中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

新、経営を考える第10回

2016年06月28日 | ブログ
信義と経営

 ことわざの解釈を勝手に読み違えることはよくある。「情けは人のためならず」では、安易に情けを懸けるのは掛けられた人に甘えを生じてしまう恐れがあり、却ってその人のためにはならない。という風に解釈した人も居た。「背に腹はかえられぬ」など、いくら「信義」だ「正義」だといって、霞を食っては生きられない。腹の足しにならないプライド(背)などは所詮後回しだ。「衣食足りて礼節を知る」如くであると解釈していたのだけれど。単なる読んで字のごとく、「皮一枚の背中よりも、大切な内臓のある腹が重要である。重要なことのためにはちょっとしたことは犠牲にしても仕方がないこと」と、ことわざ辞典にはある。

 それだからかどうか、このところの隣国の経済規模の圧力で、米国企業も欧州そして日本の有力企業も靡く、そして靡く。腹を満たすためには人権も報道の自由も芸術の表現の自由も捨て去るのである。ハリウッドの映画だって、中国で上映するための中国政府(中国共産党)による検閲を通す為に、台湾やチベットのダライラマ、時には冷戦に言及するものなどがカットされるのは普通のことになっているそうだ(日経ビジネス2016.06.20号「世界鳥瞰」) 。文化・芸術としての映画作りの矜持は捨てさられる。

 わが国の大企業の経営者などにも、自国の首相は批判するが中国には阿ねる不埒ものがいる。政治家にもその手の人物が大手政党の党首として、憲法9条改正反対、安保法制は破棄と、共産党と一緒になって息巻いている。身内企業の隣国での事業拡大のための布石としか見えてこない。

 母国を愛する心根や自国への信義を捨てて、お金優先でセコク生きても、どこかの知事の様な末路を辿ることは目に見えている。長い目で見て結局この国の民衆のためなどにもけっしてならない主張であり、行動なのだ。

 会社企業は、法人として自然人のような資格が与えられる。企業間信用なるものもそうだし、有限責任制度などもそうだ。そしてこの国では隣国と違い、自由と民主主義が担保されている。

 他国の領土をいつの間にか自国領と偽り、軍艦まで派遣して領海侵犯をする。自国から遠く離れた環礁もその周辺国家を押しのけて自国領として、挙句に軍事施設を建設する。記者会見で質問したジャーナリストの内容が気に入らないと延々と慟哭する中国外相*4)。そのような独裁国家に自企業の繁栄のためと阿ねる輩に、法人である企業経営者の資格など無い。

 企業も政治家も信用第一なのだから。



*4)6月1日にオタワのカナダ外務省で開かれた王外相とカナダのディオン外相の共同記者会見でのやりとり。あるカナダメディアの女性記者が、中国共産党体制に批判的な香港の銅鑼湾書店の関係者が連続失踪した事件や、2年前に中国在住のカナダ人夫婦がスパイ容疑で拘束された事案を挙げ、中国の人権問題への対応をディオン外相に質問した。これに、王外相が横から口を挟さんだ。「あなたの質問は中国に対する偏見に満ちており、傲慢だ。まったく受け入れられない」「中国の人権状況を最もよく理解しているのは中国人だ。あなたは中国に来たことがあるのか」。王外相は、記者に向かってペンを横に振るしぐさも繰り出し、強い口調で2分以上に渡って“説教”を続けた。カナダ紙「オタワ・シチズン」社説(電子版)は、こうした王外相の言動について、「人権のみならず、健全な民主主義国家の報道の自由に対する驚くべき攻撃だった」と断じ、「記者らに対する侮辱は、大した話ではない。だが、民主主義の基本である報道の自由に対する侮辱は重大な問題だ」と訴えた。-6月19日産経ニュース電子版-
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新、経営を考える第9回

2016年06月25日 | ブログ
時代を読む

 変えなくてはならないもの、変えてはいけないもの、などと良く聞くけれど、国家の経営方法について問う国会議員選挙の争点と言うか、各政党党首の演説で、自民党はじめ昔からの政党は、世界のパワーバランスの変化を語らない。語っているのは一部の新興政党だ。国家の経営だって時代とともに変えなくてはならないものは多い筈だ。共産党や社民党そして民進党も50年体制下の主張を繰り返しているばかりに聞こえる。

