中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

新しい年に想う第10回

2013年01月28日 | Weblog
退職金騒動

 公務員の退職金が民間企業のそれよりかなり高くなっているということで、昨年11月の国会で今年度末での減額が決まったらしい。そこで、この3月末定年予定の教員をはじめとして早期退職届が続出しているらしい。2月、3月の給与を貰うより退職金の減額幅が大きいというのが理由で、それなら仕方ないよねと思うのが第三者の意見としても普通だろうけれど、学校など3月半ばまでは授業があることだし、卒業式など記念行事もあるから学校運営上問題があるだろうし、児童生徒父兄へ先生への信頼関係への影響もあるように思う。

 それにしても、私など民間の大企業に勤めていた者からしても公務員の退職金は額が恵まれているし、そもそも一律3月末まで正規に勤められることからして優遇である。われわれ誕生日前日が退職日であったから、同期入社でも4月生まれの者などほぼ1年働ける期間が公務員より短くなる。もっとも今は再雇用制度があって、退職時期は昔ほど明確ではないが、再雇用者の年棒はといえば、私の勤めた会社では、3分の1近くにまで減額されることになっていた。もっとも民間企業は企業による制度の違いが大きく一律に論じられないのだけれど。

 今回のテレビ報道などにみる騒動で根本的問題と思うのは、公務員の退職金が、定年年度の1年間は、自己都合による中途退職も、定年退職も同率に支払われる制度になっていることだ。普通の民間企業の場合、そのような制度はないのではないか。同じ公務員でも東京都はそのようなカラクリがなかったため、今回の処置による混乱はなかったように聞く。

 公労協か自治労か日教組か知らないけれど、国民の税金から給与の支給を受ける者たちが、国家に対して大きな発言権を持ち、政治の圧力団体となり、お手盛りで制度をどんどん増殖してきたように思えてならない。国家に借金などなく、潤沢な税収によって国民が将来の不安なく暮らせる状況ならいざ知らず、将来の年金医療にさえ不安を抱え、国民年金など払えないではなく、払わない人の多い国で、今回の騒動で同じようにさもしい心根を持つと思われてしまう公務員が特権階級であっていい筈がない。

 話は逸れるが、ラジオである経済評論家氏が、現在検討中の政府の税制改革を評して、児童手当増額分を廃して、扶養控除復活について、これは高額所得者優遇だと論じていた。受け手のアナウンサーかタレントさんか知らないが、妙に納得して現政権への不信感を露わにしていたけれど、公共の電波を変な情報操作に使わないようにして貰いたいものだ。その経済評論家氏はどうも自民党嫌いなようだけれど、民主党の子供手当など、確かに所得再配分の効果はあるだろうけれど、そのまま施行すれば5兆円を超すものであったし、子供を出汁に家のローンを組む親もあるかもしれず、本当の親子の絆はどうなることか。要するに何処かからお金が落ちてくる制度というものの、人間に与える精神的負の影響を全く考慮していないことからして、自身がお金によって動く政治屋的発想そのものであった。

 扶養控除は確かにすでに全く所得税を払わなくて良い低所得者にとって何のメリットもない。しかし、1億円稼ぐ人も年収500万円のサラリーマンもその所得から扶養家族数に応じて同額が控除される意味では平等性が高い。

 前回の本稿に述べたけれど、考え方の違いと、知識の欠損、洞察力の欠如、事実認識の間違い、個人の性格の歪みからくる偏向を同列に論じ、堂々と公共の電波で批判を垂れ流すことは一種のテロ行為ではないか。

 兎に角、民間企業はバブル崩壊後の20年間で、従業員の高度経済成長期に与えられた既得権を削いできた。住宅手当の廃止はじめ諸手当の見直し、保養所等の福利施設の廃止、退職金制度抜本的改革等々。一方公務員はようやくそれらが始まったばかりの感がある。遅いのである。そんなことで国家がこの厳しいグローバル競争に生き残っていけるわけもなかろう。新政権は嫌われてもこれら多くの贅肉を削ぐことに努めなければならないだろう。まさに日本再生のために。


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新しい年に想う第9回

2013年01月25日 | Weblog
いいとこ取り

 今日もテレビのキャスターやコメンテーターが事件や事故の論評をしている。我が国でテレビ放送が始まって*3)今年で60年というが、いつの頃からか報道番組にアナウンサーではないキャスターが登場し、個人の印象を真実のごとく公共電波に乗せて民衆に下知するようになった。確かに政治や経済の問題は、やさしく解説して貰わないと庶民には理解が進まない。しかしその多くは、国民を正しい方向に導いていたとは思えない。その結末は2009年の総選挙結果であり、鳩山政権や菅政権の発足時の支持率の高さに現れていた。

