恋の季節
優れた歌謡曲の作詞者は、これまで上げてきただけでは到底収まらず、まだまだ数多い。越路吹雪の「愛の讃歌」(1954年)、「ラストダンスは私に」(1961年)などの訳詩に始まり、ザ・ピーナッツや加山雄三の一連のヒット曲、そしてピンキーとキラーズの「恋の季節」(1968年、作曲:いずみたく)などの作詞で知られる岩谷時子(1916-2013)がいる。
『忘れられないの あの人が好きよ 青いシャツ着てさ 海を見てたわ 私ははだしで 小さな貝の舟 浮かべて泣いたの わけもないのに・・・夜明けのコーヒー 二人で飲もうと あの人が云った 恋の季節よ・・』
『ためいきの出るような あなたのくちづけに 甘い恋を夢見る 乙女ごころよ・・・ああ 恋のよろこびに バラ色の月日よ はじめてあなたを見た 恋のバカンス』「恋のバカンス」(1963年、作曲:宮川泰、歌唱:ザ・ピーナッツ)
『風にふるえる 緑の草原 たどる瞳かがやく 若き旅人よ・・・草は枯れても 命はてるまで 君を夢を心に 若き旅人よ・・・』「旅人よ」(1966年、作曲:弾厚作(加山雄三)、歌唱:加山雄三)
また、坂本九の「上を向いて歩こう」(1961年、作曲:中村八大)や梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(1963年、作曲:中村八大)を作詞した永六輔(1933-2016)も居る。美空ひばりの「津軽のふるさと」(1952年)を作詞・作曲した米山正夫(1912-1985)も外せない。
『りんごのふるさとは 北国の果て うらうらと山肌に 抱かれて夢を見た あの頃の思いで・・・ああ 津軽の海よ山よ いつの日もなつかし 津軽のふるさと』
振り返れば、わが国の名たる歌謡曲は、1960年代から1980年代の作品がほとんどであり、それは歌謡界の黄金時代であった。わが国の高度経済成長時代と重なる。
当時の歌謡曲は、そのほとんどが作詞、作曲、歌い手と分業で、専門性の高い良質の楽曲が生まれていたのだ。
一方で、フォークソングからJ-ポップの流れの中で、グループサウンズや吉田拓郎、松山千春、「22歳の別れ」(1975年、作詞・作曲:伊勢正三)の風、南こうせつなども活躍した。
日本の歌謡界に、ノーベル文学賞候補を辿る中で、登場していない優れた作詞家、作曲家また歌手も大勢おられることをお断りせねばならない。
一時期テレビなどから歌謡番組が消えていった。しかし、いままた大相撲と同様に復活している。実力のある歌手が努力を重ね、台頭してきている。演歌界でも三山ひろし、山内恵介などと共に市川由紀乃やAKB出身の岩佐美咲も頑張っている。氷川きよし、天童よしみ、坂本冬実、長山洋子、水森かおり、島津亜矢、田川寿美等も健在である。
歌謡曲は、恋を描いたものが多いけれど、男女間の健全な恋心ほど、将来に夢を与えるものはない。子や孫へとつながってゆく幸せの連鎖の始まりなのだ。若者には人生の恋の季節を謳歌して欲しいものである。(敬称は略させていただきました)
優れた歌謡曲の作詞者は、これまで上げてきただけでは到底収まらず、まだまだ数多い。越路吹雪の「愛の讃歌」(1954年)、「ラストダンスは私に」(1961年)などの訳詩に始まり、ザ・ピーナッツや加山雄三の一連のヒット曲、そしてピンキーとキラーズの「恋の季節」(1968年、作曲:いずみたく)などの作詞で知られる岩谷時子(1916-2013)がいる。
『忘れられないの あの人が好きよ 青いシャツ着てさ 海を見てたわ 私ははだしで 小さな貝の舟 浮かべて泣いたの わけもないのに・・・夜明けのコーヒー 二人で飲もうと あの人が云った 恋の季節よ・・』
『ためいきの出るような あなたのくちづけに 甘い恋を夢見る 乙女ごころよ・・・ああ 恋のよろこびに バラ色の月日よ はじめてあなたを見た 恋のバカンス』「恋のバカンス」(1963年、作曲:宮川泰、歌唱:ザ・ピーナッツ)
『風にふるえる 緑の草原 たどる瞳かがやく 若き旅人よ・・・草は枯れても 命はてるまで 君を夢を心に 若き旅人よ・・・』「旅人よ」(1966年、作曲:弾厚作(加山雄三)、歌唱:加山雄三)
また、坂本九の「上を向いて歩こう」(1961年、作曲:中村八大)や梓みちよの「こんにちは赤ちゃん」(1963年、作曲:中村八大)を作詞した永六輔(1933-2016)も居る。美空ひばりの「津軽のふるさと」(1952年)を作詞・作曲した米山正夫(1912-1985)も外せない。
『りんごのふるさとは 北国の果て うらうらと山肌に 抱かれて夢を見た あの頃の思いで・・・ああ 津軽の海よ山よ いつの日もなつかし 津軽のふるさと』
振り返れば、わが国の名たる歌謡曲は、1960年代から1980年代の作品がほとんどであり、それは歌謡界の黄金時代であった。わが国の高度経済成長時代と重なる。
当時の歌謡曲は、そのほとんどが作詞、作曲、歌い手と分業で、専門性の高い良質の楽曲が生まれていたのだ。
一方で、フォークソングからJ-ポップの流れの中で、グループサウンズや吉田拓郎、松山千春、「22歳の別れ」(1975年、作詞・作曲:伊勢正三)の風、南こうせつなども活躍した。
日本の歌謡界に、ノーベル文学賞候補を辿る中で、登場していない優れた作詞家、作曲家また歌手も大勢おられることをお断りせねばならない。
一時期テレビなどから歌謡番組が消えていった。しかし、いままた大相撲と同様に復活している。実力のある歌手が努力を重ね、台頭してきている。演歌界でも三山ひろし、山内恵介などと共に市川由紀乃やAKB出身の岩佐美咲も頑張っている。氷川きよし、天童よしみ、坂本冬実、長山洋子、水森かおり、島津亜矢、田川寿美等も健在である。
歌謡曲は、恋を描いたものが多いけれど、男女間の健全な恋心ほど、将来に夢を与えるものはない。子や孫へとつながってゆく幸せの連鎖の始まりなのだ。若者には人生の恋の季節を謳歌して欲しいものである。(敬称は略させていただきました)