 今回から選挙権年齢が18歳に下がり、若い人向けにも将来を見据えてしっかり候補者を選択しましょうと言うけれど、自民党は「アベノミクスを前に進める」。野党は時代に全くそぐわない「憲法を守る」、そしてアベノミクスで「格差が広がっている」。加えて、この国のエネルギー事情を考慮しない感情論の「原発反対」。そこ迄迫っている人民解放軍や北朝鮮の核開発やミサイル実験は無視しての「安保法制反対」。「中東に自衛隊を派遣するな」のイメージ戦略で純朴な人々をだまし続けている。ひどいものだ。

 年金、介護、子育てなどもあるけれど、どこかの知事のように立候補の演説では福祉を謳いながら、成って見せれば、福祉施設や子育て施設の視察は全く行わず、もっぱら自身の趣味の美術館、博物館巡りだったようだけれど、政治家なんてその手の人材ばかりと見られても仕方が無い現状をどう変えるのかの視点が語られていない。旧態然とした主張・演説に聞こえる。時代を視ていない証拠であり、そのような組織は、政党であれ企業であれ行政機関であれ、実は末期現象を呈しているのだ。しかし、残念ながら取って替われる勢力に乏しい。だからこのままゆくと国家ぐるみ他国に持っていかれる恐れさえある。

 経営とは時代を読み、自身の企業、政党を必要としてくれる顧客、国民のニーズを先取りして応えてこそ値打ちがあるもので、実は経営の秘訣はそこにある。

 商店街がシャッター街となっているから行政に何とかしろというのも一理なくもないが、まずは自助努力である。本当に自分の企業やお店を復活させたいなら、心底から自身の経営を見直すこと。小規模だからこそできることもある筈である。近隣の商店との連携もさらに進めるなどの方策もあるのではないか。

 「カエル(変える)」と言う言葉が流行った時期があった。ただ、表面づらは変えても中々中身までを変えるのは難しい。最近は時代劇映画で殺陣のないのが流行りらしい。侍が刀をぶら下げて歩いていた江戸時代だって、斬り合いなんてそうそうあったわけではなくて、他藩との戦もないから、藩の重役の役割は今と同じ経済政策重視であったようだ。思い込みのチャンバラ志向が本来の時代劇の通例であっただけだ。変えてみると案外ヒットした。

 そして、時代は巡る。20世紀に終息したと思えていた帝国主義が頭をもたげ、英国はEUを離脱すると言い、国際連合も機能しているとは思えない。無政府状態の武装勢力が跋扈する世の中になっている。

 国内政治だって、経済と福祉または外交安全保障だけでなく、最先端の情報通信技術運用の適正な法制化、サイバーテロ対策、資産の所有権制度の見直し、外国人による不動産取得制限、難民や移民の受け入れを今後どうするのかなど細かそうで実は重要な問題がある。

 企業経営においても、環境変化を時代のトレンドを見つめつつ、変えてはならないもの、変えなくてはならないものの見極め、流行に惑わされることなく、環境に適合して変化にチャレンジすべきであろう。


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新、経営を考える第8回

2016年06月22日 | ブログ
IoT

 現代の企業経営においては、すでに情報通信技術の活用を考えずには成り立ちにくくなっているのではないか。しかし、小規模企業にあってはまだまだその経営者がインターネットや電子メールなどさえ使用することなく、過ごしていることはよく見かける。eコマース(電子商取引)が盛んになって久しく、またあったからといって急に売上げ向上に結び付くものでもないが、自社のホームページも持っていないことの方が普通であったりする。

 まさに従業員は家族のみという小規模企業にとってみれば、財務会計のソフトなど無用の長物であっても、せめてパソコンソフトのエクセルくらいは使って、自社のお金の出入りくらいは経営者自身で管理して貰いたいと思ったりするけれど、これも大きなお世話かもしれない。

