中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

現場力について考える第10回

2015年03月28日 | ブログ
見える化

 見える化の代表は、街中やロードサイドに見る看板である。兎も角目立つことで、自己店舗に客を呼び込む効果を狙っている。飲食店店頭の食品サンプル模型やメニュー看板、ショーウインドーなども見える化であろう。甚だしく景観を損ねる看板は問題だが、街中の看板は利用者には店探しが容易となり、食品サンプルも何を食べるかの事前検討に有益であり、顧客の利便性に貢献する。この「見える化」と現場力の関係で言えば、店内POP(ポップ広告)などもそうだが、店舗管理の一環としてその巧拙は、売上に直結する。

 ただ、企業活動で「見える化」という時、看板のような顧客向けではなく、通常身内で見えない物を見えるようにする活動を意味する。現場の実態をリアルタイムで見えるようにして、情報を共有化することで、現場力を向上させようという取り組みを「見える化」活動というのである。

 ただし、営業成績や歩留まりの数値をグラフ化して掲示したり、ビジュアルモニター画面を設置して、諸々のデータがリアルタイムで見られるようにすることは、確かに「見える化」のようであるけれど、次のアクションにつなげる仕組みがなければ成果につながらない。真の「見える化」ではないのである。

 最近の省エネ車は、燃費(km/l)の瞬時値がダッシュボードにデジタル表示されていたりするけれど、この数値に注目しながらアクセルの踏み方を加減して運転すると、確かに燃費向上に有効である。これなどは見える化のヒットのひとつかも知れない。

 「現場力を鍛える」の著者でもある遠藤功氏の著書「見える化」(強い企業をつくる「見える」仕組み)2005年10月、東洋経済新報社刊によれば、「見える化」を5つのカテゴリーに分類している。すなわち、カテゴリー1.「問題の見える化」として、①「異常の見える化」、②「ギャップの見える化」、③「シグナルの見える化」、④「真因の見える化」、⑤「効果の見える化」の5つがあり、カテゴリーの2番目は、「状況の見える化」で、①「基準の見える化」、②「ステータスの見える化」、カテゴリー3.「顧客の見える化」では、①「顧客の声の見える化」と②「顧客にとっての見える化」を上げ、カテゴリー4.「知恵の見える化」には、①「ヒントの見える化」、②「経験の見える化」、最後のカテゴリー5.「経営の見える化」となっている。

 このうち、カテゴリー3.②「顧客にとっての見える化」は看板や食品サンプルのことではなく、『顧客の声や要望を一方通行的に吸い上げるだけでなく、「顧客にとって」必要な情報を効果的に発信し、双方向の「見える化」を実現すること』とある。

 カテゴリー1.から4.は、企業活動のオペレーション上の問題解決を促進するための仕組みで、現場力を支え、OC(Organizational Capability:組織能力)の向上に貢献する。カテゴリー5.は、経営者のための「見える化」である。経営者はその監督責任を果たすため、本来現場の問題解決活動のタイムリーなモニタリングを必要とする。また、対外的に自社の経営状況を「見える化」する説明責任もある。コンピュータシステム導入も含め、確度の高い「見える化」策を実施すると共に、対応して素早い次のアクションにつなげてゆかねばならない。



 本稿は、「見える化」(強い企業をつくる「見える」仕組み)遠藤功著、2005年10月、東洋経済新報社刊を参考にし、『 』内は直接の引用です。
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現場力について考える第9回

2015年03月25日 | ブログ
5S

 5Sとは、本稿第5回でも触れた通り、「整理・整頓・清掃・清潔・躾」のローマ字の頭文字である5つの「S」のこと。初めの「3S」に集中して行う場合や、さらに6Sまで膨らせた活動を行うこともあるらしい。「6S」では作法が加わる。誰でも「知ってるよ」という活動ではあるが、しっかりと組織に根付かせるのはそれなりの努力が必要ではないか。

 5Sの非常に徹底したものづくりの工場を訪問したことがあるが、挨拶も徹底しており、従業員は見学者にも声を出して挨拶していた。見学コースのあるような食品関係の工場は、当然とはいえ非常に清潔感がある。ゴミの分別も徹底されており、「そこまでやるか」と思わせるほどである。ところどころの掲示板にはTPM(Total Productive Maintenance「全員参加の生産保全」)活動の成果報告が載せてあった。

