中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

今の世の中を見てみれば その30

2020年11月28日 | ブログ
王毅外相の暴言

 夕刊フジ25日Yahooニュースによれば、来日した中国の王毅国務委員兼外相が、24日の日中外相会談後、茂木敏充外相と行った共同記者会見で大暴言を連発したという。

 両外相は、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて制限しているビジネス関係者の往来を11月中に再開することで合意し、茂木氏は記者発表で、「尖閣周辺海域に関する日本の立場を説明し、中国側の前向きな行動を強く求めた」と強調した。これに対し、王氏から、「ここで1つの事実を紹介したい。この間、一部の真相が分かっていない日本の漁船が絶えなく釣魚島(=尖閣諸島の中国名)の周辺水域に入っている事態が発生している。中国側としてはやむを得ず非常的な反応をしなければならない。われわれの立場は明確で、引き続き自国の主権を守っていく。敏感な水域における事態を複雑化させる行動を避けるべきだ」

 このような場合、日本側から直ちに強く反論すべきであるが、茂木外相は何も言わなかったという。外交のイロハを心得ていない。日本人同士なら、言わずも配慮の気持ちが伝わると思うかも知れないが、対中国や韓国、西欧諸国に「沈黙」は鉄屑にもならない。

 尖閣諸島は、歴史的にも国際法上も日本固有の領土である。1919年(大正8年)冬、中国・福建省の漁船が尖閣沖で遭難して魚釣島に漂着した際、日本人島民は中国漁民を救護した。当時の中華民国駐長崎領事は翌20年5月に感謝状を島民に贈ったが、そこには「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と記されている。 

 中国が「領有権」について勝手な主張を始めたのは、国連の報告書で東シナ海に石油埋蔵の可能性が指摘された2年後の1971年(昭和46年)以降のことだ。「嘘もつき通せば事実になる」は中国人の常套手段だ。

 中国海警局の公船は、今年だけで尖閣周辺を計300日以上も航行し、“領海侵犯”を繰り返している。先日、公船に武器使用を認める「海警法」案まで発表された。国家の基本である、領土・領海について許しがたい主張をされて、菅政権はなぜ怒らないのか。

 中国事情に詳しい評論家の石平氏は「日本はナメられている。中国の人権問題をめぐって欧州各国から批判が集まり、日本は日米豪印戦略対話(QUAD=クアッド)を推進する立場でもある。 中国は本来、習近平国家主席の「国賓」来日など、日本に頼みごとをする立場だ。にもかかわらず、王氏は日本の首都で尖閣の領有権を堂々と主張した。言語道断であり、王氏には即時帰国を促すべきだった」と痛烈に批判したというが、元々このような国の元首を「国賓」で呼ぼうなどということを言った安倍前首相に大いなる非がある。

 未だに中国重視を止めない、日立、トヨタ、日産、ユニクロ、サントリー、伊藤忠商事などなどの経営者は同罪であり、しかも一生懸命墓穴を掘っていることが今なお分かっていない無知の連中である。安倍政権踏襲で、媚中の頭目二階氏を幹事長に据えた菅政権と自由民主党。その陰に公明党がある。桜を見る会追及は必須であるが、加えて野党は国会で対中政策の転換こそ、与党に求めるべきで、国民のほぼ90%が中国を好ましく思っていない現状からして、中国批判を第一に据えて総選挙を戦えば、政権交代への望みが見えてくる。今の腐った自民党は解体する必要がある。

 コロナよりも中国批判よりも「経済第一」と思う発想は根本から変える必要がありそうだ。一時期苦しくとも、将来の世界平和のためには日本は大きく舵を切るべきなのだ。


本稿は、夕刊フジ25日Yahooニュースを基に、加筆編集したものです。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その29

2020年11月25日 | ブログ
11月25日

 三島由紀夫の命日である。昭和45年のこの日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地において割腹自殺して果てたことはあまりにも有名である。三島由紀夫が亡くなって丁度半世紀、50年となる。

