。他人の争いごとに遭遇した場合、人助けは結構だけれど、ドラマのように格好良くはいかぬ。携帯電話で110番がベストである。

 喧嘩で負けたことがないという先輩によれば、相手が複数の場合、大勢を相手にせず、そのボスに目を付けて打ち負かすことだという。将棋で王将を召し上げるようなもの。その他大勢はボスがやられると何もできないという。

 複数の敵に囲まれた時に、一人でへらへらと近づいてくる輩には注意が必要である。油断させておいて、睾丸掴みにくる、目潰にくる、下肢を蹴られるかもしれない。元々卑怯な連中である。何をするか判らない。もっとも実戦に卑怯も何もあったものではない、半径片手内に敵を入れてはならない。備え警戒を怠ってはならない。

 あからさまに攻撃をしかけてくる相手なら、それなりの対応もあるが、「じわじわ」がやっかいなのだ。毅然とした対応が必要である。また日頃からいかがわしい人物は近づけないこと、付き合わないことだ。

 国家間でも同様だ。小笠原諸島周辺などに押し寄せている漁船団など、この類の最たるものなのだけれど、警備する巡視艇の数は十分ではない。だからといって、日本では警告を無視する漁船を打ち払うことはできない。国際連合なども何もしてくれそうにもない。

 複数の敵と戦かい打ち負かすことは、相当の体力、スタミナが必要である。日頃から絶え間ない鍛錬が必要である。昔取った杵柄で、強いつもりで立ち向かっては、途中で息切れして組みふせられるのが落ちであろう。また、敵の打撃に対してその全てをかわすことは難しいと考えられるから、少々当てられても壊れない丈夫な体を持つ必要がある。

 確かに柔道家はプロレスラーやボクサーのように日頃殴られ慣れてはいないが、打ち込み練習や乱取り練習で投げられ、体全体に相当の衝撃を受けることには慣れている。初心時代からの受け身の練習は実戦柔道にも有効なのである。

 要は、複数の相手と事を起こすのは、現役のかなりの腕前でないと難しいということ。ただ、当て身の鍛錬によっては総合的な実戦力で体力の低下をカバーできる。剣道家など相当のご高齢の方がさらなる昇段を目指されて鍛錬していると聞くが、勿論柔道家にもそのような方は居る。やる気があれば鍛錬は続けられる。現役時代は当て身までを練習するゆとりも必要もなくとも、引退後は当て身の練習に時間が割ける。実戦柔道は40歳代以降の研究課題かもしれない。



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実戦柔道第17回

2014年11月19日 | ブログ
足技

 講道館柔道の特長のひとつに、投げ技における足技を上げることができる。送り足払い、出足払いに代表されるように、まさに力技でない柔道技の妙味を感じさせる技である。小内刈り、小外刈り、大内刈り、大外刈り、支え釣り込み足、膝車、内股までも足技に数えられる。内股は、私も現役時代もっとも得意としたが、私の「内股」は、「大腰」からの変形で自己流だからどちらかと云えば腰技ではなかったかと思う。

 高校時代、まだ白帯当時、県警の現役5段の先輩が指導に来てくれた。練習相手になって貰ったのだけれど、組んだ瞬間に何で投げられたかわからず回転させられたものだ。膝車ではなかったかと思う。一瞬大外刈りの気配に対応したところを前に回されたものだ。小説「姿三四郎」に描かれたような実力者は必ず実在したと、その時に確信したものだった。

 当時柔道部の同期生が、郊外でチンピラ二人に絡まれ、咄嗟に出た足払いで一人をひっくり返すと、もう手出ししなくなったという話しを聞いた。すなわち引き手がなくても、相手の出て来た足をタイミング良く払えば相手は転倒する。十分実戦に効果的であったわけだ。

 社会人となって工場柔道部に入った。柔道部の講師には、戦前に京都武術専門学校を出られ、台湾で警察官の柔道師範をされていた50歳の師範(当時六段)がおられた。早速稽古をつけていただいたのだけれど、兎に角足技が絶妙で立っておれない。18歳の自分から見ると、随分とご年配に見えたけれど、足の動き、その捌きは流石だった。先生のお話では、歳を取ると背負い投げや跳ね腰など大技はしんどくなる。そのような技を得意としていた指導者は歳をとると若い人の稽古相手が務め難い。その点、若い時から足技を磨いておくと歳を取っても練習相手が務まるものだ。と言っておられた。

