中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

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マーケティングの今を考える7

2009年02月26日 | Weblog
商品開発
 昨年のヒット商品ランキング*9)の上位は、任天堂のウィーフィットや米アップル社のアイフォーン、英スピード社のレーザー・レーサーなどが入っているが、これらは最先端技術を応用して、研究に研究を重ねて完成させたものであろう。やはり新規性があり高性能な物はヒットする。

ただ、趣向性の強い商品は一時的に爆発的に売り上げても、急速に見向きもされなくなる場合があり、これが「ファッド(Fads)」と呼ばれる現象である。しっかりとした流行が「ファッション」であり、それがさらに継続すれば日常生活や社会活動に取り込まれた「スタイル」となる。自社の製品・商品が顧客の生活スタイルに空気のように取り込まれることがマーケティングの目標となる。しかし製品にも寿命があり、いつかは市場から消えてゆく運命にある。これをPLC(プロダクト・ライフサイクル)という。PLCは導入期・成長期・成就期・衰退期から成り、その段階に応じたマーケティングが必要であるが、いずれ消えてゆく運命の為、常に代わりうる新たな商品開発が必要なのである。

 また例えば現代ではすでに先端技術と言えなくとも、テレビがなぜ映るのかを正確に説明できる人は少ないであろう。身の回りの製品・商品には、それぞれ専門の技術者でなければその開発競争に参画さえできない物が多い。だからといってハイテク商品開発は大企業だけの独占領域ではない。それはニッチと呼ばれても、日本の中小製造業の中には、人工衛星を飛ばすまでの技術を持つところもある。

しかし、マーケティングにおける商品開発は、一部の人にしか対応できないような、高度な技術競争だけで成り立つわけでもない。

 「ティーバック糸の長さが絶妙と改めて思う機嫌よき朝」。これは日本経済新聞の日曜歌壇に入選された、横須賀市の丹羽利一氏の短歌作品である。勝手ながら引用させていただいた。紅茶などのティーバックは、どこにでもあって、ほとんどの利用者は、何気なく使っていることであろう。しかし、商品を提供する側は、顧客の使い勝手に配慮し、糸の長さも細かく検討し、また見直ししながら改善を加えて来たことであろう。主役はお茶の味ではあろうけれど、周辺の脇役機能たちがしっかりと脇を固めて、良き商品としてマーケティングに貢献する。その開発者たちの苦労に敬意を表して、機嫌の良い朝がさらに爽やかに感じるような、繊細で奥深い日本人の心が品質を支えていく。

 *9)日経ビジネス2008年12月15日号
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マーケティングの今を考える6

2009年02月23日 | Weblog
地産地消
 地方経済の衰退が言われて久しいが、新たな取り組みによって活況を呈する商店街や地場企業もある。中小企業白書などにもいろんな成功事例が紹介されているけれど、420万社といわれる中小企業の極(ごく)一部に過ぎないのかもしれない。

 ついでながら中小企業とは、中小企業基本法において次のように定義されている。 
    業種分類      定義
  製造業その他   資本金3億円以下 又は 従業者数300人以下
  卸売業       資本金1億円以下 又は 従業者数100人以下
  小売業       資本金5千万円以下 又は 従業者数50人以下
  サービス業      資本金5千万円以下 又は 従業員数100人以下

 また、小規模企業者の定義は、   
  製造業その他 従業員20人以下 
  商業サービス業 従業員5人以下

となっているが、全企業の99.7%は中小企業であり、小規模企業は全企業の87%を占め約360万社*7)ある。中小企業や小規模企業に該当することは、国・都道府県や市町村の各種中小企業支援施策の対象となる。最近の「農工商連携」支援などは、国の地域中小企業の活性化支援の目玉である。

 「地産地消」は地域生産地域消費の略語で、1980年代に誕生した。最近富に聞くようになったのは、やはり食の安全が強く意識されるようになったためのように思う。

 「地産地消」は地方の特産品強化につながり、それを全国にアピール出来るベースともなる。今や大手デパートの人寄せの主役は、地方物産展になっている。また、インターネットでの取り組みは以前からあるけれど、先般東京で開催された「世界料理サミット」*8)なども通じて、地方の食材を全世界にアピールする時代である。日本の誇る山海の美味が、世界の人々の豊かな食生活と健康に一層貢献できることが期待できる。