 この頃は、さすがに多少は懲りたのか、抑えた報道ぶりが伺われるが、依然コメンテーターの人選には疑問がある。多様性が尊ばれる世の中、考え方の違いは必要であり、「全員賛成の議案は無効」にも一理ある。しかし、考え方の違いと知識の欠損、洞察力の欠如、事実認識の間違い、個人の性格の歪みからくる偏向などを同列に論じるケースが間々あることも事実である。

 兎に角マスコミは「いいとこ取り」が好きだ。憲法は改正の必要はなく、自衛隊増強はそんなお金があるなら恵まれない人を救うことに使うべきだなどという論評に与し、戦争の危機を招くからとも反対し続けて、今回のアルジェリアの人質事件などを受けると、どうやって海外で働く邦人を守るのかとくる。

 先の高校生の部活顧問の暴力による自殺事件で本稿でも述べたが、個人や特定組織の問題と普遍的な課題も混同しがちだ。教育において体罰は絶対にいけない。徹底した話し合いによって、問題児も更生する。とするスタンスは立派ではあるが、天才的な忍耐力と説得力を持つ教師ばかりではない。皆、生身の人間である。理想論は分からないではないが、日常は現実である。かといって勿論安易な体罰を肯定しているのではない。また暴力と体罰は異なるものである。

 逆に考えて、家庭や学校も含めて、どのような状況でも親や先生から体罰を受けたこともなく、目にしたこともない子供は、一体どのような社会に巣立っていけばいいのか。我が国は比較的暴力的犯罪が少ないからまだいいけれど、これだけグローバル化の進んだ世の中で、今回のアルジェリアでの事件のようなことは我々の知らないところでも頻々と起こっているという。人間というものが、どのようなことをしたり言ったりすれば、暴力を振ってまでも攻撃してくるかの判断力を養うのも、家庭や学校での教育の課題でなくてはならないし、理不尽な暴力からも身を守るための危険予知、備えも自然のうちに身に付くように指導しておかねばならない。

 とかくマスコミは、理想論という錦の御旗を掲げて何でも国や政治の責任にしたがるが、まあ一番悪いのは無責任なマスコミ自身と思って間違い無いのではないか。消費税賛成の大新聞は、消費税増税時の軽減税率対象候補に「新聞」を入れる。などと言えば、報道に命を掛け、危険な紛争や事故現場、未開の大地に赴いて活躍するジャーナリストや関係者に失礼ではある。問題は一部キャスターや一部を除くコメンテーター氏の多くである。政党支持率や政権支持率だけでなく、コメンテーター諸氏の視聴者からの支持率調査も行ったらどうか。あの時どうのように発言していたかのリプレイも必要に応じて流して貰いたいものだ。

 もっとも私個人はテレビの報道番組は見る方だと思う。マスコミには問題アリと思うけれど、こちらも「いいとこ取り」で、必要な情報は雑誌やネットも含めそこから仕入れるしかないのではある。






*3)NHKの本放送開始が昭和28年(195
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新しい年に想う第8回

2013年01月22日 | Weblog
管理技術

 ボーイング787のトラブルが相次ぎ、当面運航停止、出荷停止となってしまった。ボーイング787型機は、日本の炭素繊維の技術を活かし、機体の軽量化でその燃費を20%節減することで話題となった。しかし、その燃費低減は単に機体の軽量化だけでなく、機内機器の制御をすべて電気で行なうようにしたことも貢献しているらしい。今回のトラブルの多くはその電気系統のもので、特に異臭、発煙を生じさせた焼け焦げバッテリーは、最新航空機搭載機器にあるまじき醜態を晒した。

 バッテリーには、これまでにない負荷が掛るようになったと思われ、机上の計算にはなかった運行中のある状態における負荷が設計数値を大幅に超えるものとなったのではないか。機体の70%近くを海外メーカーを含めた約70社に開発させる国際共同事業でもあったことも、最終擦り合わせまで含めた品質設計を難しくさせた懸念がある。バッテリーは英国社製とのことだが、日本企業の担当比率は機体全体の35%に達し最大であったということからして他人事ではない。