 足技を磨くためには、足を器用にする必要がある。組み合って前進後退を繰り返しながら交互に相手の足を払う練習をする。次に払って来た相手の足を、爪先を立てるようにしてかわし(抜き)、素早く払い返す、すなわち「燕返し」の練習をする。この練習法は、私に一番目をかけていただいた工場柔道部の大先輩に教えていただいたものだ。

 小内刈りや大内刈りは、そのものの技で相手に与える衝撃は少ない場合が多いが、相手を倒せれば寝技に持ち込み、絞め、逆で極めることができる。また背負い投げなどを掛けたもののうまく掛らなかった場合の連続技として有効である。

 足を器用に使うことは、寝技にも欠かせない武器だ。準備体操に組み込み、また寝技の一人稽古では必ず足を器用に使う練習をしたものだ。究極の絞め技である各種三角絞めは、足を使わなければ成り立たない。

 また、足の力は腕力の何倍も強いから、足での当て身は当然に効果が大きい。アクション映画のカンフーものや空手ものなどでは、派手な回し蹴りなどでアピールするが、足を大きく上げる攻撃法は相当熟達しないと却って隙を作り危険である。柔道家の当て身には向かないように思う。

 工場の武道場には、剣道部の所用する、防具を纏い竹刀を持った人形が置いてあった。誰も居ない時にはこの人形相手に、竹刀を持つ人形の手首に回し蹴りを入れる練習をよくやった。また空手部のサンドバックも蹴り技の強化に使わせて貰ったものだけれど、特に回し蹴りなどは、到底実戦に使えるレベルに達したとは思えない。

 実戦柔道における足を使った当て身では、先(本稿第12回「必殺の投げ技」)にも述べたが、投げ技で倒して後の攻撃として、空いた脇へ、または頸部への足底での当て身。出てくる相手を前蹴り(水月、丹田または金的当て)。左右の敵を足側部での横蹴り(同左)。後方から迫る敵への内膝蹴り。後方から抱きついた相手の爪先への踵での踏みつけなどで十分ではないか。加えて、「柔道の当て身」にはないが、近づいて来る敵の下腿部を斜めに蹴り下げるのは実戦的であるように思う。



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実戦柔道第16回

2014年11月16日 | ブログ
武器に対する

 現役時代は、良く飲み歩きもしたので、喧嘩沙汰に巻き込まれる危険も幾度かあった。当時は普通の工場勤めの若者がつるんで、飲み屋街で訳なく、一人歩きの人の両脇を抱えて殴り倒し、そのまま逃走するというようなことがあった。やったという話も聞いたし、ふとした隙に逸れた仲間がその被害にあって、先輩と加害者探索で飲み屋街を捜し歩いたこともある。声を掛けたグループからは、因縁を付けたと思われ、恫喝されたりもしたが、昭和40年代はまだ素人衆も血の気の多いのが結構居たものだ。

 別の日には、酔った連れが道路上で、他のグループに倒れ掛り気勢をあげたものだから、相手も数を頼りに「やるか!」となった。見ればすでにそのうちの一人は、棒きれか金属棒か判からないが、私に向かって振りかざしている。当時私は一番強かった時代で、酔いもあってか恐怖心はなかった。ただ相手に対して構えるでもなく立っていた。相手は何もせずに去っていった。

 もし其の時、その棒が私に対して振り下ろされておれば、実は私に備えはなかった。金属製であれば、払おうとする腕を砕かれたかもしれない。当時はまだ当て身を知らぬ。ただ、相手を掴めばおそらく瞬時に投げ飛ばすことはできた筈である。武道の心得のある相手には見えなかった。

 講道館護身術や極の形を学んだのはだいぶん後になってのこと。講道館護身術は徒手の部12本、武器の部9本の計21本で、武器の部のうち3本が「杖の場合」となっている。すなわち相手が杖で攻撃するのをどう捌いて制するかの「形」である。

 その1「振上(ふりあげ)」『受は、歩み寄り、約1米の間合いから、右足を退きながら右手の杖を斜上に振りかぶる。取は、その機に乗じ(受が杖を振りかぶる瞬間に、間髪を入れず)、左構えで①受の内懐に深く飛び込みながら、左前膊で受の右腕を前から制し、同時に、②右掌底(手の平の手首に近い部分)で受の顎を突き上げ(①、②の二つの動作が一致することが肝要)、続いて、右大外刈りで受を投げ倒す。』

