中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

品質経営を考える その10

2019年03月28日 | ブログ
AI・IoT時代の品質経営

 2009年米国西海岸でのトヨタ車での事故(4人が死亡)をきっかけに「トヨタ自動車の電子制御システムには急加速する欠陥がある」という訴えが頻発したことがあった。家電製品や自動車には多くのコンピュータが組み込まれており、ソフトウェアの品質不良はハードウェアの場合よりより深刻なことが多いという。

 製造物責任に関する裁判では、被告のメーカーは過失がなかったことを立証することが要求されるが、大規模なソフトウェアになるとステップ数(意味のある処理を行っているソースコード)が数百万にも及ぶものがあるそうで、その検証は大変な作業になるらしい。

 トヨタはNASA(アメリカ航空宇宙局)の協力を得て、自社の車のソフトウェアに欠陥が見当たらないことを確認し、運転者のアクセルとブレーキの踏み間違いとの推論が勝った形でトヨタ叩きは納まった。しかし、ソフトウェアに欠陥が見当たらないから欠陥がないと技術的に積極的には言えないそうだ。

 品質経営は、企業価値の源泉を“品質”と捉える経営であるが、コンピュータソフトの品質保証については未だ確立されているとは言えないのではなかろうか。それでも時代は進み、第4次産業革命の到来を告げている。

 企業において人を育てることが品質経営の始まりであるが、皮肉なことに、IT時代のわが国小規模ベンチャー企業は、品質経営とは真逆の労働環境で、多くの従事者が長時間労働を強いられている現実がある。

 米国で工科大学のトップクラスのエリート校出身のIT技術者が職場を追われる様が話題になった時期があった。人件費削減で、米国大手企業がインドなどにIT開発の拠点を移したのだ。そのつけで、中国からのサイバー攻撃に悩まされる時代となってしまった。生産拠点と開発拠点、本社機能は密接な連携が必要で、いかにインターネットの時代であっても機密保持の観点からも他国での開発は疑問である。

 今またAIの進歩で大手銀行のキャリア社員が職場を追われる懸念があるようだ。公認会計士や弁護士の仕事も部分的にAIで可能となってゆく。

 日本でもようやく英会話だけでなくコンピュータのプログラミング教育を小学生からやらせるところも出て来ているようだ。聞いた話、オランダなどは相当昔からプログラミング教育を学校で行ってきたお陰で、農家の人が自分で作業を自動化する装置を作ったりできるそうだ。

 人作りは、国家的、社会的事業であり、企業の社会的責任の柱でもある。わが国の明治維新後の富国強兵が成ったのも、江戸時代の藩校や寺小屋での武士から農民までの学びがあり、「読み・書き・そろばん」で基礎固めができていたことによるところが大きい。

 新しい時代の品質経営もその基本は変わらないのだ。TQMの17の原則*註3)を学ぶことから始めよう。




*註3)本稿その5「教育・訓練の重視」参照
本稿は、久米均著「日本の製造業」~これからの経営と品質管理~(株)日科技連出版社2012年刊を参考にしています。



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品質経営を考える その9

2019年03月25日 | ブログ
無責任経営

 品質経営の対極にあるのが無責任経営。現在問題になっているアパート建築などで有名な一部上場企業の不祥事は、いろいろあった品質不正の中でも無責任経営の筆頭格ではなかろうか。顧客無視も甚だしい。

 アパート経営のために当該企業に建築を依頼したオーナー達も被害者というが、彼らにも責任が無いとは言えはしない。事業者には品質面も含めた取引先の与信管理が必要である。

 すでにそこに住んでいた人が相当数にのぼり、転居先を見つけ家移りしようにも時期的に困難な状況のようだ。敷金・礼金なし(現在では普通になりつつあるらしいが)で家賃も安いなどメリットはあり、運営する企業のブランドが所定の信用を生んでおり住むことにしたのであろう。顧客を欺いた企業の罪は重い。

 個人向け建売住宅などもそうなのだけれど、購入者には壁の中まで見えるわけもなく、断熱材が入っているものかなど怪しいし、二階部分を支える木組みの構造なども完成住宅では購入者に確認などできはしない。見かけの好悪と業者の知名度(ブランド)などを信用するしかない。