 しかし、時代はすでにすべの物がインターネットにつながるようになって来た。Internet of ThingsすなわちIoTの時代に入ってきた。また「クラウド」(クラウドコンピューティング)も良く聞く情報通信用語である。これは、ネットワークから提供される情報処理サービスで、ネットワークと接続された環境さえあれば、情報処理やアプリケーションが利用でき、自社でサーバや情報処理ソフトを所有する必要がなく、またデータ量や時間等、利用分のみに費用を支払うことから、低コストでのITの活用が可能となる方法として期待されているものである。そしてAI(人工知能)がある。コンピュータが囲碁の世界さえ制したのである。会話型ロボットは感情さえ持とうとしている。試験的であれ、各種人型ロボットを受付等に配したホテルも登場している。

 IoTは、ドイツが進める「インダストリー4.0(第4次産業革命)」が話題となり始めた2014年の暮れの頃から、よく聞くようになった。もともと東大の坂村先生*2)のユビキタス・コンピューティングが元祖で、その初期の論文は1987年。その「ユビキタス」という言葉が話題となったのは21世紀に入った頃だと記憶する。Ubiquitous(神はいずこにおわす(ラテン語)=どこにでもある)すなわち「どこでもコンピュータ」=ユビキタス=IoTとなったそうだ。

 『普及するまでに時間のかかる新技術は、ガードナー社*3)が提唱した「ハイプ・サイクル」と言われる社会認知度のカーブに従うことが経験的に知られている。有望な新技術は「黎明期」から抜け出て、新規性で喧伝される過度な期待のピークの「流行期」に至る。しかし、市場投入までには時間がかかることがわかると「幻滅期」に入る。そして、その間も技術は進んで環境が整うと再度登場する啓蒙活動の「回復期」に入り、その後の「安定期」に普及する―――という山あり谷ありのカーブだ。

 IoTを最近出てきた新技術と取ると、今が過度な期待の流行期でこれから幻滅期に入ることになるが、実は「ユビキタス」の頃から続いている流れと取れば、まさに今が回復期。これからが普及の本番なのである。』

 優れた新技術は、反面大きなリスクも包含する。正しく活用し、リスクを最小限に抑え込む社会システムを構築してゆかねばならない。

 企業経営は新しい技術を取り入れることに前向きでなければならないだろう。




*2)坂村健、1951年生まれ。東京大学大学院情報学環教授。ユビキタス情報社会基盤研究センター長。工学博士。オープンなコンピュータアーキテクチャ「TRON」を構築したのが1984年。
*3)ガードナー社、1979年に創設された、米国コネチカット州スタンフォードに本拠を置く業界最大規模のITアドバイザリ企業。世界90ヵ国に拠点を持ち、約1,700人のリサーチ・アナリストおよびコンサルタントを含む7,900人のアソシエイツで構成されている。

本稿は、坂村健著「IoTとは何か」2016年3月刊/角川新書を参考にし、『 』内は直接の引用です。



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新、経営を考える第7回

2016年06月19日 | ブログ
人を動かす

 この世の中は人で成り立っている。「企業は人なり」などと云われるが当たり前のことだ。人工知能を作り出すのも「人」なのである。しかるに企業発展のためには、この「人」を如何に活かして使うかは重要な課題である。

 まずトップが最重要である。昔は兎に角、据わりの良い人をトップに据え、実務に通じた取り巻きが事実上運営するようなケースもあったかもしれないが、現代では通用しないであろう。意志決定にワンクッション置くこととなり、社長の単なるお側用人に大権を握られる懸念があり、取り巻き連中間の権力争いも生じる恐れもある。幹部以下どこを向いて、その方針に従えば良いか迷うようでは、到底良い仕事の成果は得られない。

 このような組織では、往々にして、組織の利益よりも自身の利益を優先するような人物が跋扈して、近視眼的な成果主義で組織を駄目にする。

 実力のあるトップが、最終的に意志決定し、最終的な責任を負う組織でなければならないのだ。大手企業の社長の御曹司であるとか、難関大学の卒業生であるとか、政治家とつながっているとかの据わりの良さは裏目に出ることが多いように思う。そしてトップになるためには、若い頃から何らかの実績を積んでいなければ駄目。実績だけでは十分でないことは言うまでもないが、実績はトップになるための必須条件のひとつであるように思う。

 組織は当然にトップだけの能力で決まるものではないが、トップが優れた人材であれば、その登用する人材も自然優れた者が多くなる。優れた人物とは人を見る目が確かであるからである。