 その2「振下(ふりおろし)」『受は、歩み寄り、約二米の間合いから、左足を踏み出し、右手の杖を両手で斜上に振りかぶり、右足を踏み込みながら杖の左横面めがけて振り下ろす。取は、右足から僅かに退き下り、左構えとなって受の杖を流し、直ちに左足から、受の右側に飛び込んで、左裏拳(拳の手背部)で受の顔面に当て、更に、左足から、受の後方に踏み込み、左手刀で、受の烏兎(うと:目と目の間、みけんというところ)を打ち、仰向けに当て倒す。(受の最初の攻撃をかわすことのみ気をとられると、間合いが遠くなって反撃が出来にくくなります)』

 その3「双手突(もろてづき)」は、受が杖を両手で水平に構え、取の水月を狙って突いてくるを、体を開いて払い、両手で受の杖を握る手と交互に杖を握り、受の肘関節を極める方向に制して極め倒す。以上の3本。

 護身術や極の形には短刀で向かってくる敵を制するものもあるが、ナイフなどで襲ってくる相手を捌くのは容易なことではないであろう。全くの素人相手なら兎も角、ナイフを携行して歩くような輩は、その扱いにもそこそこ慣れている場合が多いと考えられ、対応には相当の錬磨が必要になる。警棒を持った警察官ならそれで叩き落とすことも可能だろうが、こちらに何もなければ、刺し違える覚悟で必殺の当て身を繰り出す必要があると考える。正当防衛である。



 本稿は、九段(当時)小谷澄之、ハ段(当時)大滝忠夫共著、昭和46年株式会社不昧堂出版刊「新版柔道の形全」、を参考にし、『 』内は引用です。



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実戦柔道第15回

2014年11月13日 | ブログ
絞め技

 素人の方がちょっと柔道をやってみて、一番嫌がるのがこの絞め技で攻撃されること。恐怖が先に立つらしい。

 また、試合で絞め落とされて負けるほど悔しいことはない。私も社会人一年生の時、田舎の大会だったが、寝技で上になって攻めようとしていた時、相手に下から絞められていたようで、気付いた時は絞め落とされて、活を入れられた後だったということがある。蘇生後さらに攻めようと攻撃の姿勢を取り、審判に「もういい」とつれなく言われて敗戦を知ったが、その悔しさは言葉にならない。寝技は得意だったのに、試合慣れしておらず、自身の試合の攻防を外から見る(イメージする)訓練が出来ていなかった。

 絞め技の非常に上手な選手が、大豪相手に一瞬の隙を衝いて絞め落とすことも有り得る。現在では体重別で争われる試合がほとんどで、その醍醐味は少ないが、重量級の選手を軽量の選手が寝技に誘い絞め落とすことは、柔道の醍醐味のひとつだ。投げ技は、体格差のハンディが大きい。特に長身で手足の長い相手は懐が深く投げにくい。しかし、絞め技では体格差のハンディがないのだ。

 しかし、絞め技も小兵選手の専売ではない。往年の山下泰裕選手(現、ハ段、東海大学教授)など、重量級ではあるが見事な絞め技を持っていた。もっとも立ち技も攻守に非常にバランスがとれており、ほとんど非が見当たらない選手だった。山下選手の師匠の佐藤宣践(さとう のぶゆき)九段(昭和49年全日本選手権者)が寝技に定評があり、その指導の賜物ではなかったかと見ていた。師と弟子の関係が非常に良好で、そのことで師も弟子も優れた業績と活躍を残した柔道界の好例ではないかと思う。

 本当に強くなる選手は素直で謙虚である。概して少し上手くなったり強くなったりすると天狗になって、横柄な態度をとる者が少なくない。そうなるともう誰も教えてくれなくなる。柔道は、試合や練習で勝てる相手からも、その得意技に学ばなければならない点が多い。師匠や先輩となれば尚更である。武道が師を敬い、年配者を労わり、先輩を立てることを特に重視するのは、流派継続のために弟子には素直に育って欲しいため義務付けた知恵と思える。

