中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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人事について考える第10回

2014年06月28日 | ブログ
再雇用制度

 われわれ団塊世代先頭集団が定年を迎えた2007年に前後して、多くの企業で再雇用制度がスタートした。いわずと知れた年金満額支給年齢が段階的に押し上げられたからである。定年延長であれば、企業の給与負担が増え、退職金も増額せねばならなくなる。一旦60歳で定年退職とするが、本人が就業を希望し、会社側も了解すれば、再雇用を保証するというものである。正確な数字は知らないが、当時で7割程度の者は再雇用されたのではないか。希望したのに拒否されたというケースは聞かない。

 最近のサラリーマンへの何歳まで働きたいかとのアンケート結果では、65歳以上と答えた者が半数を超えている。われわれが定年退職する頃は、再雇用と言ってまだ2~3年という契約だったと思うし、64歳で年金は満額支給されたので、65歳まで会社に残った者は少なかったと思われる。もっとも再雇用期間満了で完全リタイアではなく、何らか仕事を見つけて働いている者も多かろうと思う。

 事実いろんな所で、働く高齢者を多く見かける。スーパーの買い物かごやカートの整頓などから路上の車の誘導、各所の清掃作業などである。100%の確率で人は死ぬけれど、それがいつかは不明である。企業年金などを加え、十分な年金が貰える人は生活に切実感は少なかろうが、やはり貯金を取り崩すような生活は先に不安がある。働くことは、そのような生活のためもある。一方家でブラブラしているよりは、少しでも外に出て社会との繋がりを持っていたい、役に立ちたいという人も多かろうと思う。

 もともと再雇用制度は企業が求めたものではなかったように感じる。確かに2007年問題などと呼ばれ、一挙に退職金で会社からキャッシュが出て行くという財務面、さらに技術伝承に不安があるなど課題はあった。退職金の面では、事前に大幅な減額案を従業員に飲ませた。退職時の本給に勤続年数に応じた定数を乗じた額を退職金とする制度は、税金で賄う地方公務員などは踏襲しているようだが、民間企業は人事部の成果のために、それまでの約束は反故にされた格好となった。

 技術伝承については、再雇用の賃金は低く抑えられることで、再雇用制度は企業にとって渡りに舟となった。当時は60歳から厚生年金部分の月額上限12万円程度は支給されたので、「この額と合わせればこの給与で、十分ゆとりある生活ができます」というような説明会での話もあった。無理に残っていただくことはないような説明者(人事担当者)の口ぶりが気になったものだ。

 人それぞれ、職場の中でのポジショニングの取り方が異なり、周囲がどう感じているかなど意に関せずの神経の持ち主や、絶対的な技能を持って君臨できる人にとっては、もともと身分保障の曖昧な再雇用制度でもいいかもしれないが、通常の人には落ち着かない仕事場になったのではなかろうか。割り切って給料分の仕事をしますでは企業の発展に繋がらない。会社側もそれでいいです的スタンスでは輪をかけて駄目だ。全体としての労働生産性を低下させてしまう。

 60歳できっぱりと会社と縁を切った者には、実態は分からないのだけれど、早く人事制度を再構築して再雇用制度は、65歳定年制に移行すべきと思う。




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人事について考える第9回

2014年06月25日 | ブログ
フレックスタイム制

 この制度がしっかりとこの国の多くの企業に根付いておれば、現在安倍政権が成長戦略の一方策とする、働いた時間によって賃金が増加する制度ではなく、労働の質を重視した働き方、端的に言えば、残業手当は止めましょう。との提言は必要なかったのではないか。安倍首相は、この制度の適用者は年収で1000万円以上の層だという。それでも連合は反対しているけれど、管理職になれば残業手当は付かないのが普通だから、企業は高額所得者を管理職にすればいい話だ。この制度で実質社員の現行の働き方が変化するとは考えにくい。

 本稿の第2回「現場の労務管理」にも書いたけれど、社員の残業管理は難しい。個人の裁量に委ねざるを得ない職場も多く、残らなくていい日にも自分で仕事を作って残業手当を稼ぐ的な働き方をする向きがあることも事実だ。「上に政策あれば、下に対策あり」は何も中国だけの話ではない。もっとも会社は「下に対策あれば、上にさらなる方策あり」で、人件費を売上高に応じた総額で管理し、昇給やボーナス額で残業手当分を調整していたように見受けたものだ。まじめに定時を守る社員が割を食っていたと思われる。