 最近の家電製品のように、部品を組み立てれば誰にも作れるというものづくりが進行し、その意識がまさか擦り合わせ型ものづくりである航空機の生産に影響を与えたとも思えないし、航空機といえど、元々多くの部品や装備機器は、単一メーカーということはあり得ず、共同開発そのものが不具合を生じさせるということはないと思う。ただ、すべての機器の制御を電気によるものに変えたということは、設計の根本変更にあたり、どこまで変更管理の徹底が図られたものか。今後の調査・分析が待たれる。

 このようなトラブルが起こると、改めてものづくりの固有技術を活かす管理技術の重要性に想いを馳せる。日本には世界に誇る多くの科学技術、生産技術がある。それが優れた品質の製品を生み出し、メイドインジャパンブランドを育てて来た。これら固有技術に対して、ソフト面からの管理技術がある。この管理技術においては、あまり俎上にのぼらないが、これこそ日本は世界的優位性を持っていると思う。

 1980年代頃から品質管理の世界で多くの先達がヨーロッパに日本のTQC(総合的品質管理)を伝え、その後東南アジアなど開発途上国にも現在も伝えられている。ただ、問題は品質管理の視点からの管理技術が、日本でバブル崩壊後には、ともすれば疎んじられているような風潮があること。

 日本の品質管理の象徴ともいえるTQC(1996年から我が国でもTQMと呼称)は、体質改善を通じた長い目で見た企業の成長が謳い文句であるために、1990年代のITの加速的発展に伴う、経営の「スピード」が強調されたことで、「長い目で見た成果」はその重要性への認識が衰えたものであろう。市場の変化が早ければ、経営の意思決定も早くなければならないことは当然ではあるが、基本あっての意思決定である。品質管理は経営の基本であり、そのスタンスを軽んじれば、その報いは必ずどこかに顕在化する。

 ボーイング787のような多くの世界企業による共同事業となればなおさらである。時代と共に企業内の人も入れ替わってゆく。企業内教育は継続してゆかねばならない。次世代に引き続き日本の技術が誇れるように、日本の品質管理技術であるTQMを、疎んじることなく維持発展させてゆかねばならない。





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新しい年に想う第7回

2013年01月19日 | Weblog
1票の格差

 この頃は何でも「格差」という言葉が出回って幅を利かせている。勿論代表的なのが所得格差であり、小泉改革で「格差」が広がったというのは、三文評論家の常套句であったけれど、そんな検証不足の論評を、自分達の生活の糧の一部としているところはいかにも不労所得であり、それこそ格差を生んでいるのではないかと思ったりする。

 国政選挙があるたびに叫ばれて、中々是正されないのが、選挙における1票の格差である。先の総選挙後、どこかの弁護士グループが違憲選挙だと訴訟を起こしていたけれど、自民党大勝が気に食わなかったのかとも思ったりしたけれど、その後どうなっているかは知らない。裁判は時間が掛るのが常態で、忘れた頃でないと結果は出ない。

 確かに選挙における1票の格差は問題で、きっちりとはいかないまでも、人口比例で選挙区が定められなければ人権が平等に扱われていることにならない。ただ、行政を司る代議士を選ぶという意味では、一人の代議士が背負う地域の面積も本来選挙区の区割りには反映されるべきものであり、単に1人の代議士当たりの有権者数だけで「格差」というのは疑問もある。其処ら辺り、人口と行政区域の広さを勘案して、何となくではなくデジタル的に数式で選挙区の区割りができれば良いと思うのだが。

 この議論には、国会議員定数の話も絡む。国家財政との兼ね合いで、消費税を上げるのだから、それを決めた国会議員自らも身を切る改革を実施しなくてはならない。という論理で、当面小選挙区0増5減で。比例区を大幅に削減する案が出ていたりする。最終的な決定は国会議員に委ねられるのだろうけれど、国会議員の数などは別途有識者会議等で、地方行政担当者の声も聞きながら検討されるべきものであろう。身を切る行政改革を言うなら道州制の導入があり、これについての反対論*2)も知ってはいるが、大幅な国会議員の削減はやはり道州制を実施(地方への大幅な権限移譲)して後に行うのが順序と思う。

 我が国は、今後人口が漸減してゆくことは避けられない。人口8000万人に確かな根拠はないが、ヨーロッパの大国並みの人口で、国民の暮らし、一次産業はじめ各種産業、外交、防衛等が成り立つ仕組みを今から準備しておくことが必要であり、1票の格差もその一環として考えるくらいのスケールが欲しい。