 車などこの国には車検制度があって、消費者は購入後にも定期に余分な出費を強いられるが、アパートや住宅の行政による完成検査はなどどうなっているのであろうか。制度があるなら今回の不正には行政にも大きな責任がある。もっとも、業者と役人はカーツーの仲というイメージがある。制度はあってもあまり検査に信用は出来ないような気もしないでもない。

 それにしても、アパートの屋根裏の仕切り壁が設置されてなかったという件に関しては、国交省の進めていた空き家再利用のための規制緩和策を、当該企業は先取りしていたことになると言うから笑える。政権の意向を受けて、現場を知らず見てもいない役人が、問題のある「規制緩和」策を進めたとの批判も出ているようだが、現政権の何かにつけての聞こえの良いフレーズの掛け声だけの無責任体質をよく表しているではないか。

 2005年の姉歯事件(構造計算書の偽装)、2015年の横浜の大型マンションが傾いた事件など、記憶に新しい建築業界の不正事例を持ち出すまでもなく、さらに詐欺まがいのリホーム業者の跋扈も含め建築業界は無責任経営が多すぎる。

 明らかに行政の怠慢、目こぼしが感じられてならない。政権が1強などと言われて、国内政治でボロが出れば外交に逃げ、北方領土問題も拉致問題も手詰まりとなれば、東日本大震災対応に心を砕いているようなフリをする。

 大企業の不祥事は政府の監督不行き届きであるとの認識をもっともっと政治家や官僚は持つべきではないか。国民は中身を知らぬまま大企業を信じ、大政党を信じる無垢なところがある。純真な国民を欺く大企業の無責任経営や無責任政治を許してはならない。






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品質経営を考える その8

2019年03月22日 | ブログ
安心・安全

 ボーイング737MAX8機が昨年10月インドネシアで、この3月エチオピアで相次いで墜落した。事故原因は飛行ソフトにあり、機体の姿勢を測るセンサー不具合と推測され、両事故に類似性があるとのことで各国の航空会社は同型機の運行の停止に動いている。

 デジタル家電の部品数が数百点から数千点、自動車で3万から4万であるのに対して航空機となると小型ジェットで約70万点、旅客機ともなれば約300万点という。それらすべての部品の品質が良くなければ事故の確率は高くなる。

 昔(1986年1月)、スペースシャトルチャレンジャーが打ち上げ後まもなく空中分解して7名の宇宙飛行士がなくなった事故は未だに印象深いが、密閉用Oリングの破損が原因という。航空・宇宙産業の品質管理は僅かの緩みも許されない。

 いかに高度な機器であろうが、量産されるビスやボルト・ナットも使われるであろう。それらの1個に不具合があっても事故につながる恐れはある。いかに知価社会となろうが、ものづくりから生み出される機械、機器、器具が不要になることはなく、それらは安全な社会のベースとなるものだ。品質管理の重要性は益々高まっても低下する筈などない。品質経営を追求してこそ企業の成長がある。

 テレビや映画で池井戸潤氏の原作ものが好評だが、「下町ロケット」の無人トラクターの話にしても「7つの会議」にしても、使用しているボルトやネジの品質レベルを問うものになっている。人目につかないところで、ただ踏ん張っているだけのネジやボルトにまで心が通っていなければ大型のエンジンもトランスミッションも、航空機内のロッカーケースもその性能や安全性を十分担保できず、事故の誘因とさえなる。まさに「神は細部に宿る」のである。

 テレビ東京に、日本の職人が外国の貧しい地域の施設や公園を、無償で修理して回るという番組がある。ヨーロッパの最貧国の老人ホームでは、壊れて倉庫に放置された液晶のテレビを修理する。裏側を開放し電子回路の異常を目視で点検する。小さな部品に焼コゲを見つけ、取り外して交換する。テレビは見事に復活した。たった1cm程度の部品の不具合で、まだ新しいテレビは使い物にならなくなっていたのだ。

