中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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経済学のすすめ10

2011年06月28日 | Weblog
市場の失敗

 「生産者の理論」や「消費者の理論」で、供給曲線と需要曲線の成り立ちの過程を見てきた。『・・・かくて需要供給の二つの曲線が引け、消費者も生産者もともに満足することができるような状態はただ一点、この二つの曲線の交わった点のみである、自由な競争はこういうような条件を保持させるのだ。価格の自由な動き、それを保持するならば経済はこうして消費者も生産者もともに満足させる状態に落ちつく。したがって、そうした条件を作り出す自由競争が最も望ましいのだ――こうした考え方が出てくるわけです。・・・』

 これは、19世紀末以来のミクロ理論に即した考えで、古典派経済学の理論を精緻化した新古典派と呼ばれる立場の経済学者の、市場メカニズムの効率性の唱えであり、政府の市場介入への批判の論拠となっている。これを小さな政府主義というわけだけれど、小さい政府があれば大きな政府があり、社会主義や共産主義国家はその最たるものだ。そこまで行かなくとも、現代でもなお、政党間や政党内部でさえ国家の置かれた状況によってもどのような位置づけが妥当か議論が絶えない。

 世界の潮流として各国は、第二次世界大戦後しばらくは大きな政府主義をとってきたが、1970年代以降になってアメリカ、イギリスをはじめ再び小さい政府主義が隆盛となった。わが国も1980年代には専売公社、電電公社および国鉄の三公社が民営化されるなど以前より小さな政府を目指した。その後バブル崩壊後の不良債権処理問題もあって規制緩和を進め、郵政民営化まで進めたが、規制緩和の弊害として格差拡大が喧伝された。

 完全競争社会を前提とした自由経済の理論だけでは世の中は成り立たず、小さな政府を志向したとしても、政治の経済面での介入も必要になる。市場の失敗が生じるケースとして、「不完全競争」、公害問題など「外部効果」の存在、「公共財」の存在、売り手と買い手の間の「情報の不完全性」および「費用低減産業」の存在などがあげられ、そこに政府による介入の余地が生じる。

 これら「市場の失敗」について知るためにはまず失敗でない状態、すなわち完全競争社会において社会的余剰(社会にもたらす利益)が最大化される、あるいはパレート効率的*35)な状態が実現するという「厚生経済学の第一定理」について確認する必要がある。

 効率の面から市場均衡を評価するために、余剰分析*36)を行う。まず政府の介入のない全く自由な市場を価格と数量の需給曲線の図でみる。需給曲線の交点で価格と数量が均衡しており、この均衡点での消費者余剰(消費者の利益)は均衡点価格の上部左側の三角形の面積*37)であり、生産者余剰(生産者の利益)はその下の三角形の面積で示され、その合計である社会的余剰は最大となる。すなわちこの状態がパレート効率的な状態であり、政府が介入しない自由な市場で実現しているのである。市場に種々の機能障害が存在する場合は、市場均衡はもはやパレート効率的な状態を実現できない。

 その政府の介入事例として、ガソリン税のようなものを考える。税金によって供給曲線はその分上方シフトし、均衡価格は高く、均衡数量は減少する。この時の消費者余剰と生産者余剰は供給曲線のシフト分少なくなり、税金として国庫に入る分を加えたとしても、介入前の状態に比べて「死荷重」と呼ばれる無駄を生じてしまうのである。

 このような説明は必ず図と数式によってなされるが誌面の制約上省略する。この事例のように、政府の介入によって「死荷重」という無駄を発生させるのと同様のことが市場で起こることを、「市場の失敗」というのである。








*35)効率的という言葉を初めて定義したイタリアの経済学者ヴィルフレッド・パレート(1848-1923)にちなんでこう呼ばれる。ある状態が他の誰かの効用を悪化させない限り、どの人の効用も改善できない状態をいう。「無駄」があるかないかのということを判断する基準で、所得配分や公平性の問題は全く考慮していない。
*36)本来必要な費用に対して、効率化によってどれだけの便益が得られたかを解明すること。
*37)本来消費者が支払うべき金額が、均衡点価格に落ち着くことで、この三角形の面積分少なくて済む、すなわち余剰を生じるという論拠である。この消費者余剰は、限界的な需要量の増加に対して消費者が支払ってもよいと考える金額と市場価格の差を、数量0から均衡取引量まで積分して求められる。

本稿は、伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊をはじめ多和田眞編著「経済学講義」(株)中央経済社(1991年)刊、吹春俊隆著「経済学入門」新世社2004年刊およびTAC中小企業診断士講座「経済学・経済政策」テキストなどを参考に編集しています。
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経済学のすすめ9

2011年06月25日 | Weblog
消費者の理論

 先に生産者の理論で述べたように、生産者は生産費用を最小にして利潤を最大となるように行動する。消費者はどうか。社会に財(物やサービス)を提供し、得られた報酬から必要な財(物やサービス)を購入する。一般的な給与所得者を考えれば、生産要素(労働力)を企業に供給(提供)することによって得られた所得を、自分の欲するいろいろな財(物やサービス)の購入に振り向け、それらを消費することで満足感(効用)を得ている。そして意識する、しないに関わらず、自分の効用(満足)を最大にするような財の組合せを選択して消費を行っている(効用最大化行動)と考えられる。

 また、生産者の理論でその供給曲線については、操業停止線より数量の多い部分での限界費用曲線となると述べた。では消費者の需要曲線はどのように導出されるのかを見てみる。