 「特産品強化」は地場産業やその町並み保存にもつながり、観光資源に磨きをかけることにもつながる。日本の地方の文化が海外にも発信され、海外からの観光客誘致に貢献する。地方のホテルや旅館で、外人観光客向けの熱心な取り組みがテレビでよく紹介されるようになった。

 因みに千葉県では「千産千消」と捩(もじ)って、豊かな食材とそれらを活用した食品の製造販売が好評である。ビジネスチャンスは地方にこそ多い。

*7)2008年版中小企業白書(中小企業庁)/(株)ぎょうせい 2006年度統計
*8)2009年2月9日-11日 東京国際フォーラムにて開催された
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マーケティングの今を考える5

2009年02月20日 | Weblog
大量消費時代の終焉
 2008年12月19日の日本経済新聞に「コンビニ、百貨店抜く」という記事があった。この時点で百貨店は9ヶ月連続前年割れ、一方コンビニは、16ヶ月連続前年を上回る売上げを記録している。

昨年12月8日号の日経ビジネスの表紙に「イオンの誤算」というタイトルが、岐阜県大垣市に’07年4月開業した120の専門店を持つイオンショッピングセンターの写真と共に掲載された。実はイオンは、関東地方にも埼玉県越谷市に昨年10月さらにビッグなショッピングセンターをグランドオープンさせている。東京ドーム5個分の広さ565の店舗を持つ国内最大級のショッピングセンターである。私は昨秋、商工会議所の研修会に参加して見てきたが、田園風景の中、大きな商店街をビルの中に納めた感じだ。しかし今、イオンの郊外出店事業モデルの危機が言われる。*6)

イオンの郊外型ショッピングセンターモデルは、「本来の小売業」、「イオンクレジットの金融事業」、それと「テナント賃料を得る不動産事業」の3本柱で成り立っている。しかし、現在収益構造がテナント賃料収入に偏っており、空き店舗が増えると途端に苦しくなる。また出店に次ぐ出店で、バランスシートが肥大化し、有利子負債も多くなっている。そこにもってきて、「まちづくり3法」の改正や「貸金業法」の改正に加えて、この「世界同時不況」のトリプルパンチを食らったわけだ。(この項、日経ビジネス2008年12月8日号参照)

国内は少子化・高齢化・人口減に向かい、消費者は、いい物を必要な時に必要なだけという傾向にある。また環境・資源の問題もあって、大量消費時代の終焉が言われているときにこの景気後退である。大規模店舗はいずこも売上減少に苦しむことになってしまった。

私は市内のお店を歩いてみる。地元の大手スーパーはウイークデーの午前中にもレジには行列ができている。ここでは消費の冷え込みを感じない。そういえば今年2月2日号の日経ビジネスには、「セブン&アイ・ホールディングス」の種々の取り組みが紹介されていた。『過去の体験から抜け切れていないところに問題があるんです。・・・変わらなくちゃいけない、新しいものを作ればいいじゃないか、と言われたって、そんなに変われるもんじゃない。・・・だから、過去を全部忘れて新しいものを打ち出していかなくちゃいかん。商品も販売も陳列も、全部変わっていかなくちゃいかん。消費が飽和の状態だと言いながら、人間の欲望は無限なんですよ。だからそこに新しいものを打ち出していけばいい。・・・』鈴木敏文会長の檄が功を奏しているようだ。

私はいつも利用する市内の家電量販店で買い物をする。ここもそこそこお客さんが入っている。レジで店員さんにこの大不況の影響を聞いてみた。「この店はそれほど売り上げは落ちていません。全社的には影響が出ているようですが。」と答えてくれた。帰り道、市内先駆の家電量販店の「完全閉店セール」との立て札を目にした。

 *6)2月19日の日本経済新聞1面で「イオン7施設凍結・延期」(消費不振受け拡大路線を転換)が発表された。
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マーケティングの今を考える4