 山下選手などは、小学4年生で柔道を始めたというが、子供の頃から良き指導者を得たと云う本人の弁もある。良き指導者を良いと判断し素直に従った氏の感性が、氏を世界一の柔道家に育てたとも言える。

 山下選手は現役時代、内外のトップクラスの大会ばかり戦いながら203連勝という途方もない記録を残した。当時ソ連の選手など相当手強いのが多かったけれど、外国人には一度も負けていない。まさに柔道界歴代でも最強の達人の一人である。

 柔道家には、鬼と呼ばれる系譜の達人たち、すなわち横山作次郎、徳三宝、牛島辰熊、木村政彦。一方は、嘉納治五郎を祖とし三船久蔵のイメージに代表される玄妙の技を持った名人の系譜。山下泰裕は両者を併せ持っていたのではないか。(この項敬称略)

 ところで絞め技であるが、小田常胤九段(当時六段)が昭和4年に出された「柔道大観」の下巻によれば、裸絞に始まり横三角絞まで21の絞め技がある。もっともこのうち三角絞だけで、甲種、乙種、丙種、丁種、戊種(ぼしゅ)、己種(きしゅ)、反対、後、横まで9種類にのぼる。一応残り12種類の絞め技の名称だけ紹介する。裸締、送襟絞、片羽絞、並十字絞、逆十字絞、片十字絞、首絞、襟絞、突込絞、袖車、肩固絞、反対肩固絞。

 因みに講道館固めの形にある絞め技は、片十字絞、裸締、送襟絞、片羽絞、逆十字絞の5種に過ぎない。

 実戦的な絞め技としては、片十字絞が比較的容易で効果的である。上から攻める相手に対して、片方の手を相手の襟に深く差しこみ、他方の手で相手の頭越しに後ろ襟を掴み、襟に差し込んだ手の逆方向に回して絞めるのである。また片羽絞に持ち込む場合、相手の片方の手にこちらの足を絡めて回転して絞める技を、「地獄絞」などと呼んでよく使った。絞め技に限らないけれど、研究し繰り返し練習し、熟達しないと試合では通じない。しかし、素人相手なら勿論油断は禁物であるが、首を狙うのは存外容易である。一対一の勝負なら実戦的には絞め技は有効である。




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実戦柔道第14回

2014年11月10日 | ブログ
必殺の腕緘(うでがらみ)

 必殺といって、腕緘では前稿の「摺上」のように相手は死にはしない。確実に極るという意味で使っている。現在の柔道では、関節技は上腕肘関節のみ逆が取れる。また、立ち姿勢から腕挫脇固等を施す場合、一挙に体を捨てることは禁止されている。但し、実戦柔道にそのようなルールはない。たとえ指一本でも逆を取って敵の戦意を削ぐことは常識である。

 柔道の関節技(「逆」とも言う)はプロレスなどにも多く応用されており、十字固めなど、柔道をやった事なくても知っている人も多かろうと思う。相手の上腕を極めた時の姿勢が、相手と十字の形になるところからの名称である。正式名は「腕挫十字固」。腕挫(うでひしぎ)は、十字固以外では、相手の肘関節の逆を取る場合の支点や極のポイントとなる部分でその名称が付いている。腕で決めれば「腕挫腕固」、膝でなら「腕挫膝固」、他「腕挫肩固」、「腕挫体固」、「腕挫腹固」、「腕挫脇固」など。中で、少し施術が難しいが、「三角固腕挫」もある。

 いずれも立った姿勢からも寝ても繰り出せる。極の形では、腹固や脇固が出てくるし、固の形では、これは寝技における関節技として、腕緘、腕挫十字固、腕挫腕固、腕挫膝固、足緘が取り上げられている。

 一般の柔道教本では、投げ技だけでも相当のページ数を割ざるを得ず、これに袈裟固や横四方固などという抑え込み技が相当数あり、絞め技も盛り込まなくてはならない。一般に関節技の解説は十分とは言えない。寝技の鬼と称されたという小田常胤九段(当時六段)が昭和4年に出された「柔道大観」くらいになると、下巻はまるまる固め技の解説だから、関節技も48章にのぼり、同じ技でもいろんな体形、機会によっての取り方の研究がなされている。しかし、ここでそこまでの専門的見地からの解説はできない。