 さらに、ノンキャリの中高年者を出向させる場合、組合員(一般社員)のままでは残業手当が膨らむため、管理職に登用した上で出向させることもある。土曜日が休日でない中小企業の出向先もあり、通常の勤務時間だけでも本体より長いのが普通である。出向先によっては月々100時間を超える残業が定常化していたような話も聞いた。管理職といえば聞こえはいいが、定常的に残業の多い職場の中高年者などでは管理職になって大幅に年収ダウンという話もある。それでいて管理職になっても格別の権限が付与されるわけではない。退職金にしても高齢になっての昇格ではその在職期間は短く、管理職等級が低いため、組合員に比べてさほど多くなるわけではない。

 フレックスタイム制は、月内の残業時間が1日分の労働時間となれば、代休として休暇を取れる仕組みもあり、朝夕の交通機関の混雑を緩和する効果も期待され、理論的には優れた制度なのだけれど、残念ながらほとんど徹底したようには見えなかった。

 代休とは通常、休日に出勤して一定時間以上働いた場合に、平日の出勤日を休める制度で、超過勤務の割り増し賃金分は労働者に残るため、良い制度であるけれど、制度があってもそれを活用する個人の意思と職場にそれを許容する雰囲気がなければ徹底しない。男性の育児休暇のように完全実施までは時間が掛る。

 もっとも休日出勤代休制度を突きつめれば、休日振り替えとなる。初めから休日を土日と一定にせず、従業員別に休日を平日にも設定しておけば、超過勤務手当は要らない。店舗経営などではそのような仕組みが普通だと思うが、それでも日曜祝日勤務者には割増賃金を支払う企業があってもおかしくはない。三交代勤務者などでは、土日出勤も平日出勤も同じことで、三交代手当の内だけれど、祝日やお盆、年末年始の4日間の出勤には割増手当が付いたものだ。

 フレックスタイム制度の欠点は、職場単位の朝のミーティングが難しくなること。三交代現場をサポートするような部署では、夜間休日間の現場情報を朝の出勤時に確認する必要があり、その日の仕事もその状況で変化するため、それぞれがそれぞれの時間に得るデジタル情報だけで仕事がスムーズにゆかないことは当然にあるため、顔を合わせた打ち合わせは必要である。勿論フレックスタイム制にはコアタイム*10)があるからその時間帯にミーティングをすればいい話なのだけれど、仕事を始めて途中に集まるのは難しいことも多いものだ。

 繰り返しになるけれど、どのような制度もその運用次第で良くも悪くもなる。経営者の強い信念に基づく意思と実行力が問われる。



*10)フレックスタイム制において、勤務時間内で、社員全員が必ず出勤していなくてならない時間帯
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人事について考える第8回

2014年06月22日 | ブログ
査定

 人事評価または人事考課などともいう。人事異動と同様、職場リーダーの重要な任務であり権限の一つだ。この権限があることは、部下を従わせるパワーとなる。権限には当然に相当の責任が伴う。それなら適正な人事査定、評価ができているかといえばダメ会社はここから間違う。
 
 勝手に自分流の査定項目を入れて、業務能力を見ずしてマイナス評価を入れる上司が居る。肥大化した会社の課長等人材の乏しさによるが、それを監督する立場の上司も課長等との軋轢を恐れて黙認するケースが多い。「ほんとうの優しさをもつことのできる人は、しっかりした心構えのある人きりだ。優しそうに見える人は、通常、弱さだけしかもっていない人だ。そしてその弱さは、わけなく気むずかしさになり変わる」(ラ・ロシュフコオ)という箴言があるが、まさにそのような人物の成される業であることが多い。会社だけでなく、公的機関も同じだ。女子社員が「あの人やさしいよ」なんて言っていたら要注意だ。

 もっとも流石にそのような人物が、その後それ以上の出世の階段を上ることはなかったことは当該企業にとっても救いであった。

 一課長等の査定で、その評価を受けた社員の人生の一部が暗転することも有り得る。かといって、部下に阿ってアマアマの評価ばかりというのでは何のための査定か分からない。要はまともな評価基準でもって私情を少なくして厳正に評価すべきなのである。もっともデジタル評価の難しい部分については、評価者の感性によるところとなることは已む負えない。

 わが国の高度経済成長を支えた三種の神器である、「終身雇用」、「年功序列」、「企業別組合」のうち、年功序列の部分、賃金配分や昇進・昇格に年功要素が大きかった部分が、能力主義、成果主義にとって代わられた。要は賃金の抑制、総人件費の節減が狙いであった。組織の中で、目に見える成果を上げ得るのは所詮一部の人に限られる。その他大勢の賃金は据え置くことが出来れば、企業にとって好都合である。バブル崩壊後、企業業績も停滞したが、流通のグローバル化、円高効果もあって物価もデフレ傾向が続いた。物価スライド的な賃上げも必要なかった。昇進・昇格にしてもグローバル化の進展で企業間競争が激化し、後輩が同学歴の先輩社員を部下にすることも已むなしの時代となっていた。