*2)例えば数県をひとつの州としてまとめ、現在の県庁所在地のひとつを州都とした場合、その都市は人口が増えて栄えるけれど、他の県の県庁所在地であった都市は衰退するというもの。広い北海道で、札幌は発展したが他の地方都市は衰退した事例を根拠にあげるもの。また行政区割りが広くなると、どうしても隅々にまで目が届き難くなって住民が苦労する。などが良く聞かれる反対意見である。
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新しい年に想う第6回

2013年01月16日 | Weblog
暴力と指導の狭間

 大阪の市立高校の部活動で、明らかな行き過ぎた指導というより暴力によって、生徒が自殺して果てるという不幸な事件が起こった。このような事件が起きてしまうと、体罰に対する風当たりが俄然強くなって、絶対という言葉が氾濫するのが厄介だ。一般的には父兄にも、ある程度の体罰容認派は多いのだけれど、一人でもこのような犠牲を出したということは、やっぱり体罰は「絶対」に許してはならない。という意見が闊歩する。

 人間所詮神には成れない。怒り心頭に達すれば、先生だって生徒に対して平手打ちくらいするだろう。ただ、テレビ報道などからの情報に依存した意見ではあるが、唇が裂けるほど30発も40発も殴り続けるということは、指導教官個人の異常性に発する犯罪行為で、だから体罰は絶対にいけないのだという論理とは結びつかない。味噌も糞もとは上品な言葉ではないが、何か事が起こるとこの混同が起きる。文明社会が成就化する中で、変な潔癖性が人間本来の生命力を削ぐような言動を容認する。

 昔、「人間の命は地球より重い」というのがあった。その是非は兎も角、紛争地帯にたとえ後方支援、民生支援であったとしても、一人の自衛官でもたとえ流れ弾であっても死に至ったとしたら、派遣を決定した当時の内閣は総辞職しなければならなかったかもしれない雰囲気。軍隊の作戦行動に、一人の戦死者も出すことは許されないという制約をつけるトップの思考経路。すべて正義の仮面を付けた、したり顔の偽善者達である。

 人間も所詮この地上に誕生した生き物の中の哺乳類の一種でしかない。生まれながらに母親の乳に吸について乳を吸う生命維持の本能を持っている。脳幹は鰐や鮫と変わらないという。その本能を嫌悪し、きれいごとで覆い隠そうとすれば生命力が萎え、生きようとする強い欲求も低下する。暴力は肯定されることではないが、それは周囲に常にあることを前提として社会が注視しなければならない現実のものだ。強者の暴力から弱者は、力を合わせて立ち向かう気概は持たねばならぬ。その延長線上に国家国土防衛もある。

 今回の事件で腹立たしいのは、こちらもマスコミ報道に依存した感想であるが、校長や教育委員会が過剰な体罰の存在を知りながら、全国大会に何度も出場するような部活の顧問に憚って、杜撰な調査結果で隠蔽していたことだ。過剰な暴力によって生徒を死に追いやった顧問の教師と同罪である。世が世ならば切腹ものだ。せめて直ちに職を辞して貰いたいものだ。最近頓に組織のトップの重責に対する敬意が当人も周囲にも薄すぎるように思う。その事がこの国の背骨の弱体に通じているように思う。

 確認しておきたいと思う。今回の事件は、生徒による校内暴力に対処するために、ある程度の体罰を容認するかのような、指導要領が出ていたこととは全く別次元の話で、指導教官個人の異常性を放置した当該学校の責任に帰するものである。




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新しい年に想う第5回

2013年01月13日 | Weblog
政治不信

 先に安倍総理の選挙前の発言を捉えて、実行を先送りするのは如何なものかと述べた。先送りすると結局実施されなくなる恐れも強い。政治家の発言にどこまで国民との約束という意識があるのかないのか分からないが、やっぱり言ったことや一旦決めたことは断固やりきる姿勢がないと政治不信が続いてしまう。それでは民主党時代と同じだ。

 70歳から74歳の医療費の窓口負担は、前の自民党政権時1割負担から2割負担へと決めていながら、該当世代の反発を恐れて1割に据え置いて6年が経つという。由々しきことだ。年金支給額の物価スライドも、デフレ化で下げなければならないところ据え置いて来て、こちらはどうにか実施するところまでは来たらしい。医療費の窓口負担増え置きについては、民主党政権時には国会で自民党から追及していた筈だ。今回政権が変わったが、7月の参議院選挙を睨み、据え置くために2,000億円を予算計上するらしい。選挙を与党有利にするために2,000億円を使う。この国家財政危機が叫ばれる中、政治家の頭脳を疑う。