 組織では、課長クラスに人材が多いと伸びる。行政機関でも確かにラインの「部長」の肩書きを持つような方は、流石に立派な方が多いが、その下の連中に問題がある場合が多い。仕方なく使っていることが多いように見る。企業でもそうだ。課長クラスは上下の中間点にあり、どちらもよく見える。組織の人材の問題点から組織の欠陥まで見通せ、上下分け隔てなく物が言えて仕事が出来る人材が課長層に多い企業は、ここ10年くらいは確実に成長できる。

 従業員にいかに意欲的に仕事に取り組んで貰うか。これはもう大昔からの課題であり、太閤記が痛快なのは、藤吉郎時代の秀吉が、うまく配下を使い信長に貢献し、信長でさえ動かしていた様が描かれているからである。

 人を動かす方策として、ハーズバーグの「動機づけ・衛生理論」は有名である。無ければ不満となるがあっても格別やる気に繋がらないのが衛生要因。積極的態度を引き出せるのが動機づけ要因である。その「動機づけ要因」には、仕事の達成感、認められること、仕事のやりがい、仕事への責任、昇進などがあるという。給与などは少ないと不満となるが、多いからといって余分に働きたいとは思わないようだ。人間関係や作業環境なども衛生要因だが、これらは1930年前後に米国ウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で行われたホーソン実験の成果でもあった。

 この「動機づけ・衛生理論」は、例えばサービス業において、必須のサービスと感動を与えるサービスとあってもなくても良いサービスの切り分けにも応用できると考えたりする。





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新、経営を考える第6回

2016年06月16日 | ブログ
拡販の秘策

 企業理念は、一般的に「世の為人の為」であり、「今後の経営方針」はというとほとんどの企業が売上げ拡大の成長志向を目指すようである。確かにそれは一面、世の為人の為になる。売れれば、追加の設備投資が必要になり、新たな雇用が生まれる可能性があるのだ。

 戦後、わが国でどんどん人口が増えていた時代は、比較的容易に拡大路線がうまくいった。全体のパイがどんどん増えていった。人口が増えるだけでなく、個人所得も確実に増加していたからである。

 ところがここに来て、人口減少時代に突入した。しかも個人所得は増えない時代。老人が増えて年金生活者が増加すれば、当然国民の平均所得は減少するのだ。もっとも子育てが終わり、家のローンも払い終えると、贅沢を考えない限り、それほど生活費は掛らないからどうにか生活はできる。ただ、病気や災害、縁者への支援などが加われば話は別で、団塊世代の貧困が問題になったりする。

 長寿は目出度いことであるが、老人に災難に遭遇した場合の抵抗力は弱い。それが分かっているから、人々は僅かな所得の中からでも貯蓄に勤しんできたし、今もそうせざるを得ない。

 要するに現在のわが国では、全体として国民の消費能力は細り、従って物は売れにくい。しかも、高度経済成長の遺産もあり、生産能力は潤沢であるからデフレとなる。資本主義社会においては、生産者側の投資を効率的に還元される為にインフレ状態が好ましいけれど、残念ながら未だデフレ状態なのだ。

 売上げ拡大を目指すマーケッティングの4つの要素、すなわち4P(Product、Price、Place、Promotion)はあまりにも有名であるが、なかでも価格(Price)戦略が問われる時代なのだ。物の価値とはそのものの機能をそのものの価格で割ったものになる。物の価値を高めるためにはその物の価格を下げることが手っとり早いのである。

 勿論、4Pのトップにくる「製品・サービス(Product)」が重要なことは言うまでもない。ものづくり企業においては、常に技術開発を怠ってはならない。楽に儲けることを考えた企業は衰退するのが常である。拡販の秘策。ひとつは製品を磨くことなのである。そして宣伝・広告による世間への告知が重要になる。

 しかし、もっとも手軽にできる一般消費者向け拡販方法は、製品はそのままに製品の価値を高める、すなわち価格を下げることにある。スーパーなどでは、昔からやっていることではあるけれど、安い目玉商品を広告し、来店顧客についでにどれだけ、通常価格の商品を買い物かごに入れさせるかが勝負なのである。思い切って、良い商品を安く提示することが拡販の秘策なのである。一般消費者向けだけでなく、当然企業向けにも有効である。