 経済本では、代替しうる2財をあげ、それはリンゴとミカンでも、コーヒーと紅茶でも牛肉と豚肉でも何でもいいのであろうが、兎に角代表的な2財からなる経済を考え、一方の減少は他方の増加で効用を補える関係として説明する。例えばリンゴとミカンは代替関係にあるとし、縦軸(Y)にミカンを横軸(X)にリンゴの数量を取り、ミカンの数量を減らしてリンゴの数量を増やしてゆく場合(その逆のケースも同じ)を想定して、トータルとして同じ効用(満足)のポイントをプロットして線を描けば、原点に向かって凸の曲線が浮かび上がる。この線上ではどの点も効用は等しいため、無差別曲線と呼ぶ。ただし、一方の財に好みが強い(効用が大きい)場合、その程度に応じて無差別曲線の偏りや傾きが異なることになる。

 また曲線が通常原点に向かって凸となることは、一方の数量が増加すると、その増加した財の効用は、減少した財に対して相対的に低くなることを意味する。すなわち無差別曲線の線上のポイントによって2財の単位当たりの相対的な効用比率が変化しているのだ(稀少となった財の効用が増加する)。これは曲線の各ポイントの接線の傾きの絶対値で表され、これを限界代替率という。増加した財の効用は減少した財に対して相対的に低くなる性質は多くの財にあてはまり、限界代替率低減の法則という*31)。

 ここまでは2財を購入する消費者の選好(好みによる選択)だけを取り上げて、無差別曲線を考察したが、消費者の所得の変化や2財の価格の変化も消費量を決める重要な要素である。ここでは2財だけの経済(市場)を前提にしているため、所得が高くなれば消費量が増えるため、無差別曲線は同じ図上で上方にシフトする*34)。所得の微妙な変化を考慮すると無差別曲線は無数に描ける(交わらない)こととなる。その図に所得制約線(一方の財だけを購入する場合の数量の2点を結ぶ直線)を引くと、いずれかの無差別曲線の接線となるが、この無差別曲線と予算制約線の接点が、消費者の所得における最適消費点となる。

 次に、財の価格が変化した場合を考える。2財の価格が同じ割合で変化した場合は、所得変化と同じことであるが、仮に片方の財の価格だけが変化した場合、例えばリンゴの価格だけが半額になれば、先の予算制約線を考えるとリンゴだけ購入する場合の数量が倍のポイントにシフトする。そしてその際の最適消費点もリンゴの消費量が増加する方向(倍になるわけではない)にシフトする。このような変化をなぞり、リンゴの価格と消費量の関係を縦軸に価格、横軸に数量のグラフに描けば、良く知られる右下がりの需要曲線となるわけである。

 





*31)2財の限界代替率がどの組合せでも一定(完全な代替財)である場合、無差別曲線は負の傾きを持った直線となる。同じミカン1個とリンゴ1個ではリンゴの方が満足度が高いという風に、2財のどちらかに選考の偏りを持つのが普通である。
 先の生産者の理論でも「限界費用」など、「限界」という言葉が使われたが、経済学で「限界」とは一方の最小単位の変化に対応する他方の変化を表すことで、曲線上のポイントに接する直線、すなわち接線の傾きで表され、関数の微分によって求められる。経済学の世界で、この限界の考え方が生まれたのは1870年代以降の近代経済学で、オーストリアのメンガー*32)、イギリスのジェヴォンズ*33)、先にも登場しているレオン・ワルラスらがその先駆者である。
*32)カール・メンガー(1840-1921) オーストリア学派(限界効用学派)の祖であり、ワルラス、マーシャルとともに、近代経済学の第一世代の一人である。労働価値論の上に立つイギリスの古典派経済学に対抗して、効用価値論の上に経済学の全体系を築くことや、理論復興の主張を高く掲げた。
*33) ウイリアム・S・ジェヴォンズ(1835-1882)メンガー、ワルラスらとともに、効用論を基礎に限界分析・極大原理を手法とする近代経済学の担い手の一人。はじめて統計的実証研究の上にたつ景気変動の研究を行い、物価指数論などに取り組んだ先駆者であり、天才であった。
*34)例えば、バターとマーガリンの2財のように所得が向上することでマーガリンの消費を減少させる(下級財)ような場合、無差別曲線の偏りに変化がある。

本稿は、多和田眞編著「経済学講義」(株)中央経済社(1991年)刊、TAC中小企業診断士講座「経済学・経済政策」テキストおよび伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊を参考にしています。
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経済学のすすめ8

2011年06月22日 | Weblog
古典派経済学に学ぶ

 経済学の世界で古典派と呼ばれるのは、アダム・スミス(1723-1790)を祖とし、リカード*25)を経てジョン・スチャート・ミル(1806-1873)くらいまでを呼ぶ。ただし、ミルはアルフレッド・マーシャル(1842-1924)に始まる新古典派との中間に位置し、その橋渡しをした過渡期の経済学者である。この過渡期の一方にドイツ生まれのカール・マルクス(1818-1883)が居る。

 古典派経済学の特徴として、人間対自然の関係を基本とし、「土地収穫逓減の法則*26)」マルサス*27)の「人口論*28)」により、労働者の賃金は最低生活水準にくぎづけされると考えていたことにある。そこに「経済学は人間解放ないしはプロレタリア開放の学問」と考えたマルクスの登場の必然性を感じる。しかし、一方のミルは、『なるほど古典派が明らかにした生産の関係は収穫逓減の法則のように人間対自然の関係であり、いかなる社会にも妥当する自然法則として変えることはできない。しかしながら、生産した結果、それをいかに分配するかは、人間知性が向上するならば社会的にいかようでも変えることができるに違いない』と考えた。古典派に分配論を加えたミルの「経済学原理」に見られるような生産、分配、交換、消費という経済学四分割法を確立する。しかしマルクスは、「分配関係というのは生産関係を変えることなしに本質的には変えることはできない」と対立した。