 もっとも元々の日本企業が、能力や成果に基づく評価をしていなかったわけでは勿論ない。ただ、同期入社では、ある年次まではほとんど給与に差が付き難い制度であったことは事実だ。また大学卒業者における学士と修士、博士による給料差は、年功分しかなかった。能力差とは認めてこなかった*9)ように思う。ただ、能力評価においては、高校卒と大学卒でははじめから明確な差があることは当たり前である。

 それでも入社して10年、20年と経過すると、天網恢恢疎にして漏らさず程度には差がついてゆくもので、その巧拙がまた企業業績に反映していったものと思う。

 成果主義では、その不偏的評価がまた難しいのである。はじめから高評価をするつもりのない部署の社員は評価しなかったりする。評価結果は公表されるわけではないので、その不平等を公に詰られることもない。会社側の一部の権限者のさじ加減次第だ。また、社員間に過剰な競争意識を煽ることも狩猟民族ではないこの国の風土に合わない。そんなこともあってか、成果主義の評判は余り芳しくなく、日本企業の三種の神器が見直されたりしている。安心して働けるということが、却って創造力の発揮にはいいような評価がある。もっともどのような制度もそうだけれど、制度そのものより運用の巧拙が結果を分けることが多いのである。





*9)ある大学入学式(1998年)の際、総長がその祝辞の中で、「わが国ほど学歴社会ではない国はない。修士や博士の価値が認められていない」。ことを嘆き、「当大学では今後大学院教育にさらに力を注ぐ」と言っておられた。ことも傍証としてある。
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人事について考える第7回

2014年06月19日 | ブログ
人事異動

 社内の人事には泣き笑いがある。栄達を喜ぶ者もあれば、「地方に飛ばされた」「窓際に追いやられた」「出向」「転籍」「降格」「肩たたき」を嘆く当事者もある。人事は、経営層の主導権争い、派閥抗争などが影響する場合も当然にあろう。人脈の上層部の栄達は連なる下位者の異動・出世にも影響する。

 ある高名な経営者の方がセミナーで言われていた名言がある。「人生には運が大切である。運を掴むにはコツがあって、良い人と付き合うことだ」。まさに企業内の出世レースには如実に反映する金言である。もっとも、かの経営者はそのような俗レベルの話をしたわけではないが、具体的事例としては一部当て嵌まるかもしれない。

 人事異動は、当事者以外は面白がっておれるけれど、実は重要な人事施策だ。適材適所はそう簡単ではない。人間関係もあろうが、配属後その部署では十分な力が発揮できない社員を異動によって生き変えさせることもできる。プロ野球などのモロ実力の世界でも、トレードなどで球団を変わることで、成績が向上する場合もある。幹部候補生社員には、敢えて多くの職場を経験させるために一定期間で異動を義務付けたりする施策もある(キャリア開発制度の一環としてのジョブ・ローテーション制度)が、専門能力の必要のため徹底しない場合も多いようだ。

 新たな工場建設や営業所の開設があれば、異動を採用条件に入れていなかった社員にも転勤して貰う必要が生じる。経済成長の時代には多くの企業で、発展に伴う地元採用者にも他所への転勤があった。しかし、逆は本当に悲惨である。工場や営業所の閉鎖があれば人員整理が必要となり、「飛ばされる」どころか、免職となる恐れがある。

 転勤を伴う異動には、抵抗が大きい場合が多く、特に一般社員の転勤であれば、家庭状況など配慮されるのが普通である。子息が高校などに通っている場合など、どうしても単身赴任とならざるを得ないからである。それにしてもマイホームを建てた途端に転勤になった。などの話は良く聞いたものだが、一方で労働組合では、賃金体系に照らしたライフプランなるものを組合員に提示し、それにはマイホームの取得も含まれており、矛盾を感じたものだ。

 新しい工場が新設される場合には、どうしても現地採用だけでは賄えないから、ベテラン社員に転勤をして貰うことになるけれど、どうもうるさ型は説得が面倒なので、能力があっておとなしい人材が転勤に適すことになる。このような場合に、転勤先の後輩に対する実務指導は兎も角、礼儀や規律の面で指導が甘くなり、良い企業風土の移植までが伴わないことが起こったりもする。

 職場リーダーの権限の一つが、この人事異動でもある。業務内容に適性を欠く社員やリーダーの方針に合わない社員は異動させることができる。また本人からの異動申告も可能であるが、希望しても、受入れの職場が中々見つからないことは多い。異動させられる人材に問題を疑われることもあるためで、新設された部署など、そのような人材の吹き溜まりとなる懸念もある。

