中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

この国の風景20

2009年12月28日 | Weblog
武士道

 新渡戸稲造の「武士道」は1899年に英文で書かれた。キリスト教徒であった新渡戸は、西洋の歴史・文化にも精通しそれらの事例や思想を武士道と対応させて説明することで説得力を高めた。

『名誉は武士階級の義務と特権を重んじるように、幼時のころから教え込まれるサムライの特色をなすものであった。・・・人の名声、それは「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えはごく当然のことと思われた。その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。・・・カーライル*14)が「恥は、すべての徳、立派な行い、およびすぐれた道徳の土壌である」と述べたこととほとんど同じ文言を、孟子はすでにその数世紀前に教えていた*15)。』

 『・・・このように金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。このことがわが国の公務に携わる人びとが長い間堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である。だが惜しいかな。現代においては、なんと急速に金権政治がはびこってきたことか。』繰り返すけれどこれは1899年に書かれたものだ。

文藝春秋2004年5月号の名著入門に、藤原正彦先生の「新渡戸稲造『武士道』は魂の書」がある。その前年に公開されて話題となったアメリカ映画「ラストサムライ」の影響もあってか、この「武士道」が数社から合わせて百万部以上出ていたとあり、2004年当時の日本を藤原先生は、『グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学校から大学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのかというルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手に取らせているのだろう。』と述べている。

 そんなこんなが2009年に政権交代を生んだけれど、それなら現政権が武士道に少しでも近づいたかといえば、却って遥かに遠のいている風景にしか私には見えない。

 『「武士道」初版は1900年にアメリカで出版され、たいへんな賞賛を受けた。感激したセオドラ・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。・・・世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。・・・「武士道」は「誇るべき日本の民族精神」であり、日本の武士道と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う』と藤原先生は名著入門で絶賛している。

 100年前のアメリカ大統領が見たこの国の風景は、はるかにおぼろげになっているにしても、この国に生かし続けてゆかねばならない精神文化である。

 *14)Carlyle,Thomas(1795-1881)イギリスの評論家、歴史家。物質主義、功利主義に反対し、魂と意志の力を信じ、英雄、天才の優越を高唱する人生観、歴史観で名高い。
 *15)孟子「羞悪の心は義の端なり」
 本稿は、新渡戸稲造「武士道」の奈良本辰也氏訳 三笠書房1997年初版を参考にし、註)を含めその一部を引用しています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景19

2009年12月25日 | Weblog
食育

 今年の6月に東葛飾テクノプラザで開催された「農商工等連携応援キャラバンin柏」のことは、本稿「農商工連携3-地元企業の技術力」で触れたけれど、この時の基調講演をされたのが、フランス料理の大家シェフM氏であった。

講演に先立って、世界を舞台にしたM氏の料理人としての輝かしい実績の数々を紹介するビデオが流されたけれど、私などこれまで全く知らない世界で、まさに瞠目させられると同時に、同じ日本人としてM氏を誇りに感じた。世界の食通の超有名人たちを唸らせた氏の味に寄せたこだわりは、日本人が持つ「うま味」への感覚であった。

 そしてM氏はご講演で子供たちへ、若者への食育の重要性を説かれる。欧米にはない、「うま味」への感覚が日本人の豊かな感受性を育んだ。しかるに現在日本にはファーストフードが浸透している。食生活の劣化は感性の劣化(第六感の退化)さえ招くとのご指摘である。講演で話をされるだけでなく、実際に社会的活動として子供たちへの食育活動をされていることがまた素晴らしい。

 国の興亡は、勿論国民の一人一人の能力と意欲にかかっているけれど、その一人一人の国民の体力と知力の根幹を成すものはまさに「食」である。日本が多様性のある豊かな食材に恵まれたことは、これまでの繁栄の基となった重要な要因の一つであろう。しかし現代日本では、共働きで子供たちへの家庭料理が手薄になったり、若い女性はダイエットだ作るのが面倒だと食生活を軽視し、折角の食材を活かしていないのではないか。その結果が、低体重児(2500kg未満)出生率がこの30年で倍増し1割近くにまでなった*11)とか、切れやすい子供*12)が増えたりにつながっているように思う。