 サラリーマン当時、デミング賞を受賞したという工場と関係したが、訪問時同道した先輩には過剰な管理に映ったらしいけれど、5Sの徹底工場でもそのことを思い出したものだ。長く馴染んだ企業風土における価値観が、他社を診る場合の尺度になる。何でも徹底することが果たして投資/効果において有益かどうかの判断は確かに難しい。しかし、僅かな不具合も生じさせない努力は活動の初期には特に大変でも、慣れてしまうと習慣化し、自然な行動となる。それが現場力につながり、すなわち組織能力となることも事実であろう。
 
 分かり易い習慣化の一例として、車のシートベルトを上げることができる。義務付けられた当初は面倒と感じたものだけれど、今では後部座席に座ってさえ自然にシートベルトを締める。
 
 5Sは安全活動の基礎的な活動のひとつでもある。整理・整頓・清掃もできない組織に安全は担保されない。ルール(躾)を守れないなど論外である。安全が担保されない職場に現場力はない。

 事務机の上が乱雑なままで、いかにも忙しさを強調しているような人が居る。単に周囲を嘗めて事務所の風景を乱しているに過ぎない。効率の悪い仕事のやり方をしているから忙しいのであって、無駄な残業が多くなり経費を上積みしている。

 職場で、個人の机上の整理整頓までに口を出す上司は、「細かい」などと反感を買う恐れがあって、放任するケースも多い。5Sなども、全社的、全工場的な活動として取り組むことが望ましい。上司も上からの方針だと部下を督励できる。

 組織というより個人芸で仕事をするという場合、それぞれの個性を重んじるということで、自身の身の回りの管理まで、組織として関与しないという職場もあるかもしれないが、5Sは安全と仕事の効率に直結する。個性とはルーズな性格までを言うのではなかろうと思う。



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現場力について考える第8回

2015年03月22日 | ブログ
私の改善提案

 企業における改善提案活動は相当古くからある。私の入社時(昭和41年)に、石油化学の会社でもすでにやっていた。ただ、その後小集団活動と併行して行われたように、何でもいいからドンドン出しましょう的なやり方ではなく、業務としてのフォーマルな感じの活動だった。それなりの論拠と実効が伴うことを要求されていた。従って、配属された三交代の現場ではあまり提出する人は居なかったように思う。上司からの積極的な奨励もなかった。

 私が最初に改善提案に挑戦したのは、入社2年目ではなかったかと思う。エチレングリコールプラントでは、エチレングリコール*4)を主製品とし、副製品としてジエチレングリコールとトリエチレングリコールを生産出荷していたが、トリエチレングリコールは生成割合が少ないため、原料のジエチレングリコール精製残渣をタンクに貯め置き、バッチ(回分式)運転で精製していた。この装置は原料を加熱するドラムと精製(蒸留)塔が分離されており、運転終了後、蒸留塔である程度きれいになったトリエチレングリコール残液が加熱用ドラムに還流して捨てられることになっていた。私は、加熱用ドラムと精製塔の間に手動バルブがあることに目を付け、運転終了時、このバルブを閉めて、次のバッチ収率を上げることを提案したのである。

 不採用だった。今考えると、製品品質は蒸留塔トップで管理されており、この留分が規格を外れた時点でバッチ終了とするため蒸留塔に残った残液はすべて規格外である。最初の改善提案は失敗だったが、当時から三交代勤務の中でも、オペレーションについていろいろ自身の頭で考える習慣があった。またプラントでは、ポンプの修理などメンテナンスは専門の下請け作業員の仕事であったが、耐圧ホースのコネクションに始まり、ゲートバルブのパッキングの入れ替え、タンク内に入ってのヘドロの清掃など、自分達でできることは番方責任者(フォアマン)の指示で行っていた。現場に張り付いて汚れ仕事までをやった経験は、職種は異なってもものづくり現場を見る目は明らかに育んでくれたと思う。

 改善提案に挑戦すること。すなわち自分の頭で仕事を考える習慣や、下請け任せにせず、できる作業を自らやることは、個々担当者の現場力を高める。当時はまだ、TQCとか明確な指針が現場にあったわけではないと思うが、諸先輩方は優秀であり、経験からの暗黙知をそれぞれが形式知に変えて後輩を指導していた。豊かな現場力が育まれていた。




