商店街はなぜ滅びるのか(続2)
商店街に関係はないが、本稿第7回に関連するので書く。安倍首相が靖国神社に参拝され、内外また騒がしくなっている。日本経済新聞は批判。読売新聞でさえ評価は芳しくない。勿論与党内部にさえ相当制止論があったようで、この騒動は仕方がないけれど、米国の「失望した」には、全くこちらが「失望した」。一党独裁国家の内政干渉に同調するとは米国も落ちたものだ。
最近の米国内の世論調査で、最も大切なパートナーとしてアジアでは中国がトップ、日本は2番目だった。民主国家としては民意は大切だし、米国国防総省としては、日本の勝手な振る舞いから自国の兵を動員したくはないとの弱音が覗く。というより、やはり日本の自主独立を牽制しており、日本の強いリーダーは煙たいのであろう。
それにしても、同じ日本人でありながら、中国人や韓国人と同じようなことを言う人々は、はっきり申し上げて「間違っている」。この国からの退去を勧告したい。首相が靖国に参ることで、軍靴の音がするように感じると発言される人の意見も、どこかで吹き込まれ洗脳されたもので、その感性は時代錯誤の最たるものである。他人は他人、それぞれ意見は意見と言うけれど、間違いは間違いとはっきり言うべきである。この国の精神の基盤に関わることは、強制はできないが、どうか一枚岩であって欲しい。国民の8,9割が首相の靖国参拝を当たり前考えるようになれば、中韓はこの件ではおとなしくなるのではないか。
ところで本題に移る。『第二次世界大戦後は、物価の高騰や闇物資の流通によって商秩序は混乱していた。・・・こうした商秩序の混乱は、主婦による消費者運動を引き起こした。・・・小売商と対立していた主婦運動は、家庭内の倹約を進めたのだが、その資金は、じつは製造業の設備投資に流れていた。そのことを政府側もよく理解していた。じっさい、政府は主婦運動を推進していた。その一方で、主婦運動と対立していた小売商に対して、日本政府は、規制による保護をおこなった。なぜならば、若い離農者たちが第三次産業に野放図に流れ込まないようにすること、裏返せば、安価で良質な若い労働力を第二次産業で計画的に誘導するためであった。』
商店街関連の法整備が続く中、高度経済成長期にあった我が国には「流通革命」としてのスーパーマーケットという新しい業態が生まれたけれど、小売業を保護することで安価な労働力を製造業に回すという政策意図は変わらず、この時代(1970年代)、かえって商店街の既得権は強まった。そこには「雇用者層=革新、自営業者層=保守」という枠組みもあった。
「価格破壊」のダイエー中内氏の闘い。その後の道路整備に伴う郊外化の加速、コンビニエンスストアの出現。グローバル化の進展による外圧*17)などもあって規制緩和が始まり、その見返りとして零細小売商を含めた中小企業は、アーケードなどのハード部分を政府に要望するとともに、財政投融資を迂回して潤沢な政府系金融機関からの融資を求めた。
結論として著者は、「商店街」という理念の崩壊の理由を、商店街が、恥知らずの圧力集団になったこと、そしてもう一つが、専門性を一つひとつの地域につくろうという目的がまったく果たされなかったことを上げている。行政官庁の免許付与が、当該地域で営業し、地元業者が認めるかどうかのみを基準に行われたのである。
しかし、零細小売業の衰退は、「買い物難民」を生じさせはじめた。老人世帯では日常郊外のショッピングモールまで出かけるのは大変である。また地域のコミュニティーも弱体化させている。さらに「雇用の流動化」を加速させた。ショッピングモールで働く人の多くは非正規雇用である。
ここからは私観であるが、時代の移ろいの中、いろんな業態が生まれ育ちまた衰退してゆくものであろう。商店街も大枠ではその一形態にすぎないものかもしれない。子供のころに商店街に感じたワクワク感を今の子供たちはショッピングモールで感じているかもしれない。そして、そこで働く人々はその場所に根を張っている者たちではない。しかし、やはりほとんどがアルバイト従業員であっても、あの震災時東京ディズニーランドは、従業員一致協力して立派にゲストを守ったという。
全ての企業に求められるものは顧客を感動させ得る製品・商品・サービスの提供につきるし、そのためにはそこで働く人々が楽しく仕事出来ているかにかかっているのであろう。商店街も例外ではない。
*17)『象徴的なのが酒の販売にかんする規制緩和である。日本は国内の酒造業の保護のために、ウィスキー・ブランデー・ビールなどの輸入酒に対し、高い関税を設けていた。アメリカ政府は、これらの関税の引き下げとともに、円高にともなう輸入ビールの販売促進のため、スーパーやデパートで酒の販売を解禁するように求めた。』本文より
本稿は巻頭部を除き、新雅史著、株式会社光文社、平成24年5月刊、「商店街はなぜ滅びるか」を参考に構成し、『 』内は直接の引用です。