 同国の保育園では、唯一の暖房器具であったオイルヒーター(デロンギタイプ)が故障して、冬季閉園となっていた。見るからに使い古したものであり、修理できるものか疑問さえ涌いた。点検したところスイッチが壊れており、同じ型のスイッチは手元にない。職人は持ち合わせの照明用のスイッチで代替して見事暖房機能を復活させる。

 見かけの立派な大型家電でも、数百数千の部品、航空機は300万もの部品のひとつひとつで成り立っている。その一つ一つの部品に心をこめて作り込む品質管理を重視する経営がなければ、われわれの生活の安心・安全は成り立たないのだ。




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品質経営を考える その7

2019年03月19日 | ブログ
成長戦略と品質

 製品・サービスの品質が経営基盤として重要であるとの認識はあっても、それだけでは成長は難しくなっていると考える経営者は多いであろう。

 たとえば、観光などに関連するサービス業にしても、従来からの「おもてなし」の充実だけで多様化する顧客ニーズに対応できない。「モノからコト」へと言われるようになって久しいが、体験重視の観光対応が必要となってきたのである。顧客へのより深い洞察が必要となってきた。もっとも「顧客第一」はTQMそのものでもある。

 しかしIT化の進行で、IoTが基盤となる社会、すなわち商品やサービスを提供する企業と利用者(顧客)がIoTで結ばれる社会を前提に考えれば、企業や業界の壁を越えた連携なり商品開発も必要となる。すなわちTQMの“T”の部分が拡大しているのである。

 ただ、半世紀近く前からオープンイノベーションはこの国にあった。家庭向けビデオレコーダーで、ソニーのベータマックスに対抗するため、松下電器(現、パナソニック)傘下の日本ビクターは、VHS方式でのデファクト・スタンダード(業界標準)を勝ち取るため、競合他社である日立や三菱電機などに自社技術を開示して協力を求めた話は有名である(NHKプロジェクトX)。

 実は品質保証のための要素技術として、成長戦略に資す新製品開発のための手法が開発されている。代表的なものを上げると、「商品企画七つ道具」、「感性評価のための統計的方法」、「品質機能展開」、「顧客関連性評価」、「実験計画法」なども開発のスピードアップに貢献する。また「デザインレビュー」も新製品設計品質に有効であろう。

 その中で「品質機能展開」(QFD:Quality Function Deployment)は、『製品に対する顧客の要求を把握し、これを実現するために製品の設計品質を定め、さらには製品を構成する部品の品質および製造工程の管理項目にいたる一連の関係について二元表を用いて情報整理を行う方法論』として、ものづくりの代表格である自動車産業から、病院での患者からの顕在要求から潜在要求までを汲み取り、業務展開に活かすなど多くの産業で活用されている。

 これらの手法は、「QC工程図」などをその嚆矢として、企業の品質管理活動(TQC)の中から生まれたものが多い。改善改革、問題解決手法を使いこなすと共に、品質経営を志向する中で、その応用や新たなニーズに応じて新たな手法を生み出してゆくことが、その活動に求められる。品質経営は成長戦略にも対応できるのである。



本稿は、「新版 品質保証ガイドブック」日本品質管理学会偏、日科技連出版社2009年刊を参考にしています。



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品質経営を考える その6

2019年03月16日 | ブログ
人物評価の基準

 企業において人を育てることが品質経営の始まりであるが、その前にどのような人をその企業の仲間として採用するかも重要となる。

 実は品質管理においては、採用してから育てるのでは手遅れかもしれない。生まれ育った家庭、地域社会、学校での基本的な躾ができているか否かは品質の出来栄えに大きく影響する。離婚が増え片親家族が増加、子供への虐待など家庭崩壊の進む日本はその点でも危機。

 日本企業のブランドで売っている家電品などの多くは海外で作られたものだが、未だに往年の「Made in Japan」とは隔たりがあるそうだ。先日パソコン専門店の年配の技術担当者の方から聞いた。「全般にかなり日本企業の家電品の品質は落ちている」と。