2009年02月17日 | Weblog
顧客シェア
「強いものが生き残るのではない。環境に適応したものが生き残るのだ」とは、今や誰もが唱えるけれど、どう適応させるのかの命題に応え、それを実行することは難しい。企業規模に係わらず、経営トップの洞察力と決断力、やり抜くための強い意志が問われる。 

 昨年11月17日の日経ビジネスの記事から資生堂の取り組みを診る。資生堂は「一人ひとりのお客様の最高の美しさを実現し、心も豊かになっていただくこと」というコンセプトを実現するために、’06年4月にビューティーコンサルタント、すなわち美容部員の販売ノルマを撤廃した。伴って昨年には営業社員も売上げでの評価を廃止した。「売上げノルマ達成が自己目的化したような手法で積み上げた売上げは、将来の成長を何ら保障しない」という前田社長の信念に基づく変革である。

 化粧品市場は1兆5000億円と言われているが、人口減少時代、当然市場は縮小してゆく。「1人のお客さまの満足度を高め、生涯付き合っていただけるよう100%お客さま志向の会社に生まれ変わらないといけない」。美容部員の頭に「ノルマ」がよぎれば、顧客は商売くささを嗅ぎ取って売り場から足が遠のく。  

すなわち、ここで資生堂が目指したものは「顧客シェア」の拡大であり、「顧客シェアの拡大」は、ブランドロイヤルティすなわち顧客満足を通じて自社や自社商品への「ファン」、を増やすことで達成される。これも近年盛んに言われているけれど、そのための方策が難しい。単なるポイントカードや会員特典のようなテクニックだけでは十分な囲い込みは難しい。成長する企業はその困難さを乗り越えてゆく。

 資生堂はここ数年右肩上がりの増収増益を続けていたが、この3月期決算予測では流石に売上高で3%、営業利益で10%の減収減益を見込んでいる。国内で主力の中価格品が落ち込み、新ブランド投入で伸びを見込んだ高価格品が振るわなかった。*5)

「逆風の中でもヨットは前進する。顧客との絆を深めれば成果は出る」と前田社長は述べられているけれど、長期的な視野に立った施策を展開する企業の今後の成果に期待したい。

 *5)日本経済新聞2009年2月6日「化粧品3社が営業減益」<今期、低価格志向強まる>
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マーケティングの今を考える3

2009年02月14日 | Weblog
鮮度を保つ
 鮮度が必要なのは、生鮮食料品に限らない。少し古い話になるけれど、「全てはお客さまの『うまい!』のために」を合言葉に「フレッシュマネジメント」に取り組んだアサヒビールのマーケティング戦略がある。工場でつくられてからビールが店頭に並ぶまで、11日から12日かかっていたものを「7日以内」にするというものでった。工場を出るまでに5日を要するため、物流には2日しか割けない。情報インフラの整備や流通を巻き込むサプライチェーンマネジメント*2)も必要であった。*3)

 アサヒビールは、1987年に新発売した「アサヒスーパードライ」の大ヒットで、10%を切っていたシェアを一気に20%台へと伸長させた。しかし、その後に出した新製品の売れ行きが悪かったこと、ライバルの「キリンビール」の必死の巻き返しもあって、90年代の前半、シェアは停滞していた。その時機に社長に就任した瀬戸氏が、「スーパードライ」の実力を信じ、経営資源を『スーパードライ』1本に集中して採られた戦略でもあった。

 そしてアサヒビールは、98年にシェア39.5%を記録。キリンビールの38.4%を上回ってトップに輝いた。*3)

 鮮度が必要なのは、商品に限らない。企業そのものの鮮度が必要である。この大不況の中、去る2月6日(金)の日本経済新聞に、「純利益最高に」<今期上方修正し41%増>という見出しが躍った。「東京ディズニーリゾート」を運営するオリエンタルランドである。売上高は13%増しの3,852億円、年間の入場者数は7%増しの2,710万人の見込みで勿論過去最高となる。