 封建社会を経て生まれた資本主義社会が、その富を大地主や大商人、事業主に集中させて、雇用されるものは機械の一部と考えられたとしても不思議ではない。テイラー*29)の「科学的管理法」が米国で生まれたのは、20世紀初頭であるが、この新しいとされる経営手法にしてさえ、人を単なる道具としてしかみていない側面があり、人間性への配慮が欠けていたことを思えば、19世紀までの経済学の世界が、労働市場にあって人間性へのファクターを考慮する段階になかったことは想像に難くない。

 19世紀の後半と言えば、我が国においては260年続いた江戸幕府が倒れ、明治政府が生まれた時代。竜馬が晋作が西郷、大久保が活躍した時代。『なぜ日本は中国そのほかのように植民地にならず、経済発展を可能ならしめたのか。中国そのほかのアジアは資本主義に発展していく内因が成就していなかった、しかし日本においては、資本主義に発展していくであろう諸要因は体内に成就していたがゆえに、西欧に接し資本主義的諸関係を目の前にしてたやすく発達したのだという、もっぱら内因重視の視点が強く打ち出されました。・・・にもかかわらずもう一つ、日本と中国とがヨーロッパに接した時期の相違を見なければならないように思うのです。

 ・・・アダム・スミスの経済学、古典派経済学の開花は、同時に海外市場の切り捨て、植民地の切り捨てという論理の上に立っておりました。じつは日本がヨーロッパに接したとき、・・・まさにイギリスが産業革命を終え、スミスの論理が現実のものとなって展開していくことの中に、イギリスの世界的ヘゲモニー(支配権、主導権)が確立し、それを中心に経済は伸展していたわけであります。したがってイギリスはかっての重商主義の時代のように、植民地を拡大し海外市場中心に推し出していく時期、つまり東インド会社中心に東洋に対する力を伸ばしていく時期から質的転換を試みようとする時期だったのです。日本は幸いにもこの時期にヨーロッパに接したのです。

 なお、当時のフランスは、後期重商主義段階にあり、フランス東インド会社を中心に、アジア政策を推し進めておりました。したがってフランスは、日本との一括貿易(まさに重商主義的)を志向*30)し、横浜、兵庫を中心に幕府の一括貿易と利害を共通したのです。・・・自由主義と後期重商主義という経済学上における学説史的な対立が極東の日本にイギリス、フランスという二つの国を中心に火花を散らし、産業革命を経たイギリスが産業革命を経ないフランスに打ち勝っていく姿が、日本が植民地にならずに資本主義的発展を経験していくという背後にあったかもしれません。・・・』







*25)デヴィッド・リカード (1772-1823)イギリス古典派経済学の完成者。200年前に彼によって発見示された国際間の貿易の有効性を示す比較生産費説は、現在でも生きている。
*26)限られた農地での収穫はそれを増加させるためにかけるコスト(限界費用)は増大するという法則。前稿で述べた生産者の短期的な限界費用曲線が数量増しと共に急上昇したことに通じる。
*27)*28)トーマス・R・マルサス(1766-1834)1798年に著した「人口論」が有名。「人口は幾何級数的に増加するのに対して、これを養うところの食料は算術級数的にしか増大しない」。労働者の貧困の原因をすべて人間性にもとづく人口の増加に求めた。
*29) フレデリック・W・テイラー(1856-1915)アメリカの技術者、経営学者。これまでの成り行き的管理を廃して、工場労働者に1日に達成すべき標準的作業量を科学的に設定。作業や道具を標準化して、4つの管理原則から成る「課業管理」を提唱した。「科学的管理法」は、経営管理研究の基礎を提供し、IE(経営工学)や大量生産システム発展の道を開いた。
*30)『これに対してイギリスは、自由主義の段階に入っていたゆえに、長州であろうと薩摩であろうと自由に貿易を推し進め、ヘゲモニーを持っていたゆえに植民地政策をとるより自由貿易を主張した』

本稿は、伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊を参考にし、『 』は一部省略して直接引用しています。



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経済学のすすめ7

2011年06月19日 | Weblog
生産者の理論

 通常、財(物やサービス)を生産しようとすれば費用が必要となる。生産者が供給価格を決める場合、費用を最小にして利潤を最大化するようにしたい。しかし、長期的に見た場合生産者に有利な価格では需要量は少なくなり、小規模企業が無数にあると考える完全競争市場においては、需給の均衡点に収束した価格は平均費用と一致し、超過利潤はなくなる。この理論を持って経営学の領分に踏み込めば、生産者は常に経営革新につとめ、付加価値の高い新商品開発を目指さねばならないということが分かるのである。

 生産に要する費用には大別して固定費用と可変(変動)費用があるが、固定費は土地や機械など固定的に必要な生産要素あり、変動費とは、供給量(生産量)に応じて増減する原材料費や労務費である。

 固定費は生産量に関わらず一定であるため、生産量の増加に伴って生産単価当たりの費用(平均固定費用)は低減する。一方可変費用は、生産量に伴ってその効率が異なり、生産量が少ない場合は効率が悪く、ある程度生産量が増加した所で効率的となる。但し、同じ設備の制約の中では、生産量が限度を超えると急速に非効率(投入した労務費等の割に生産が伸びない)となる。すなわち費用と数量のマトリックスで見るその平均可変費用は、初期に漸減し、最小点を経て再び上昇する。

 平均総費用は平均固定費用と平均可変費用の合計費用であるため、平均可変費用の曲線と同様の形状を成すが、数量が少ない所では固定費のウェイトが大きいため両線の開きが大きい。また平均固定費の数量増に伴う漸減により、平均総費用の最小点の数量は、平均可変費用の最小点数量より多くなる。