 私、個人にとってもこの日は忘れられない日である。広島大学病院眼科外来で、当時「網膜剥離の世界的権威」と聞いた百々教授の診察を受け、左眼網膜剥離で入院手術の宣告を受けた日であった。丁度教授からの受診中に、若い医師が「三島が腹を切った」と診察室に飛び込んできた。大学病院の外来診察室に、医師が声を荒げて飛び込んでくる異常さが、世の中の衝撃の強さを物語っていた。

 死後50年にして一部の三島本が書店で売れている(11月21日NHKスペシャル「三島由紀夫50年目の”青年論”」)そうだが、1970年代の日本の歌謡曲なども若者や一部海外にもファンが居るような話が紹介されたりする。良いものは時を超えて評価される。

 『三島由紀夫は大正14年1月14日、当時の東京市四谷区永住町二番地に生まれた。本名は平岡公威(きみたけ)、父は平岡梓(あずさ)、母は倭文重(しずえ)、その長男である。・・・

 平岡家は・・・もと兵庫県印南郡志方村の農家である。以前のことはともかく、三島の祖父平岡定太郎の時から世に知られている。』と「現代日本文学館」全43巻-文藝春秋-の第42巻三島由紀夫の刊、「三島由紀夫伝」に橋川文三が書いている。

 祖父の定太郎は現在の東大法学部を卒業後、内務省に入り明治41年には樺太庁長官に抜擢されている。定太郎の妻すなわち三島の祖母は大審院判事永井岩之丞の長女で、やはり名士一族である。

 父の梓氏は明治27年の生まれ、開成中学、第一高等学校をへて大正九年、のちの首相岸信介と同年に東京帝国大学法学部を卒業し農林省に入り、水産局長で退官。母倭文重さんは金沢前田家の儒者橋家の出身で、その父(三島の母方の祖父)橋健三は、明治から大正にかけて開成中学校の校長をつとめた人であった。(「三島由紀夫伝」橋川文三による)

 文学者には旧家の出で、その旧家が没落する際の閃光のような存在であることが多いような話があるが、藤村しかり、太宰しかり。三島も言ってみれば、日本の高級官僚を生んだ優秀な一族の末裔であったと言えなくもない。

 死の1年前三島は、思想的に対極にある東大全共闘の学生との対話に臨む。三島はその折、死さえ覚悟で出かけたようだったという。三島の話を聞こうと会場は1000人以上の聴衆で埋まり、2階席は崩れるのではと心配されるほどだったという。学生たちは、対話の最後に三島の発した言葉「諸君たちの熱情は信じる」を糧にその後の人生で大きくなっていったと、全共闘メンバーの一人は述懐している。(NHKスペシャル「三島由紀夫50年目の”青年論”」)

 現代の日本では、若者が体制批判する活動はすっかり見られない。政治に関心さえ少ないように見える。ゆえに政治家に緊張感が薄い。ゆでガエル状態が続けば、いずれ世界の中でこの国は埋没してゆく。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その28

2020年11月22日 | ブログ
新型コロナ第3波

 国内の感染拡大がこれまでにない大波となって人々に襲い掛かっている。GoToキャンペーンがどこまで影響しているか確証はないが、人が移動すれば当然に感染症は拡散すると考えて間違いはなかろう。経済をまわすために人の活動・移動は止められない。要はそのバランスなのだが、世界的にも妙手を思いつく知恵者は居ないようだ。

 私も先日法事で帰省して、久しぶりに新幹線にも乗った。新幹線の指定席は空いており、まず密は回避できた。ただ、一時的ではあるが、3人掛けの残り2席に友人同士と思われる二人連れが座ると、会話が始まり、缶ビールを開け、駅弁を食べ始める。車内放送では、「会話はお控えください」が流れるが、それほど大声を出しているわけでもなく、注意せねばならないレベルではない。しかし蟻の一穴ではないが、感染リスクの芽はそんな所にもあるように感じた。

 帰省先は地方でも比較的感染者数が少ない県。観光名所では入園者の連絡先を記入させて、クラスターの発生に備えてやっていると言っていたが、職員はマスクだけでなく、フェイスガードを着用し、観光客の案内などを行っている。行政の細やかな指導が行き届いている印象があった。感染者が少ない所は、それなりに対策も実施していると感心した。経費の増加はあろうが、国がGoToをやる以上は、十分な対策は行政側の責任である。働く者を守る施策でもある。