 「レジャーランドは、一度開業したら場所を変えられない制約がある。従ってその成否はリピーターをどれだけ集められるかに尽きる。」常に「新鮮さ」を保つ必要があるのだ。ディズニーランドのアトラクションは開業以来18追加され、ディズニーシーでもすでに3つ追加している。さらに昨年は「シルク・ドゥ・ソレイユ」(太陽のサーカス)を誘致、シルク専用の常設劇場を東京ディズニーリゾート内に設置した。オリエンタルランドには、「永遠に完成しない」というウォルト・ディズニーの哲学があった。*4)

「世界が変われば企業も変わらねばならない」。生き(粋)のいい会社であり続けなくてはならない。これはどんな企業にも当て嵌まる存続要件である。

 *2)取引先との間の受発注、原材料の調達、在庫、生産、配送などをITを活用して統合的に管理、効率化する経営管理手法。SCMと呼ばれる。
 *3)「アサヒビールの経営戦略」西村晃著 たちばな出版1999年
   「アサヒビール成功する企業風土」宮元紘太郎著 祥伝社2002年
 *4)日経ビジネス2008年11月17日号
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マーケティングの今を考える2

2009年02月11日 | Weblog
価格戦略
 先日、NHKテレビの「特報首都圏」を興味深く観た。雑誌全体の売り上げが、過去のピーク時の7割程度まで落ち込み、伴って広告収入も減少するため、雑誌社は軒並み経営がピンチとのことである。ひとつにはやはりインターネットの普及が大きな要因となっているようだ。広告料はすでにネット広告が、雑誌広告を上回った。

 そんな中でも健闘している雑誌社がある。社長さんは、雑誌の企画会議を従来の企画部員だけで行わずに、営業担当者等も参加させるようにしたらしい。営業マンの中に、働きながら大学院でマーケティングを学んでいた女性が居た。彼女は、学んだ知識から「需要の価格弾力性」に着目し、既存雑誌の価格引下げを提案する。これが採用された。

 例えば950円で販売していた雑誌を、内容はそのままに650円で販売するようにしたわけである。途端に売り上げが向上し、広告収入の増加と相俟って、最終的に利益が向上した。社長による企画会議の変革が功を奏した格好ともなったわけである。

「知は力なり」と言われるけれど、価格戦略において、需要の価格弾力性を考慮することは当然と思われる。しかし、業界によっては当然と思われることが新鮮な方策になることを、この話から知らされるのである。

 もっともこの出版社においても、当該雑誌の初期の発売時には諸々の状況を十分勘案して価格を決定したと思われる。ただ、その後の市場動向の変化を価格に転嫁する発想がなかったのであろう。

 現下の大不況で、この3月期決算予測は大企業も軒並み大赤字。そんな中、日本マクドナルドが高収益をあげているけれど、これは徹底した低価格戦略が功を奏したもの。ホンダは189万円のハイブリッド乗用車を出した。物の値段は何でも安ければたくさん売れるというものではないが、常に市場の変化と競合や代替品の状況を捉えた価格戦略が必要である。
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マーケティングの今を考える1

2009年02月08日 | Weblog
顧客満足
 商売の基本は何と言ってもお客さまに購入していただいた商品を、気に入っていただき満足して貰うことだ。しかし、折角の優れた商品もお客さまの目に止まらず、仮に目についたとしても関心を寄せて貰えず、関心を持って貰ったけれど値段の問題や店員の対応、またはアフターサービスなどの問題から、結局購入して貰えなければ仕方がない。

 いかにお客さまに喜こばれるような製品・商品(Product)を開発し、流通(Place)を通して、適正な価格(Price)で、お客さまにアピールして(Promotion)購入していただくか、これが4Pといわれるマーケティング要素であり、これらの効率の良い組み合わせによって拡販できる仕組み作りがマーケティングである。目的はお客さまに喜んで貰うこと。それによって企業が適正な利潤を得ることにある。

 この「顧客満足」という課題に、現在の企業はどのように取り組んでいるか。
日経ビジネスの昨年11月10日号に、巨大流通業に成長したJR東日本3社が紹介されていた。その中の新宿駅ビルなどを展開する「ルミネ」の場合は、「従業員満足」を得ることで、自動的に顧客満足につながると考えたとある。

