5月25日緊急事態解除宣言に際し、安倍首相は「日本ならではのやり方で、わずか1ヶ月半で流行をほぼ収束させることができた。正に、日本モデルの力を示したと思う」と日本スタイルの新型コロナ対策が奏功したことを訴えた。
また、外国人記者からの『今、アメリカと中国がウイルスなどをめぐって激しく対立しているわけですけれども、日本はどっち側につくのでしょうか。そして、先ほど特定の国に依存することなく、という表現をされたと思うのですが、これはやはり日本企業に対して、できるだけ速やかに中国による依存度を下げるべきだと、そういうお考えでしょうか』という質問に。
「日本の外交、安全保障の基本的な立場としては、米国は日本にとって唯一の同盟国でありますから、日本は同盟国として、また、自由や民主主義や基本的人権、法の支配といった基本的な価値を共有する同盟国として、米国と協力をしながら、様々な国際的な課題に取り組んでいきたいと考えています。同時に、中国も、これは世界の中において極めて経済的にも重要な国であり、またプレーヤーでもあります。その中で、それにふさわしい責任も果たしていただきたいというふうに考えておりますし、日本と中国においても、これは共有している考えでありますが、正に国際社会が求めているのは、日本、中国、それぞれ国際社会において期待されている、それは正に地域の、また世界の中において、地域の平和と安定、繁栄に責任ある対応を採っていくということなのだろうと、中国がそういう対応を採ってくれることを期待したいと、こう思っております」のように答えたという。
「日本モデルの力を示した」というのは、自画自賛以外の何物でもない。まだ勝ちと決まったわけでもないが。野村監督語録「勝に不思議な勝あり、負けに不思議な負けなし」の典型に過ぎない。
国民は厚労省はじめ政府の対応にイライラしながら、それでもほとんどの人々は3密を避け、マスク直用、手洗いの励行に勤しんだ。勿論誰も治療薬の無い新型肺炎なんぞに掛かりたくない。自分が掛かれば家族も地域も巻き込むのだ。欧米人に比べ日本人にはその自覚が強い。他人に迷惑を掛けることを嫌う。
後者の外人記者からのストレートな質問には、適切に対応したようで、いつもの曖昧さが濃厚である。「当然にアメリカです」で終わり。「自由や民主主義や基本的人権、法の支配・・・」枕詞の羅列が曖昧さを滲ませる。
安倍総理の発言において、対中国は常に「期待」であるが、あの国のどこに期待できる要素があるのか。期待は十分裏切られ続けていると思うけれど、それに対する方策は示されない。
そしていつもながら答弁は、不十分である。肝心の部分は欠落させる。今回も中国への依存度を下げるべきかの質問に答えていない。「民主国家で連携して、日米を中心に中国抜きの新しい世界のサプライチェーンの構築を目指します」なら正解であるが、そう言えるのはトランプ大統領くらいしか居ないのだろう。