商店街に関係はないが、本稿第7回に関連するので書く。安倍首相が靖国神社に参拝され、内外また騒がしくなっている。日本経済新聞は批判。読売新聞でさえ評価は芳しくない。勿論与党内部にさえ相当制止論があったようで、この騒動は仕方がないけれど、米国の「失望した」には、全くこちらが「失望した」。一党独裁国家の内政干渉に同調するとは米国も落ちたものだ。
最近の米国内の世論調査で、最も大切なパートナーとしてアジアでは中国がトップ、日本は2番目だった。民主国家としては民意は大切だし、米国国防総省としては、日本の勝手な振る舞いから自国の兵を動員したくはないとの弱音が覗く。というより、やはり日本の自主独立を牽制しており、日本の強いリーダーは煙たいのであろう。
それにしても、同じ日本人でありながら、中国人や韓国人と同じようなことを言う人々は、はっきり申し上げて「間違っている」。この国からの退去を勧告したい。首相が靖国に参ることで、軍靴の音がするように感じると発言される人の意見も、どこかで吹き込まれ洗脳されたもので、その感性は時代錯誤の最たるものである。他人は他人、それぞれ意見は意見と言うけれど、間違いは間違いとはっきり言うべきである。この国の精神の基盤に関わることは、強制はできないが、どうか一枚岩であって欲しい。国民の8,9割が首相の靖国参拝を当たり前考えるようになれば、中韓はこの件ではおとなしくなるのではないか。
ところで本題に移る。『第二次世界大戦後は、物価の高騰や闇物資の流通によって商秩序は混乱していた。・・・こうした商秩序の混乱は、主婦による消費者運動を引き起こした。・・・小売商と対立していた主婦運動は、家庭内の倹約を進めたのだが、その資金は、じつは製造業の設備投資に流れていた。そのことを政府側もよく理解していた。じっさい、政府は主婦運動を推進していた。その一方で、主婦運動と対立していた小売商に対して、日本政府は、規制による保護をおこなった。なぜならば、若い離農者たちが第三次産業に野放図に流れ込まないようにすること、裏返せば、安価で良質な若い労働力を第二次産業で計画的に誘導するためであった。』
商店街関連の法整備が続く中、高度経済成長期にあった我が国には「流通革命」としてのスーパーマーケットという新しい業態が生まれたけれど、小売業を保護することで安価な労働力を製造業に回すという政策意図は変わらず、この時代(1970年代)、かえって商店街の既得権は強まった。そこには「雇用者層=革新、自営業者層=保守」という枠組みもあった。
「価格破壊」のダイエー中内氏の闘い。その後の道路整備に伴う郊外化の加速、コンビニエンスストアの出現。グローバル化の進展による外圧*17)などもあって規制緩和が始まり、その見返りとして零細小売商を含めた中小企業は、アーケードなどのハード部分を政府に要望するとともに、財政投融資を迂回して潤沢な政府系金融機関からの融資を求めた。
結論として著者は、「商店街」という理念の崩壊の理由を、商店街が、恥知らずの圧力集団になったこと、そしてもう一つが、専門性を一つひとつの地域につくろうという目的がまったく果たされなかったことを上げている。行政官庁の免許付与が、当該地域で営業し、地元業者が認めるかどうかのみを基準に行われたのである。
しかし、零細小売業の衰退は、「買い物難民」を生じさせはじめた。老人世帯では日常郊外のショッピングモールまで出かけるのは大変である。また地域のコミュニティーも弱体化させている。さらに「雇用の流動化」を加速させた。ショッピングモールで働く人の多くは非正規雇用である。
ここからは私観であるが、時代の移ろいの中、いろんな業態が生まれ育ちまた衰退してゆくものであろう。商店街も大枠ではその一形態にすぎないものかもしれない。子供のころに商店街に感じたワクワク感を今の子供たちはショッピングモールで感じているかもしれない。そして、そこで働く人々はその場所に根を張っている者たちではない。しかし、やはりほとんどがアルバイト従業員であっても、あの震災時東京ディズニーランドは、従業員一致協力して立派にゲストを守ったという。
全ての企業に求められるものは顧客を感動させ得る製品・商品・サービスの提供につきるし、そのためにはそこで働く人々が楽しく仕事出来ているかにかかっているのであろう。商店街も例外ではない。
*17)『象徴的なのが酒の販売にかんする規制緩和である。日本は国内の酒造業の保護のために、ウィスキー・ブランデー・ビールなどの輸入酒に対し、高い関税を設けていた。アメリカ政府は、これらの関税の引き下げとともに、円高にともなう輸入ビールの販売促進のため、スーパーやデパートで酒の販売を解禁するように求めた。』本文より
本稿は巻頭部を除き、新雅史著、株式会社光文社、平成24年5月刊、「商店街はなぜ滅びるか」を参考に構成し、『 』内は直接の引用です。