 これは該当世代の反発を恐れてというより、どうも医師会向けのアピールではないのかという気がする。ただでさえ特権階級の感のある医師会の懐具合に配慮する必要があるのか。国民健康保険への税金負担は大きいと聞く。医者に行くとすぐ検査、検査で検査料が嵩む。兎に角医者にはよっぽどでないと掛らないようにしないと国家財政が持たない。患者の窓口負担が増えると、今まで来ていた患者というよりお客がこなくなるから医者が困ると言う算段で、決めたことを先送りしてきたのではないか。

 世の中、どうも税金の分捕り合戦で成り立っているところがある。各種団体が、いかに市町村、県や国から手前に税金を持ってくるかの凌ぎ合いをやっているように見える。このため医師会など政権交代後民主党支持にまわり、先の総選挙では自民党有利と見て、事前に自主投票としたらしい。浅ましい限りである。命を担保に国民から一定の保険料を徴収し、これに多額の税金を載せて医師会に運ぶ構図が見える。毎年2,000億円で6年なら1兆円を超える税金が70歳から74歳の世代に違法に投与される。そんなことなら初めから決めなければ良かったのだけれど。

 税理士会なども2009年の総選挙では民主党支持であったが、その後どうされたのか。政権与党にすり寄るため、無党派層の動向に神経を尖らせ、民主党有利と見るや支持を表明してその間どれだけの利益を享受したのか。中小企業診断士協会などは、組織率も低いこともあってか政治的に何の圧力団体にも成り得ないから、一応経済産業省の中小企業庁所轄であるけれど、経済産業省に用むきで出かけた診断士が、診断士を名乗ってもその士業を職員が知らなかったという話を聞いたほどだ。

 もっとも長らく国からの補助に頼った農業が、いつまで経っても衰退、衰退といわれるけれど、これまで投与されたその莫大な税金は、一体どこに消えたのか。一部散見する地方の農家の豪華な邸宅に形を変えたのであろうか。国に頼る産業や団体は結局競争力を失うのではないか。農家や医師会は、今またTPPの一大反対勢力になっているだけのことだ。

 政治家は実行できないことを軽々に口にしないことは肝に銘ずべきだ。「最低でも県外」がどれだけあと後尾を引いて多くの不具合を生じさせたか。そしてやらないなら決めないこと。圧力団体に与しないことだ。利権政治を繰り返せば、はたまた訳のわからない政治集団にこの国が乗っ取られる恐れがある。国ごとどこかの国に持っていかれる危険さえ感じる。民主政治にとって政治不信ほど怖いものは無い。



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新しい年に想う第4回

2013年01月10日 | Weblog
国防軍

 安倍政権の公約として憲法改正による国防軍の創設というのがあって、選挙の際に話題となった。他党からは格好の標的となった。名称は自衛隊のままでいいのではないかとは、国民の保守層の中にもあったと思う。

 結果として、脱、反、卒、のついた原発反対もそうだけれど、選挙結果に大きな影響を与えたとは思えなかった。60年安保の際に当時の岸首相が、国民の「声なき声」として、国会に押し寄せたデモ隊の「声ある声」に対して、後楽園球場も満員であることをあげたそうだけれど、憲法改正問題にしても、国民の多くは換えた方がいいと思っていると思う。ごく一部の未だ幼稚な左翼系の政治家などが大きな声で「護憲、護憲」と喚いているに過ぎない。

 ところで「国防軍」であるが、国家権力が保有する武力として、警察と軍隊があり、「国体を維持するのが軍隊であり、政体を守るのは警察である」とは三島由紀夫の1970年11月25日の市ヶ谷自衛隊への檄文として知られるけれど、ここら辺りの定義について一般国民がどれほど理解しているか。学校でも教えないし、軍隊と言うと先の大戦、といってすでに70年も昔のことだけれど、そのトラウマで、まずまともに考えようとしない習い性が出来上がっているものだから、知らないで済ましているのではないか。