 私も会社勤めの42年間には随分と職場を変わった。高卒社員でライン管理者になる者の多くは、入社以来、製造現場なら現場一筋、分析一筋、工務関係一筋でその職場の実務に精通した者であるが、私の場合は製造現場から研究、転勤となって試験、品質管理課、管理職となって新規事業(電子部品製造)の生産・品質管理、委託先管理、そして出向先で分析や物流管理の職場でリーダー(本体係長)を勤めた。異動によって、人間関係等で精神をすり減らすこともあるが、転びながらもスキルを向上させることは、本人の前向きの新たな取り組み意欲にかかっているように思う。




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人事について考える第6回

2014年06月16日 | ブログ
続、人材育成

 昔、狼に育てられた少年が話題になったことがある。ヨーロッパだったか、狼の巣穴で発見された5歳くらいの少年は、保護されたものの人間としての生活を取り戻すことが出来なかったという話である。生まれ落ちてすぐに人間に育てられた獣も、自然界に返すのは結構大変なようだけれど、人間は脳が発達している分だけより大変で、3歳くらいまでの生活環境が非常に長く尾をひくという話である。

 すなわち社会人となってから、いくら企業で人材育成と言っても本来遅いのである。家庭環境、国家・社会の有り様がまず重要ということ。日本企業が海外進出で現地従業員を雇用した場合の難しさがそこにある。その点においてわが国はすでに衰弱している。非常に単純な憲法改正問題でさえ、国会議員の議席を分け合う争いで、敢えて対立の構図を作り上げる。敵が着々と軍備を整えて侵略のチャンスを窺っているにも関わらず、同盟国間の共同防衛さえ敵国に阿って反対する勢力がある。いかにもこちら側に非があるが如く、外交努力の足らざるを詰り、結局妥協を強いる論理を展開する国家観の希薄な政治家やインテリ層と呼ばれる人々も多い。何がまともで何が間違っているかが混乱し、人それぞれ意見が異なるのだからと無駄な議論を奨励する。議会制民主主義という手段が目的化しているのである。社会が、そのように間違ったメッセージを幼子にも発し続けているのだ。過ぎたるは何とかで、中韓の反日教育の対極にあって、その結果の惨めさは同様である。先が思いやられる。

 そして学校教育における問題がある。小学校のゆとり教育など、未だに間違っていなかったなどと開き直る向きもあるけれど、どれだけこの国に知的損失を与えたことか計り知れない。教職員の採用は実力よりも縁故が幅を利かせているという指摘も前々からある。以前どこかの県の教育委員会で教員採用試験の不正が暴かれたが、その後再発防止が徹底されたという話は知らない。そして、この国の大学教育までが問われている。

 文藝春秋7月号にオックスフォード大学の刈谷剛彦教授のレポートがある。『現在世界のトップクラスの大学は、凄まじいグローバル競争にさらされている。それは、国境を越えてより良い高等教育を受け、学位を取得した人々が、出身国にかかわらず、質の高い人材として労働市場から歓迎されるという状況を生み出している』という。しかるにわが国では、『企業が主体となって社員を教育する方法が取られ続け、大学には人材育成能力、教育機能に対する信頼も、期待も乏しく、すなわち大学が人材育成機関として機能してこなかった。長い受験競争を勝ち抜いた一定の基礎学力と忍耐力、努力の習慣といういわば「訓練能力」を大学の評価軸としてきた傾向があった』とする。

 しかし、時代は大きく変わっている。その変化にこの国の大学は十分に追随できてこなかったため、世界のトップレベルから遅れを取っているという指摘である。『このまま、日本の大学が停滞を続けると何が起こるのか。一つは、人材流出です。優秀な学生は日本の大学を素通りして、海外の大学や大学院を目指すことになる。MITもハーバードもオックスフォードでも日本の優秀な学生は大歓迎です。・・・中国や韓国では大学といわず高校からイギリスに留学するケースも目立ってきました。寄宿制の私立進学校のパブリックスクールで、外国人生徒の約3割は中国人です』。

 この国の大学に問題があると聞いて符合するのが、マスコミに登場する大学教授の知的レベルだ。一昔前の安保反対闘争を引きずっているに留まった頭脳が、この国の最高学府で学生に講義しているようでは大学が良くなる筈はないのである。