 まず、自社の製品を売ることで認知させ、所与の安心感、信頼感を消費者に与えることができれば、次々とラインナップさせた製品も比較的容易に売ることができる。

 安く売る為にやらねばならないこと。それがコストダウンなのである。コストダウンによって得られた果実を、自社とその従業員及び消費者に還元するのだ。その経営者の心根が実は企業を発展させる。



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新、経営を考える第5回

2016年06月13日 | ブログ
両利きの経営

 「技術の日産、販売のトヨタ」などと云われていた時代。確かに日産のニューブルーバード(1967年)に搭載されたダットサン510のエンジンなど優れものであったそうだ。ところが次が出ない。そうこうするうち、乗用車としては新参の三菱自動車のサターンエンジン(1970年)や公害対策車ではホンダCVCC(1972年)の後塵を拝すことになる。

 当時から時代の先端技術を開発した企業は、当該部署の権限が強くなり却って次が続かないとは聞いていたが、その論証が昨年、BPマーケティング社から出た「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」(入山章栄 著) にある。

 車でも家電品でも、多くの部品から成り立っているが、それぞれの部品ごとの設計デザインの知識が「コーポーネントな知」であり、それらの部品を組み合わせて一つの最終製品にするための知を「アーキテクチャルな知」と呼ぶ。

 業界で新製品が生まれてしばらくは部品同士の最適な組み合わせが課題となるが、組み合わせが確立され業界内で標準化が進むと、これが「ドミナント・デザイン」と呼ばれるものとなり、その後は部品それぞれの機能を高めるため、「コーポーネントな知」が重要となる。

 ドミナント・デザインが確立するにつれて、企業の組織構造やルールもそれに順応し、部門間のコミュニケーションの大胆な変更・調整(部品を取り変えようなどという試み)を難しくさせる。その結果「新しい組み合わせ」によるイノベーションに対応しなくなる。そこに先端技術を開発した企業のその後の開発停滞の一因がある。

 ひとつの知識・技術を掘り下げることを「知の深化」と呼ぶ一方、自分達の知らない遠い分野の知を求めることを「知の探索」という。イノベーションの父とも呼ばれた経済学者ジョセフ・シュンペーターが80年も前に提示しているように、イノベーションの源泉の一つは「既存の知と、別の既存の知の、新しい組み合わせ」にある。人間は、ゼロからは何も新しいものを生み出せない。今ある知と、それまでつながっていなかった既存の知を新たに組み合わせることで、新しい知が生まれるのである。

 「両利きの経営」とは、「知の深化」と「知の探索」の両方をバランスよく推し進める組織体制・ルールづくりを持った企業といえる。

 『企業組織はどうしても「知の深化」に偏り、「知の探索」を怠りがちになる。人・組織には認知に限界があり、予算という制約の中で目先の収益を高めるためには、今業績の上がっている分野の知を「深化」させることのほうがはるかに効率が良い。他方「知の探索」は手間やコストがかかるわりに、収益に結び付くかどうか不確実であるため、敬遠されがちである。この企業の知の深化への傾斜は、確かに短期的な効率性は良いが、結果として知の範囲が狭まり、企業の中長期的なイノベーションが停滞する。これを「コンピテンシー・トラップ」と呼ぶ。』




本稿は、「ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学」入山章栄著 (日経BPマーケティング社2015年11月刊)を参考にしています。



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新、経営を考える第4回

2016年06月10日 | ブログ
組織をつくる

 小さな組織なら、トップと一般従業員の距離はなく、概ね和気あいあいと仕事ができるように思う。企業であっても家内工業的運営の段階では組織上の軋轢は少ない。

 しかし、企業も段々大きくなり、社長一人の目の届かない数百人レベルの企業になると、社長の下に部長、課長、係長などの職位が必要で、それぞれの部署で指示命令系統が生まれ、これがスムーズな組織かどうかでも業績は大きく左右されるようになる。

