中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

統計(学)のすすめ10

2010年06月28日 | Weblog
統計の嘘

 「世の中に3つの種類の嘘がある。それは、日常のちょっとした嘘と、重大な虚偽と、そして、統計である」これは、19世紀の英国の政治家ディスレーリの言葉と伝えられているが、統計を使って虚偽を真実に見せる宣伝文句などがこれに当たる。また、故意に嘘を言うつもりではなくても、統計を誤って用いて、誤った結論を出すということもあろう。むしろこちらの方が多いかもしれない。

 人は活字になっている情報は信じやすいし、データで示されると弱い。しかし、以前にも触れたけれど、データはその情報源や採取方法を確認しておく必要がある。また、統計調査を行う際には、そのやり方を心得ておく必要がある。アンケートなどでは、質問文の用語の使い方にもいくつかの留意点がある。言葉の定義を明確にすることや、意味の違う言葉を混同しない注意も必要である。質問の中では、回答を誘導したり影響を与えるような言葉を極力避けなければならない。例えば「・・・に賛成ですか」ではなく、必ず「・・・に賛成ですか、反対ですか」と聞くことが大切である*10)。

 参議院選挙が24日に公示されたが、すでに序盤情勢の世論調査結果が、26日の誌面に踊った。読売新聞は「6月24、25日の2日間、全国の有権者を対象に電話で実施。有権者がいる世帯51,381件に電話して、30,440人から回答を得た」とある。一方日本経済新聞は、「調査は日経リサーチが24、25日の2日間、乱数番号(RDD)方式で電話で実施した。全国の有権者51,381人を対象に、30,440人から有効回答を得た」とある。その調査方法の表現に微妙な違いがあるものの、調査日や調査件数と有効回答数が全く同じであるところから、情報源は同じのようだ。調査方法の記述の違いは、記者のこの記事に対する感度の違いであろう。いずれにしても20歳未満だけ(有権者の居ない)で構成される固定電話を持つ家庭は非常に少なく、乱数番号方式で電話した家庭はすべて有権者が居たということなのであろう。

 しかし、この電話調査が有権者約5万人を対象にしたことは重要で、「統計では母数が一千万であろうが何億であろうが5万という数字は、その全体を現わすための標本数として適切である」と習った記憶がある。内閣支持率調査のような白か黒かの調査と異なり、調査項目が多いだけに、費用と時間をかけても、より確度が高く読者に対して説得力のある情報を求めたものであろう。

 但し、情報源はこの電話調査だけではなく、読売、日経共に全国総支局の取材結果が加味されていると断りがあり、情報分析結果の要約である見出しが、読売は「与党過半数は微妙」、日経は「民主「改選54」上回る勢い」と分かれた。与党過半数は民主が56議席を確保すれば達成する。表現は異なるが似ているようで、読売は与党の過半数に懐疑的なニュアンスであり、日経は過半数に達する勢いを強調している趣がある。いずれも自民党は議席を増やすとしながら、他の野党も含めその伸び具合から与党である民主党の議席数を日経は多めに、読売は少なめに見ていることが伺える。

 この世論調査の結果を「統計の嘘」のモデルなどというつもりは毛頭ないが、同じ世論調査結果を受けても、解析する側の元々持っている情報や期待もあって、判断は微妙に分かれる例ではある。



*10) この節まで(財)実務教育研究所「現代統計実務講座」1994年版参照
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統計(学)のすすめ9

2010年06月25日 | Weblog
検定の理論

 新しい機械で作られた部品の寸法が、従来の機械のものと差がないかの検定を統計データで行える根拠はなにか。そもそも統計的解釈に絶対はない。あくまで確率的にある一定以上の割合で有意なのか、有意であるとは言えないかの判断になる。その理論的根拠は正規分布と標準偏差にある。