 感染者数の増加にも菅政権はGoTo継続に強気の姿勢を崩していなかったが、ここにきて医療側の悲鳴に近い要請に、見直しが入るようだ。政府の見直しの前に、すでに利用者側からの予約のキャンセルの増加が事業者を襲っている。

 1波の折、全国一律の学校の休校要請があり、賛否両論あったけれど、例えば千葉県でも市町村単位でみれば、未だに感染者「0」の町はいくつかある。東京に隣接する首都圏は、東京並みの厳戒行動が必要だが、地方の漁村などでは通常の対策で十分であろう。一斉の緊急事態宣言などに乗ることもない。メリハリのある対策が望まれる。ただ、都市から仕事、観光、帰省等で訪れる人は居るわけで、一人ひとりに対して出入り管理はできない。個人の良識に依存することになるが、GoToであれ、仕事であれ、日常の買い物であれ、体調が悪いときは外出しないことを徹底することは個人の責任であろう。

 欧米に比べて感染者数も死者もけた違いに少ない日本であるが、東アジアでは日本より感染の少ない国もある。慢心することなく、こまめの対策を日々確実に実施する必要がある。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その27

2020年11月19日 | ブログ
同級生交換

 文藝春秋という雑誌がある。数十年も前からの読者で、巻頭随筆を司馬遼太郎の前の田中美知太郎が書いていた頃からである。これだけ世の中が変化しても、中核となる部分の編集姿勢にブレガ少ないのも魅力である。好きな記事のひとつに「同級生交換」がある。先輩世代の同級生交換が、いつの間にかほとんどが後輩世代へと移っていた。

 この12月号には、昭和54年卒の愛媛県松山市にある愛光学園の同級生(21期生)が載っていた。私などの時代から愛光学園は中高一貫校として存在し、小6のクラスメイト(転入生)も1名進学している。因みに私が松山の全く別の高校ではあるが卒業したのは昭和41年である。すなわち13年も後輩達である。東京大学はじめ一流大学への進学を目指す者は、小学6年生の時点で愛光学園を目指し専門の塾に通う。松山市の隣の田舎町ではあったが、東洋レーヨン(現、東レ)の工場がある町で、この工場の上級社員の子弟や医者の息子などが対象であった。

 小学6年生の学期毎の児童会長は、6年生6クラスの級長、副級長から互選で選ばれるが、優秀なる級長が塾通いで児童会を抜けることもあってか、1学期に私が選ばれた。現在同誌の巻頭随筆を担当されている藤原正彦先生流に述べれば、級長は男子だが、副級長は女子であり、互選の投票権は副級長にもあったから、女子票を取り込んだ結果とも言えなくもないが、やっぱり愛光学園の存在の余波を受けたことになる。児童1600人の代表である。

 それにしても、現在の三井物産のトップ(代表取締役社長:安永竜夫氏)が同郷の人物とは知らなかった。下級社員ではあったが三井系の会社に18歳から60歳まで勤め、父親と次兄は東レに勤めたので、同郷の縁プラスの縁はなくもない。

 何か月か前の「同級生交換」には、自民党総裁候補となった岸田さんも登場していたが、進学校のトップと言える開成高校(東京)の同級生交換だった。会社勤めの後半、2学年上で開成高校-早稲田理工学部出身の上司が居られた。自身の若いころの頭の良さをよく自慢していたものだった。岸田氏はテレビで、仲間のほとんどが東京大学に進学する中、その受験に3度失敗した話をされていたが、総裁選挙はまだ1度目の失敗である。中学受験で開成中学に合格したことは、知能のポテンシャルの高さを示しており、「3代(麻生-安倍-菅)続く自民党総裁の知的レベルの乏しさ」の「情けなさ批判」の範疇にはならない。核兵器廃絶などの絵空事ではないビジョンを早く確立して、再挑戦して貰いたいものである。

 リーダーの条件はさまざまあるが、欠くべからざる第一はやっぱり「知性」である。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その26