 食の安全、地産池消、スローフード、おふくろの味、これらはすべてつながっている。豊かな食生活とは豪華な食生活を意味しない。「優」柔不断と「曖」昧のユウアイ*13)ではなく、貧しくとも食を通した愛情深い家庭の味こそが、この国の風景を心和むものに変えてくれるものではないか。
 
  *11) 文藝春秋2009年10月号「炉ばたに学ぶ」辰巳芳子氏「みそ汁のこと」から再び(閑話つれづれパートⅡその14で引用)引用。低体重児は体力、智力ともに低下しがちの上、成人後は生活習慣病になりやすい。とある。
  *12)本稿(この国の風景12-甘え)
  *13)12月21日放送のTVタックル(テレビ朝日)から平沢勝栄衆議院議員の言葉を借用
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景18

2009年12月22日 | Weblog
年賀状

 今年も早や年賀状を出す季節がやってきた。街はクリスマスモードの電飾で飾られるけれど、一時流行するかに見えた年末のクリスマスカードの交換は定着せず、相変わらず年賀状作りが年末の行事であるのは、この国の風土には似合っていると思う。

最近はパソコンで好きな絵柄に作れるし、あて名書きもやってくれるようで、手書きのものはどんどん減っている。私も最近は、自分の住所や新年の挨拶言葉はパソコンに頼るようになった。仕事柄分量が増えたことによる。とはいって社会人になってから毎年続けている年賀状の版画彫りは、今年も達成した。年に一度のことだけど40数年続くと、それなりの感慨がある。他人様にお出し出来るような作品とは言えはしないけれど、木版には独特の温かみがあってご迷惑にはならないと勝手に思っている。

 今年は、来年の干支に因み吠えている虎を彫った。虎の怒りの表情は今年の流行語大賞ともなった「政権交代」に対して怒っている私の心を表現している。

そもそもこの国の文化や伝統の根幹を無視して、陛下さえ担ぎ出して他国におもねる友愛の大判振る舞い。内にあって選挙対策のマニフェストは行き詰まり、かの方のご意向で修正を始める始末。というより一応党からの要望ということになっているけれど、かの方には元々マニフェストを守る気持などさらさらなかったのではないか。もっともマニフェスト選挙なるものがおかしいし、「財源はあるんです」と言っていたことがすでに間違っていたわけで、選挙目当てだけの語るに落ちた政権である。

 それにしても、テレビで政権党を擁護する幹事長側近といわれる議員の姿を見、話を聴いていると、十数年前にテレビで随分と人気者にさえなった「こういえば何とか」を思い出してしまった。あの危険極まりない宗教団体のあの教祖に、弁護士や医師、高学歴の技術者などがなぜ心服してついて行ったのか。巷のノー学歴の平社員は不思議にさえ思ったものだけれど、多少勉強ができて社会的地位もそれなりにある者ゆえの急所を心得た人間には、洗脳は案外容易(たやす)いことだったのかもしれない。

 来年は参議院選挙の年、直前にたとえ現政権のウルトラCがあったにしても、その裏側をしっかりと見極めて、「目覚めよ有権者!」と祈る。いつの世にもその時の政権は批判に晒されるものだけれど、この年の瀬のこの国の政治の風景は過去になかった種類の醜さで彩られているのだから。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景17

2009年12月19日 | Weblog
基地のある風景    
              
私が高校を出て就職した地は、故郷から瀬戸内海を挟んで対岸にある当時の 山口県玖珂郡和木村であった。県境にあり小瀬川を挟んで広島県大竹市がある。そして山口県岩国市に隣接する。