 すなわち、マニアルだけで作り込むのには限界があるということ。顧客満足はまず従業員満足であるが、現場担当者に悪意の手抜きがないにしても、子供の頃からの習慣が仕事の出来栄えを左右するものなのだ。

 わが国の高度経済成長時代には、潤沢な中間層が居た。「金の卵」と呼ばれた地方からの中卒の集団就職者、工高卒の技能者。加えて企業内教育は、戦争を経験した先輩や戦前の高等教育を受けた骨太の部課長、経営層からの人間としての導きがあった。それが企業内に蓄積され、他社には真似できないコアコンピタンスの現場力となっていた。

 「仕事の神様が“ひいき”したくなる人の法則」著者:井垣利英 致知出版2016年刊という本を市の図書館で見つけた。そこに「人生の方程式」というのがあった。

 人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力 但し、熱意と能力は0から100で評価されるが、考え方はマイナス100からプラス100まであるという。すなわち、いくら能力や熱意に優れてもそれを用いる心根が悪ければ、マイナスとなり、しかも能力・熱意の高い人ほどマイナスが大きくなってしまう。

 庶民には国政レベルの政治家の能力や熱意を推し量れない。元官僚だから、いい大学を出ているから能力が高いだろうの判断での評価は、実は当てにはならない。心根が悪い場合が多いからである。

 野党の重鎮で、この間まで与党を批判していた方が、与党の会派に入るという。受け入れ側の与党の重鎮は、その方の能力を高く評価しているらしい。どうも心根の部分の評価のプラスとマイナスが真っ当に定まっていないようだ。

 3年間の民主党政権のトラウマで、疑惑だらけの政権でも選挙に勝ち続けるものだから、政権交代は起きないと踏んで、与党は驕りに驕り腐ってゆく。本来、正当に人を評価できない人は人の上に立つ資格はないが、総裁4選の奥の手を匂わせて総理総裁を手なずけられると踏んでいる。親中派の本領で、思考経路は習近平そのもの。権力がその権力を使い、一度ならず二度までも同じ政権中にトップの任期延長を行うなど、民主国家にして正気の沙汰ではないと思うのだけれど。品質経営は政府、大政党にこそ必要なようだ。

 遠くは平家、最近では日産のゴーン氏ではないが、「奢れる者は久しからず」の事例は数多あろうに。「天網恢恢疎にして漏らさず」。他人の評価で人は評価される。






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品質経営を考える その5

2019年03月13日 | ブログ
教育・訓練の重視

 経営の品質を評価する時、その企業が「人」を大切にし、その能力を十二分に発揮できるような経営を行っているかがポイントである。

 長く企業に勤め、大企業同士の合併も、外資系企業への出向も経験したが、企業業績は、その企業で働く人々の能力や成果の総和であるということに気付かされたものだ。

 品質を経営の中核とする品質経営では、人間性尊重がキーワードとなり、そのためには労働諸条件、働く環境の整備と共に教育が重要であり、従業員の能力を高めることこそ企業価値を高める最良の方策である。

 コマツの坂根正弘氏は、企業価値を最大化するための活動にTQM(総合的品質管理)があると述べておられた*註1)が、TQMの教科書*註2)によればTQMの考え方に17の原則がある。これらそれぞれの原則について、従業員全員に周知することができれば品質経営の達成は近いであろう。

 (1)「マーケットイン」、(2)「後工程はお客様」、(3)「品質第一」、(4)「プロセス重視」、(5)「標準化」、(6)「源流管理」、(7)「PDCAサイクル」、(8)「再発防止」、(9)「未然防止」、(10)「潜在トラブルの顕在化」、(11)「QCD(品質・コスト・納期)に基づく管理」、(12)「重点指向」、(13)「事実に基づく管理」、(14)「リーダーシップ」、(15)「全員参加」、(16)「人間性尊重」、(17)「教育・訓練の重視」

 企業活動における教育は、仕事のやり方を教える技能教育に留まらず、自主性と自分の意思を持って仕事に取り組む事を指導すべきだ。そのためにはこのTQM教育は最適であり、その一環としてのQCサークル活動や改善提案活動は、問題発見・解決能力の向上に有効で、自分の頭で仕事を考えることの訓練となっていた。