2020年11月17日 | ブログ
「日本をダメにした九人の政治家」

 昔と言っても悠久の歴史の中ではつい最近の話だけれど、千葉県に浜田幸一さんという特筆すべき政治家が居られた。1993年に衆議院議員を引退され2012年亡くなって(享年83歳)おられる。衆議院通算7度当選し、衆議院予算委員長、自民党広報委員長や党の副幹事長などを歴任したが、大臣になることはなかった。

 1993年に彼が出版した「日本をダメにした九人の政治家」は180万部のベストセラーを記録したという。彼の著書は「YUIGON」2011年5月、株式会社ポプラ社まで5冊蔵書としているが、この本は読んでいない。ただ、2001年7月に出版された「日本を救う9人の政治家とバカ1人」株式会社双葉社刊の「まえがき」にそのダメにしたメンバーが記されていたので知ることができた。

 竹下登氏(自民党)、梶山静六氏(自民党)、宮本顕冶氏(共産党)、田辺誠氏(社民党)、宮澤喜一氏(自民党)、三塚博氏(自民党)、小沢一郎氏(自由党)、中曽根康弘氏(自民党)の8名に自身浜田幸一(ハマコー)を加えて9人としたらしい。「国民の皆様には、多大のご迷惑をおかけ致しました。私も辞めますから他の八人の方々も潔くお辞めください」と記したそうだ。

 ハマコーさんの魅力は、自身を飾らないこと。素の自分の想いをそのままに語り、破天荒な行動力は、真っ当な人生を逸脱することもあるが、嘘がないこと。現代の政治家に少なくなった心底愛国の士であること。郷土への愛着は人一倍で、東京湾アクアラインは彼なしでは成しえなかったプロジェクトではないか。当初採算性を重んじて通行料4千円としたが、森田知事の努力で800円まで値下げされ、現在では千葉県の観光に大きく貢献している。木更津市にできたアウトレットの駐車場に対岸の首都圏ナンバーの車が多くみられ、繁盛しているのもハマコーさんのアクアラインあればこそだろう。

 ハマコーさんのご講演を、生で一度だけ拝聴させていただいたことがあった。演壇に一度も上がることなく、聴衆と同じ目線で会場を移動しながら話し、歌い、熱情を吐露された。私は前から2番目の席に居たので、結構近くにハマコーさんを感じることができた。終了後、複数ある出口への階段の一つを上った先にハマコーさんが居られた。握手してくださり「頑張って下さい」とお声がけしていただいた。

 現在、ハマコーさんがご健在で、あらためて「日本をダメにした九人の政治家」を選ぶとしたらどのようなメンバーとなるだろうか。9人では足りないと言われるか、それとも名を上げるまでにさえ及ばない小物ばかりと嘆かれるだろうか。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その25

2020年11月13日 | ブログ
トランプ大統領敗退

 このことで、日本にとって良いことがあるとすれば、安倍前首相の3度目の総理への待望論の根拠のひとつとなっていた「シンゾウ-ドナルド仲良し神話」が取り上げられることがなくなったことくらいではないか。

 自国がばらまいた新型コロナウィルスの混乱に乗じて、尖閣諸島周辺で中共軍は領海侵犯の頻度をさらに上げた。同時に彼らは世界に向けてもその様子をアピールし、尖閣諸島の実行支配をしているのは中共であることを印象付ける。

 そんな中共のトップをシンゾウ前総理は「国賓でお招きしたい」と言った。右翼の顔をしているが、その信念はない。尊王の志低く、陛下でさえ政権の手下と考えているのではないか。3か月ルールを無視した小沢氏などと同類である。単なる拝金主義者で、能力はないが権力欲は人一倍の人物に見える。コロナで習近平国賓招致は延期され、具現化されていないが、わが国における媚中の頭目を党の幹事長にいただく自由民主党(今や不自由独裁党)は、現在その御仁の傀儡政権だからいずれお招きすることになる恐れが強い。

 「尖閣諸島は日米同盟の範疇である」とヒラリー・クリントンは言っていたが、新大統領も菅総理との電話会議で同様の所信を述べた(11月11日)という。彼は、対中貿易戦争は緩和する見込みが強い。ただ人権問題は米国民主党の党是の一つであろうから、ウイグル問題や中国国内・香港などの民主家への弾圧などには、少なくとも「遺憾砲」は大いに発するであろう。問題は、中共が台湾に武力で攻め込んだ場合に、尖閣の奪取に来た時に、米3軍への台湾防衛、日米安保同盟発効の命令が出せるかどうか。