私の勤務した工場は、この岩国市から和木村そして大竹市に跨っていた。当時和木村は臨海部の石油コンビナートのお陰で、日本で1,2位を競う財政の豊かな村ということであった。その後町になったけれど、平成の大合併で他の郡内町村が岩国市に併合されるのを横目に唯一「和木町」を残している。

 岩国市は毛利(長州)藩吉川家で、6万石。明治維新から97年、就職試験で市内の旅館に泊まった時に、われわれが四国松山の学校から来たことを知った仲居さんから、松山藩は何万石かと聞かれ、15万石だと答えると「そりゃあ岩国より大きい町ね」のように言われたには驚いた。当時岩国市は人口11万人程度、松山市は優にその倍以上の規模であったから当たり前だけど、江戸時代の藩の石高で比べられたことが驚きだった。

 その意味岩国市も古い城下町で、中央を清流錦川が流れ、岩国城を望む吉川家屋敷跡へと懸かる名橋錦帯橋は有名である。周辺川岸の春の桜は見事である。広島県宮島や島根県津和野へとのセットに含まれる観光地でもある。

 岩国市のもう一つの顔が、錦川河口の広大なデルタ地帯に陣取った米軍基地の風景であろう。毎年確かゴールデンウイークの頃、基地内一般開放があって、私も一度だけ見学したことがある。しかし、兎に角広いことと、展示されていた戦闘機に上ってみたのが印象に残っているくらいだ。基地に暗い印象や嫌悪感はなかった。

 入社当時早速に買った5段変速の自転車で、錦帯橋や宮島に行ったけれど、錦帯橋への道すがらでは、基地の将校の家族と思われる金髪娘の自転車が颯爽と追い越して行くなど、故郷にはなかった光景であった。

 私が岩国市の柔道大会個人戦(初段以下の部)で初めて優勝した時の決勝戦の相手は長身の米兵であったけれど、彼は試合後私の許へやって来て、笑顔で勝者を讃えてくれた。

 休日の広島平和公園では、女子高生が集団で私服の米兵を囲んで英会話の実地訓練に励んでいたけれど、兵士も地元住民も進駐軍だ占領軍だとの意識は全くないように見えた。政治の奥深いところは分からないけれど、当時から人間同士対等な関係であり、基地は異文化交流の接点のような働きをしていた。それは現在も変わらないと思う。

戦後64年、ベルリンの壁が崩壊して20年。未だに米軍基地が日本にあるのは不自然で、日米の対等な関係をと声高に叫ぶ論評があるけれど、それらは政治性の強い観念論で庶民感覚ではない。北方四島は依然ロシアが不法占拠を続け、南北朝鮮の国境は未だ単なる停戦状態であるに過ぎず。台湾国民の民意に関わらず中国はこれを機会あれば力でさえ取り込もうとする気配があり、沖縄周辺海域ではわが国の領海が侵犯されようとしている。

 民主国家でも自由主義国家でもない中国の軍拡を考えた時、米軍が日本に駐留することは自然なことに思える。米軍基地は、すでにこの国に溶け込んだ一風景なのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景16

2009年12月16日 | Weblog
民主党

 民主党はすでに小沢党となった。たかだか20名程度の自由党が民主党に入り込んで、その政党をまるごと手中にした。それを剛腕と怪しげな評論家諸氏は評するけれど、一市民からみれば単なる不可思議な現象でしかない。先住の党員が政治的に無能でだらしないだけに映る。

 元々、単に反自民の寄り合い所帯で、共通する国家感やイデオロギーはない。社民党では選挙で当選できない政治屋の隠れ蓑ともなっていた。そんな政党とも呼べないような集団が、一億2000万人の国民の命運を担うことになった。時に世界的な大不況下にである。大臣経験者もほとんど居ない。総理となった人物でさえ、政府の要職を経験していない。にも拘わらず何がなんでも政権交代ということで、小沢氏の選挙手法に依存した結果、国の財政を蝕み国民の自活を損なうような手当主義が横行している。