 初めに戻って、費用の最小化を図り有利な価格を設定するために、総費用曲線から生産数量毎の限界(生産量を1単位増加させるために要する費用=総費用曲線の接線の傾き)費用と価格の関係をみると、限界費用より価格が高ければ利潤をさらに増加させるため生産量を増加し、価格が限界費用より低ければ生産量を減少させることで利潤の回復を図ることになる。すなわち価格と限界費用が同じになる生産量が生産者の利潤最大となるのである。

 この限界費用線を平均総費用および平均可変費用線と重ねると、限界費用線はそれぞれの最小点を通り、数量増加と共に増大していることがわかる。なぜ、それぞれの最小点を通るかは、費用と数量のマトリックス上に描いた総費用曲線の原点からの接線が平均総費用の最小点であり、固定費を除く可変費用への接線が平均可変費用の最小点となるため、それらの接線の傾きこそがそれぞれの数量における限界費用そのものであるからである。

 総費用曲線に総収入(生産量×価格)直線を重ねると、(総収入-総費用)が最大になるポイントがある。それは総費用線の接線の傾き(限界費用)と総収入直線が平行になるポイントである。このポイントにおける数量が生産者にとっての利潤最大生産量となる。

 限界費用曲線と平均総費用曲線の交点が損益分岐点であり、限界費用曲線と平均可変費用曲線の交点が操業停止点となる。すでに市場に参入している生産者にとっては、固定費はすでにサンク*23)されており、収入が可変費用を上回る限り、幾分でも固定費を回収するために市場から退場しないのである。しかし、新規に市場参入しようとする生産者はこれから固定費投資の必要があるため、損益分岐点以上の収入が見込まなければ参入しないことになる。そして生産者の供給曲線は、操業停止線より数量の多い部分での限界費用曲線となる。

 経済学に言う理屈を書いた。ただ現実にも言えることは、企業の財務管理にとって、損益分岐点分析*24)は重要で、その比率を低く抑えることで、不況時の売り上げ減少に備える必要がある。そのためには、日常のコストダウンによる変動費、固定費の削減に努め、営業努力による売上高の増大と可能であれば販売価格の引き上げも考慮すべきである。







*23)生産に必要な固定費用である機械やテナント料などは、機械のように撤退後売却して回収可能な場合もあるが、ここでは回収不能と考える。回収不能の場合にサンクされていると言い、その費用をサンクコスト(埋没費用)と言う。
*24)損益分岐点分析には、勘定科目の費用項目を固定費と変動費に分けることが必要であるが、その方法には①勘定科目法、②高低点法、③散布図法、④最小二乗法などがある。

本稿は、多和田眞編著「経済学講義」(株)中央経済社(1991年)刊、TACおよび日本マンパワー中小企業診断士講座「経済学・経済政策」、「財務会計」テキスト等を参考にしています。
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経済学のすすめ6

2011年06月16日 | Weblog
市場均衡と調整過程

 財(物やサービス)の需要量と供給量が一致している状態を市場均衡と呼び、その交点を均衡点ということはすでに述べた。その時の価格が均衡価格であり、均衡数量となる。市場には、一般の物やサービスという商品だけでなく、株式や為替市場も含まれる。

 このような市場で超過供給状態や超過需要の状態、すなわち市場の需給量が一致していない不均衡状態にあるとき、それら市場需給量がどのように調整されるのかを検討する。

 代表的な調整過程としては、ワルラス的調整過程とマーシャル的調整過程がある。他にクモの巣調整過程だけをあげている本もある。中小企業診断士試験用テキスト(経済学・経済政策)からはこれら3種類の調整過程を学んだ。ワルラス*19)とマ-シャル*20)は共にその理論を掲げた経済学者の名である。

 ワルラスは、市場の取引形態として需要者と供給者の間に架空の競売人を置き、競売人の設定する価格に応じて、需要量ないしは供給量が決められ、その市場需給の差に応じて価格調整を行うという試行錯誤を経て均衡に到達すると考えた。

 一方マーシャル的調整過程は、数量を中心としたもので、需要価格(ある数量を購入するときに買手が支払う意志のある最高価格)と供給価格(その数量を売却する時に売手が買手に要求しようとする最低価格)の差に応じて供給量が調整されるというものである。

 但し、いずれの調整過程も一般の需給曲線*21)の場合には成立(安定)するが、一方の調整過程では成立し、他方のそれには適合しない(不安定=均衡状態に向かわない)場合がある。

 供給曲線は一般的な右上がりであるのに、通常右下がりであるべき需要曲線も右上がりである(その逆も考えられる)ような変則的な需給曲線の場合、交点(均衡点)の上部(価格が高い状態)において、需要量が供給量を上回るような場合(均衡点より価格が低い状態では供給量が需要量を上回る)はワルラス的に不安定となるがマーシャル的には安定であり、逆に均衡点より数量が多い場合に、需要価格が供給価格を上回るような場合(均衡点より数量が少ない場合は供給量が需要量を上回る)、マーシャル的には不安定となる。この場合にはワルラス的には安定である。

 このように、2つの調整過程による結論が必ずしも一致しないのは、各調整過程で対象としている市場が異なるからである。ワルラス的調整過程では、価格変化に対して需給量が瞬時に調整される、短期的な調整を前提とした市場を想定し、マーシャル的調整過程では、価格の需給調整速度に比べて、価格に対する供給量の反応は緩慢な市場であり、長期的な調整を前提としている。ワルラスの調整過程は、株式や為替などの市場が対象となり、マーシャルの調整過程は、在庫の持ちにくい住宅市場や農作物(野菜)のように、出荷数量を調整しながら取引の進む市場が対象となる。