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人事について考える第5回

2014年06月13日 | ブログ
人材育成

 従業員教育は、企業にとって自社の業績を上げるための重要な方策のひとつであり、そのことを通じて社会人を育てることにもなる。いわば企業の社会的責任のひとつでもある。一方従業員からすれば、まずは仕事を覚え、給料に足る仕事をしなければならない義務の遂行がある。また本来自身の業務能力を高めることは、昇進・昇格を果たすためには必要であり、より高い収入を得る為の手段でもある。この頃の若手は、管理職になりたくないというのが半数くらい居るようだが、職場の管理を含めて業務は、結果として幅広い知識を得ることになる。それは人生をより豊かに過ごすことに繋がるのである。個人の出世欲や企業の人事施策に関わらず、自己研鑽に努めることは大切である。

 企業の人材育成プログラムは、入社時の導入教育に始まり、中堅社員教育や各種研修を昇進・昇格に合わせ、その職能レベルに沿った教育プログラムが用意されるのが普通である。日常的には目標管理制度などによる業務の成果を生み出すための仕組みに、自己研鑽の必要性を加味した方策も取られる。業務関連の国家資格取得に企業が便宜を図り、またその合格者に報奨を準備する場合もある。各種通信教育について補助金を出したり、各種学会などが主催するセミナーなどへ派遣することや、専門家を社内に招いて講座を開設する場合もある。

 社内で行う5S活動や改善提案活動、QCサークル活動などは、そこから生まれる成果に企業の期待があることは当然だが、社員の問題発見とその解決能力の向上に有効であり、人材育成施策の一環ともなる。

 幹部候補生として採用した高学歴の社員に対しては、一定の社内人材育成プログラムに沿った研修(Off-JT)に加えて、実務においてストレッチな責任を与えて鍛えるやり方(OJT)は重要である。程度差はあっても多くの企業の多くの部署で、フォーマルな制度の有無に関わらず実施されているのではないか。直属の課長や部長の裁量で目を付けた若手に思い切って難しい仕事を与えるなど、獅子の親心であり、部下を大きく育てることにつながる。

 ただ、社内の教育制度をいくら立派に整えても、その運用が杜撰であったり、社員にやる気がなければ実効が伴わない。常に前向きに成長を心がけ、学ぼうとする姿勢は、企業風土に根ざすものだ。その点でも上司の価値観が部下に大いに影響する。「課長は居るか」と聞けば、課員が「要りません」と答えたというような川柳もあったようだが、実は企業の中で課長という中堅管理職ほど重要なポジションはないように思う。そろそろ経営というものが分かって来て、部下が居て、それなりの裁量があって、上にも直接もの申すこともできる。

 自身の出世より、部下の成長を喜べる課長が多いような企業は間違いなく成長する。そのためにはやはりまず経営者層が、真っ当な人生の価値観を持っていなければならないだろう。
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人事について考える第4回

2014年06月11日 | ブログ
福利厚生

 戦後間もない頃の大企業は、国の福祉を代行しているところがあったように思う。社宅は当然として、付属の病院があった。社員家族は無料である。付属幼稚園があった。家族の子弟は勿論無料である。運動会やレクレーション行事に家族も参加して楽しんだし、賞品を貰える行事もあった。立派な直営保養所もできた。家族で安価に利用できた。その名残を今も残している企業もあろう。

 幼児期私は、頭の下部から首筋にかけて発生する「できもの」に悩まされた。父の勤める工場の付属病院に随分と世話になった。その切除施術の痕が首筋に残っている。父が会社から支給されたビタミン剤を時々分けてくれていたが、これが何ともおいしかった。ある時、何錠かのビタミン剤を一気に食べてしまったことがあった。その後「できもの」は出なくなった。国民の栄養状態がまだ悪かった昭和20年代半ば、戦後日本の夜明け前の頃の話だ。私が就職することになる石油化学の会社などその具体的構想さえない時代*8)である。

 次兄の会社の付属幼稚園での卒園式と思われる記念写真があった。卒園式なら私は2歳だったことになる。着物姿の母に抱かれた写真で、次兄はやや微笑んで園児の中にいた。今どこにあるかも知れない写真だけれど、なぜか未だにくっきりと瞼に焼き付いている。式後、父兄用に食事が出たそうだが、母のものを私が全部平らげたらしい。母が何度かぼやいていた。

 戦後入社した父の採用条件に、社宅貸与が入っていなかったと見えて、個人の借家住まいで、家主からよく追い出しの要請があり、父が断りを言っている姿を覚えている。私が幼稚園に上がる年に少し離れた土地に引っ越しをした。会社の付属幼稚園から遠くなり、私は幼稚園に行っていない。引っ越し先は町立の新興住宅地で、家の隣は建築予定の空き地が広がっていた。毎日そこで遊び通した。余談である。