 しかし、逆(関節技)こそ当て身と並ぶ実戦柔道の真骨頂である。袈裟固などの抑え込み技は、逆や当て身への過渡的状態と捉えられる。

 腕緘(うでがらみ)は、本稿でも度々ご登場いただいている木村政彦師範も得意技とされていたというが、実は数ある関節技の中でも、非常に実戦的な技だと考えている。すなわち極が曖昧にならず、それほど熟達しなくても極めることが出来るのである。曖昧とは、例えば腕挫の膝で極める、肩や腹を使う。それはあくまで流れの中で相手を的確に捉えれば可能であるが、タイミングとスピードがかなりピンポイントであり、少し外すと逃れられる。それを目指して極めにもゆき難いように思うのである。その点腕緘は狙ってゆけるし、極まれば相手は逃れる術(すべ)が難しいのである。

 こちらが仰向けに倒れている時に、相手は上から捕縛しようと覆いかぶさってくる。不用意にこちらの体側に手を着く、または手をかざす。この手を捉えるのである。勿論横四方固など抑え込みながら取ることもできる。手首ではなく、手の甲を包み込むように握る。手首を捉えるより、逆を取るモーメントが大きくなり、より少ない力で制することができる。反対に関節技を食わないためには、不用意に手を伸ばして関節を相手に晒さないこと。当て身も引くを素早くすることが大切なのである。

 普通の柔道では、小手捻りなど逆を取って投げる技は禁止されており、通常練習することがないが、逆を取って投げる技は合気道の専売特許ではない。押さば廻れの円運動による捌きも柔らの範疇である。ひとつ柔道に「実戦」という言葉を加えるだけで、研究を要する技の範囲は無限に広がるのである。


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実戦柔道第13回

2014年11月07日 | ブログ
必殺の摺上(すりあげ)

 悪用されて困る為か、柔道本の形の解説などでは、攻撃方(形における受け手)の当身技については、その名称だけで細かい内容の解説はない。

 例えば、極の形は居取(いどり)八本、立合(たちあい)十二本から成り、そのうち居取3本、立合4本は受けが短刀または長刀で攻撃する場合の形となっている。いずれも相手の攻撃をかわし捌き、当て身や投げ技、関節技等で相手を制するもので、攻撃方が一方的に攻撃して相手を倒す形はない。名称は攻撃方(受)仕掛け動作から付けられていることは先にも述べた(本稿第8回「柔道の形」)。

 その「極の形」の居取の3本目、立合の5本目に「摺上(すりあげ)」がある。座った状態で合対した場合(居取)も立った状態から繰り出そうが、「摺上」は「すりあげ」で同じ必殺の当身技である。勿論「水月」であろうが、「烏兎(うと)」であろうが、当て身はすべて必殺であろうが、非常時以外、活法を施して蘇生させることができる程度に当てるのが、暗黙のルールである。しかし「摺上」は別名「頸椎外し」と言われ、これが決まれば即死と成り兼ねない。すなわち頸椎脱臼となって、特に第4頸椎(頸中:横隔膜に通じる)以下の脊柱管内脊髄を通じて脳から送られる神経が断絶され死に到る。

 締め技においても、頸動脈圧迫によって脳に血液が昇らず、意識不明(落ちる)となっても活法を施せば簡単に蘇生する。先の小説「姿三四郎」の檜垣源之助との右京ケ原の決闘で、源之助の逆十字絞めが決まり三四郎の意識が薄れていたが、そのまま落ちた状態では、三四郎が立合人に蘇生させられることを嫌い、源之助は一旦少し緩めて絞め直そうとした。源之助の邪心、その隙が三四郎に山嵐の機会を与えたのである。すなわち「落ちた状態」でもう一度締めれば頸椎が外れて死に到るのである。決闘であってもルール違反である。実戦においても明らかな殺人となり、そこまでの手は掛けない。

 それでは、柔道の形教本*24)から「摺上」の項(立合の5)を確認する。『両者、互いに、約一歩の間合いをとり、自然本体で向かい合う。受は、右足を踏み出しながら、右手のひらで、“取りの頸椎を痛めよう”として、その前額部を摺り上げる。取は、一瞬上体をそらし、左手首(小指側)のあたりで、受の右手を下から上方に受け流すと同時に、右拳(手の甲を下)で、受の水月にあて、すばやく左足を受の左足前内側に踏み込み、左手を受の右脇下より差し入れて、その後腰に回わし、右手は、受の左外中袖を握って、右足をひき、左浮腰にて投げ倒す。終って、受は立ち上がり、ともにもとの位置にかえる。』