 さらに時間をかけて調整がすすむ(価格と数量の調整にタイムラグがある)のがクモ巣調整過程である。前年の価格を基準に翌年の生産量を決めるような場合、前年の高い需要価格に合わせて生産量を決めると翌年には作り過ぎて需要価格は下がり、逆の場合は不足気味で価格を上げるという繰り返しで、長期的に需給が均衡する場合である。

 ただ、この調整過程が成立するのは、一般的な需給曲線の関係において供給の価格弾力性より需要の価格弾力性が大きい場合で、逆の場合や変則的な需給曲線の場合、クモの巣的調整は成立しない。

 経済学で需給の関係を知ることは、企業経営において重要なマーケティング要素である価格戦略などと関わりが深いと思われ、その基礎的な概念を形作ると考えられる。






*19) レオン・ワルラス(1834-1910)は、1870年代に古典派と呼ばれる経済学体系から新しい経済学を登場させた担い手の一人である。かれは経済諸量の相互依存関係を、数式を用い一般均衡関係として示した点で一般均衡論の開拓者であり、その考えはパレート*22)に引き継がれた。「現代経済学はワルラスに始まる」と考える人は多い。
*20)アルフレッド・マーシャル(1842-1924)。すでに紹介しているが、あらためて、19世紀後半から20世紀にかけてのイギリスを代表する経済学者で、ケンブリッジ大学教授。新古典派経済学の祖。彼の考えおよび主著「経済学原理」は長い間、英語で経済学を講じる国での標準的な理論であった。短期では需要が価格決定に大きな意味を持ち、長期では供給の側が意味を持つことを明らかにした。1930年代半ば以後の新しい経済学の建設者であるケインズ(1883-1946)は愛弟子。
*21)縦軸に価格、横軸に数量の需給曲線の傾きが、需要曲線は右下がり(価格が下がれば需要は増加する)で、供給曲線は右上がり(価格が上がれば供給量は増加する)であるもの。
*22)ヴィルフレド・パレート(1848-1923)パリ生まれのイタリア人。経済学者、社会学者、哲学者。ワルラスの影響から経済学の研究に入り、その研究実績が認められ、1893年にワルラスの後任としてローザンヌ大学で経済学講座の教授に任命された。経済学における一般均衡理論(ローザンヌ学派)の発展に貢献し、さらに厚生経済学(経済全体における分配の効率性と、その結果としての所得分配(所得分布)を分析する経済学の基礎的分野)という新たな経済学の分野を開拓した。

本稿は、多和田眞編著「経済学講義」(株)中央経済社 平成3年(1991年)刊、吹春俊隆著「経済学入門」新世社2004年刊および伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊などを参考にしています。
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経済学のすすめ5

2011年06月13日 | Weblog
市場均衡と価格弾力性

 価格と数量のマトリックスにおける需要曲線と供給曲線の有り様を見るとき、需要曲線や供給曲線の傾き(価格に対する弾力性の大小)や、両曲線の交点すなわち市場均衡がどのように達成されてゆくかの疑問に突き当たる。まず価格弾力性について考えてみる。

 ここで弾力性とは、例えば需要が価格によって大きく左右される場合を需要の価格弾力性が大きい(弾力的)という。逆は価格弾力性が小さい(非弾力的)。価格と数量のマトリックスでみれば、弾力性が大きい場合曲線は水平に近づき、逆では垂直に近くなる。生活に必須であり、かつ代替品もないような商品であれば、価格に関わらず買わずにおれないため、価格が高くなっても需要はそれほど落ちない(非弾力的=曲線は垂直に近くなっている)。このような場合、供給サイドから見れば、需要と供給の均衡状態から供給量を少し下げただけ(供給曲線の上方シフト)で均衡する価格は急に高くなる。

 この事例*17)が、1970年代に起こったオイルショックで、当時原油は化学品原料としても燃料としてもふんだんに使われ*18)、省エネとか省資源の意識が小さかった時代であったため、需要の価格弾力性が非常に小さかったといえる。このためOPEC(石油輸出機構)の協調した減産方針が原油価格を高騰させることになった。

 ところが、十年後OPECが同様の減産をしても、価格の上昇は小幅なものに留まった。OPEC内部で誰かが抜け駆けの増産をしたのではないかとの疑念を生じて、協調減産は崩壊した。各国の原油使用に対する意識がシビアになり、省エネや代替エネルギー(原子力発電など)の開発も進んだことで、原油需要に対する価格弾力性は大きくなっていた(需要曲線は水平に近づく)のだ。すなわち安ければ買うけれど、高くなれば買い控えることになり、供給量を下げて供給曲線を上方シフトさせても価格上昇は小幅に留まったわけである。これは「需要と供給の長期的弾力化」といわれる。





*17)吹春俊隆著「経済学入門」新世社2004年刊「市場の弾力性とオイルショック」を参考にしています。
*18)日本の原油輸入量は1965年、8700万キロリットルから1969年には1億7500万キロリットル、1973年には2億8800万キロリットル(2005年輸入量より少し多いレベル)へと増大していた。日本経済は、著しい石油依存・石油多消費型の体質になっていた。「エコノミスト戦後日本経済史」毎日新聞社1993年刊
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経済学のすすめ4