 軍隊とは単に戦闘部隊だけでなく、橋でも作れる工兵に軍医を配する医療部隊、諜報、兵站まで、組織として自己完結したものなのである。これに対して警察は、勿論警察病院などもあれば公安警察も有しており、軍隊に近いがその徹底度が異なるし、国内の治安維持を主目的とするそれに対して、軍隊は国防、そのための他国やテロ組織との交戦能力を保有するものである。

 何が言いたいかと言えば、自衛隊という名称は、軍の中の一部組織のような中途半端性を持つため、国土防衛を任務とする自己完結性を持った組織であることを、名実共に明確にしたいというのが、自由民主党の考えなのであろうということ。憲法第9条の「交戦権はこれを認めない」では、文面通り解釈するなら、他国からの侵略に武力で持って抵抗することも出来ないことになる。ここらあたり、同盟国との集団的自衛権も含め、憲法を改正して現実的な表現に変える必要がある。

 日露戦争の際には日英同盟が大きな力となった。世界の中でどこと国とも仲良くすることは勿論であるが、自由と民主主義という大きな理念の下に、共通の利害を持った国家間の同盟関係は国家の安全保障にとって非常に重要である。現在日米同盟がそれにあたり、中国の軍拡に対応するためには、さらにオーストラリア、インドはじめ東南アジアの国々、北のロシアとの同盟も視野に入れる必要があろう。

 まず、憲法改正が必要であるが、占領軍の手に成る憲法を脱し、独立国としてその長い歴史伝統文化に根ざした、独自の憲法を創案し制定することはあまりにも当然のことに思える。また、国防は、軍隊の質・量だけでなく、オリンピック招致と同様、国民全体の意識がなければならない。我が国は少子化が進むが、人口8000万人くらいで成り立つ国づくりを志向すれば良いと思う。その中で軍隊も兵員数を誇るのではなく、他国に先んじる科学技術の粋を活かし、ハイテク軍備で国防を考えればよかろう。

 国防軍でも自衛隊でも名称は兎も角、この国を守るために一歩も引かぬ覚悟と軍事力を備えることは重要である。



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新しい年に想う第3回

2013年01月07日 | Weblog
紅白歌合戦から

 恒例の大晦日のNHK紅白歌合戦を見た。毎年見ている。NHKの報道番組には問題ありと思われるところも間々あるけれど、紅白歌合戦は極上の番組だ。世界100カ国以上で見られているというが、世界の人々にも喜んでいただいているのではないか。歌謡曲の祭典ではあるけれど、歌手に華を添えるダンサーなどのパフォーマンスは近年相当に向上していると思うし、ステージを彩ったスクリーンのコンピュータ技術による映像など、総合的にショーとして素晴らしいものになっていた。

 BBCの調査*2)による「世界に良い影響を与えている国」アンケートで、日本は58%で世界のトップ。以下ドイツ56%、カナダ53%、イギリス51%、中国50%と続くのだけれど、このようなアンケート結果にも紅白は影響を与えているかもしれない。

 紅白歌合戦のこれまでの最高の視聴率記録は、東京オリンピックの前年1963年で80%を超えるものだったそうだ。まさに「三丁目の夕日」の時代。舟木一夫さんや北島三郎さんが初出場だったそうだけれど、私はすでに高校1年生だったので、舟木さんの高校三年生を歌う詰襟姿は覚えている。

 昨年はロンドンオリンピックでの日本選手の活躍が目覚ましく、今回の紅白でもレスリングの吉田選手などが特別審査員だった他、多くのメダリストも応援で登場した。2020年東京オリンピック招致に向けて国民の支援の輪が一層広がったのではないか。今年9月に決まるらしいけれど、東京のウイークポイントである国民の支持率をどうにか上げて欲しいものだ。

 震災復興とオリンピックは今回の紅白の両翼のテーマであったようだが、ノーベル賞の中山教授の話題が何処にも出てこなかったのは少し疑問。科学面の話題では、昔は毎年「南極観測船宗谷からの電報です」。というのが定番であったけれど、地球の裏側の大砂漠からでも生で中継可能な現代、宇宙の時代には、南極も特別の地ではなくなったのであろう。昭和基地では越冬隊のみなさんも紅白を見ておられるのだろうか。近い将来、日本自前の宇宙ステーションからの中継などというのもあるかもしれない。

 今回、韓国の歌手の方が出場していないことも、ひとつの話題となった。単に日本での活躍が評価されなかっただけの話かもしれないが、今回は当然の話で、日韓友好の意味もあって、日本でも活躍していた韓国の歌手の方は、特別出演の意味であったと思うけれど、そのような我が国の想いを、韓国トップが昨年は完全に踏みにじったのだから。