 この形の教本は比較的詳しく解説があり、特に「摺上」という当て身が、「相手の頸椎を痛めようとする」ものであることを書いている。他の同様の教本ではそのような記述が無いものが多い。演武では、特に取の動きが注目されるが、受がその攻撃の要点や効果をしっかりと心得て立合わねば、観る人に伝わらない。従って真剣な形の練習は、受にとっても古流柔術からの必殺技を学ぶ機会となる。

 ただ、摺上のような技は、自己防衛上止む負えぬ際に行使するもので、けっして戯れに扱われるものでないことは言うまでもない。




*24)写真で見る「柔道の形」、橋元親九段(1923-2000)(武専卒、天理大学教授)著、株式会社大修館書店、昭和46年10月初版。
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実戦柔道第12回

2014年11月04日 | ブログ
必殺の投げ技

 投げ技の基本は、大腰と大外刈りだと聞いたことがある。大腰は、背負い投げなどと同様相手に一旦背を向ける姿勢から相手を一回転させて投げ落す技であるが、腰を深く入れて投げるところから初心者向きなのである。大外刈りは大内刈り(相撲で言う内掛け)と同様、相手を向こう側に刈り倒す技である。相手の下肢を外側から大きく刈るので大外刈りという。これも崩し、掛けの動作が比較的分かり易いため初心者にも受け入れやすい技である。

 普通の柔道の試合では、相手も柔道着を着用しているからどのような技でも掛けられるが、リング上で行われる異種格闘技戦などでは、双方裸か相手は裸である場合がほとんどで、柔道技は大幅な制約を受ける。すなわち投げ技に特長を持ち、それが大きな戦力である柔道は異種格闘技戦ではその点でも大きなハンディを負っていることになる。

 襟背負いは無理で背負うなら一本背負いに頼るしかないし、釣り込み腰や体落としなどの技も難しくなる。技を施すには、相手の襟を掴む代わりに首を巻くか、相手の脇下に手を入れて掬う形で技を掛けるなどの工夫が必要である。しかし、そのためには相手の懐に食い込む必要があり、打撃の攻撃を掻い潜る必要がある。裸族でもあるまいに、異種格闘技戦を裸で戦うこと自体ナンセンスではある。

 裸で戦う場合の投げ技としても威力を発揮する技に冒頭に述べた基本技である「大外刈り」がある。釣り手に換えて手の親指と他の四指の間を大きく開き、相手の喉元に当て押し上げる。引き手に換えて、相手の腕を絡み込む。右技なら相手の右腕を左手で絡み込むわけである。そして大きく相手を後方に刈り倒す。さらに大外落しとなれば受け身をとっても相手のダメージは大きい。

 柔道の試合であれば、投げ技が決まって「1本」が宣告されれば、「それまで」となり勝負は決まる。しかし、実戦においては、投げ技による相手へのダメージが少なければ、反撃されるは必至であるから、続けて当て身か、関節技または締め技によって相手の死命を制する必要がある。

 投げによって前方に転がった相手の脇が空いておれば、そこに足底で当て身を入れる。肩関節が外れれば、相手はほとんど戦闘能力を失う。それが手緩いと思えば首筋に当てる。従って、逆に投げられた場合は、次なる攻撃に備えて素早く丸くなって転がり、相手から遠ざかる必要があるのだ。

 「大外刈り」は初心者にも比較的簡単に覚えられ、相手が全くの素人であれば即実戦に使える技である。ただ、安易に大外刈りにゆけば、相手の突き技をまともに食らう恐れがあり、まずは相手の利き腕を絡めて制する必要がある。また大外刈りは返し技を食らいやすい技でもある。すなわち「大外返し」がある。またすかされて刈った足が空を切らされると、自分の勢いで回転し、投げられた格好になる。

 「大外刈り」は、木村政彦師範の得意技で全盛時代はその威力に、稽古相手からは禁止技扱いにされたほどだったという。師範の柔道本*23)には、「奥襟を取った大外刈り」、「横襟を取った大外刈り」、「相手が左変形で奥襟を取った大外刈り」、「左変形に対する大外刈り」と機に応じた大外刈りを解説している。まさに師範の求める「創意工夫の柔道」の一端である。