2011年06月10日 | Weblog
需要と供給

 一般の経済学の本は、その内容を「需要と供給」から始めることが多い。近代経済学にいうミクロ経済学*11)の初章となる。ミクロ経済学を学んだ後、マクロ経済学*12)に進む。なぜここから始めるのか。私たちは個人で完全に自給自足の生活を送ることはできない。得意な分野に特化して社会に財(物やサービス)を提供し、得られた報酬から必要な財(物やサービス)を購入する。ここに経済活動の始まりがある以上、このメカニズムの考察から始めるのは至極当然に思える。

 至極当然と思えることも、根拠を考察してみると面白い。実は科学としての経済学は1867年にその第1巻が出たマルクス*13)の「資本論」によってはじめて確立されたといわれている。マルクスにとって経済学は人間解放ないしはプロレタリア開放の経済学を意味していた。そして資本論の課題は、資本主義社会の経済的運動法則を明らかにすることであった。その法則とは、資本主義社会では、社会存続の根本条件が、商品という形態、すなわち需要と供給との関係で日々やまない価格によって実現されている*14)ことである。だから、資本主義社会の秩序は、この価格の動きを中心に成り立っており、経済学では価格の問題あるいは価値論が古くから重要視されてきた理由もそこにある。経済学をその根底から学ぶために、この価格の動きを決める需要と供給の関係をまず知ることから始めるのである。

 経済学では、その説明に頻繁に図が用いられる。複雑な変動要因から代表的な2つのパラメータを取りだし、他の条件は一定としてシンプルな図でその動きを捉えることは経済学に限らずよくやる手法ではある。需要(demand)と供給(supply)の関係においては、縦軸に価格を取り、横軸には数量を取る。ここで需要線は通常右下がりの曲線となり、供給曲線は右上がりとなる。その交点が均衡点と呼ばれる。

 消費者は価格が高ければ余り買えないが、価格が下がってくれば好きなだけ買えるようになる。一方生産者は価格が低ければ余り供給しようとせず、価格が十分高ければどんどん供給しようとするからである。この単純と考えられる法則がなぜ経済学にとって重要なのか。

 単純に思える需要と供給の関係であるが、ここには経営学に与える様々な影響が隠されている。まず、ある一つの商品を考えて需要と供給の関係を見た場合、その曲線をいろいろにシフトさせる要因に思い当たる。例えば、消費者全体の購買能力の高まり、すなわち所得の向上があった場合は、少しくらい高くても買うかも知れず、逆にその商品よりももっと高級な物を買うようになって当該商品の需要は落ちる*15)かも知れない。消費者の所得が下がった場合は逆の傾向になることは当然であろう。当然代替品の品質向上や価格変動、生産者の生産技術の向上もシフト要因となる。

 日本では、昭和から平成に元号が変わる頃、猛烈な経済バブルがあった。土地は高騰し、プレーもしない人までがゴルフの会員権に手を出した。国も年金の積立金を使ってリゾート建設に手を貸した。その後どうなったか。すべて供給過剰が残った。騰貴した商品は急速に値下がりし、投資は焦げ付き不良債権が残った。現在の構造不況業種と言われる旅館やホテル業の多くは当時大幅に別館建設などで部屋数を拡大させたからこそ、今もその後遺症に苦しむ。大手のスーパーマーケットも百貨店も拡大路線の失敗から倒産した*16)。

 需要と供給の関係は単純でありながら、かくも経済に与えるインパクトが大きいといえる。
 





*11)企業なり、消費者なり個々の経済主体を取り上げ、その経済行為に即して経済理論を展開する。
*12)「家計や企業といった個別的な経済主体の行動を考察するのがミクロ経済学であったが、これに対して個々の経済主体の集合としての経済全体(たとえば一国全体)の経済活動を分析の対象とする経済学をマクロ経済学という」。多和田眞編著「経済学講義」(株)中央経済社 平成3年(1991年)刊
*13)K.マルクス(1818-1883)ドイツのライン州トリエル生まれ。ボン、ベルリン大学に大学に学ぶ。1841年イエナ大学からギリシャ哲学に関する論文で哲学博士学位を得る。
*14)一方、社会主義社会での社会存続条件が事前的に決定された計画化によって意識的に実現される。
*15)劣等財あるいは下級財。所得の増加によってその需要量が減少する財。多和田眞編著「経済学講義」(株)中央経済社 平成3年(1991年)刊
*16)清算したわけではなく再建され、資本はかなり入れ替わっているが、現在も昔の名前で営業している。このような大手企業の再建では、銀行等の債権者の大幅な債権放棄があるのが一般的。拡大路線に手を貸した金融機関にも当然の責任があるからその放棄は仕方がないこともあるし、清算して得られる債権回収額より再建後に得られる回収額を多いとみる経済的判断による。今回の東電の問題は事情が異なるため、政府の債権放棄要求に金融機関は反発している。

本稿は、伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊
を参考にしています。
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経済学のすすめ3

2011年06月07日 | Weblog
経済学の効用

 ここまで主に、伊東光晴先生と佐藤金三郎先生の共著「経済学のすすめ」を基に話をしている。この本は1968年(昭和43年)5月に初版本が出たもので、定価420円。昭和43年というと、団塊の世代が大学生の時代。全共闘*9)が生まれた年にあたる。一方当時世界では、ベトナム戦争や米ソの宇宙開発競争たけなわで、自由と民主主義の米国と社会主義のソビエト連邦の対立が際立った時期でもある。

 従って、この経済本もその両者の体制の違いからくる経済政策の相違が多くのところで焦点となる。例えば、経済学的捉え方と技術的捉え方に関して、『社会主義のソ連では当初、新しい技術を採用する場合、その技術が投下した資金額のわりに効率的であるかどうかという、経済的考察(フィルター)が資金を国が提供しているために掛からなくなっていた。製品一個当たりの原材料費や賃金費用だけが問題視されていたのだ』。ここらあたり、我が国の原子力発電所建設にもいえるかもしれない。廃棄物の最終処理費用など考慮すると、必ずしも他の発電方法より安いとはいえないが、国策として進めた感がある。