 そこでは、「鬼軍曹」などと呼ばれる古参社員が居たりするけれど、そのイメージはパラハラなどからは遠く、恐れられながらも愛され頼られる存在であったりする。そのような社員の居る職場は筋の通ったコミュニケーションの良さを連想させ、好ましい風土が根付いている。

 パラハラは困るけれど、その逆も同様である。ライン管理者が部下に阿り、職場がインフォーマル(非公式)な序列に牛耳られることがある。労働組合だって、労働者の結社の自由は認められなくてはならないが、これが大手を振るようでは、企業業績は停滞するであろう。
 
 超過勤務など個人の裁量に任せ、職場の管理職でもない者が、休日出勤にまで指図することに、上司が目こぼしをする。それでそこそこまとまって職場に波風が立たなければいいという事無かれ主義が組織を蝕む。

 あまり上司の管理が細かく厳しいことは、業務をやり難くするため、当然程度問題ではあるが、職場の権限はフォーマル(公式)な序列によって行使されるべきものなのである。それでなければ、何のための係長か、課長なのか分からないし、それを任命したトップの意向にも反するものである。

 いや、「部下は上司からの指示待ちではダメで、うちの職場は皆自発的に仕事が出来るのです」。それが放任ではなく、一定の管理下にあるならいいのだけれど。この国のものづくり企業の労働生産性が、欧米企業に比べて低いというのは、実はトップに始まるライン管理者の管理が徹底さを欠いていることにある為ではないか。実は放任が多い為なのではないだろうか。

 良い組織作りには、トップはまずしっかりとした経営理念を文書化しておく必要がある。そして機に応じてそれを全従業員に周知し、理解させ実現のための行動をおこさせる必要がある。企業理念の実現のために経営ビジョンがあり企業戦略がある。中長期の経営計画がある。その計画に沿うように年度の計画も立案されなければならない。トップの方針を各部署はブレークダウンして職場の年度計画に反映させる(方針管理)。そしてPDCAをまわす。

 いくら組織を描いても、各部署が年度計画を持たず、その実現のための方策をもたなければ、それは組織とは言えない。しかもその組織がインフォーマルな組織に統治されているようでは、当該部署の管理者は失格である。

 良い組織とは緊張感の中にも、居心地の良い組織である。それは構成員間の信頼としっかりとした絆があり、風通しが良く、しかもトップの意向に皆が沿うよう力を合わせ、業務が機能的に進捗している。それは議論すべきは議論を尽くし、誰もが陰日向なく働くことによって築かれるものだ。慣れ合い組織からは遠い。そのような企業風土をトップは築いてゆかねばならない。



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新、経営を考える第3回

2016年06月07日 | ブログ
トップの条件

 「兵法経営塾」の大橋武夫氏は、トップの最も大切な資質は「統率力」であるとしている。生きるか死ぬかの戦場においては、トップの判断は兵士の生死を分ける。そして、その判断を的確に組織が運用できるためには、トップの統率力が重要と言うことになるのだ。企業経営の現場も戦場である。生き残らねば屍を晒すことに成り兼ねない。

 「半沢直樹」がブレークし、テレビドラマで銀行の内幕ものが流行りだけれど、銀行から手を引かれ、冷たく葬られる中小企業経営者が登場し、最悪「首つり」シーンなども出てくるのだけれど、まさに屍を晒すことになるわけだ。大企業でも倒産の恐れは常にある。そうなってから銀行を恨んでも仕方がない。敗戦国が原爆を落とされて、謝罪を求めるようなものだ。備えねばならない。日頃から厳しい経営をしなければならないのだ。そのためにトップの器量は最重要なのだ。

 しかし、平和ボケのこの国においては、国家も企業もトップに相応しくない人をトップに据えることがよくある。昨今の法令違反大企業なども、トップ人事に問題があったような気配がするが、政治の世界では顕著だ。民主党政権時の総理大臣や今回の無様なスキャンダルに塗れた東京都知事など。共通点は権力者への批判は鋭いが、自分がその地位に付いた時、本性を暴露して醜態を晒すこと。