*4)ポリエステル繊維、ポリエステル(PET)樹脂原料。車のラジエーターの不凍液に使用される。
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現場力について考える第7回

2015年03月19日 | ブログ
私の小集団活動

 現場力の強い企業は、自然にそうなったわけではなく、それなりの要因があった筈である。特に経営者が意識したわけでもないのに気が付いてみれば、現場力が高いと評価されるようなこともあろうけれど、その場合も基を糺せば、このような経営方針が現場力の向上につながったというようなことは思い当たる筈である。

 わが国で1950年代後半から始まったとされる高度経済成長の特に後半において、現場力の向上に大きな貢献をしたものに、TQC(総合的品質管理)の一環として多くの企業が取り組んだ小集団活動(QCサークル活動)があったことは間違いがないと思う。改善提案活動もそうだ。

 私が勤めた石油化学の工場では、小集団活動は1980年代に入った頃から始まったように記憶する。結局10年間くらい、半年毎にテーマを決めて活動したから、20案件近くは取り組んだ計算になる。リーダー研修では講師から、「リーダー足る者、職場の問題点を7つくらいはすぐに上げることが出来なければいけない」と言われたことが印象深い。まずは問題発見能力が問われるのだ。活動では、仲間とともに現状把握に始まり、QC7つ道具なども使いながら、解決の方策を模索する。

 その後、管理職になって電子部品の生産部署に異動となったが、そこでは主婦が中心の50名程度のパートさんと仕事をすることになった。そこで、自身の経験から彼女たちに小集団活動をやって貰うことにした。パートさんの小集団活動は、恐らくあまり例がなかったのではないかと思う。上司の理解、協力があったことで実現したことでもある。

 オリジナルな活動計画書兼報告書のフォーマットを作成し、ここにグループ名、メンバーに始まり、活動計画、テーマ選定とその理由、現状把握から改善案、その実施、効果の確認までを記入してもらう。

 QC7つ道具では、特性要因図に絞って使って貰うようにした。残業は週一回一人1時間を認め、諸々の意見等は、自宅で考えて来て貰うようにした。発表会には本社からも関係者に来てもらって、彼女たちの堂々の発表を見て貰ったものだ。

 結局1年間2度の活動で、われわれが携わった事業自体がアウトソーシングされることになったため、すべての活動は終りを告げたけれど、その間彼女たちの働きによる生産性は約1.7倍に高まっていた。

 診断士となって、企業訪問などの機会ある度に、小集団的な活動を勧めるのだけれど、じゃあやってみようかという経営者はいない。改善提案制度は取り入れているところは結構ある。もっとも数人規模の企業では、活動を難しいと考えることは分かる。しかし、大企業でやっているような、いたような活動をそのままやることはない。独自のやり方を工夫し、従業員の自らが考える力を伸ばす方策に活用して貰いたいものである。それが今後の現場力の維持向上に確実に貢献すると考えている。



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現場力について考える第6回

2015年03月16日 | ブログ
良い「くせ」をつける

 前回(本稿第5回)、遠藤功氏の著作による「現場力復権」*3)からオペレーションの土台として欠かせない組織の「しつけ」に触れた。しかし、遠藤氏は「しつけだけでは差別化された現場力にならない」とし、「しつけ」という土台の上に、その企業ならではの独自の「よいくせ」(良い行動習慣)を身に付ける必要があるとしている。

 本稿第3回に、「蓄積された現場力が、競争力の源泉となるのである」と書いた。蓄積された現場力は、他社が真似することが非常に困難であるからである。一般に競合他社の製品そのものは徹底した調査によって、ある程度の技術力があれば同じ物を作れる。価格やデザインなどはそのまま真似される。経営戦略だってそうだという。

 しかし、製品やサービスを生み出す現場、営業マン、開発に携わる人々など、従業員ひとり一人の癖までは絶対に真似できないのである。モジュラー型(部品の接合部を標準化)生産においては従業員の「癖」が製品品質に反映され難いため、現場力より経営戦略が優先した。一方インテグラル(擦り合わせ)型製品においては、未だ現場力の差が明確に表れるから、わが国のものづくりに活路があると言われる。