 『いかに膨大な資金が掛っても技術が進歩するなら採用するという技術的な視点がそのまま現実化し、ソ連には当時、世界一の発電所、世界一の工場、世界一の何々というものをどんどん作った。たしかにこれによって経済は発展したが、新しい生産設備がほんとうに効率的なのかを測るものさしがなかった*10)ために、発展しながら徐々に非合理的なものが累積された』。

 このような傾向は、現代の一般企業にもないとは言えない。将来に亘る売上高見込みなど確実性はないし、競合他社との関わりにおいては競争力のある最新機器の導入は急がれるという意識など、不安定要素や感情論が加わっているにしても、投資にかかる経済性分析を行って結論付けたものならまだしも、当面の資金があるというだけで、実力以上の最新装置を導入することは失敗のリスクを高める。初めから完全自動化よりも、当面部分的には人間が作業した方がいいケースもある。

 「経済学のすすめ」の著者は、戦後の日本政府の中小企業政策も事例としてあげ、資金力の弱い中小企業を助けるというヒューマニスティックな心が、経済の理論から、逆に中小企業を苦境におとしいれるという逆の結果になることがあることを指摘している。『労働者の賃金の低い時代は、高価な最新機器を導入するより、古い機械で生産した方が利潤率は高くなる。そこに容易に資金援助を行うと、前近代的な機械が増えて中小企業間の競争が激化し、製品価格は下がり経済的苦境は却ってひどくなる。ところが、経済発展によって労働者の賃金が上昇してくると、近代的な機械で効率的に生産する必要が生じる。このような機に中小企業向け融資をすることである』。・・・

 『思想、哲学、そのほかにおいて学んだりっぱな心、それをほんとうに現実化するためにはもう一つの論理が必要であり、そこに経済学の重要性が位置している』。






*9)全学共闘会議のこと。1968年から1969年にかけて各大学で結成された学生自治会の連合会。激しい暴力闘争(国家の暴力装置に対抗との解釈がある)と、その後の内ゲバなど社会の耳目を集めた。自衛隊を国家の暴力装置と呼ぶ政治家がいるのは、彼らが当時のシッポを残していることを意味する。
*10)『1960年代に入ってソ連では、新しい経済改革において利潤率の導入を行っている』。とある。

本稿は、伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊を参考にし、『 』内に引用し、編集しています。
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経済学のすすめ2

2011年06月04日 | Weblog
経済学とは

 『イギリスにおいて産業革命が起こり、経済学(古典派)は道徳哲学から独立して発展は始めるものの、19世紀の後半まで、なお学問の世界では独立した地位を確立していない。前稿に上げた、近代経済学を築いたアルフレッド・マーシャルが1870年代にケンブリッジの初代経済学部教授に就任*5)し、同校で1903年に経済学優等試験が設立された時を持って経済学が市民権を得た』と、伊東光晴先生、佐藤金三郎先生共著「経済学のすすめ」にある。非常に新しい学問であることは確かだ。

 では、経済学とは何か。「経済学とは、希少な資源*6)の配分を供給側と需要側の問題の組合せとして研究する学問である」と古い診断士の経済学のテキストにある。また先の「経済学のすすめ」で著者は、「経済学は法則科学である」と言う。『社会科学の中で法則的展開が可能な学問は、経済学ただ一つであります。このことが経済学を主要な科学にしているのです。なんとなれば、そのために経済学は他の社会科学と違って、自然科学に近い学問だということができるからです』。さらにマーシャルに次いで二代目のケンブリッジの教授に就いたA.・C・ピグー(1877-1959)*7)の著書*8)から次の言葉を引用している。

 『アダム・スミスの時代からこの方、イギリスの経済学者たちは、平常状態における経済過程の運行を研究してきた。彼らが観察したのは、無数に多くの人々からなる一国民が、何らかの計画的に作り上げられた一個の巨大な組織の結果ではなく、いわんや、各個人や世帯が自己の必要とするものを直接に調達しようとする個々別々な努力によってではなく、私的貨幣利潤の動機をめぐって打ち立てられた、異常に込み入った相互交換のシステムによって衣食住と娯楽を絶え間なく供給されるということである。・・・ この奇跡の神秘を探ること、すなわちいかにしてそれは運転するのか、そのメカニズムは正しくどのようなものであるのか、またこのメカニズムの背後にある人間の力がいかにそれを指導し統制するかを理解すること、これこそ有能な人々の生涯をささげた課題である。』

 そして、これまで多くの賢者が、この社会的法則の一部を見出し理解し、定義し公式化した事で、経済現象の分析や予測に役立ててきた。しかし、経済現象はあまりに多くの変動要因に支配されているため、その予測が必ずしも的確であるとは限らないけれど、経済の仕組み(経済学)を知ることは政治家や企業経営者、経営コンサルタント、投資家などにとっては特に重要であり、家計を預かる主婦まで一般国民にとっても必要なことであろう。しかしながら、『金儲けをするために経済学を学ぶのではない。イギリスの19世紀半ば以後、イギリスにとってかってない繁栄の時代に、なぜ一方においてイーストエンド(ロンドン貧民街)のような貧乏が生まれているのか。この問題を解くことこそが経済学の問題であるということであった』。と「経済学のすすめ」の著者は言う。

 『ピグーが経済の正常状態に視点を当てたのに対し、マルクス(1818-1883)は、この経済が不均衡を生み、やがて恐慌という破局を経ることなしには調整できなくなる病を持っており、しかもそれは周期性を持っているところに法則を見出そうとした。「生産力の発展が生産力を破壊する」、国家の統制による計画経済こそ働く者にとって理想の社会になると考えた』。