 それにしても出場歌手のみなさんのパフォーマンスは流石に超一流。美輪明宏さんなど、ネットで最も印象に残った出場者のトップにあがっていたが、俳優の舘ひろしさん、ロックンローラーの矢沢永吉さんなども、やっぱり凄い。

 今年もコンサート会場からの中継となった福山雅治さんの出番には、「龍馬伝」繋がりの香川照之さん(歌舞伎役者としては九代目市川中車)と歌舞伎の四代目市川猿之助さんが応援という形で出演され、両名襲名挨拶の口上を述べていた。脈々と血縁で紡ぐ歌舞伎の世界と、雑草の中から大きく花開いた歌謡界のスターの共演は、歌舞伎の世界が常に経営革新を志向し、庶民にもアピールする様を見せつけ、彼の世界の力強さを感じたものだ。

 戦後67年、営々と築き上げてきた我が国文化面の活動も、クールジャパンの一角としてこのように世界に誇れるものとなっている。前回の政権交代で真っ先に消えた麻生現副総理の「アニメの殿堂」構想は、早速計画を復元して欲しいものと思う。

 兎に角、紅白歌合戦は永遠に我が国大晦日を飾るイベントとして継続してもらいたいものである。






*2)イギリスの公営放送局(BBC)2012年調査。ただし、悪い影響を与えていると答えた割合では、日本は21%で、ドイツの16%やカナダ14%、イギリス20%よりやや多くなっている。国別の我が国対する評価(括弧内はネガティブ評価)では、ナイジェリアが80%(10%)、インドネシアが77%(5%)、アメリカ74%(18%)がベスト3。対して、韓国では38%(58%)、中国に至っては16%(63%)である。それらを平均して58%なのである。いかに普通の国では、日本を好ましく評価しているかが分かる。因みに日本人は日本を41%(9%)しか評価していない。三橋貴明「ぼくらの日本」2012年8月、株式会社扶桑社刊による。
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新しい年に想う第2回

2013年01月04日 | Weblog
諸々のこと

 元旦の新聞によれば、我が国の農水省がサイバー攻撃を受け、機密が漏えいした恐れがあるとのこと。農水省はその事実を1年たった今も公表していないというが、感染パソコンが不正通信を繰り返していたサーバーのIPアドレスは韓国内にあったとある。先にも中国の外交官との不適切な関係で、当時の農水大臣などが事実上更迭される事件があったけれど、前の政権には中韓のスパイを招き入れるルートがあったと疑われても仕方がない有様だ。少なくとも脇が甘かった。

 少子化進行の記事もある。昨年の人口減は21万人で過去最大。出生数は103万人。出世数ピークの1947年には270万人程度あったが、当時の我が国の人口は8000万人弱であったことを考慮すれば、1/3以下の出生率となっている。少子化担当大臣なるものが登場したのはいつのことだったか調べたくもないが、歴代大臣は単なる名前ばかりでほとんど仕事をやっていないことの証だ。しかし、我が国で少子化対策が必要なのか。

 確かに結婚しても共働きが普通になり、核家族化されて久しい現在、国家としても託児所等の充実による育児支援は必要であろうが、前政権のような子供手当は論外である。児童手当も本来要らない。所得税の扶養者控除で十分である。幼児などの医療費免除はあってもいいのと、小学校などで一時問題になった給食費の不払い。これも払えないと払わないがあろうが、これなどの完全無料化は検討してもいい。税金の使い方として、個人にお金をばらまくのは良くない。生活に困っていない人にも支給されることになり、国民の国家への依存体質を増幅させるだけで、人間本来の生命力を削ぐことにもつながる。

 そもそも地球全体として人口増加の著しい現代において、少子化対策など必要なのだろうか。豊かになり、子供がほぼ確実に大人になれる社会となれば自然に少子化となる。自然の摂理に任せた方がいい。昔は戦争をやるために「産めよ増やせよ」があった。今は経済優先で「産めよ増やせよ」とやっている。この狭い国土に1億2800万人は多すぎる。8000万人でもヨーロッパ各国と比べて人口の多い国となる。そのくらいの人口で国家が成り立つ仕組みを考えることの方が大切と思う。うさぎ小屋と揶揄された小さな住居から脱し、量より質の生活を享受できる国民でありたい。