 柔道の特に投げ技の難しいところは、人間は個々に体格や動作の癖の異なりが大きく、相手の実力に関わらず、同じように技を掛けたのでは、利く場合とそうでない場合があること。数多くの選手と練習して、工夫しながら対応できる幅を広げてゆくしかない。

 実戦柔道の鍛錬では、相手を見て、この相手にはどの技が最も効果的かを洞察する力を養うことも肝要なのである。




*23)木村政彦「わが柔道」1985年(昭和50年)1月初版。株式会社ベースボールマガジン社刊
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実戦柔道第11回

2014年11月01日 | ブログ
小説「姿三四郎」名場面から

 「姿三四郎」前篇のクライマックスは、檜垣源之助との右京ケ原の決闘である。右京ケ原というといかにも人里離れた草ぼうぼうの野原を想像するが、幕末までの松平右京亮の屋敷跡で、邸が取り壊されたあと、まさに草がぼうぼうと繁っていたところから俗に「右京ケ原」と呼ばれた。明治26年に完成した下富阪の104畳の講道館では、その向かい側に広がる空き地となっており、当時の講道館門人の喧嘩場であったとは、工藤雷介氏の「秘録日本柔道」*22)にある。ただし、源之助との決闘(フィクションであるようだが)当時、講道館はいまだ下富里に移転していない。

 『源之助がやや身を沈めて唐手のハ字立の形でじりじりと草の上を三、四寸進んだ。左拳が腹の上に置かれ、右拳が腰骨の辺に構えられて、唐手小林流の平安(ぴんあん)の型から割り出した、彼独特の攻防体勢であった。

 三四郎は両手を下にさげたまま、構えるとも、守るとも見えぬ姿勢で立っている。

 そのまま、又、呼吸にして三つか四つの間が過ぎた時、動かなかった三四郎がずかずかと無造作に歩き出した。この場合、いたずらに相手の気息を窺っていることは賢明な法ではないと思ったのであろう。極めて無心に、一直線に源之助に向かって進んで行く彼の態度は乱暴な動作にも思えるが、剣を持たぬ闘争にこれ以外の進み方がないとも言える。

 三四郎の三歩目に源之助が一層ひくく身を構えた。
 四歩・・・・

 四つの腕がお互いに触れ合う近さに来た時、「おうりゃっ」
 裂帛(れっぱく)の気合が夜気を劈(つんざい)いて、源之助が一気に突っ掛けた。

 左の拳が三四郎の眉間に飛び、右の拳がみぞおちに走る。腕と腕が搦み合った。

 源之助の拳を片手で受けて擦り上げるようにはずしながら三四郎は倒れた。柔らかな弾力のある身のこなしである。倒れた時に右足が相手の腹にかかり、右手はみぞおちを突いて来た源之助の右拳を抑えて・・・・。

 源之助の長身な体が、月の光のなかにくっきりと弧を画いて、三間の平地を越えて、雑草の生い繁ったなかに飛んだ。』以下略

 この決闘シーンから分かるように、闘いは両者組み合ってからなどということはない。拳の一撃で倒せばいいのだ。ゆえに実戦柔道においては、まず拳に対する防御がなければならない。三四郎は、相手の拳を捌きながら当て身を繰り出さず、相手の出る力を利用して捨て身技で投げた。この場合、当て身よりも巴投げの方が攻防の流れに沿うものであった。しかし、雑草の生い繁る野原においては相手に対するダメージは小さい。次の攻防において三四郎は源之助の絞め技によって苦境に陥ることになる。

 実戦においては、一瞬の緩みが負けにつながる。常に一撃で相手を倒すと云う必殺の心がけが必要である。容赦や手加減などもっての外で、情けを掛けねばならぬ相手なら初めから戦わぬことだ。始まれば死ぬか生きるかの覚悟が要る。だから武人はよっぽどの事が無い限り喧騒に巻き込まれる愚を避けるのである。



*22)工藤雷介著、東京スポーツ新聞社発行、昭和50年9月第一刷。
本稿『 』内は、昭和45年株式会社講談社から出版された小説「姿三四郎」(作者:富田常雄)単行本上巻「碧落の章」からのそのままの引用です。
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