 母集団として、その平均値をμ、標準偏差をσとする数字の集団を考える。この母集団からランダムに例えば10個ずつサンプリングして、それぞれ平均値を求める。それぞれの平均値はバラつくけれど、そのまた平均値はやっぱりμになることは容易に想像がつく。それではそれらの平均値の標準偏差(s)はどうか。これは母集団の標準偏差よりも小さくなることは想像できる。だって、母集団の一番端っこから順番に10個サンプリングしたとしても、その平均値は母集団の端っこの値よりは中央寄りとなることは確実であるから。実はs=σ/√10となる。「統計学の応用において最も重要な公式は、n個の観測値の平均の分散がσ2/nになることである」*9)。

 平均値の検定ではこの原理を利用する。すなわち、新しい機械で作った部品の寸法と従来の機械で作った部品の寸法(母集団)に誤差がないという仮説を立てる(μ=μ0)。そして、新しい機械で作った部品サンプルの寸法平均値と従来の機械で作った部品の寸法の平均値(μ)の差(μ-x)の絶対値が、標準偏差(σ)を新しい機械で作って測定した部品数(n)の√で割った値の何倍(z値)にあたるかをみる。例えば標準偏差の1.96倍の範囲には全データの95%が納まることが分かっているため、z値が1.96より小さければ、μ=μ0という仮説を危険率5%で否定しない。統計的に一応両者に有意差があるとは言えないことになる。

 しかし、平均値に差がなくともデータのバラつきが許容範囲を超えて大きくなったのでは、新しい機械の導入は行えない。分散の検定にはΧ2(カイ2乗)分布が使われる。Χ2分布とは、「母集団から、大きさnの標本(サンプル)を抽出して、偏差平方和(各サンプルの値と標本の平均値の差を2乗して合計した値)Sを求めると、Χ2=S/σ2=(n-1)s2/σ2は自由度f(=n-1)のΧ2分布をする」。というもので、Χ2の値が自由度fの周辺にバラつくことになる。この理論を使って分散の有意差検定が行われる。

この理論はまた、母集団の分散は、偏差平方和を全体数のNで割って求めるのに対して、そこから抽出した標本の分散は偏差平方和を標本の自由度fすなわち(n-1)で割って求めることの理論的根拠ともなっている。
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統計(学)のすすめ8

2010年06月22日 | Weblog
推定と検定

 財務・会計でもそのスキルを大別すると、財務諸表を作るまでと、そのデータを元にして経営分析を行うことに分けられるように、統計においてもデータを取るとことと、そのデータを解析することに分けることができると考えられる。推定や検定は後者に属する。

 前者の場合、大がかりな国勢調査のようなことから、製造業の現場で日常的に行われるサンプリングまでさまざまである。そしてそれらの作業も単純ではない。前回述べた母集団から、その一部を抜き取って全体を推測するにしても、アンケートをすべての家庭に留め置きして、必要事項を確実に記入して貰うこともしかりである。

 現場のサンプリングなど、例えば公害関連で、煙突から排出されているガスの組成を、また海や河川水質調査のためのサンプリングにしても、それぞれの全体像を確実に少量のサンプルに反映させるために、高度なテクニックを必要とし、理論的なやり方が規定されている。そのデータの積み重ねが統計となり、変化をデータによって把握できる。正確にデータが取られておれば、財務会計でもそうだけれど、後はコンピュータがやってくれる世の中だ。だからこそ、なぜそうなるかも知っておきたい。

 統計でいう「推定」とは、先の内閣支持率調査などが当てはまる。膨大な母集団の一部を抽出し、そのデータによって全体を推定しているのである。母数に関して予見なしに、その値はいくらくらいであろうかを知ろうとする。これが重量や寸法のようなデータであれば、母集団の平均値や分散までを推定値として計算することになる。

 一方検定とは、母数に関してすでに何らかの予想を持っており、これを仮説という形で提示して、その真偽をサンプルデータに基づいて検証するもので、統計的品質管理でよく使われる手法といえる。

 例えば、新しい機械を導入する場合、新しい機械で作った部品の寸法が、これまでの機械で作った部品の寸法やそのバラツキに有意差があるかどうかを検証する必要がある。有意差があれば、新しい機械の導入を見合わせるか、有意差が認められなくなるまで、機械の調整を必要とする。統計はあらゆるところで役立っている。
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統計(学)のすすめ7