 経済に対するスタンスが国家の政治形態にさえ決定的な影響を与え、その対立が長く世界を覆った。経済に対する国家の過度の関与は、人間本来の自由な活動や所有の欲望を押さえつけることになり、1989年11月東西対立の象徴であったベルリンの壁の破壊により一応の決着をみた。しかし、資本主義の成長、拡大志向は資源と市場を求めて他国の領分を侵すことに為りかねず、国家間の武力紛争にまで発展する恐れもあることには今も注意が必要となる。
 








*5)彼の就任のときに言った言葉は「冷静な頭脳とあたたかき心“cool head but warm heart”を持って」であった。
*6)「財やサービスは、人間の欲望を満たすほど十分に存在しない場合、稀少であるといわれる」西村和雄他著「早わかり経済学入門」東洋経済社1997年刊
*7)イギリスの経済学者。ピグー効果(資産効果)やピグー税などが有名である。
*8)「厚生経済学」The Economics of Welfare, 1ed, 1920. 4th, 1932. 永田清監訳、東洋経済

本稿は、伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊を中心に、中小企業診断士テキスト日本マンパワー社版「経済学・経済政策」を一部参考にしています。
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経済学のすすめ1

2011年06月01日 | Weblog
経済学の起こり

 西洋史における『中世(5~15世紀)の学問は、哲学、法学、医学、神学の4つであった。経済学はまずイギリスに起こるが、経済学の流れは、4つの学問のうち哲学から分かれて成立してきたと言われている。経済学の祖は「(神の)見えざる手」(国富論)*1)で有名なアダム・スミス(1723-1790)だが、彼はイギリスのグラスゴー大学の倫理学そして道徳哲学の教授であり、その影響下から経済学に進んだ。またケンブリッジにおいて近代経済学を築いたアルフレッド・マーシャル(1842-1924)*2)でさえ、倫理学、道徳哲学の影響下から経済学に進んでいる。一方ドイツの経済学は法学から生まれたといわれ、経済学におけるオーストリア学派(限界効用学派)の祖、カール・メンガー(1840-1921)*3)はウィーン大学で法律を学んだ人であったし、20世紀前半を代表する経済学者の一人シュンペーター(1883-1950)はウィーン大学で経済学と法律学を学んでいる』。

 著名な学者の名が挙がる中でも、シュンペーターは中小企業診断士受験を経験した者なら誰でも知っている。以前(平成13年~17年)の診断士の一次試験は8科目あり、現在は企業経営理論に吸収された「新規事業開発」という科目があった。その教科書にまず登場するのが、このシュンペーターである。

 シュンペーターはイノベーション(革新)を重視した経済理論を確立した。すなわち市場経済はそのままでは均衡状態となり沈滞する。そこでは企業利潤は上がらない。「郵便馬車をいくらつなげても鉄道にはならない」のだ、企業家(アントレプレナー)*4)は常に創造的破壊によってイノベーションを続けなければならない。と説いた。

 すなわち、企業活動に身近で重要な学問である経済学であるが、過去の現象に理論的考察を加えて体系化するだけでなく、そこを基点に経営学にまで踏み込んだところにシュンペーターの偉大さがあると思う。シュンペーターの「新結合」の5類型は、まさに現在国や県の中小企業支援機関で推進している「経営革新計画」の考え方の基盤となったものではないか。それは、

 1.新しい財貨(新製品、新品質)の生産
 2.新しい生産方法の導入
 3.新しい販売先の開拓
 4.新しい仕入先の獲得
 5.新しい組織の実現(創出)

である。

 また、シュンペーターの理論を支持した経営学者に、あまりに有名なP.F.ドラッカーがおり、「イノベーション」といえば二人の名前があがる。

 主題から逸れた。経済学の話に戻る。『法学から生まれたドイツの経済学は、「経済学とは何か」や「経済現象の本質」などの定義を重んじ、一方哲学から分かれたイギリスの経済学は経済現象の変化の原因・結果の分析を重視したといわれる』。だから何なのと言われても困るが、先進国間の取り組みの異なりがその多様性を生んだということではあろう。

 『イギリスにおけるアダム・スミスの時代、まさに産業革命が起こる。そこを境に人類のエネルギー消費量は急速に増大を始める。すなわち、経済生活が飛躍的な発展を遂げる。それは、基本的に共同体の中で生活が支えられていた産業革命以前と異なり、共同体によりかかって生きてこれた人々が、自由ではあるが自らの足で立たねばならない厳しさを持つ市民社会に変化した』。資本主義の誕生である。そこに経済学が生まれた。









 
*1)個人による自分自身の利益の追求が、その意図せざる結果として社会公共の利益をはるかに有効に増進させるというもの
*2)イギリスの経済学者。需要と供給の理論である限界効用と生産費用の理論をまとめあげた。市場における需要と供給のマーシャル的調整過程は有名である。ケインズやピグーを育てた。
*3)ワルラスらと共に限界効用論の創始者。近代経済学の創始者の一人。
*4)シュンペーターによる企業家(起業家)の定義は、「新製品を導入したり、組織の新たな形を創造したり、あるいは新素材を開発したりすることによって、既存の経済秩序を打ち破っていく人である」

本稿は、『 』内について伊東光晴、佐藤金三郎共著「経済学のすすめ」筑波書房1968年刊から引用し編集。他、中小企業診断士テキストU-CAN、TAC、日本マンパワー各社版「新規事業開発」または「企業経営理論」を一部参考にしています。


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