東京都知事選
あれだけ、昔のお仲間から自身の経歴の疑惑を指摘されながら、勝てば官軍とばかり、公明党、国民民主党、自民党迄の支持を受けて、自身の3選に打って出るという厚顔ぶりには呆れるほかない。個人的な厚顔ぶりはそんなものでどうでもいいけれど、天下の公党が学歴詐称を認識しながら、その候補者を支持するということは、嘘でもなんでも選挙は勝てばいいのだという不正の民主主義を公認したようなものだ。
東京都知事選には結構人気があって、当選者一人に対して20名あまりがすでに名乗りを上げているそうだ。読売新聞なども26日の朝刊一面で、小池氏の立候補の意向を伝えた。手前味噌の在任2期の実績を添えて。この国の民主主義は死んだ。中共やロシアを批判することはできない。メディアさえ取り込んだ、一部の怪しげな連中の独裁化が進んでいるのではなかろうか。
立憲民主党からは、蓮舫参議院議員が立つそうだが、はっきり言って、人間的には小池氏といい勝負の単なる目立ちがたりにしか見えはしない。何が「女性活躍」か。
それにしても、あれだけ自民党の政治パーティーによるお金集めを批判していた立憲民主党幹部が、衆院選任期を来年10月に控え、選挙にお金が必要なのは野党も同じで、今のところ自分たちの主張している選挙資金規正法改正案には抵触しないとの言い訳で、パーティー開催を決めていたようだが、あまりに体裁が悪いということで泣く泣く中止にしたようだ。現在の立憲民主党には、元々自民党の幹部、金権政治の権化のような方もおられることで、自党の掲げる改正案では、政治家には大金持ちしか成れないと苦情を述べていたが、一皮むけば皆「同じ穴の狢」もっと分かりやすく言えば、「同じ穴の狸」または「同じ穴の狐」。
国会議員は何かとお金になると見えて、代議士に子息が居れば大抵後継者として同じ選挙区から立候補させる。地方では、いかに自身の選挙区に国家の予算を引っ張ってくるかで、選挙民の評価を高めているのだ。その他大勢は誰でもいいからオリンピックのメダリストや芸能界などの著名人を立てる。もっともどのような職業や経歴の持ち主であろうが、志があれば議員として立候補を阻むものではないが、見てくれや口先ではない人間としての正義感や国家意識は必要条件となろう。
すでに墓石の下に眠る方を未だに批判するのは、どうかとも思うが、安倍政権の何でもありが、この国の民主主義を後退させたと思う。官僚の人事権を掌握することで検察迄を配下とし、それを力のある総理総裁と仰ぐ軽率な連中が、自民党を腐らせた。
任期中の実績は勿論最重要であろうが、引き際こそ肝要である。小池氏も岸田氏もボロボロになって引き摺り下ろされるのではなく、自ら潮時を心得ることこそ大切である。