2010年06月19日 | Weblog
ランダムサンプリング

 菅内閣の誕生で、民主党内閣の支持率が一変し、60数%まで跳ね上がったことは周知の通りである。期せずしてこの国の有権者の無貞操な見識のレベルを示す数値ともなっていそうだけれど、都度都度騒がしいこの内閣支持率はどのようにして図られるのか。以前にも触れたけれど、ランダムに発生させた電話番号1600人程度に電話して、1100人くらいから有効な答えを貰い、その1100人程度の何人が支持しているかで、支持率を求めているのが一般的であるようだ。日本の有権者数は1億数百万人程度らしいけれど、その中の結果1000人余りの人の意見がなぜ全体を表すことになるのか。考えれば不思議な気がしないでもない。

 ここで重要なのが「ランダム」という言葉である。ランダムとは規則性がないということであり、作為的でなく無秩序にということである。逆に、規則的に作為的に秩序を持ってとはどういうことかと考えてみる。

 有権者にはまず、女性と男性がいる。20歳代の人から90歳を超えるような方もおられる。既婚者も独身者もいる。サラリーマンもいれば自営業もいる。お金持ちも貧乏人もいる。住んでいる地域も異なる。学歴格差あり、宗教、支持政党、趣味、政治への関心の度合いも違う。これら異なるグループ毎に何らかの共通性があって、考え方にも傾向がある可能性がある。すなわち、作為的にかどうかは別として、特定のグループを多く含む情報には偏りが生じるおそれがある。このことが規則的で、秩序があることになる。

 内閣支持率の場合、大きくは支持するかしないかの2者択一である。支持する人を紅い玉に、支持しない人を白い玉として考えると、グループ毎に紅い玉の多いグループと白い玉の多いグループがあったにしても、それらのグループ分けを完全に壊して、全体を均一に混ぜあわせたとしたら、どこを切り取っても、全体の紅い玉と白い玉の割合を表すと考えられる。

 現実問題として、完全均一に混合し得ないため、調査機関毎に多少異なる数値が発表される。千数百の抽出数にしたのは、調査の経済性と迅速性を重視することもあるが、経験的にこの程度の数値であれば、それ以上抽出した場合の精度と大きく違わないためと思われる。

 統計では、このように母集団(この場合国民の有権者全体)の中から一部をサンプリングして、全体を推測する作業をよく行う。これをランダムサンプリングということは良く知られていることだけど、このランダムサンプリングの考え方は統計の大切な基本となる。

 ランダムの対比としてあげた特定のグループはマーケティングのセグメント、すなわち消費者を属性で分類した同質集団となるし、問題解決の際の原因究明に使われる層別でもある。言われるまでもなく知っているようで、常にこれらの意識を持っていないと、統計データは信用性を損なうし、市場ターゲットを見失いまた問題解決を遅らせることになる。経営にとっても大切な基本であろう。
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統計(学)のすすめ6

2010年06月16日 | Weblog
続、バラつくということ

 新規事業として、電機・電子部品等の開発を進めていた会社で、ある製品の委託生産先工場の生産・品質管理を担当していた時期がある。ある程度商品化の目処はあったものの、製品の歩留まりも悪く、研究部分も多く残されていたため、職場メンバーの主力は優秀な電気工学の技術者たちであった。私など、僅かな品質管理技術を拠り所に、委託先から送られてくるロットサンプルの検査の監督の傍ら、得られた生産工程データの解析を行っていた。

 ある時親しい技術者の一人が、ある工程の歩留まりの悪さを指して、なぜ委託先工場の現場は、いい時の状態が維持できないのかと嘆いていた。見れば、ある特性値が合格ラインを跨いで上下している。合格ラインの上に来たものだけが次の工程に進めるわけで、歩留まりが悪いのも当然である。とは言って7割程度は合格しているわけだから、その状態をなぜ100%近くに維持出来ないかというのが、技術者の不満であった。委託先工場の管理の稚拙さを歎き、信用できないところからくる思い込みもあった。