 訪中団の風景は小沢党を象徴していた。本人は黒塗りの超高級車で迎えられ、その他の議員はマイクロバス。党内での序列はあるとしても、国会議員は一人一人が対等な日本国民の代表でなければならない。中国側は日本国民など眼中になく、議員には日本国民の代表たる自覚もない修学旅行生気分では、見ておれる光景ではなかった。そんなことで小沢さん、天皇陛下にでもなられた気分だったのではなかろうか。だから宮内庁にごり押しして、それを止めようとされた長官を罷免さえしそうな勢いだ。

確かに宮内庁も政府機関に違いないが、宮内庁や検察庁は、軽々に総理大臣さえも侵してはならぬ領域であろう。国会で多数を占めた政党なら何でも出来ると錯覚しているのではないか。西松問題で検察庁の捜査を国策捜査と呼んだことも今さら頷ける。

 今回問題となった宮内庁ルールについて、テレビで名のあるジャーナリストの方が、「自分も知らなかった、新政権内部でもルールを事前に知っていなかったのだろう、周知されていないことが悪い」のような発言をしたけれど、全くの問題のはき違えであろう。ルールを知らなかったのは勝手だけれど、陛下をそしてわが国の有り様を大切に考えるならば、政府は宮内庁の意向に従うべき案件であった。日本のジャーナリストは知らなくても、恐らく中国側は知っていてどう出るか日本政府を試したのではないかと勘繰られても仕方がない事件でさえある。政治と天皇の関係論議を日本国内に起こすことで、日本民衆の真意を図りたいのが、かの国の意向ではないか。

 蟻の一穴から堤は崩壊するとの格言もあるけれど、この党が自ら自国の堤に穴を開けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景15

2009年12月13日 | Weblog
自由民主党

 2001年4月、「自民党をぶっ壊す」と登場した小泉政権発足から8年5カ月、ほんとうに自民党は崩壊した。だから小泉元首相が自民党を壊したのかといえばそれは違う。それは1989年の宇野内閣に遡る。そして極め付けが続く海部内閣。企業でもそうだけれど、世間体が悪くなった創業家が実権を握ったままで社員から社長を立てても、うまくゆかないことと同様である。

それでは自民党の復活はあるのか。惨敗を喫した先の衆院選後に、文藝春秋の「麻生内閣元三閣僚が語る、自民党はぶっ壊れない」を読んでも、自民党総裁選後の河野太郎氏の日経ビジネスの「敗軍の将、兵を語る」を読んでも、新たな希望は湧いて来なかった。有効と思える復活の方策はなかった。

 与謝野氏、鳩山邦夫氏そして石破氏の対談でいえば、それぞれに小沢幹事長や鳩山由紀夫首相に深い縁があって、今回の敗戦を心底自らのものと捉えきっていないところがある。外交、安全保障の面での小沢幹事長の危うさを石破氏は突いているけれど、対談の雰囲気として本質的には旧政権と変わらないだろうという楽観論に留まっており大いに食い足らなかった。

 河野氏は、小泉政権の中途半端を野次り、小さい政府の徹底を旗印に今後党の再生を図るとの主張であり、党内の長老への批判も厳しい。しかし、長老さえもうまく使える器でなければ、総理総裁には遠いのではないか。そして谷垣総裁後の3年先を狙い、10年後に政権を奪還するという。容易ではない現状把握は良しとしても、この政権の有りようでこの国が10年待ってくれるのだろうか。しかも今さら小さい政府に糖尿病的選挙民がついて来るとも考えにくい。明らかにプロダクトアウトの発想だ。

 同床異夢とはよく言ったもので、政権を維持している間は仲間であっても、うまみの消えた政党から離反者が続出しないかも心配である。私は自民党という一政党を心配しているのではない。日本と言うかけがえのない私たちの祖国を他民族に蹂躙されない、国体維持のしっかりした考え方を基本とする政治集団が消滅することを危惧するだけだ。