 戦後アマチャスポーツの多くも大企業が担った。オリンピック選手も企業が育成した。勿論企業の広告塔の役割もあり、テレビで放映中の「ルーズヴェルト・ゲーム」の野球チームではないが、社内の一体感醸成のための創業者の戦略の一環だったかも知れないが、スポーツを通じた人材育成効果もあったのではないか。その意味で、当時の企業はその規模に応じた社会的責任を、現代よりはるかに果たしていたように思う。

 人材育成の面でも、単なる技能教育だけでなく、企業によっては、社内に中・高卒採用者のための学校を設け、また国内留学制度での進学なども推奨することで、社会人としての教養を高める育成も行っていたように思う。勿論現代にあってもそのような施策を実施する企業は多いことであろう。しかし、バブル崩壊後のわが国の経済低迷を受けて、多くの企業で教育プログラムが縮小されていったように聞く。企業の社会的責任感も低下していったように見受ける。

 確かに企業の福利厚生施策は、その多くが社員の職能、職位に関わらず平等に享受できるため、例えば部長と新入社員の給与格差が高度経済成長と共に縮小した時代、個人の上昇志向を阻害する悪平等施策に堕する危険もある。その意味では過ぎたるは及ばざるがごとしで、何でも充実しているから良いというものでもなかろう。一方、行き過ぎた成果主義、能力主義を緩和する施策ではある。要は時間軸を長く見て、その効果を評価する戦略的人事制度であるかどうかだ。短絡的に費用の掛る施策は贅肉であり、削げばいいというものではない。人間も小太り程度が長生きすると言われているものだ。




*8)わが国民間化学工業各社による石油化学工業計画の準備、研究の具体的な始まりは、昭和26年(1951年)1月の政府の自立経済審議会の答申にもとづいて政府が経済自立化を推進しはじめてこと。莫大な資金を要する石油化学工業は、政府の育成指導がなければ推進が困難であった。これより前、昭和24年7月GHQはそれまでの石油操業禁止指令を廃止し、昭和25年1月を目標に活動開始の準備を指示している。(by三井石油化学工業20年史)
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人事について考える第3回

2014年06月07日 | Weblog
人事戦略

 企業経営においてやたら「戦略」という言葉が氾濫した時期があった。外交の世界でも「戦略的互恵関係」などという言葉が登場したが、その関係は悪化の一途を辿っている。こちらは友好的にと思っても、端からその気のない国には「のれんに腕押し」「馬耳東風」「馬の耳に念仏」なのである。かの国は当初から、わが国を利用するだけ利用して経済成長を遂げれば、軍備を拡大、兎に角難癖をつけてその領土領海をせしめようという戦略であったのだ。

 外交問題は兎も角、企業経営において、戦略を立て方向性を明確に示すことは、「経営の見える化」の第一歩であり必要なことである。

 経営戦略には、事業戦略と機能戦略があり、人事戦略は財務戦略、生産戦略、開発戦略などと共に機能戦略のひとつである。事業戦略があって人事戦略もある。余力人材の活用のために新規事業を立ち上げることは有り得るが、組合対応の雇用確保でPPM*3)にいう「負け犬」事業をいつまでも継続することなど戦略とは言わない。

 人事戦略とは、雇用(採用)、賃金(報酬)、人事異動(配置)、教育(能力開発)、昇進昇格、定年制や年金制度、福利厚生など人事制度を、企業の成長戦略にマッチさせることである。不景気な時こそ新規に優秀な人材を雇用するチャンスだと捉える経営者もおれば、リストラ(人員整理)ばかり考える経営者もいる。どちらが戦略的思考かは云わずもがなである。人事システムは「顧客満足はまず従業員満足から」とのインターナルマーケティングを担う。ハーズバーグの言う、「動機づけ要因」*4)の充実であり、「衛生要因」*5)の改善である。

 近年は、中小企業にあっても海外進出が盛んとなっているが、海外事業においては、現地従業員への人事施策にさらに注意が必要である。2012年7月に起こったマルチ・スズキのインドマネサール工場での暴動は記憶に新しい。

 また、海外進出のための人材としてグローバル人材を求める声が多く聞こえるようになっている。島国で、他国に支配された歴史のない日本人は、従来一般的に外国語が不得手であった。そのため、グローバル人材と聞けば、すぐさま外国語に堪能な人材を連想するが、それほど底の浅い話ではないようだ。