 全面戦争になれば多くの人々の血が流れる。わが国も当然に核弾頭ミサイルの攻撃を受けることを覚悟しなくてはならない。その代わり中共独裁国家は永遠に地上から消える。現状放置すれば10年後は消えるのはどちらか分からなくなる。

 台湾問題の場合、全面戦争を回避するなら、中共支持の人たちは台湾に残し、百万人単位で難民を日米英豪などで事前に引き受ける段取りを付けること。いずれにしても、領土として台湾が中共のものとなれば、次はわが国本土も危ない。平和憲法の下にあっても自衛権は国家・民族の権利であり、共産党や立憲民主党が何を言おうが国防費は倍増して、尖閣諸島も沖縄も本土も米国の支援は必要だけれど、まさに自助精神で守り抜く覚悟が必要である。

 トランプ無き世界は、さらなる中共の跋扈が懸念されるが、米国が中国投資を控えTPPに参加すれば、経済的にこれ以上中国を太らせない方策に可能性は残る。ヨーロッパでは、ドイツのメルケルとすでに一帯一路に取り込まれているイタリアは期待できないが、フランス、ベルギー、オランダ、スペイン及び東欧諸国、台湾はじめ東南アジア諸国でも日米英豪と協調できる国々も参加して、一大経済圏、中国抜きのサプライチェーンを構築することで平和を維持しながら自由と民主主義の世界を維持できるのではないか。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その24

2020年11月10日 | ブログ
日本を多民族国家にしてはいけない

 米国大統領選挙の混乱は、偏に多民族国家の弊害である。太平洋戦争のとき、米国は米国の日本人移民を敵国人として拘束したが、いまや米国には真の敵国人が市民権を得て、祖国の管理下にあって選挙の結果を左右できる勢力が形成されているような危惧を感じる。

 グローバル化だとか多様性だとか、異なった文化や風習を取り入れてイノベーションだ、少子化で人手不足だと、国家観などない財界の面々は、いろんな名目で外国人労働者を取り込み合法化しようとしているけれど、その未来は今の米国の姿だ。

 日本の寺から盗んだ仏像を返さないだけならまだかわいいが、韓国は、誰の目にも日本領である竹島を占領して、軍隊まで駐留させているのは噴飯ものである。自国の幼稚園生までに「独島(竹島の韓国名)は韓国の島」と歌わせているというから、元々自国領でないことは分かっているようだ。

 欧米の都市までに慰安婦像を置き、徴用工問題では自国の法廷で日本企業への賠償命令を下した。「日本海」を「東海」と改めるように国際機関に働きかける。戦前日本の統治下にあったことの無念さは分からぬでもないが、朝鮮半島の向こうにはロシア(ソビエト連邦)の南下政策の圧力があり、放置すれば半島はロシアの支配下にされる恐れが濃厚だった。わが国は幾万の若者の血を注ぎ、国の金庫を空にしてぎりぎりのところでロシアを押しとどめた。

 しかし、反日の国の人々が日本に住み続けている。韓国人は中国人(約81万人)に次ぐ約45万人とあるが、帰化した方々を加えるとその倍数くらいになるのではないか。帰化した方は日本人であるから対象外だけれど、日本に住む韓国人の多くの在留資格は永住権で、この人たちへの地方参政権を与える議論が一時高まった。2009年の民主党政権の誕生がある。小沢氏など韓国人参政権推進派であったが、民主党有力政治家の多くが、在留韓国人から違法(外国人からの献金)な献金を受けていたことが発覚したりした。

 日本に帰化すれば得られる権利を得ようとせず、「祖国は韓国です」で、参政権だけ寄こせはずうずうしい限りだけれど、それに同調する政治家が日本には多いことが知れる。

 近年増加傾向にあるという在日中国人はさらに問題である。中国の法律で他国に住む中国人にも居住地や連絡先の報告を義務づけ、必要に応じて居住地の情報を聴取できるようにしているという。これは留学生も当然に対象で、当人は祖国で暮らす家族の安全を担保するため、当局の命令には服すしかないという。そんな多数(12万4千人余り:2019年、文科省HP)の中国人留学生にも税金を投与し、日本学術会議の運営費10億円を問題にする。因みに使い物にならなかった「アベノマスク」には260億円使ったという。