 選挙の前から再三再四政権交代の危険性を指摘してきたけれど、選挙民の多くは中身をよく吟味せずに、兎に角一度変えてみようという意識が先行した。二大政党で政権交代を可能にするとは、政権を盗るまでは主張しながら、それを手にするや二度と返さないように細工をする御仁は、隣国でどんな約束をされているのか。

 いずれにしても隣国無くば経済が立ち行かないと考える財界に、野党となった自民党でさえ腰が引けて、そんなことだから宮内庁のルールさえ抑え込もうとする勢力が跋扈する。

いざとなればこの国の指導者層やお金持ちは、庶民を置き去りに海外に移住する心根で当面の諸策をこなし、富に手を染めている風景に見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景14

2009年12月10日 | Weblog
坂の上の雲

 「朝寒やたのもと響く内玄関」。私の記憶のままに書いた。間違いがなければ、これは正岡子規の句で子規堂の玄関の句碑にある筈である。中学1年の時、担任でもあった国語の先生に教わって、子規堂までの10km余りの道を自転車で句碑を見に行った。当時子規堂は道端の辻堂に毛が生えた程度の記念館であった。

 土地柄、俳句は盛んであったのか小学校でも俳句は作らされた記憶がある。「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」子規。この句をもじったと思われる「芋食えばパンツ破れる屁の力」という下品な句を誰が最初に作ったか知らぬまま、子供たちは諳(そら)んじていた。俳句の宿題に、苦し紛れにこれを披露した友がいた。教室の爆笑と担任の苦笑した顔が今も記憶に鮮やかである。

 司馬遼太郎の「坂の上の雲」は、最初の章題が「春や昔」である。「春や昔15万石の城下かな」勿論子規の句から引用した。「春や」は私たちにとってみれば「遥や」であった。遥かな昔話の響きがある。司馬先生の「わが日本にもそんな時代があったのですよ」との想いが伝わってくる。

 私は、勿論戦後の生まれだ。日本軍人の英雄の話は、戦後教育の教科書にはなかった。だから隣町にありながら秋山好古、真之(さねゆき)兄弟のことも、司馬先生の本を読むまで知らなかった。36歳になるまで知らなかったことになる。しかも本が出版されて10年も経っていた。もっとも地元松山市に「坂の上の雲ミュージアム」が出来たのも平成19年4月と聞く。

 NHKで「坂の上の雲」の放映が始まった。全13回を3年がかりで放送するというのも遠大である。原作本全6巻の2巻目の半ばで子規は亡くなるのだけれど、ドラマでは7回目まで子規が登場するらしい。子規を演じる俳優の香川照之さんは、結核から脊髄カリエスに罹患して壮絶な闘病生活の果てに亡くなる子規を演じるために、17kg減量して臨んだ*10)という。

 放送はまだ2回目が終わったところであるけれど、出演者の熱演はすがすがしい。子規の妹の律を演じる菅野美穂さんがいい。真之に寄せる想いの表現が見事だ。彼女は香川さん演じる死に際の子規の背中をさするシーンで、骨が浮き出たその背中の感触に、「子規そのものだ」と涙が出たという*10)。外交も政治も経済も行き詰まる平成の日本にも明治の女がいて、明治の男たちが坂の上の雲を目指す風景がそこにはある。


   *10)文藝春秋2010年1月号「子規こそ明治の日本人」藤原正彦氏と香川照之氏の対談を参考にしています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景13

2009年12月07日 | Weblog
戦前内閣の再来

 すでに多くの日本国民には忘れ去られていることだけれど、記録によれば昭和34年3月9日、社会党(現、社民党)訪中団団長浅沼稲次郎氏は「米帝は日中両国人民の敵」という声明を発している。