 日経ビジネス6月2日号に、アビームコンサルティング株式会社が、一橋大学の楠木教授*6)と社長の岩澤氏の『日本企業が世界で勝つために「グローバル人材が育つ設計図づくりを」』と題するアドバトリアル*7)対談を載せている。この冒頭で楠木教授が『グローバル人材を端的に言えば、慣れ親しんでいない場所に行って、自分で商売を丸ごと動かせる「経営人材」のこと。外国語でのコミュニケーションや国際的な専門知識を持つことではない。・・・』と発言され、岩澤社長が『まったく同感です。いま日本企業が「グローバル人材が足りない」と言っている理由は明確で、海外売上比率が経営者の思ったほど伸びていないからです。・・・』と応えている。

 人事では、事業戦略に沿ってどのような人材をいつまでにどれほど確保するか。雇用の質が戦略達成の鍵を握る。新卒者か中途採用か、はたまた他社からの引き抜きまでを考えるのか。即戦力人材に重きを置くか、将来性に期待するのか。多くの選択肢を企業の資金力などの制約条件を考慮しながら最適解を求めてゆくことである。そして「人は人間社会で育てられて人間となる」と言われるように、企業人は企業で育てられる。当該企業における教育制度が加えて重要となるのである。
 



 *3)プロダクト・ポートフォリオ・マネジメント:SBU(戦略事業単位)とPLC(製品ライフサイクル)を前提とし、事業の市場成長率を縦軸に、相対的市場占有率を横軸にとった各SBUのポジショニングチャートを作成し、事業のバランスを視覚的に捉えて各事業への資源配分を考察する手法
 *4)勤労意欲を向上させるもの。(達成感、仕事のやりがい、昇進など)
 *5)不足であれば不満となってモチベーションを減ずるが、良いからといってさほど勤労意欲の向上にはつながらないもの(労働条件、作業環境、人間関係、給与など)
 *6)楠木健(くすのき・けん)氏。一橋大学大学院国際企業戦略研究科教授。専門はイノベーションの組織と戦略。
 *7)雑誌などにおいてPR内容が通常の編集記事とよく似た体裁で編集されたペイドパブリシティ(記事広告)の一形態。
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人事について考える第2回

2014年06月04日 | Weblog
現場の労務管理

 従前工場の人事課長といえば、工場部長級の羽振りがあった。労働組合対策に始まり、社員の健康管理から家庭の状況までを把握し、転勤を含む人事異動、昇進昇格などにも影響力を行使できていたように推察する。しかし、会社が大きくなり機能別組織から事業部制に移行してそれが定着してくると、人事権は各事業部長に移った。人事課長は工場の人事異動や昇進昇格セレモニーの祭司的存在となった。

 それによって大企業においては、社員の個人的事情等に精通するポジションは失われ、会社と従業員の関係のデジタル化が進んだように思う。能力主義、成果主義という建前で、総人件費の抑制が進んだ。企業年金制度の廃止、退職金制度の見直し、家族手当、住宅手当の廃止、人事担当部署が、人件費抑制くらいしか自分達の成果を示せなくなったからである。

 しかし、今また、人事制度は大きな曲がり角を迎えている。女性社員の活躍の場を提供することが義務付けられ、その昇進昇格にも配慮が必要となった。加えて育児休暇の充実も必要である。男性社員にあってさえ育児や老親の介護のために残業免除、転勤不可との配慮が必要となる時代である。パラハラ対策、ブラック企業という汚名を着せられないための労務対策も必要である。一方で政府は、成長戦略促進の一助のために新しい働き方を訴えて、労働時間規制の緩和に向けて歩を進めている。労働組合との折り合いが難しい。

 それにしても、NHKの「クローズアップ現代」でやっていた、奥さんが幼子2人を残して単身赴任。旦那が甲斐甲斐しく子供の面倒を見ていたけれど、現代の新手の喜劇にしか見えなかったものだ。公務における特殊な専門業務でもあるまいに、そこまでしての女性活用の成長戦略などいずれ破綻する。

 一方労働時間規制の緩和は必要であろう。現行の会社に残れば残業手当を貰える制度に社員間の不平等感はある。大企業出身の中小企業経営者の方が、そのことを問題視し、自社の制度を規制緩和の先取りした形で実行されているという話を聞いたことがある。確かに、時間内に成果を出して昇進(管理職登用)して増加する給料より、残業で稼ぐ人の年俸が遥かに大きいことも事実としてあった。

 ボーナス交渉時期にその増額を訴えていると、恒常的に残業の多い職場の社員は、ボーナス額など問題にしていなかったものだ。日頃から十分残業手当で稼いでいる。生活をボーナスに依存する部分が少ないのである。もっとも残業の一律25%の割り増し賃金は、あくまで本給ベースに算出されたもの、当然にボーナス分までを含まないから、正確には割り増しとはなっておらず、自分の時間を切り売りすることはやっぱり得なことではない。