 民主党半島政権に続く、媚中・大陸政権の自民党チャイルデッシュ政権が日本の未来を暗くしている。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その23

2020年11月07日 | ブログ
尾を引く学術会議委員任命拒否問題

 『日本学術会議が推薦した新会員の候補者6人が任命されなかった問題が波紋を広げている。何のことはない、単なる菅首相個人による総理大臣の権限拡大解釈による大悪手に過ぎない。・・・』

 と、1か月前の本稿に書いた「今の世の中を見てみれば その14 悪手」。この問題当然に国会で野党の総理への追及の標的になり、同じことの質疑の繰り返しで、国会の審議時間を浪費しているようだ。浪費については、モリカケ、桜の時も野党への批判もあったが、総理の責任であることは明白であった。同じ構図。現政権は前の政権を踏襲すると明言していたのだから当然ではある。

 自民党や有識者の中でも権力側で甘い汁を吸っている連中は、問題のすり替えに必死で、「学問の自由」が錦の御旗のように扱われると、天下の副将軍の印籠のように喩えたりしている有力議員もいるが、これは学問も自由も学術会議も関係なく、任命権者たる総理大臣に、人間としての礼儀(マナー)がなっていないことが問題なのである。そんなことも分からない連中が国会議員でしかも与党の実力者?有権者のみなさんしっかりしてくださいよ。あなたの一票が良からぬ人間の横暴を許しているのです。大きな顔をしていても、選挙で落とせばただの無教養の人たちなのです。恐れる必要は全くありません。

 いろいろ言い訳しているけれど、学術会議に問題があるなら、総理側から事前に学術会議にその旨伝えて、メンバーの選考に配慮して欲しいとの意向を事前に通告すべきであった。それでもなお学術会議側が不服なら、公聴会を開いて公明正大な意見交換をすべきであった。

 突然、長い間のやり方を一方的に覆すやり方は、菅総理は、総理大臣を絶対権力者、独裁者と完全に混同している。安倍政権に長く仕えて、モリカケから桜の問題まで、あやふやで切り抜けて来た当事者の頭には、問答無用で通せば済むと考えて不思議ではない。これは野党だ、リベラルとか、イデオロギーの問題でもない。繰り返すが人間としてのマナーの問題で、そんなことも分からない総理大臣は即刻辞めるべきだ。総理としての知性とか教養以前の問題でもある。

 「門前の小僧が経を読む」レベルの人間、すなわち民主政治のイロハも分かっていない人間が、この神代の時代から綿々と続き、経済大国でもある日本国のトップですとしゃしゃり出るからおかしいことになっているだけの話である。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その22

2020年11月04日 | ブログ
新型コロナの現状

 先月、わが国の新型コロナ感染者数が累計10万人を超えた。死者は1,776人(11月1日現在)。世界では4,650万人。死者は120万人。

 感染第一波の時期、わが国では3月には、志村さん、4月には女優の岡江久美子氏、外交評論家の岡本行夫氏も犠牲となった。有名人に犠牲者が出ると、テレビで大きく取り上げられることもあり、人々は身近な人を失ったような喪失感を抱き、この感染症の怖さを実感する。

 もっとも感染者数でいえば、2009年に流行した新型インフルエンザは,日本全体で2,039万人(7ケ月)に上ったというが、記憶にないので、なくなった方は少なかったものか。

 また、感染者数では遙かに第一波の時を上回る7月にピークアウトした第2派では、感染防止ノウハウが行き渡ったことや治療法が向上し、重症化率が大きく低下した。このため当初の緊迫感は薄まり、政府も7月末にはGoToキャンペーンを前倒しで実行した。行楽地や観光地の人出は盛り返したが、旅行によるクラスターの発生は聞かない。