 現政権の曖昧な態度によって混迷を深める沖縄普天間基地移転問題に絡めて、この国の中国との関係の意識が、一部の人にはその頃から全く進歩していないことが気になる。50年前のわが国は、さらに中国は、経済力も軍事力も国際社会の中で問題にならない小国であった。当時の浅沼委員長がどこまで本気で言われたことかは知らないけれど、何を言ってもその頃では何の影響力も持ち得なかったことであろう。

 しかし、現在の連立政権にあって、未だその発想を持ち続ける大臣が居たとすれば、甚だしく国益に反することであり、日本国民の安全保障にとって憂慮すべき事態である。それにしても自身が連立政権の消費者・少子化担当大臣という要職を引き受けたばかりの身にありながら、自党の主張のためにはその任務を自ら投げだすというのはいかにも無責任で、党のためなら国民などいかに眼中に無いかを浮き彫りにする言動である。

一体現政権は誰のための政治を行っているのか。深刻な経済状況に閣僚はなすすべを知らず、郵政民営化も逆戻りさせ、これまでに積み上げた民営化のエネルギーを無駄にしようとしている。そして、そこに国民の反発が生じた際には民主党に直接非難が集中しない予防策まで講じている。何という信念の無さ、責任感の希薄さ。到底国政を付託できる政党でもまた政治家たちでもありはしない。

 それにしても、亀井大臣にしても福島大臣にしても戦前の陸軍大臣にでもなったつもりであろうか。辞任をちらつかせては自己主張を通そうとする。当時は確かに内閣を潰そうと思えば、大臣1人が辞任すれば良かった。しかし、戦後の憲法下における総理大臣の権限は戦前とは比較にならないけれど、社民党が言うから基地問題を先延ばしにする首相の態度は何であろうか。

そこで思い当たるのが、国会議員140名総勢600名にのぼるという小沢訪中団の日程との兼ね合いである。社民党と政府は連携して、小沢訪中を援護する役割を指示されているのではないかと見えてしまう。沖縄の基地問題を米国と前政権の意のままに決着させて後では、小沢訪中団の価値が下落すると考えているのではないか。そうだとすれば、一権力者の専横に政党あって国家なしの風景が広がっていることになる。

陸軍の横暴に流された戦前の内閣と国家の末路は、誰でも知っている通りである。このような風景を演出している現政権と、中身のない「政権交代」を唱和してその成立に手を貸したテレビを中心としたマスコミの罪は重い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景12

2009年12月04日 | Weblog
甘え

 12月1日の新聞紙上に、前日の30日に文部科学省が発表した2008年度全国の小、中、高校の学校内外の暴力行為が59,618件あり、3年連続の増加で過去最高であったとする報道があった。もう2、30年も前に随分と校内暴力が問題になった時期があったけれど、その後鎮静化しているのかと思っていたのに、やっぱりこの年頃は難しい。暴れん坊が居て若者は元気だと許せる範疇ならいいのだけれど。

私などが中学時代、50年近く前にも生徒が教師を殴るようなこともあったけれど、全く警察沙汰にもマスコミ沙汰にもなっていないから、当然統計はなく多い少ないの比較のしようもないけれど、読売新聞による今年9月に栃木県日光市で起きたというような、みっともない暴行事件はなかったように思う。

中三男子が、放課後の教室で無抵抗の女性教諭に殴る蹴るの暴行を加えて怪我をさせたというのだ。そのきっかけとなった教師の言動が詳細にはわからないため、やや一方的な論理であるが、兎も角、女性教師に暴力を振るうなど日本男子の風上にもおけぬ行為で、このような輩は年齢など関係なく、性根を叩き直すための厳罰が望まれるけれど、有耶無耶になったのではないかと危惧する。

このような事件では、生徒が突然に「切れた」という表現がよく使われる。突然に理性の抑えが利かなくなる状態であるが、この原因には大きく2つある。本人の体質的な問題と当人の世間に対する甘えである。そしてその対象が人であった場合、自分より明らかに弱いと思われる者に向かう。要は卑怯なのだ。