 根本は何か。ひとつには彼らは育ちが悪かったこと。裕福な家に生まれたとか、実家は旧家であったとかの物差しではなく、恥と言う概念を十分教わる環境に育っていなかったこと。古来わが国には、「恥ずかしいこと」という法律以上に行動を律する概念があった。恥ずべき行動は取るなと云う事。特に人の上に立つような地位を求めるなら尚更、そのことを肝に銘じていなければならない。ザル法などと呼ばれる法律に照らしての問題ではない。

 とは言って、完全無欠な人間などこの世には居ない。囲碁や将棋、相撲もそうだけれど、1対1の勝負事の勝利確率は50%だ。だから、それらのプロの世界では6割勝てば強いのである。5割以下では弱かったことになる。恥ずべき行動が0%ならベストとしても、2割3割なら良しとしようではないか。恥ずべき行動の頻度が5割を超えるようなお方は、到底「公」の組織のトップには相応しくないことは、勝負の世界を上げるまでもなく分かることだ。

 職業人にあっても業務遂行にあっては、やっぱり公人である。企業もトップともなれば、殊更公私混同は慎まねば、組織の秩序は保たれない。

 トップの条件は、統率力と共に公私混同を避け得る「恥」の概念を強く持った者ということになるのではないか。
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新、経営を考える第2回

2016年06月04日 | ブログ
国家の経営

 国家の経営は、1企業の経営とはその責任もスケールも格段に異なる。売上高28兆円のトヨタ自動車にしてもGDP約530兆円の国家からすれば、その5.3%を占めるに過ぎない。1企業としては凄いことではあるが。従業員数35万人は、家族を含めても1億2700万人のわが国人口の1%程度であろうか。もっともトヨタ自動車の直接の関連企業でなくともトヨタで食っている人達、その家族を含めればさらに割合は増えるのであろうけれど、国家経営とはやっぱりスケールが違う。

 この日本という国家は、現在大きな負債を抱え、毎年の予算の多くをその利子等の返済に食われ、さらに国債増発で賄われる体質となって久しい。しかし、国債のほとんどは国内で保有されており、国民の資産の総額が国債残額より多いため、所謂企業における債務超過に当たらないという論理で、家計における収入と各種ローンの支払いの喩えとも異なるとする説もある。

 確かに、国民全体の貯蓄など、一斉に下ろされる危険はほとんどなく、一定額以上が常に蓄積されている状態であるから、日本銀行券の信用が維持できれば大きな問題ではないのかも知れない。

 とは云って、高齢化で跳ね上がる社会保障費、年金・医療・介護、さらに災害復旧、子育て支援も必要であろうから、税収は増やさねばならない。そのくせ、成長戦略という殺し文句で、外資も入れなくてはと企業は減税である。減税しても、元々赤字決算を常套化している中小企業にはメリットはないのだけれど。そこで、お金持ちに好評な消費税増税を、野田当時の民主党政権が自民公明両党を巻き込んで約束した。政権を取ったはいいが、その運営を官僚に頼るしかない民主党は、財務官僚のいいなりであったことは、鳩山・菅政権時から公知のようだった。

 今回、来年4月迄伸ばされていた消費税10%への引き上げが、再度延期されることとなった。われわれ庶民は大いに結構だと思うのだけれど、民進党の岡田代表などは、消費税増税が予定通り行われないと言うことは、アベノミクスの失敗であり、先の衆院選の公約違反である。従って退陣すべきと、内閣不信任案という空砲を撃った。

 一体、民進党は何処を向いて政治を行っているのか分からない。集団的自衛権行使の安倍政権嫌いの中韓向きとしか見えはしない。公約違反は良いことではないが、予定通りの消費税増税は、年金生活者はじめ一般の勤労者の生活を直撃する。われわれにとっては明らかな負担増しであり、仕方がないとは考えてはいても、歓迎するものではけっしてなかった。

 国家の経営は、政府や国会と官僚によって執行される。国会には与党あり、野党がある。野党の役割は、直接の経営執行者でなくとも、企業で言う、重役(取締役)の不正や横暴をチェックする監査役のような枠割を担う。すなわち国家という同じ組織の構成員なのだ。あらゆる案件の賛否は是々非々でなければならない。何でもかんでも「政府は悪い」では、その勤めを果たしているとは言えまい。国民の信は得られまい。