 企業組織に限らず、人生の成功者は、きっと良い生活習慣(良いくせ)を会得しているのだと思う。生活習慣病という言葉もあるけれど、その悪い癖が病を呼ぶことは周知のことだ。そう考えてゆくと、組織としての「良いくせ」を身に付けることが現場力となってゆくことも理解できる。

 「くせ」は、囲碁や将棋の頂点であるプロ棋士の世界にあっても優劣の要因かもしれないなどと素人ながらの勝手読み。読みの力などは、プロ同士ほとんど差がないように思うし、新手や新戦法などの情報もITの普及でさらに早く入手できる。だから勝っている棋士を真似れば勝敗数に差は付かないように思うのだけれど、将棋の羽生さんや囲碁の井山さんなど、そのプロの世界で突出した成績を残し続けている。きっとそれは、彼らが修業の過程で身に付けた指し方・打ち方における微妙な「くせ」の差ではなかろうかと思ったのである。名人の癖まではプロ棋士にも真似ができないのである。

 このデジタル社会にあっても、「運」とか「くせ」とか「第六感」など、論理的に説明し難いものがこの世界を支配する部分が確実にある。そして、「運がいい」、「良いくせ」、「第六感が的中する」などは、実はそこに至るまでの生活ぶりや行動との因果関係が必ずあるのではないかと思ったりする。




*3) 2009年2月、東洋経済新報社刊
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現場力について考える第5回

2015年03月13日 | ブログ
現場力を支える

 2011年3月の東日本大震災の際、すべての電源を喪失して大事故に至った福島原子力発電所よりも、震源地が近く大きな揺れに襲われながら、高い位置に建屋を設置していたことで、津波被害を免れ生き残り、その後の内外視察団から、その堅牢さを評価された東北電力女川原子力発電所のことが、2009年2月に出された遠藤功氏の「現場力復権」(東洋経済新報社)に記されていた。

 『組織の「しつけ」の不徹底が、大事故を招いたり、不祥事の発生につながる。企業のリスクマネジメントの観点からも、組織の「しつけ」の手を抜いてはならない。

 現場視察をさせていただいた東北電力女川原子力発電所では、朝の出勤時に所長自らが事業所の入り口に立ち、出勤してくる所員たちに大きな声で「おはようございます」と声をかけている。

 「小学生じゃあるまいし・・・・」

 そう思われる方もいるかもしれないが、こうした基本的なことをおろそかにしていては、原子力発電所の維持・運営はできない。

 女川原発では約1500名の従業員が働いているが、社員はそのうちの400名にすぎない。残りの1100名は、数十社にも及ぶ協力会社、機器メーカーの社員である。ひとつの事業所でありながら、その実態は(言葉は悪いが)「寄せ集め所帯」である。話したこともない人が大半であり、考え方や意識にもバラツキがある。

 情報共有を進めたり、従業員間の交流を図る施策を講じることはもちろん大切だが、その原点は、所属している会社は異なっても「女川原発で働いている」という意識の統一である。

 それを表すためにも、所長自らが所属企業に関係なく、一人ひとりに「おはようございます」と声をかけるのである。お互いに「おはよう」と声をかけ合うようなことができない現場に、原発の維持・運営はできない。

 あまりに基本的なことだが、そもそも「しつけ」とはそういうものである。

 基本の繰り返しができないところからは、何も新しいものは生まれない。』

 同時に、「現場力復権」には、現場力を鍛えるために、組織の「しつけ」が組織運営の土台であり、「基本的な約束事」であるとし、「挨拶の励行」「5S運動などによる整理整頓の徹底」「報連相(報告・連絡・相談)による情報共有、意思疎通の徹底」「指差確認などによる安全の励行」をその例としてあげておられる。

 そもそも「しつけ」は5S「整理・整頓・清掃・清潔・躾」にあり、一般には「ルールを守ること」となっているが、この場合の「しつけ」は、さらに広い意味から人間としての立ち居振る舞い、基本的な心の在り方までを含んでいる。

 この国の現場力を今後とも維持・推進するために企業が行う具体的な方策としては、まず安全管理の徹底のために、ゼロ災運動の一環として「ヒヤリハット」(ヒヤリとしたハットしたすなわち災害には至らなかった事故事例を記録して共有し、対策を打つ)、「4RKYT」(危険予知訓練)、「安全一言提言」(朝の朝礼などで当番制で行う)、「安全標語」活動などがある。「5S活動」や「挨拶運動」も安全管理に繋がりが深い。次にTQM(総合的品質管理)活動の一環として、「ZD(無欠陥)運動」、「QCサークル(小集団)活動」、「改善提案活動」があり、視点を変えてTPM(全員参加の生産保全)活動や「見える化」活動もある。