 当面新政権は、デフレ脱却を合言葉に経済政策優先で実績を挙げようとしている。現状を考えれば悪いことではない。ただ、庶民からすれば、あのバブルの頃を省みて、いいことなど決してなかった。まず企業を元気にすることは必要であるけれど、結果、企業が内部留保を蓄えるだけ、株主を儲けさせるだけ、経営者層がお手盛りで報酬を増やすだけ。という事態にならないように政府が管理できるのか。日本の品質経営にみる長期的な視点に立った体質改善からの企業業績向上を目指す方策を政府が主導できるかどうか。

 あちらを立てればこちらが立たずで、すべて良しとはいかないことは承知している。ただ、為政者は全体を俯瞰して常に行き過ぎを制御できる体制を採り続ける必要がある。
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新しい年に想う第1回

2013年01月01日 | Weblog
日本再生の試金石

 昨年末には待望の政権交代があった。その意味では日本全国良き新年を迎えたことになる。民主党政権の失速の原因は何だったのか。出鱈目なマニフェストが実現できなかったことか。稚拙な震災対応で、被害を拡大したとさえ思われることか。勿論それらもあろうが、ネットに見る韓国人の団体に頭を下げる野田前総理の動画や、先の総選挙での菅元首相の街頭演説では、聴衆の中に韓国国旗が翻っていたりするけれど、国民の多くが中韓勢力に取り込まれた政権と認識したことのように思う。

 結果、安倍第二次政権がスタートした。世論調査では熱狂的な支持*1)はないものの、堅実な結果で、株式市場などは解散が決まったところから上昇を始めていた。安倍総理の日本再生に向けた意気込みには相当の決意が感じられるし、組閣の顔ぶれを見ても、前政権との違いは素人目にも歴然である。

 一方懸念がないわけではない。選挙前の安倍総裁の中韓との領土問題、歴史認識に関しての発言に、①尖閣に公務員を常駐させる。②竹島の日を国家行事に格上げする。③前回総理の時に靖国参拝をしなかったことは痛恨の極み。などがあり、中韓の横暴に心中穏やかでない普通の日本人にはこれら頼もしい発言が選挙戦を自民有利に導いた。今回の自民党の大勝は、前述の通り民主党の化けの皮が剥がれていたこと相俟って、中韓の過激な反日行動が貢献したのだ。

 従って、この公約的な発言は重い。しかし、実現できるかと言えば簡単ではなさそうである。現実を踏まえたプロの外交だとか何とか言って、先延ばしされそうな気配がある。すでに竹島の日の政府主催式典の2013年の開催は、見送る方向で調整というニュースが流れた。これは、韓国側には幸便で、「やっぱり竹島は韓国の固有の領土だから安倍政権といえども政府行事に出来ないのだ」という韓国内への口実を与えてしまう。

 昨年12月21日には、米国の議会で「尖閣は日米安保の適用範囲」という国防権限法案が可決成立したが、勿論中国と事を構えたくない米国は、尖閣への公務員常駐などの実効支配の強化には反対する懸念がある。安倍政権中枢の親中派議員の慎重論もある。

 経済界も問題だ。小泉首相の靖国参拝では随分と文句を言った。小泉さんが靖国に参拝しても日本の経済は順調に回復していたにも関わらずである。このたび安倍総理が靖国参拝を望んでも財界は総出でタックルをかける懸念がある。

 前回の安倍政権では、小泉政権で冷え込んだ中国との関係を修復したなどと評価される向きがあり、ご本人も成果と公言されているが、向こうから見れば、力をつけるために日本から絞れるだけ大手を振って絞るための妥協でしかなく、敵の手に乗っただけの話なのだけれど、今回も中国の意向に配慮する可能性がある。

 安倍総理の選挙に向けた発言が、普通の国民感情を選挙で利用するだけのものであったとしたら、この前まで野田さんを嘘つき呼ばわりしていた言葉が返ってくる恐れがある。7月の参議院選挙に影響が出る懸念がある。ここで躓くと、民主党はじめ野党が攻勢をかけてくる。政権基盤が揺らいでしまう。

 兎に角、在日韓国人などに牛耳られているイメージのある民主党とは違うということを初期の段階で明確にすることが、「日本を取り戻す」ための必要条件だ。その意味からも、安倍総理の発言については、確実に実現する必要があり、内外に強い日本のイメージを発信する必要があるのだ。それは日本再生の試金石と言えるのではないか。




*1)各種世論調査における内閣支持率52%~65%
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