武士道
新渡戸稲造の「武士道」は1899年に英文で書かれた。キリスト教徒であった新渡戸は、西洋の歴史・文化にも精通しそれらの事例や思想を武士道と対応させて説明することで説得力を高めた。
『名誉は武士階級の義務と特権を重んじるように、幼時のころから教え込まれるサムライの特色をなすものであった。・・・人の名声、それは「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えはごく当然のことと思われた。その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。・・・カーライル*14)が「恥は、すべての徳、立派な行い、およびすぐれた道徳の土壌である」と述べたこととほとんど同じ文言を、孟子はすでにその数世紀前に教えていた*15)。』
『・・・このように金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。このことがわが国の公務に携わる人びとが長い間堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である。だが惜しいかな。現代においては、なんと急速に金権政治がはびこってきたことか。』繰り返すけれどこれは1899年に書かれたものだ。
文藝春秋2004年5月号の名著入門に、藤原正彦先生の「新渡戸稲造『武士道』は魂の書」がある。その前年に公開されて話題となったアメリカ映画「ラストサムライ」の影響もあってか、この「武士道」が数社から合わせて百万部以上出ていたとあり、2004年当時の日本を藤原先生は、『グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学校から大学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのかというルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手に取らせているのだろう。』と述べている。
そんなこんなが2009年に政権交代を生んだけれど、それなら現政権が武士道に少しでも近づいたかといえば、却って遥かに遠のいている風景にしか私には見えない。
『「武士道」初版は1900年にアメリカで出版され、たいへんな賞賛を受けた。感激したセオドラ・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。・・・世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。・・・「武士道」は「誇るべき日本の民族精神」であり、日本の武士道と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う』と藤原先生は名著入門で絶賛している。
100年前のアメリカ大統領が見たこの国の風景は、はるかにおぼろげになっているにしても、この国に生かし続けてゆかねばならない精神文化である。
*14)Carlyle,Thomas(1795-1881)イギリスの評論家、歴史家。物質主義、功利主義に反対し、魂と意志の力を信じ、英雄、天才の優越を高唱する人生観、歴史観で名高い。
*15)孟子「羞悪の心は義の端なり」
本稿は、新渡戸稲造「武士道」の奈良本辰也氏訳 三笠書房1997年初版を参考にし、註)を含めその一部を引用しています。
新渡戸稲造の「武士道」は1899年に英文で書かれた。キリスト教徒であった新渡戸は、西洋の歴史・文化にも精通しそれらの事例や思想を武士道と対応させて説明することで説得力を高めた。
『名誉は武士階級の義務と特権を重んじるように、幼時のころから教え込まれるサムライの特色をなすものであった。・・・人の名声、それは「人を人たらしめている部分、そしてそれを差し引くと残るのは獣性しかない」という考えはごく当然のことと思われた。その高潔さに対するいかなる侵害も恥とされた。・・・カーライル*14)が「恥は、すべての徳、立派な行い、およびすぐれた道徳の土壌である」と述べたこととほとんど同じ文言を、孟子はすでにその数世紀前に教えていた*15)。』
『・・・このように金銭や金銭に対して執着することが無視されてきた結果、武士道そのものは金銭に由来する無数の悪徳から免れてきた。このことがわが国の公務に携わる人びとが長い間堕落を免れていた事実を説明するに足る十分な理由である。だが惜しいかな。現代においては、なんと急速に金権政治がはびこってきたことか。』繰り返すけれどこれは1899年に書かれたものだ。
文藝春秋2004年5月号の名著入門に、藤原正彦先生の「新渡戸稲造『武士道』は魂の書」がある。その前年に公開されて話題となったアメリカ映画「ラストサムライ」の影響もあってか、この「武士道」が数社から合わせて百万部以上出ていたとあり、2004年当時の日本を藤原先生は、『グローバルスタンダードを取り入れるといって、企業はリストラをする。学校では「ゆとり教育」を取り入れる。その結果、職のない中高年があふれ、地方の駅前商店街はさびれ、小学校では国語や算数の時間が減らされ、小学校から大学生に至るまでの学力低下は著しい。庶民はこうしたことに「自分たちの親や祖父が大切にしてきたものが壊されつつある」と感ずるのだろう。我々のよってたってきた価値観とは何だったのかというルーツ探しに似た感覚が『武士道』を手に取らせているのだろう。』と述べている。
そんなこんなが2009年に政権交代を生んだけれど、それなら現政権が武士道に少しでも近づいたかといえば、却って遥かに遠のいている風景にしか私には見えない。
『「武士道」初版は1900年にアメリカで出版され、たいへんな賞賛を受けた。感激したセオドラ・ルーズベルト大統領などは、何十冊も買い、他国の首脳に送ったという。・・・世界は普遍的価値を生んだ国だけを尊敬する。・・・「武士道」は「誇るべき日本の民族精神」であり、日本の武士道と美意識は、人類の普遍的価値となりうるものと思う』と藤原先生は名著入門で絶賛している。
100年前のアメリカ大統領が見たこの国の風景は、はるかにおぼろげになっているにしても、この国に生かし続けてゆかねばならない精神文化である。
*14)Carlyle,Thomas(1795-1881)イギリスの評論家、歴史家。物質主義、功利主義に反対し、魂と意志の力を信じ、英雄、天才の優越を高唱する人生観、歴史観で名高い。
*15)孟子「羞悪の心は義の端なり」
本稿は、新渡戸稲造「武士道」の奈良本辰也氏訳 三笠書房1997年初版を参考にし、註)を含めその一部を引用しています。