 ひとつの事業所であれもこれもとはいかないし、過去にやっていたがマンネリ化し、そのこと自体が目的化したため中断したということもあろう。しかし、やり方は時代に合わせ、組織に合わせて新たにオリジナルなものを工夫すればいい。主業務に加えてこれら何らかの活動を展開することは、従業員の問題発見・解決能力向上に有効である。




本稿は、遠藤功著、「現場力復権」2009年2月、東洋経済新報社刊を参考にし、『 』内は直接の引用です。
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現場力について考える第4回

2015年03月10日 | ブログ
現場力を育む

 日産を復活させたカルロス・ゴーン氏は、わが国の自動車産業の強さの秘密について『一番大きな理由は日本の現場の質の高さです。工場の労働者だけでなく、エンジニアやスタッフを含めた現場の人たちの献身ぶり、忠実さ、組織力、規律、細やかな仕事・・・。これらは日本の産業の大きな資産です。・・・・』*2)と述べたという。

 これら「献身」、「忠実」、「規律」、「細やかな仕事」などわれわれに与えられる称賛のキーワードはどこから来たものであろうか。日本人の遺伝子だとしても、その遺伝子がどのように形成されたものか。四季のある自然、美しい山河、海浜、その自然環境が細やかな情緒を育んだことは間違いがなかろう。それは、万葉の時代から優れた和歌や物語が残されていることからも推測できるのではないか。

 鎌倉期には多くの仏教宗派が生まれ、混迷の時代に民衆の精神支柱となった。武士の時代には武士道が起こり、献身、忠実の心を育んだ。商いにしても、それまで神社などの強力な支配下にあった専売制を、信長が楽市楽座として解放したが、すでにこの国では古くから、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」や「利真於勤」(営利至上主義への戒め)、「陰徳善事」(人知れず善い行いをして見返りを求めない)など、非常に深い長期的視野に立った商売が実践されていた(近江商人の思想・行動哲学)ようだ。加えて、「番頭はんと丁稚どん」ではないが、丁稚奉公からでもまじめに勤め上げれば番頭にも成れるというシステムも「献身」「辛抱」を後押ししたのではないか。明治期に入ると教育制度に「修身」が取り入れられた。

 修身には、内外の偉人伝に始まり、家庭のしつけや親孝行、勤労・努力、創意・工夫、公益・奉仕、友情と信義・誠実など人間として基本的な道徳が盛り込まれていたようである。戦後、占領軍の施策によって「修身」は教育のカリキュラムから外されたものの、戦前世代の親や教師から、戦後生まれの人々にもそのエキスは継承されていたと思う。その長い歴史の中、わが国は権力者の変遷はあっても天皇という軸があったことも良き遺伝子が途切れなかった要因ではないか。

 それらの土台の上に、戦後の高度経済成長期には、多くの企業が品質経営を実践した。すなわち当時のTQC(総合的品質管理)である。もともとQC(品質管理)は、フレデリック・テーラーが20世紀初頭に提唱した科学的管理法やIE(生産工学)を端緒として米国に起こったが、戦後わが国に渡り、人間性重視に基づく従業員の視点を加えられたことによって、一段の品質向上に貢献する。

 まさにTQC活動の一環として展開した小集団活動や改善提案制度など、従業員の問題発見とその解決能力を陶冶したのである。




*2)森谷正規「現場の力」2003年7月、毎日新聞社刊。日経ビジネス2003年1月13日号より引用したという。
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現場力について考える第3回

2015年03月07日 | ブログ
現場力

 第2回に書いた通り、現場力とはオペレーションによるパフォーマンスの力量であるが、それには二つの性格が異なる技能があるという。ひとつは、ものづくりの職人技に見られるような、緻密な加工などを実現する身体的制御型技能であり、もうひとつは、変化する環境変化に気付き、条件に即応した行動が取れる問題解決型技能である*1)。