 私は、製品に関する専門的知識はなかったから、技術者に聞いた。このバラついている特性の値を上昇させる最も大きな変動要因は何ですか。この工程の条件を特性の値が上昇するよう少し変更しましょう。このような場合二律背反。こちらが良くなれば、他方が悪くなることが多いものだが、このケースそうはならなかった。歩留まりは劇的に向上した。ある程度のバラつきを自然のものとして容認し、全体をいい方向に移動させる変動要因に手をつけたことが功を奏したわけだ。

 ただ、歩留まり向上には良かった条件が、見えにくいところで製品の品質に悪影響があるかも知れず、時間をかけて検証していく注意は必要である。より良いものを作りたい研究技術者と、効率化に力点をおく管理技術者の凌ぎ合いもあるかもしれず、一般的に現実問題はそんなに単純ではない。

 ここで言いたかったことは、ものごとはバラつくものであること。勿論容認できないバラつきを是正するのが品質管理であるけれど、良いものを作るために知識と腕力だけで向かうのでなく、チョットした技を使って欲しいということなのだ。しっかりと統計をとる。データを取っているとそこが見えてくるような気がする。
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統計(学)のすすめ5

2010年06月13日 | Weblog
バラつくということ

 バラつくと聞けば、身近なところで我々国民の所得格差もバラつきの一種である。職業に貴賎はないけれど、それぞれの仕事から生み出される付加価値には当然に差が生じる。その部分において格差は止む負えないところもあり、その格差さえ否定すれば、悪平等となり、人々の向上への努力を阻害し、社会全体の無気力化につながる恐れがある。共産圏諸国の生産性が落ち込み、ベルリンの壁の崩壊につながった歴史がそれを教えている。企業などが生み出した付加価値をどのように分配するかという労働分配率などの指標もあり、これがあまりに低い状態は資本家による搾取という言葉が当てられる。「風と共に去りぬ」の舞台となったアメリカ南部の奴隷制度や「蟹工船」などが極端例といえる。一方労働分配率を高くし過ぎることは、企業の再投資を弱める懸念がある。

 小泉改革で格差が拡がったとの既得権益を守りたい人々の喧伝が行き渡り、政権交代の一因ともなったけれど、国民の所得格差をみる統計指標であるジニ係数*8)でみれば、格差が急速に拡がったのは小泉改革前で、小泉時代はむしろそれが抑制されている。格差の拡大は、小泉改革の所為ではなく、急速なグローバル化がもたらしたもので、日本の労働者が、賃金がはるかに安い開発途上国の労働者との競争に晒されたためといわれている。このことを含め、小泉・竹中時代の功績を統計データで論証している本がある。辛坊治郎、辛坊正記共著「日本経済の真実」株式会社幻冬舎2010年4月刊。テレビのコメンテーターの発言や選挙演説など、もっとデータに基づくものでなければ無責任となろう。

 規格大量生産における製品品質は、そのバラつきをいかに小さくするかが問われる。同じ原料、同じ機械、同じ人が作ったとしても微妙なバラつきは常に存在する。その要因は無数にあり、その要因の一つ一つを確実につぶしてゆくことは、そのコストとバラつきの許容範囲で決まる。そのバラつきの指標として、もっとも重宝なのが標準偏差であり、ものごとの自然なバラつき現象が、その平均値を中心に正規分布で近似できることと併せて、統計解析にとって非常に重要である。標準偏差を算出する公式くらいは、企業人としては当然に知っておかなければならないのである。


*8)国家は、所得格差を税制や社会保障制度によって平準化(再配分)しており、所得格差だけのジニ係数ではなく、再配分後のジニ係数も確認しておく必要がある。またジニ係数は所得の定義や世帯人員数などにも依存するため、注意が必要であるといわれている。
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統計(学)のすすめ4