 「ルミネ」は、この「従業員満足」を得るために、従業員の休憩所を充実したり、その年の最も優れた販売員<ルミネスト>選出イベントを盛大に行うようにした。さらに販売員教育を徹底するとともに、その成果を確認するために、年1回は覆面調査を行い、販売員の接客態度に目を光らせたとある。すなわち、施策のPDCAをしっかりまわしているのだ。

サービス業においては従来から「インターナルマーケティング」すなわち、組織の内部で働く人々の満足に配慮した仕組みづくりの重要性が言われる。小売業においても顧客と直接接するのは販売員であり、その態度如何で売上げは左右される。そこに目を付けた経営者の慧眼と実行力が成功をもたらせた。

 サービス研究の先駆者T.レビットは「本来、サービス業というものは存在しない・・・すべての事業はサービス業である。サービスの要素が他の産業より大きいか小さいかという程度である。サービスを必要としない人など存在しない」*1)と言っているけれど、これは1969年、すなわち40年も前に言われたことだ。

 思えば製造業にあっても、物づくりに携わる人々の働く喜び、製品に対する熱い思いがなければ、いい品質の製品ができるわけがない。不況が来れば真っ先に契約社員を解雇する経営者は、今後もいい製品を作り続け、お客さまに喜んでいただこうという気持ちはないのであろう。

*1)明治大学リバティー・アカデミー「実践マーケティング戦略セミナー」より
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読書紀行12

2009年02月04日 | Weblog
本を楽しむ
 同期の本好きの友人から「山本周五郎はいい。」と随分薦められた時期があったけれど、若い頃(20歳代)の私はいわゆる大衆小説にはほとんど興味がなかった。限られた時間に本を読むなら、少しでも読んで糧になるものを読みたいと思っていたのだ。思えば大衆小説こそ人生の機微が詰まっていて、当時の私は随分と思い違いをしていたのだけれど、多少背伸びしながらも若い頃に読んだ本は、私に人生の土台のようなものを与えてくれたような気がする。順序としては良かったと思っている。

 先日の読売新聞の夕刊のコラム(よみうり寸評)に、江戸後期の儒学者・佐藤一斎の語録「言志四録」にある言葉として、『少にして学べば壮にして為す。壮にして学べば老いて衰えず。老いて学べば死して朽ちず』と紹介されていたが、学ぶことに遅すぎることはないとの意味でもあろう。

 山本周五郎(1903-1967)、山岡壮八(1907-1978) 、池波正太郎(1923-1990)、藤沢周平(1927-1997)など昭和を駆け抜けた名人作家の作品に親しんだのは、ここ数年のことになった。池波正太郎の代表作「鬼平犯科帳」は一昨年全24巻を一気に読んだ。掛け値なしに面白かった。それにしても他にも昭和の大作家は一杯居るし、名作はたくさんあるのだろうが、ほとんど読んでいない。もったいない気がしないでもない。辛うじて吉川英治(1892-1962)の「新書太閤記」全8巻は読んだ。

城山三郎(1927-2007)の「落日燃ゆ」、五木寛之「戒厳令の夜」、村上春樹の「ノルウェイの森」、石原慎太郎「弟」、加藤廣「信長の棺」や角田光代「八日目の蝉」など心に残る作品がある。浅田次郎の作品にも好きなものが多い。中でも「壬生義士伝」は最高だった。短編にもいいものが一杯ある。泣かせる物語が多いのだけれど、それぞれに救いがある。作者は意識してそれを用意している。人に対するやさしさがある。そこがいい。

このように優れた小説に恵まれ、文庫本など比較的安価に入手できる我々現代人は幸せだと思う。お金がなくてもどの地方にも立派な公立図書館がある。

 世界文学から読書の楽しさを知って半世紀近く、私の読書紀行は、文藝春秋2008年十二月号の立花隆氏*9)と佐藤優氏*10)の「21世紀図書館-必読の教養書200冊」にみごとに含まれていないものばかり*11)だけれど、本の楽しさを今、さらに新たに出来ていることが嬉しい。本ありて少し先に来る余生がまた楽しみである。