 しかし、本来残業の賃金割増しは、例えば午後5時までの工場労働者に増産のため、今日は7時までラインを稼働させるからよろしくということで、手当で償いするもので、管理職でもない社員の裁量で長時間労働して割増賃金を得る性格のものではない。

 そこらあたりの労務管理は現場の係長や課長の担当であるが、現実問題難しい職場も多い。もっとも何かにつけて部下を叱れないパラハラとは対極にある上司もおり、ライン管理者が体を成していないケースも見て来た。古参兵に尻に敷かれた将校の類は、レベルの低い大企業には多いのではないか。時に政治の世界でも大臣と官僚の軋轢が伝えられ、ある時は大臣の無能が問われ、ある時は官僚の横暴が言われる。

 企業の場合のそれは、当然に現場管理者だけの罪ではない。会社が適切で具体的なルールを定め周知し、一定以上の残業が定常化する職場には、徹底した業務の見直しを検討させ、出来なければその職場の増員を図るべきなのである。もっとも会社は総人件費で管理し、残業手当増加分は昇給やボーナスを削ればいいとの目論みもあったように思う。残業手当が増大すれば、時間内で精一杯働く社員の本給やボーナスが割を食うことも有り得ることである。


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人事について考える第1回

2014年06月01日 | Weblog
人事と経営

 企業経営にとって、何が大切かと問えば当然にまずお金ということになるけれど、ヒト、モノ、カネ、情報という順番からすればヒトが一番であるとも言える。「企業は人なり」とは言い古された言葉だけれど、やっぱり企業や組織にとって人が最重要であり、すなわち人事が大切となる。

 戦後歴代最長政権を誇った佐藤栄作元総理は「人事の佐藤」などと呼ばれたし、現在の安倍総理なども小泉政権の後を継いだ一次と比べると、人事面で格段の成長があったのではないか。そのことが、政権の安定に大きく寄与しているように見受ける。

 これは前にも書いたのだけれど、扇谷正造*1)さんの「君よ朝のこない夜はない」*2)の冒頭の一節に「真の意味における教養というものは、女性にとっては男を見る目、男性にとっては女を見る目ということにつきる」と述べているが、これは若い人向けに「結婚六つの条件」という副題の付いた第1章にあるので、こうなっているけれど、「真の教養とは人を見る目ということにつきる」と言い換えていいのではないかと思う。

 比喩が適切かどうかは分からないが、囲碁の世界では特に序盤において、石の形、その美しさが問われる。最近は囲碁も将棋もコンピュータ化が進み、将棋ではすでにプロ級の棋力があり、囲碁でもアマチュアトップクラスのレベルまで進歩している。「美しさ」などという感性頼みではなく、デジタル的に解明される日が近づいているようにも思うけれど、今のところ囲碁の序盤において、いかにコンピュータといえ、強いプロといえど終局までを読み切れるわけではない。その修業と経験によって精神力と感性を陶冶し、自分なりの美しさを会得し、それを追い求めることで、勝率を上げているのがトッププロであろう。

 人物評価もあらゆる評価項目をコンピュータ解析することで、その好悪や能力全般をある程度評価可能ではあろうが、通常のペーパーテストでは所詮その一断面でしかない。しかも将来性などという評価はまず困難である。よって論文や面接試験が企業の採用では主流となる。だから面接試験の責任者、例えば人事部長の人を見る目、すなわち感性が企業にとっては非常に大切となる所以である。

 能力の乏しい社長には、悪賢い取り巻きが跋扈する。価値観の低俗な人物はやはり低俗な人を採用してしまう。「類は友を呼ぶ」、「同病相哀れむ」、「同じ穴のムジナ」、「友達を見ればその人が分かる」等々、格言、金言の類もそのことを指摘する。昇進・昇格者選考も同じだ。業績の上がらない企業の根っこはそこに始まる。人事はその結果が遅れてやってくるし、企業業績は、景気など外部要因に左右される振れが大きいため、その巧拙が結果と結びついて論じられにくい。その証拠を問われても、科学の世界でないだけに論理的に説明がつき難い。しかし、それだからこそ重要なのである。




*1)(1913年-1992年) 宮城県出身。1935年に東京帝国大学文学部国史学科を卒業して朝日新聞社に入社。応召され一等兵で終戦、復員後「週刊朝日」編集長、学芸部長、論説委員。特に「週刊朝日」編集長時代には同誌のすさまじい拡販に貢献。朝日新聞退社後評論家、ジャーナリストとしても活躍し、大宅壮一氏らと共に戦後マスコミの三羽烏と呼ばれた。byウキペディアなど
*2)株式会社講談社1984年4月10日第1刷(定価1000円)
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