2010年06月10日 | Weblog
統計入門

 前回述べたTQC教育の初めに、私共が洗礼を受けた統計テストの最初に計数値と計量値の分類が出た。統計の入門書にも初期の段階で、『統計分析で扱うデータは、量的データと質的データに分けられる。そして、量的データは、連続データと離散データに分けられる。』*5)とくる。しかし、統計を勉強する時、なぜまずこの認識が必要なのかについては、そこに解説されていないし、講義でも説明がなかった。データを取り扱う以上そのデータにもいろんな種類があることを、まず知っておく必要があるのでは程度の認識を持つしかなかった。けれど、その意味するところは結構重要であった。

 実は量的データと質的データ、また連続データ(計量値)と離散データ(計数値)で、そのデータの解析方法が異なる。だからこそ初期の段階でその分類を明確にしておくのである。例えば品質管理のための重要なツールである管理図は、ある本*6)によれば7種類ある。計数値の場合に用いる管理図には、p管理図、pn管理図、c管理図やu管理図とあり、計量値の場合の管理図にはもっともよく使われていると思われるx-R(エックスバーアール)管理図など3種類があり、明確に使い分けがされている。

 (財)実務教育研究所の現代統計実務講座のテキストによれば、統計とは集団の特徴を数量的に表す役割を果たしているとし、個数が有限の集団の構成単位の総数を表す「集団の大きさ」に対して、集団の内部構造を表す統計を作るためにとりあげる特性を「観察の標識」と呼んでいる。観察の標識に、定性的な質的データ(属性)と定量的な量的データ(計量)があり、量的データに計量値(連続量)と計数値(離散量)がある。交通事故件数や不良品の数などが1件、2件また1個、2個と数える計数値であり、体重や身長、就業時間や濃度などが計量値である。質的データ(属性)とは、人口の場合でいえば、性別、職業別、学歴別などであることは周知の通りである。

 また、データを測定する尺度からの分類方法もある。名義尺度、順序(順位)尺度、間隔尺度、比例(比率、比)尺度である。前2種類の尺度で測定されたデータが質的データであり、後2種類の尺度で測定されたデータが量的データとなる。名義尺度はまさに属性そのものであるが、順序尺度は、好みなどの表現として、非常に好き、好き、どちらとも言えない、嫌いなど、アンケート調査などによく使われる指標となるが、これに数値を当てはめて数値化してグループ間の定量的な比較に使われたりするが、当然その数値の解釈には注意が必要である。また間隔尺度の代表的なものが温度で、「その差には意味があるが、倍数には意味がなく、20℃は10℃の2倍熱いとは言わない*5)。」と解説されている。しかし、例えば0℃の水を20℃まで温めるには、10℃まで温めるのに比べて2倍の熱量が必要で、その意味では倍数にも意味が生じる。斯様に統計データも一筋縄では解釈しきれない難しさがある。

 財務会計で学んだ、フローとストック。貸借対照表のデータは一時点の大きさを表すから「ストック」であり、損益計算書やキャッシュフロー計算書のデータは一定期間の増減を表すので、「フロー」であった。統計では前者を静態統計と呼び、後者は動態統計と呼ぶ。財務会計によらず、どんな統計でも静態統計か動態統計かのどちらかである。統計を扱う場合には、それがどちらの種類であるかを明らかにしなくてはならない*7)。






*5)岡太彬訓等共著「データ分析のための統計入門」共立出版(株)
 *6)中村達男著「管理図の作り方と活用」(財)日本規格協会
 *7)(財)実務教育研究所「現代統計実務講座」
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統計(学)のすすめ3

2010年06月07日 | Weblog
データに親しむ

 私が勤務した会社では、管理職になる前の職能ランクに昇格すると、同期昇格者は学歴に関わらず一緒に、週1ペースで一定期間TQC教育を受けた。20数年前の話である。講師は社外の専門家。まずは講師からの講義があり、その後5名程度毎のグループに分かれて、それぞれが課題を決めてTQCストーリーに沿って解決し、プレゼンテーションまでを行うというものであった。