 しかし、これらの活動にマンネリ化も見られるようになった1990年代に入り、バブルが弾けると共にISO9000、14000、IT化、ESG*註3)などへの取り組みが加速した。賃金を抑えるための能力主義、成果主義が幅を利かせ、企業の従業員教育への投資は抑えられた。

 しかし、TQMの活動は、5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)や「見える化」もその範疇として、品質経営手法としてやはり普遍性が高い。その基本は大切にしながら新しい時代にあったやり方、業種業態に応じたやり方など活動方法の改善・改革も志向すべきであろう。

 また、外資の流入で否定された戦後わが国の高度経済成長を支えた終身雇用・年功序列などの制度は、働く人々が安心して働ける環境においてこそ創造力はより発揮できるとして、評価の見直しもある。成果・能力主義への偏重は品質経営にはそぐわないと言える。



*註1)文藝春秋2018年2月号「大企業の品質偽装はトップの責任だ」(本稿「品質経営を考える」その3参照。
*註2)中條武志、山田秀両氏の編著による、日科技連出版社「TQMの基本」2006年刊
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品質経営を考える その4

2019年03月10日 | ブログ
経営と品質

 4年前になるが2015年は、わが国の戦後品質管理の先駆者(日本の品質管理の父)で、石川ダイヤグラム(魚の骨:特性要因図)の考案でも知られる石川馨先生(1915-1989)の生誕100周年で、9月に記念の国際シンポジウムが東京大学で行われた。

 その際にいただいた久米均先生(1937- 東京大学名誉教授)編集の「石川馨品質管理とは」の小冊子の冒頭に「新しい品質管理は、経営の1つの思想革命である。新しい品質管理を全社的に実行すれば、企業の体質改善ができる」とある。そして第1章に当たる命題は「企業の経営」となっている。

 『私(石川)は企業経営を次のように考えている。①人、②品質、③価格・原価・利益、④量・納期、つまり人、品質、原価、量の4つの管理がうまく行われておれば、企業経営は順調に進む』

 『経営で最初に考えなければならないのは、企業に関係する人達の幸せである。企業に関係する人達が幸せになれないような、幸せとは思えないような企業は存在する価値がないということである』

 『まず、従業員が適切な収入を得て、人間性が尊重されて、楽しく働くことができ、幸せな生活が送れるということである。この従業員の中には、その企業に関連する外注企業、販売・サービス企業の人達も当然含まれる』

 『第二は消費者である。製品やサービスを買った消費者が、それを使用して、満足しなければならない。せっかく努力して買ったテレビがすぐにこわれてしまったり、買った電熱器が原因で火災になったり、怪我をするようなことがあってはならないのである』

 『第三は、日本は資本主義であるから、株主に対しても企業が適切な利益を出してその中から配当を行い、よろこんでもらわなければならないのである。これらが企業の存続価値であり、第一次目的である』

 トヨタや日産が、全国に張り巡らせた販売網である特約店で働く従業員までに、行き届いた配慮をしているであろうか。セブンイレブン、ローソンなどのコンビニ経営は、それぞれ個店のオーナーの責任であるにしても、フランチャイザー本部であるそれらのトップが各コンビニ店で働くパート・アルバイト生の幸せに心を砕くことがあろうか。

 石川先生は、企業活動はまずその企業に関連する外注企業、販売・サービス企業の人達も含む従業員満足(ES)であり、次に顧客満足(CS)がくると言っているのである。これこそ品質経営の王道ではなかろうか。