 同じように加工を行っていても、材質の変化などに追随して作業の微妙な修正が必要なこともある。また、毎日の現場はいつも通りではないかも知れない。また従来通りやっていたのでは効率が悪く、時代に合わなくなっているかもしれない。日々改善が必要だ。そのように、常に問題を発見し解決する技能は、普遍的にどのような現場にも求められるのだ。決められたことだけ決められたように確実に行うことも当然に大切だけれど、現場力とはもう少し踏み込んだ概念のように思う。

 改善のためには、問題を発見する、問題を提起する、そして解決する。この三つの能力が必要であるが、その能力を身につける第一歩は担当者の当事者意識であり、自分の仕事に誇りと熱意がなくてはならない。どんな単純と思える作業にも工夫の余地はある。それを見つけるためには常に自分の頭で考える習慣を身につけることが必要だ。

 たとえ小さい組織であってもそのリーダーは、組織の最適化のためのマネージメントを行う中で、部下の自身で考える行動を支援し、認め、評価する姿勢が必要である。評価することで改善は継続され、そのような担当者を増やすことで、個々のスキルを組織のスキルに進化させることができる。良い組織文化が醸成されてゆく。すなわち、現場力は個人の技能を組織力に高めること、そしてその継続が必要なのである。蓄積された現場力が、競争力の源泉となるのである。

 私の若かりし頃の研究室の話は、本ブログ初回(2008年4月~5月)の「プロジェクトZ」に記したが、研究者、研究補助者の隔たりなく、職場全体が考える集団になった時、員数で10倍規模の当時の世界ブランド企業の研究室と同等以上の成果を納めることが出来た。ひとつの現場力の成果ではなかったか。

 当研究室では、大学を出た研究者と高校卒の研究補助者(実験者)の2階層で仕事を行っていたが、ヨーロッパのブランド企業は研究者、実験者、実験監視者、終了後の器具洗浄者など幾層にも分担してひとつの実験を行うシステムとなっていたようだ。メリットはある。スクリーニング(ふるいわけ)実験では、威力を発揮していた。しかし、伝統的な階層社会では、下層の実験者が、われわれのように上位者の領分を侵すことはなかったであろう。

 仕事の領分が明確であることは合理的ではあるが、諸々の変化への気付き(生の情報)が、それぞれの階層内に留まる。そこに現場力の差が出る。ただ、担当者に必要な権限を委ねることは必要であるが、その譲り方は難しい。下位者の勢いに押されて放任になっては組織は成り立たない。一時の成果を嵩に、下位者に越権行為があっては論外である。分を弁えた上で協働することで、上下の垣根を超えて現場力は発揮されるのである。



*1) 森谷正規「現場の力」2003年7月、毎日新聞社刊。福山弘著「量産工場の技能論」において指摘されているとのこと。
本稿は、遠藤功著、「現場力を鍛える」2008年8月第28刷、東洋経済新報社刊を一部参考にしています。
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現場力について考える第2回

2015年03月04日 | ブログ
現場

 「現場」の定義を見てみると、『事件や事故が実際に起こった場所。現にそれが起こっている場所であり、実際に作業が行われている場所である。企業などでは管理部門に対する実務部門をいう』とある。現場には人為的に加工されていない生の情報が存在するゆえに重要であり、現場主義とか三現主義(現場・現物・現状)などが生まれた。

 「現場」と聞くと企業活動においては、ものづくりの現場をイメージするが、もっと分かり易いのが工事現場、事故現場、医療現場など、企業には製造現場の他、研究・開発、営業、販売、試験、物流の現場、行政機関には教育、福祉など多くの現場がある。いわゆるオペレーションの総称であり、現場力とはオペレーションによるパフォーマンスの力量である。

 これらの力量差は、当然に組織の成果を左右する。ただし、その方向性を決めるのはトップの方針であり、ビジョンであり、それを達成するための戦略である。方向性や戦略を誤るといくら現場がしっかりしていても組織としての成果は出ない。

 現場をもう少し広く捉えると、企業の場合には本社から見れば工場は現場であり、複数の店舗を経営するスーパーマーケットや百貨店、居酒屋チェーンなど本部と各店舗の関係では店舗のオペレーションは現場となる。