  *9)評論家
  *10)作家。元、外務事務官
  *11)佐藤氏の夏目漱石、五味川純平および三島由紀夫の三作のみ例外
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読書紀行11

2009年02月01日 | Weblog
司馬遼太郎
 司馬遼太郎(1923-1996)が亡くなってもうすぐ*6)13年になる。その存在感が大きかっただけに、そんなに経つとは思えない。

 『「竜馬がゆく」のラストで竜馬が若くして暗殺されます。「天に意思がある。としか、この若者の場合、おもえない。天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。」と優雅にセンチメンタルにといいますか、まことに情のこもった、他に例がないくらい灼熱した文章を書いていらっしゃいます。・・・日本の戦後の社会が健全さを取り戻すためには、どうしても司馬遼太郎が必要であった。司馬遼太郎が出現して、一個人の能力という点から考えても驚天動地の素晴らしい活躍をして、まだ、七十二歳という年に、天が司馬さんをまた呼び戻した。私はそういう印象を受けました。』司馬 先生が亡くなられた年に、谷沢永一氏がその著書「司馬遼太郎」PHP研究所 の中で、その急逝の悲報に接しての心境として、そう述べておられる。

司馬先生の本は、山口県での工場研究所時代に、職場の先輩から「竜馬がゆく」は絶対面白いからと薦められた記憶があるけれど、なぜか最初に読んだのは新潮文庫「関が原」(上・中・下巻)である。32、3歳の頃だ。確かに「現代日本文学館」にあるような文学と比べると読みやすく、面白かった。島左近なる武将も初めて知った。

 私は愛媛県で生まれ、就職した地、山口県でも長く過ごした。司馬先生の代表作である、「世に棲む日々」や「花神」は毛利藩(長州藩)すなわち山口県が舞台だし、「坂の上の雲」の主人公正岡子規や秋山兄弟は愛媛県松山市の生まれである。「この国のかたち」には松山城が松前(まさき)城であった話があるけれど、その松前城跡で子供の頃私は遊んでいた。竜馬にしても同じ四国、お隣の土佐の高知のお侍さんだ。浅からぬ縁があるというほどでもないけれど、司馬文学と無縁の生い立ちでもないのだ。

 「竜馬がゆく」は、結局千葉県の工場に転勤になった昭和58年になって読み始め、全6巻を数ヶ月で読み抜いていることは、当時の私にしては相当のスピードといえる。転勤前くらいから右目がおかしくなり始め、23歳の時に手術した左目だけで読んだことになる。父が倒れ、千葉から愛媛まで短期間に何回も往復したけれど、その移動の電車や船の中で読み次いだ因縁の小説ともなった。

 司馬遼太郎は私にとって、最も多くその作品を読んだ作家となるけれど、「翔ぶがごとく」、「菜の花の沖」、「梟の城」、「風神の門」、「北斗の人」、「空海の風景」、「最後の将軍」・・・と並べてみても、まだまだその作品群の一部でしかない。

 また、ドナルド・キーン氏*7)との対談本*8)に、司馬先生が書かれた「懐かしさ」と名づけられた「あとがき」の一節が印象的である。『キーンさんという人は、対座している最中において、こんにちの意味において懐かしい。このようなふしぎな思いを持たせる人は、ほかに思いあたらない。それほど、この人の魂は重い。そのくせ、ひとと対(むか)いあっているときは軽快で、この人の礼譲感覚がそうさせるのか、他者に重さを感じさせない。精神の温度が高いのか、たえず知的な泡立ちがある。・・・いい芸術に接しているようなものである。そのあたりも、キーンさんへの懐かしさの一つである。』人をこのように評することのできる司馬先生の精神の高邁さを思う。

  *6)命日は2月12日
  *7)日本文学研究者 文藝春秋2009年二月号巻頭随筆「勲章随想」執筆
  *8)「世界の中の日本」司馬遼太郎/ドナルド・キーン 中央公論社1992
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