 品質不正・品質偽装を行うような企業は、トップが保身に走り、自身の立場と株主ばかりに目が行って道を誤り、結果大きな代償を払うことになるのである。



久米均編「石川馨品質管理とは」2015品質月間テキストから多くを引用しています。



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品質経営を考える その3

2019年03月07日 | ブログ
品質経営の実践

 文藝春秋2018年2月号の「大企業の品質偽装はトップの責任だ」から日本科学技術連盟会長の坂根正弘氏の言葉の引用を続ける。

 『近年、財務諸表に表れない企業の価値として環境(Environment:エネルギー使用量やCO2排出量削減など環境面への配慮)、社会(Social:ダイバーシティやワークバランスへの取り組み)、ガバナンス(Governance:取締役会のあり方や情報開示の充実など)の頭文字をとったESGが注目されるようになった。これらを重要視することは大切であるが、ただ、ガバナンスにおいて品質担当の役員を減らすようなら問題で、経営の所掌拡大で経営トップが品質に対する関心を失いつつあることを懸念している。・・・

 企業価値を最大化するために何が一番大切か。企業には利害関係者(ステークホリダー)はたくさん存在するが、企業価値をつくる主役は社員や協力企業、そして経営者であり、株主や社会はそれを評価、チェックする人。そして何より当社の製品を使っていただく顧客にとって、当社製でなくてはならぬ存在になることである。・・・顧客に評価して商品を買ってもらうから収益を上げることができ、株主への配当も、社員への給料も、原資は顧客からいただいた対価なのである。

 そのための活動にTQM(総合的品質管理)がある。経営目標を、製品・サービスの品質、人材の品質、組織の品質など、企業内の様々な質を高めていくことで達成しようという考え方に基づくものである。

 PDCAを回すことはTQMの大切な要素である。Plan(計画)→Do(実行)→Check(評価)→Act(改善)の4段階を繰り返すことによって製品と業務を改善するサイクルである。実はPDCAの後にStandardize(標準化)があり、PDCASをまわすことになる。

 このサイクルがうまく回るようにするためには、品質の「見える化」が必要不可欠で、品質管理とは、結局のところ「見える化」と「PDCAS」にほかならない。・・・

 今後、より激しくなるグローバル競争に勝ち抜くためには、これまで日本企業が長年にわたって培ってきた品質を原点とする経営に磨きをかけていかねばならない。真の品質経営の追求こそが日本の産業競争力を高め、世界で戦う最大の武器になるのだ』。

 組織であれ、国家であれ、長年に積み上げた大きな遺産があれば、構成員がほとんど入れ替わらない時間軸の間は、愚かなトップによっても目立って凋落はしない。しかし、目に見えないところで確実に劣化は進んでゆく。国家であれ、大政党、大企業であれ、気が付いてみれば取り返しがつかないレベルまで崩壊が進んでいるものだ。ジャパンブランド、日本という国家さえ慢心は禁物である。
 


本稿は、文藝春秋2018年2月号「大企業の品質偽装はトップの責任だ」を参考に引用編集しています。



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品質経営を考える その2

2019年03月04日 | ブログ
企業価値の源泉

「大企業の品質偽装はトップの責任だ」日本科学技術連盟会長の坂根正弘氏が文藝春秋2018年2月号に述べている。その通りである。

 坂根正弘氏は、コマツ(株式会社小松製作所)の社長時代に、“品質と信頼性の追求”を掲げた「ダントツ経営」でコマツを世界第二位の建設機械メーカーに導いている。

 坂根氏は1963年にコマツに入社し、石川県の粟津工場でブルドーザーの設計を担当。当時は多くの産業において日本と欧米の技術の差は大きく、コマツの建設機械の品質は国際競争に勝てるものではなかったそうである。

 しかし、当時の社長は「品質のコマツ」を掲げ、米国キャタピラー社製と同レベルの品質を作ることで生き残りを図っていたそうだ。QC(品質管理)活動をすでに1960年から導入していたのだ。

 私が工業高校を出て石油化学専業メーカーに就職したのは1966年。東レテトロン、帝人テトロンなどポリエステル繊維原料としてのエチレングリコール(EG)を製造するプラントが3基、その(EG)原料となるエチレンキサイドプラント3基を運転管理する職場に配属された。その工場で日本初のエチレンプラントが稼働して8年しか経っていなかった。

 それぞれのNo.1、2プラントは、米国SD社製だったが、3基目No.3プラントはいずれも自社技術で建設(1964年)していた。東レ向けEGなど、東レ(当時は東洋レーヨン)技術者の指導もあり、世界最高レベルの品質ではなかったかと今更思う。