昔の職場で、飲み会で酒が入ると周りの仲間の頭を叩いてまわる輩が居たという話がある。本人は酔ってよく分からずにその行為に及ぶと述懐し、まあ怪我をさせるようなものでもないから、なあなあで済ませていたらしい。しかし、彼は酔っていても自分より強い強面にはけっして手を出さなかったと聞く。   

卑怯な行為に対して、政治家の金にまつわる不正もそうだけれど、社会は毅然とした態度で臨まなくてはならないけれど、以前は少年犯罪が起こるたびに怪しげな評論家がマスコミに登場しては、「社会が悪いから少年がこのようになる」と吹聴した。少年たちは益々甘えの構造に陥った。

現在は少年だけでなく、市場原理主義だ格差だと、一部大企業経営者の横暴を政治の所為だと吹聴するこれまた怪しげな評論家諸氏のご宣託で、国民全体がバラマキ政権にぶら下がって、甘えの構造に陥っている風景に見える。電車の中吊り広告に、「来年度民主党政権は“独身者手当”を創設せよ」みたいのがあったけれど、こうなるとパロディーとばかり笑っては居られない光景である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この国の風景11

2009年12月01日 | Weblog
事業仕分け

 現内閣が11月11日から27日の間の9日間で行った平成22年度予算案についての「事業仕分け」について、世論の評価は高い。「1事業1時間程度の討論で仕分けるのは乱暴だ。基準が不明確だ。」といった批判的な意見を述べる評論家や政治家諸氏でさえ、枕詞にはこのような作業が公開の場で行われることの意義を述べ公開仕分けそのものには肯定的である。そして国民の8割が賛同し、この風景が連日大きく報道された効果もあってか、鳩山内閣の支持率は、30日の日本経済新聞によれば68%となっていたのには驚いた。

しかし私に言わせれば、前にも述べたけれど「公開事業仕分け」など選挙目当ての“大道芸”に過ぎず、内閣支持率の高さは、竹下内閣発足時の右翼による「ほめ殺し」を国民がこぞってやっているとしか思えない風景に見える。

 なぜ私が「公開事業仕分け」に否定的なのか。それは次のような理由による。

(1)公開で仕分けられる事業はごく一部(449事業15%)であること。

(2)公開と言って、これを実際に目にできる人は所詮国民のppm*9)オーダーに過ぎず、他の国民はほとんどテレビの限定的かつ恣意的な報道によるしかないこと。

(3)一般の国民にはその予算が無駄か無駄でないかなど、公開されても本当の意味で判断できるわけがなく、従って結局現政権のプロパガンダ(心理宣伝戦)としかならないこと。

(4)「公開仕分け」は今回限りということは、明らかに普遍性のない作業であること。仮に毎年やるとすれば、国家の予算編成作業が極めて非効率となり、仕分け作業予算が膨大となって、自体を仕分ける必要が生じること。

(5)ノーベル賞受賞者のような、ある意味権威ある人たちなら首相へ直訴も出来ようが、仕分けされて泣きをみるのは一般庶民にも及ぶけれど、所詮現場から反論する場は与えられていないこと。

あるノーベル賞を受賞された科学者は、将来への投資となる科学技術予算まで仕分けされたことに、「仕分け人は将来歴史の法廷に立つ覚悟があるのか」のように憤っておられた。所詮仕分けとは元々そんな高尚なものではなく、仕分け人というより、現政権の政治家が自分たちの行っている政治に全く自信がないため、その一部を国民の目に晒すことで、責任を国民に転嫁しているに過ぎない。歴史の法廷に立つなど想像さえしていないのではないか。

裁判員制度もそうだけれど、専門家に自信がなく、リーダーもリスクを取り国民の付託に応える覇気もないことがこの国を漂流させている。その風景を公開事業仕分けは浮かび上がらせているに過ぎない。

 *9)ppm:百万分の一
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする