国家とBCP
太平洋戦争によって壊滅的な打撃を受けたこの国が、戦後の驚異的な復興を遂げたことに万一に備えた事前のプログラムがあったわけでもなかろう。経済復興のきっかけに朝鮮戦争特需があり、人口の増加と技術の進歩による新たな製品開発も進み、世界的な需要の増大という時代の潮流もあった。米国の思惑によるわが国の軍事大国化に歯止めを掛けた方針を利用して、米国の核の傘の下、国家予算を経済面に集中投下できたことも大きかった。ただ、その付けが周辺無法者国家の台頭で領土・領海を脅かされることにつながってもいる。
戦前のわが国にBCP的な具体的な国家継続計画はなかったとは思うけれど、国家存続のための人材育成への注力がその役割を担った。戦前の教育制度において育った有為の人材が、国難にあってこの国を支え成長させた。人を育てておれば、具体的な計画はなくとも、試行錯誤の中でも進路を間違うことなく復興を遂げることが出来る。先人の知恵が優れた教育制度を生み育てていたものと考える。
引き比べて戦後67年、この間の戦後教育は骨太の人材を育て得ていたであろうか。一見賢そうに見える元官僚という現政権の政治家などその典型で、言葉を弄するだけで、国家の危機にうろたえるしかない。文藝春秋9月号の「2012年上半期“お騒がせ事件”座談会」の中で、コラムニストで作家の亀和田氏が政治家の顔が悪くなったという話を受けて、『それと40代あたりの中堅がみんなペラくて怪しい顔をしているのも気になる。』と述べ、現職大臣2名を名指ししていたけれど、言い得て妙だとすごく共感した。根幹に国家観のない教育を長く続けては、真の意味の人材は育ちにくい。口先だけのペラくて怪しい顔をした人物が国家の指導層でのさばるようでは国は滅ぶ。
この3年間、わが国はあらゆる面で停滞した。というより大いに地盤沈下した。高度経済成長期のシステムが時代に適応しなくなって久しく、どの党が政権を担っても難しかったとは思うけれど、急降下させた責任は現政権政党にあり、それを選んだ国民にある。2009年の衆院選の前から、私のような一介のノンキャリが、民主党などが政権を取ったら絶対ダメだと本稿でも随分述べたけれど、政治評論家や政治学者のような面々の多くが挙って民主党に期待した。そして後から裏切られたと嘆く。嘆いている人はまだ救われるけれど、ここに至ってもなお親派がいることは、この国の知識層の衰退を象徴していることで、それこそ戦後教育の罪の深さである。要は知識はあっても物事の本質を見る力が育っていないのだ。単なる「考え方の違い」などではない。
このたびの自民党総裁選挙で返り咲いた安倍新総裁は従来から日教組を批判し、教育制度改革を訴えている。日本維新の会を立ち上げた橋下大阪市長も安倍氏に近い考えのようだ。遅ればせながらわが国も真っ当な方向に進みつつあるのだろうか。
国家のBCPというよりリスク管理として、大きな自然災害に備える仕組みやハード面の充実、テロや領土・領海への侵略に備える防衛力の整備などは今後早急に充実してゆかねばならないし、そのための資金を得るために経済力の復活も重要である。しかし、国家も企業も人材育成こそ何物にも優れる「継続計画」の基盤であることを忘れてはならない。
太平洋戦争によって壊滅的な打撃を受けたこの国が、戦後の驚異的な復興を遂げたことに万一に備えた事前のプログラムがあったわけでもなかろう。経済復興のきっかけに朝鮮戦争特需があり、人口の増加と技術の進歩による新たな製品開発も進み、世界的な需要の増大という時代の潮流もあった。米国の思惑によるわが国の軍事大国化に歯止めを掛けた方針を利用して、米国の核の傘の下、国家予算を経済面に集中投下できたことも大きかった。ただ、その付けが周辺無法者国家の台頭で領土・領海を脅かされることにつながってもいる。
戦前のわが国にBCP的な具体的な国家継続計画はなかったとは思うけれど、国家存続のための人材育成への注力がその役割を担った。戦前の教育制度において育った有為の人材が、国難にあってこの国を支え成長させた。人を育てておれば、具体的な計画はなくとも、試行錯誤の中でも進路を間違うことなく復興を遂げることが出来る。先人の知恵が優れた教育制度を生み育てていたものと考える。
引き比べて戦後67年、この間の戦後教育は骨太の人材を育て得ていたであろうか。一見賢そうに見える元官僚という現政権の政治家などその典型で、言葉を弄するだけで、国家の危機にうろたえるしかない。文藝春秋9月号の「2012年上半期“お騒がせ事件”座談会」の中で、コラムニストで作家の亀和田氏が政治家の顔が悪くなったという話を受けて、『それと40代あたりの中堅がみんなペラくて怪しい顔をしているのも気になる。』と述べ、現職大臣2名を名指ししていたけれど、言い得て妙だとすごく共感した。根幹に国家観のない教育を長く続けては、真の意味の人材は育ちにくい。口先だけのペラくて怪しい顔をした人物が国家の指導層でのさばるようでは国は滅ぶ。
この3年間、わが国はあらゆる面で停滞した。というより大いに地盤沈下した。高度経済成長期のシステムが時代に適応しなくなって久しく、どの党が政権を担っても難しかったとは思うけれど、急降下させた責任は現政権政党にあり、それを選んだ国民にある。2009年の衆院選の前から、私のような一介のノンキャリが、民主党などが政権を取ったら絶対ダメだと本稿でも随分述べたけれど、政治評論家や政治学者のような面々の多くが挙って民主党に期待した。そして後から裏切られたと嘆く。嘆いている人はまだ救われるけれど、ここに至ってもなお親派がいることは、この国の知識層の衰退を象徴していることで、それこそ戦後教育の罪の深さである。要は知識はあっても物事の本質を見る力が育っていないのだ。単なる「考え方の違い」などではない。
このたびの自民党総裁選挙で返り咲いた安倍新総裁は従来から日教組を批判し、教育制度改革を訴えている。日本維新の会を立ち上げた橋下大阪市長も安倍氏に近い考えのようだ。遅ればせながらわが国も真っ当な方向に進みつつあるのだろうか。
国家のBCPというよりリスク管理として、大きな自然災害に備える仕組みやハード面の充実、テロや領土・領海への侵略に備える防衛力の整備などは今後早急に充実してゆかねばならないし、そのための資金を得るために経済力の復活も重要である。しかし、国家も企業も人材育成こそ何物にも優れる「継続計画」の基盤であることを忘れてはならない。