 戦後、わが国の産業は、あらゆる分野で意識する、しないに関わらず、その「品質」を中核とする経営で、猛烈な勢いで国際競争力を高め、進化していたのだ。

 坂根氏は述べている。「多くの方が、品質管理というと決められた基準を守るためのもので、収益を上げることとは逆の、どちらかと言えば受け身の仕事と考えがちである。しかし、企業価値を最大化するために何が一番大切かと考えた時、それは顧客満足であり、顧客にとってその企業・商品でないと困る度合いを高めるためのダントツの商品、ダントツのソリューションなのだ。顧客はその“品質”があるからこそ対価を払ってくれるのであり、企業価値の源泉はそこにしかないのである」。

 企業価値の源泉を“品質”と捉える経営こそ品質経営ではなかろうか。トヨタ、ホンダにしろソニー、パナソニックにしても戦後一貫して品質向上に社運を賭けてきたからこそ、部品メーカー製品の品質にも磨きがかかり「メイドイン・ジャパン」ブランドが確立した。



本稿は、文藝春秋2018年2月号「大企業の品質偽装はトップの責任だ」を参考に引用編集しています。



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品質経営を考える その1

2019年03月01日 | ブログ
止まらない品質不正

 検査すべきところをやってなかった。資格のない従業員が検査していた。そんなところから始まって、品質データを偽装して基準に達しない品質の製品を出荷していた。明らかな手抜き工事の賃貸マンションの建築基準法違反。出るわ出るわ。しかもほとんど名たる大企業での仕業だ。

 マンションが傾けば、誰でもおかしいと思う。家電製品が発火したり、車のタイヤが走行中に外れたり、在ろう筈の無い異物が混入していたり、品質不正や不良は一般的には顕在化して世間の人々が知ることになり、当該企業は非難される。

 ところが最近の品質不正は、外部の人間には分かり難いと思われる案件が摘発される。資格のない人が検査していたとか、やるべき検査をしていなかったとか現場の人間でないと分からない。データ偽装にしても、耐震ゴムのデータが基準に少々不足していてもすぐには問題が発生するレベルではないであろうから顕在化し難い筈だが明るみに出てくる。

 近年、大企業には運用方法は良く知らないのだけれど、内部告発制度があるという。内部の不正を早期に摘発し、致命傷にならないうちに対策を打つことは、内部統制上からも必要なことである。結局長い目で見れば企業にとってもプラスになることではある。

 勇気ある告発が内部からあるなら救いはある。不正があっても自浄作用があるうちは組織としては最悪ではない。政治の世界の秘書や官僚に責任を留める言い逃れよりは益しである。

 内部告発が必要な企業の不正には、経営者の背信行為から不正会計、下請けいじめ。パラハラ、セクハラ、長時間労働にサービス残業の慣習化など劣悪な労働条件。いわゆるブラック企業などと呼ばれる企業は未だ多いようだ。品質問題はそんな底知れぬ企業犯罪の一部ではある。

 わが国でTQC(1996年頃からTQMとなった)全盛の1970年代から80年代には、品質保証、品質管理と共に品質経営という言葉を聞いたように思う。

 その後バブルが崩壊し、TQC活動、小集団活動、改善提案活動などが下火となったことで、品質経営が忘れ去られていったようだ。その間グローバル化やIT化が著しく進み、日本的経営手法の三種の神器と言われた「終身雇用・年功序列・企業別組合」が揺らぎ、経営者の感覚がそれまでの大切なものまで失っていったのではないか。

 経営とは経済合理性に基づくもので、成果・能力による人事管理と企業価値を株価やブランド価値に求め、リストラからリエンジアリングへと合理化が過激化する中で、事業買収が規模拡大の手法として持て囃され、経営のプロを高額の報酬で雇い入れることも流行した。

 そのような風潮が、経営を現場と乖離させ、医者は患者を見ずにコンピュータを見ていると揶揄されるごとく、経営者も上がってくるデータしか見なくなったのであろう。

 経営の原点に返って品質経営の在り方を考えてみたい。




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