 その初日の社外講師からの講義は、まず筆記テストで始まった。内容をすべて覚えているわけではないが、ほとんど分からなかったという屈辱的な体験をした。私だけではない。ほとんどが同様であったように思う。それまで、小集団活動を行いQC7つ道具の講義などは受けていたし、小集団活動のリーダー研修も受けていた。しかし、それらは社内講師による実践的または精神論的なものが中心で、いわゆる統計的品質管理の理論を学ぶところからは離れていたことが原因である。社外講師からの皮肉が聞こえて来そうな気が今もする。

 テストの内容は、まず記述されている計量データを、計数値と計量値に分けろというものであった。まず意味がよくわからない。何の講義もせずにのっけからテストである。計数値は離散量ともいい、計量値は連続量ともいうが、せめて後者の表現であればまだ分かり易かったかもしれない。次の問題が「標準偏差を求める公式を記述せよ」というものであった。これも裏覚えで、明確に答えられなかった。兎に角全体として問題数は多くなかった。従ってこれだけ答えられないと、ほとんどバツの状態となってしまう。

 しかし、この体験が私に統計の勉強を始める動機づけになった。しばらくして、私は、(財)実務教育研究所の文部省(当時)認定社会通信教育『現代統計実務講座』を受講し、毎回の課題に苦心惨憺しながら解答を返信し続け、努力を認めていただき研究所長賞をいただいた。丁度コンピュータ(エクセルなど)を使って行う講座の前の時期で、計算は大変だったけれどその分、計算過程がよく理解できたように思う。かといって難しい理論など未だに分かってはいないのだけれど、データに親しむという習慣はできた。データを取るということ、そのデータの意味を考え課題解決に生かすというスキルが、ある程度身に着いたことは間違いないであろう。

 難しい理論をマスターすることは勿論大切であるし、それをさらに深化させてゆく必要もあろう。まさに学問のすすめであるけれど、実務者には学者の理論をうまく活用することが求められる。肩肘張らず、まずはデータに親しむことができればいいように思う。
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統計(学)のすすめ2

2010年06月04日 | Weblog
統計とは

 日本の子どもたちが、学校で統計を学んでいようがなかろうが、世の中は統計で溢れている。にも関わらず、それでは「統計」とは何かと聞かれれば、分かっているようで、いざとなれば「広辞苑かネットで検索」してみることとなる。因みに広辞苑(昭和55年第二版補訂版)によれば、「集団における個々の要素の分布を調べ、その集団の傾向・性質などを数量的に統一的に明らかにすること。また、その結果として得られた数値」となっており、またネット検索によれば、Wikipediaが「現象を調査することによって数量で把握すること、または、調査によって得られた数量データのことである」と教えてくれる。

 要は、単に「増加した」とか「減少した」とか、「国民はそう言っている」とか、「格差が拡大している」などと曖昧な表現によらず、一体どの程度何に比べて増加したのか減少したかを調べて、数値で表現する。また国民の何割がそのように言っているのか、必要ならば世論調査して数値で把握する。などが統計ということになる。

 ここで気になることが生じる。一体どのように調べるのか。例えば国民ということになれば、1億ものすべての国民一人一人から意見を聴くことなど到底できはしないから、調査の方法が問題になるし、得られた数値に対する解釈の仕方も問われる。そこに統計学*4)の必要性が生じる。

 統計の取り方そして得られたデータの解釈の仕方を学ぶことは、統計的品質管理など企業活動に生かされているばかりではなく、家庭の日常生活においても有益である。例えば家計簿をつけることで、月々、年度毎の支出や収入の変化を見つめ、その差異がどうして生じているのか、その差異は仕方のないものなのかどうかなど考察することで、家計の改善につなげることができる。