 江戸時代の改革で有名な将軍吉宗の改革や米沢藩の上杉鷹山の改革にしても、まず不要な出費を抑え、悪しき慣習を廃し、身分に囚われず協働して新しい産業を起こした。現代に於いても、まず増税ありきではなく、本来削れる出費を止め、既得権を持った個人や団体の跋扈を抑えること。選挙を通じて得た職権を利用して、利権を漁る議員を排除する必要がある。

 「企業の使命は、新しい市場の獲得である(顧客の創造)」とドラッカーは言った。そのためには常に意識を消費者に向けることが必要だ。政府や各政党、すなわち与党、野党に関わらず「公」は、自分達の身分を維持する選挙の為でなく、伝統と美しい文化に満ちたこの国家と国民に常に目が向いてなければならないのだ。それが国家経営の要諦である。野党は未だ経営と云う事が分かっていない。



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新、経営を考える第1回

2016年06月01日 | ブログ
物流(ロジスティクス)

 先日、オバマ大統領が広島の平和公園を訪問した。現役の米国大統領として初めてのことだ。「謝罪しないのなら来るに及ばない」などと戯(たわ)けたことを言う政治家もこの国にもいたようだけれど、戦後70年も経って、過去のことをぐちゃぐちゃ言っても始まらない。それぞれに大量の血を流したことは間違いないのだ。

 大統領だって独裁者ではない。自国の国内世論にも配慮が必要である。そこらあたり、ほとんどの被爆者の方のほうがよく理解されていたようだ。この国の民度の高さを示すもので、一部の政治家などのほうが人間的なレベルが低いことはよくあることだ。

 謝罪や反省を現代の人々に求めても詮なきこと。現実にこの世から核兵器を根絶できるかどうかなど議論しても虚しいけれど、世界の人々が広島や長崎を訪問して、直にその記念館等の展示物に触れることに大きな意義があるのだ。

 あの戦争は、始めたことに敗因があったのだけれど、本来勝っているうちに講和に持ち込む算段だった筈なのに、あまりに調子が良いもので、どんどん行ったのが二番目の敗因。工業生産力の桁違いの差、石油資源のある無し。レーダーの実用化など科学技術力の差、兵の基本的能力の違い。当時、わが国の国民の何割が車の運転ができたであろうか。あらゆる面で、勝てる戦争ではなかった。

 しかも、戦端を拡大させ、前線基地への武器弾薬から食料に到る兵站の考え方が希薄であったのではないかと思われることが致命的となった。遠くビルマからインドへのインパール作戦などという拡大戦略も単に無謀としか言えはしない。多くの餓死者、戦病死者を出した当時の軍部は、自国の兵隊に対してさえ限りない人道上の罪を犯したことにもなる。

 しかし、一方で「戦った民族は滅びない」とも聞く。大和魂の竹やり精神で突き進んだ民族は、アジアから白人支配を追放し、焼け野が原からの戦後の著しい経済復興を遂げた。まさに世界に奇跡を起こしたのだ。

 前垂れが長くなったけれど、実は、企業経営においても地味ではあるけれど、物流(ロジスティクス)は非常に重要なのである。成長戦略と聞けば、華々しいイノベーション技術やマーケティング力などを思い浮かべるけれど、それも原材料をどのようなルートで調達し、製品をどのように運送するかという基本的な物流構想があってのことだ。

 家電量販店で売り上げトップとなったヤマダ電機は、物流会社との協働で強くなったことは知られている。コンビニエンスストアのポスシステムなども有名になって久しい。物流戦略の重要性が多くの企業に認識され浸透している。

 信長の時代にさえ流通改善話がある*1)。城の薪代の高さに目を付けた信長が、藤吉郎(後の秀吉)に燃料奉行を命じた。藤吉郎は薪の流通経路を調べ、生産地から城までに何人もの仲買人が居ることで、途方もない薪代の高騰に繋がっていることを突き止めた。そこで彼は、村々から直接古木を集め、購入費をタダにした上で、村には植林の補助金を出すようにしたという。

 現代にも似たような話はないか、総点検が必要である。



*1)「上杉鷹山の経営学」堂門冬二著、PHP研究所1992年刊より

「経営を考える」は、2009年(平成21年)3月に10回に亘り書いている。このため本稿は「新」とした。
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