 本社や本部が、中央集権的に指示命令系統を一本化して、効率的な調達や広告宣伝を行うことは合理的であるが、本部の意向が強いと現場を生かすことにはならない。「経営と現場は近い方がいい」と言われる。特に店舗運営などは、品揃えから陳列、価格なども立地によって異なるケースも考えられ、店それぞれに委ねた方が成果を得られる場合もあろう。また店舗運営にあっては、スーパーマーケットなど、鮮魚、精肉、青果、加工食品などに現場は分かれている。それぞれの売場責任者が知恵とアイディアを出して、それぞれがそれぞれの売場づくりをすることで、成功しているお店もあると聞く。

 しかし、その為にはその現場を生かせる店長が必要であり、店ごとに優秀なスタッフが必要である。まさに「企業は人なり」といわれる所以である。

 以前、テレビで紹介されたのを見たのだけれど、新幹線客室内の「折り返し清掃」など、その手際良さには、外国からの視察などでは、要人からも驚嘆されるらしい。その現場が新幹線の緻密なダイヤを支えている。また、東京スカイツリーの建設の現場工事担当者は、単に与えられた設計図通りに作ればいいとは考えていなかったように思う。恐らく飛鳥の時代に法隆寺の五重塔を作った職人達もそうであったろうけれど、後世にも誇れるものをというスピリッツがあり、あった筈だ。それはわれわれ日本人のDNAに組み込まれた遺伝子なのかもしれない。しかし、そのDNAは何もしないで継承してゆくものではなかろう。良い現場を維持するためには、組織のリーダーの責任は重大である。
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現場力について考える第1回

2015年03月01日 | ブログ
現場力と経営

 わが国の企業は現場力に優れるが、経営力が問題であり、世界の企業に比べて所謂「現場一流、経営三流」であると言われてきた。最近はその現場力にも陰りが見られるようなことも聞く。

 もっとも「現場一流、経営三流」は、わが国の「経済一流、政治三流」を捩ったようなところがあって、実は経済と政治が切り離せないように、現場と経営も不可分であり、片方が一流で、他方が三流ということは無いと云うような意見も最近目にした。実はその通りと思う。

 政治に内政と外交があるように、企業経営にも、経営者の人づくりを頂点とする内部管理能力と、時代を読みながら他社との競争を勝ち抜いてゆく、戦略的能力が求められる。

 わが国の80年代くらいまでは、国内人口は増え、モノづくりに象徴されるわが国の伝統的な職人技や改善活動など、すなわち「現場力」で欧米を凌駕できたことで、経営者に現代ほどに戦略的能力は求められなかった。しかし、1990年代から世界の経済環境は大きく様変わりした。すなわち、85年のプラザ合意からの急激な円高、情報技術の急速な発展普及、モジュラー型生産による新興国企業の台頭。日本的品質管理を真剣に学んだ欧米の反攻にバブルの後遺症。その変化に多くの経営者、政治家もうまく対応できなかった。それが失われた10年、20年と言われる所以であろう。

 わが国の政治が三流と言われるのは敗戦国ゆえの外交の弱さによるもので、少なくとも戦後の経済面での政府の方針は概ね評価されてよく、その面では政治も一流であったから奇跡の高度成長を成せた。経営者も「品質経営」の実践によって内部人材を育て、現場を育てたことは大いに評価されるべきで、その面では一流であった。わが国の政治に外交面で弱さがあるように、わが国の経営者に時代の激変に対応する戦略的能力が不足したことで、三流というイメージが付いたものであろう。

 ただ、時代は変化しても「現場力」の重要さは変わることはない。外国人経営者の招致によっての成功事例として、日産のカルロス・ゴーン氏はあらゆる関連本に登場するが、日産に優れた現場力が残っていたからこそゴーン改革が可能であったとは、誰もが認める所である。

 安易な合理化による人員整理やモノづくりからの逃避で、現場力をズタズタにして後に、優れた経営者を求めても復活は容易ではなかろう。現場力と経営はまさに車の両輪である。内部管理だけをとっても技術と財務、人事と販売など、経営に求められるスキルは多岐に亘る。しかし、一人で全てに精通する必要はない。本田宗一郎氏に藤沢武夫氏、井深大氏に盛田昭夫氏、トヨタ自動車に大野耐一氏があったように、優れたリーダーにはまた優れた協働者が付くものである。わが国の一流の経営者から一流の現場力が生まれた。
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