 統計を代表するものとして、国勢調査などがあり、この方法は何となく分かるけれど、小売店などの商圏調査の基礎となる家庭の消費動向調査など、どのように行われているかあまり知られていないように思う。当該市や町の住民が例えば洋服をどこで買うのか。自分の市や町で買物をする割合と、隣町まで出かける場合や少し遠くの大きな街に出かける場合の割合など、県立の図書館などに行けば年度毎の調査結果の厚手の本があるけれど、これなど国勢調査のように全世帯を調べるわけではない。中学二年生の居る家庭を標準家庭とみなし、市内、町内の中学校に協力を求めて、その家庭に調査票を配って調査するとのことである。

 もっとも商圏分析などは、専門の会社が独自に調査し、コンピュータにデータを入力し売買する時代であり、その蓄積と随時更新によって、必要な最新情報が瞬時に得られる時代となったけれど、どこかで地道な調査が繰り返されていることはいうまでもない。統計を知ることとはコンピュータ時代にも、そのデータの一つ一つの積み上げの苦労を知ることかもしれない。
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統計(学)のすすめ1

2010年06月01日 | Weblog
新学習指導要領

 私など全く知らなかったことで、先月29日の社団法人日本品質管理学会第92回研究発表会の特別講演*1)からの受け売りなのだけれど、日本では平成10年の学習指導要領の改訂で、統計分野が削減され、この10年子どもたちは高校までを含め学校ではほとんど統計を勉強していなかったそうである。

 一方海外では、1982年英国、1990年米国で、「『統計と確率』は、従来に比べ相当重要な位置を与えられるべきである。」との関係機関からの勧告に従い、学校で小学校低学年から、自身で問題を見つけて関連データを集め、整理し表現すること。高学年では体系的に収集したデータをコンピュータで処理し、解釈するなど、問題設定からその解決に統計手法を活用する訓練がされているそうである。

 その特別講演では、ニュージーランドの統計教育を代表例として取り上げていたが、小学校から高校までの統計的問題解決、統計リテラシー(基本能力)、および確率の内容が対象データのレベルと使用する統計スキルを上げながら、毎学年で繰り返され*2)、それは数学の時間の3分の1を占めるとのことであった。そしてこれら海外での統計教育改革のルーツは日本の企業で行われて来た品質管理教育におけるQCストーリー*3)であり、そこから生まれたシックスシグマのDMAICに沿うものであることは興味深い。

 すなわち、1980年代の日本が家電製品や乗用車等に代表される工業製品の品質で世界を凌駕したインパクトから、欧米が必死に日本の質文化を学んだ証左であり、それを企業活動に取りこむだけでなく、子供たちへの教育へさえ取りこんでいたことは徹底している。この頃日本の教育はどうなっていたのか。「ゆとり教育」である。「21世紀は日本の世紀」などと褒め殺しされ始めた時期から、海外は必死に巻き返しを図り、日本はうさぎ小屋での昼寝に入ったとさえいえる。

 ここに来て、というより2005年日本統計学会などを中心に、21世紀の知識創造社会に向けた統計教育推進への要望書が、中央教育審議会に提出されたそうで、2009年にようやく新学習要領に統計が盛り込まれることになった。その内容をあげると、例えば小学3年生では、資料(データ)の分類と整理、表やグラフでの表現、表やグラフの読み取り、棒グラフの読み方や書き方。中学1年では、ヒストグラムや代表値の必要性と意味、ヒストグラムや代表値を用いて資料の傾向をとらえ説明する。さらに平均値、中央値、最頻値、範囲、階級の意味など、統計的品質管理の初期に出てくる学習内容を学ぶことになったのである。


*1)東洋大学経済学部渡辺美智子先生
*2)PROBLEM:対策をとるべき課題の発見 ⇒PLAN:現状を測るためのデータ収集と分析計画 ⇒DATA:資料やデータの収集・記録・整理 ⇒ANALYSIS:データの分析 ⇒CONCLUSION& IMPROVE:結論のとりまとめと施策の提言 ⇒CONTROL&CHECK:施策の実施管理と効果の 評価
*3)1.テーマと目標 2.現状把握 3.解析(現象→原因) 4.対策 5.効果の確認 6.歯止め、標準化 7.残された問題、今後の取り組み
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