 しかし、2派が収束しないまま、3派の兆候があり、冬に向かい感染者拡大の恐れはある。ヨーロッパなどはすでに深刻なようで、外出制限などを再強化したような報道を聞く。欧米人は我々より知的に見えるが、個人の自由が必要以上に尊重される風潮があり、感染症には弱いようだ。我が国では聞かれない、外出規制に反した行動には高い罰金が科されるようだ。要は法と秩序のマニュアル社会であり、日本のように曖昧さの中でも統率の取れた行動ができる国民性ではないようだ。これは民族性というより、小学生当時からの学校教育がそうさせているように思う。日本の優れた面ではある。

 日本には異民族が欧米諸国に比べて少ないこと、宗教的束縛がほとんどないことなど、クラスターの起こりやすい環境が比較的少ないことも感染症には幸いする。人口減少が始まったわが国でも、本格的に移民を受け入れる準備段階にあると思うが、日本で働く移民の方々にも労働に相応しい対価を支払い、健康保険や年金制度も適用にして、彼らを悪い環境に閉じ込めない努力は最低限しなくてはならないだろう。

 ウィルスに意思はなかろうが、先進国の暗部を感染症は炙り出す。金儲けのためにビザを緩和してまで質の悪い観光客を呼び込むのは止めた方が良い。人権無視で、軍事力で周辺国を従えようとする覇権国家とも極力交流しないようにすることが安全である。行き過ぎたグローバル化はサプライチェーンの健全な構築にも難がある。今回のコロナで学んだことを今後に生かすことが大切である。


本稿は文藝春秋11月号「ここまでわかったコロナの新常識」を参考にしています


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今の世の中を見てみれば その21

2020年11月01日 | ブログ
大阪都構想

 政令指定都市である大阪市を廃止して、4つの特別区に分割することの是非を問う住民投票はいよいよ本日行われるという。遠く離れた大阪でのことだけれど、前回の橋下さんがやっていた頃は、いいのではないかと思っていた。惜敗し、橋下さんも政界引退ということになったように記憶する。

 府と市の二重行政の解消という分かりやすい目的で、説得力はあったように感じていた。しかし、その後の橋下氏の安倍応援コメントや、菅政権になっても政権側に立った発言を繰り返し聞いているうちに、その人間性が信用できなくなり、大阪都構想も眉唾ものと思うようになっていた。

 どうも専門家筋では、もともと評判の悪い施策であったらしい。専門家すなわち橋下氏の嫌いな「学者」達の意見ではある。橋下氏は日頃、学者が政治家を批判すると、その現場体験の無さを指摘してやり玉にあげる。「偉そうに」というのが常套句である。弁護士は学者より偉いと思っているらしい。

 どちらも真っ当な人は偉いが、リベラルとかに被れたり、私利私欲でやっている連中は似たようなもの。橋下氏は弁護士で府知事や市長の経験者だから偉いのか。どうも世の中、政治家ほど評判が悪い人たちの多い職業も少ないから、政治家をやっていたことは、実はあまり自慢にはならない。

 橋下氏は桜を見る会で、安倍当時の首相に批判が集まると、「桜を見る会は止めにしろ」と提案して火消しに回った。万引きした子供に「もうその店に行ったら駄目ですよ」と言ったに過ぎない。菅新首相も「桜を見る会」はやらないという。不正を「会」そのものの責任にすり替えたのだ。

 菅首相の日本学術会議委員への人事権行使にも、橋下氏は、学術会議の問題点を強調する側にまわり、本件に関して静岡県知事が菅首相の知性や教養に難癖を付けると、ここぞとばかり反論した。どちらもどっちだけれど、一般的に権力側を擁護する人物には、庶民感情からは違和感を覚える。うまい汁を吸っているのではないかとか、出世の糸口にしようとしているのではないかと下司の勘ぐりを入れたくなる。

 そんな発案者の素性が明らかになると、大阪都構想も眉唾ではないかと思えるようになり、一ミリも住民投票に関係しない私も反対意見に変わった。

 それにしても学術会議の推薦者の一部任命拒否は、いくら内閣総理大臣であってもきちんとその理由を説明する必要がある。学術会議の在り方の問題は別問題であり、その改革は改革として別途行う案件である。どうも菅首相は長く安倍政権に学び、権力の使い方を間違って捉えているようだ。その知性や教養のレベルを疑われても仕方がない所業である。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする