中小企業診断士 泉台経営コンサルタント事務所 ブログ

経営のこと、政治のこと、社会のこと、趣味のこと、人生のこと

経営を考える10

2009年03月28日 | Weblog
CSR
 カルテル、談合、脱税、偽装、初歩的な安全管理の不備、不法投棄、残業代不払いや名ばかり管理職制度、裏金作りからの不正な政治献金などなど、挙げればきりがないくらい企業モラルの欠如が次々と明るみに出ては顰蹙を買うけれど、それでも結構大手企業は生き残って、喉もと過ぎればの風情がある。どなたがどのように責任をおとりになったのか一般には知りがたく、この国の罪と罰は組織犯罪において不明朗である。従って企業の社会的責任が声高に謂われる割には、不祥事は繰り返される。

また、このたびの猛烈な派遣切りなどでは、マスコミの攻撃が企業経営者に向けられるようになって、ようやく経営者の報酬カットなどが出てくる始末で、誰が考えても順序が逆だろうと言われるように、特に大企業のCSRに対する底の浅さが露呈した。

CSR(Corporate Social Responsibility)、企業の社会的責任である。経済がグローバル化した今日、経済力を持った企業の行動を国境を越えて倫理的に規制するもので、軍事独裁国や民族・性差別、公害を生み出すようなビジネスには投資をしないこと。また、フィランソロピー活動やメセナ活動など慈善事業や文化・芸術活動への支援を企業に求める意味もあるけれど、それぞれの国の法律を守ることや従業員を大切に考えることこそ、社会的責任であろう。

私などの若い頃は、政治家には一部を除きダーティーなイメージが強く、大企業のトップの方々は一部を除き、人間的にも立派と思われる方が多かったように思えた。それが、最近では反対になった。もっとも政治家の多くが立派になったというには異論もあろうが、少なくてもダーティーな政治家は以前より少なくなった。懲りない方はまだおられるようだけれど。それにしても、財界にさもしい人が多くなったことは間違いないように見受ける。

 国の支援を求めるために自家用ジェット機で登場したCEOや巨額の公的資金供与を受けながら、これまた巨額のボーナスを役員に支給した証券会社など、流石の米国でさえ大統領から国会、国民まで呆れ返って怒り心頭。企業トップの破廉恥振りが際立った出来事だけれど、わが国でもありそうに思われることが寂しい。
 
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経営を考える9

2009年03月25日 | Weblog
多角化
 平成15年の中小企業診断士2次試験の事例Ⅰ(中小企業の診断及び助言に関する実務-組織・人事)で多角化に取り組んだ企業が出た。中古自動車販売している中小企業が近隣への競合店の進出もあり、新規事業を模索し、当時ブームとなりつつあった焼肉店のフランチャイズ・チェーンに加盟して出店したという話である。経営者である社長には、飲食業の経験も営業ノウハウは勿論、出店・事業展開に関しても特別の知識や経験を持っていなかった。すなわち全くの無関連多角化を扱った事例である。

 第1の設問は、「企業が事業多角化を進めるのは、なぜか。その理由をそれぞれ20字以内で2つ述べよ」というもので、基本的な知識を問う問題となっている。ただ、与件文には「本業の中古自動車販売事業を拡大していくことに不安を抱いて、・・・」とあり、少なくとも一つは答えを与件文から直接拾えるようになっている。また無関連多角化を選んだということで、複数事業展開による「リスクの分散」が考えられる。さらに「当時ブームとなりつつあった焼肉店・・」とあるところから「新規の事業機会の発見」による多角化ともいえる。そんなことで、診断士2次試験は受験者の知識を直接問うことより、与件文に沿った解答を引き出せる能力を問うている。

 試験は兎も角、企業経営において多角化は成長戦略の一環でもあり、時代の変遷に応じて、その姿を変えてゆかねばならぬ過渡期としての戦略でもある。一般に企業が多角化を行う理由としては、
 ①主力製品の需要の停滞。将来性への不安。
 ②組織の余裕資源(組織スラック)の活用。
 ③リスクの分散(ポートフォリオ効果)による収益の安定化。
 ④関連事業展開(関連多角化)によるシナジーの追求。
 ⑤外部環境変化から新しい事業分野の認識。
などが挙げられている。

 しかし、多角化はリスクが高く、特に全く異なる分野への進出では大企業でも手こずることが多い。最近は研究投資からの時間とリスクを避けて、事業譲渡や吸収合併などM&A(Mergers & Acquisitions:企業の合併・買収)によることが多いように見受ける。

 たとえ小さな会社であっても、企業はゴーイングコンサーン(継続企業)でなければならない。現在手がけている製品が世の中で受け入れられなくなるにしても、その製品を作り出すための技術や技能、経営ノウハウは、また別の製品を生み出すために活用できる筈で、企業は常に変わって行く覚悟と準備は必要である。
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経営を考える8

2009年03月22日 | Weblog
マーケティングとイノベーション
 「事業の目的とは顧客をつくり出すこと」とドラッカー博士の語録にある。そしてドラッカー博士は、『企業の第1の機能はマーケティングであり、マーケティングの理想は、販売を不要にすることである。マーケティングが目指すものは、顧客を理解し、製品とサービスを顧客に合わせ、おのずから売れるようにすることである。しかし、マーケティングだけでは企業としての成功はない。企業の第2の機能は、イノベーションすなわち新しい満足を生み出すことである。イノベーションの結果もたらされるものは、よりよい製品、より多くの便利さ、より大きな欲求の満足である。マーケティングとイノベーションだけが成果をもたらす』。と述べている。「イノベーションの欠如こそ既存の組織が凋落する原因である」とも言っている。*6)

 「経営を考える」時、マーケティングはイノベーションとセットになる。なぜなら企業は常に新しい製品・商品や提供方法を生み出し続けなければならないからである。イノベーションには新製品や新商品(新たなサービス)の創出と、コンビニエンスストアのような新たな業態を生み出すこと、既存の製品の新しい用途を見つけることなどがある。寒冷地で冷蔵庫は凍結防止に役に立つ。すなわち、イノベーションを追求することがマーケティングにつながって行く。 

米国GE社の当時のCEOウェルチ氏は、ソニーのトリニトロンカラーテレビの鮮明な画像を見て、テレビ事業からの撤退を決めたという。また昨年、コンビニエンスストアの売上高は百貨店を超えた。イノベーションはいつの世も市場を席捲する。乗用車も従来のガソリン車からフル電動車への転換が云々される時代となった。今からハイブリッド車開発ではすでに時代遅れの懸念がある。ゲーム機だって、ブロック崩しに始まって、1ゲーム100円のスペースインベーダーが大人気となった。当時数十万円のゲーム機を自宅に買い込んだ芸能人の話も聞いたけれど、その後間も無く、スーパーマリオで1万7千円の家庭ゲーム機が普及する。そしてウィーフィットだ。この間僅か30年。

 使い捨てカメラからデジカメに取って変わったのはこの10年。携帯電話もしかり。テレビだって、ハイビジョンなど過剰品質だと最初は思っていたけれど、今やハイビジョン機能が常識になった。フラット画面であろうがブラウン管テレビは店頭から消えた。売り方を工夫する前に商品の性能、利便性が遥かに先を行ってしまう時代。

しかし、地道なマーケティング活動を疎かにしてよい筈はなく、売れる仕組みづくりによる顧客の創出は、いつの世にも取り組むべき課題である。

*6)この節は、日本経済新聞2005年11月13日「経営学の父」その思想と人生およびP.F.ドラッカー著/上田惇生編訳<エッセンシャル版>「マネジメント」ダイヤモンド社 2001年刊を参考にしています
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経営を考える7

2009年03月19日 | Weblog
業務改善
 私たちが仕事を進めている周りには、多くの業務改善手法がちりばめられている。IE(Industrial Engineering:経営工学)やVE(Value Engineering:価値工学)から、小集団活動、改善提案活動も業務改善の方策であると考えられる。また「経費節減」はどのような企業でも常日頃から合言葉のようになっているけれど、それは放っておくとコスト(製造原価や管理費)は上がり*4)、製品価格は低下する傾向にあり、収益が低下する恐れがあるためである。

 それでは、企業の多くが上手に業務改善を行ない成果を上げているかと言えば、そうでもないように感じる。その原因には、その場凌ぎのやりっ放しが多いこと。ツボを心得た改善になっていないことが上げられる。

 やりっ放しとはPDCA(Plan Do Check Action)がまわってないことである。すなわち、行った改善の成果や問題点がチェック検討されて、次のステップに移行していないことである。またツボを心得た改善になっていないとは、枝葉末節の改善に終始しているということである。枝葉末節と思われるような改善もけっして疎かには出来ないのだけれど、それで満足していては業績に貢献するような成果としては現れ難い。

 それではツボを心得た改善とは何かを考えてみる。モノづくりをしている工場を例に取りその物の流れを見ると、「加工(生産)」と「検査」と「運搬」と「停滞」、この四つに分けられることが分かる。「停滞」とは原材料、仕掛品および製品などの主に在庫を指すが、細かく言えば生産工程中での手待ち状態のことも指す。この四つの中で付加価値を生んでいる、すなわち工場からお金を生み出しているのは「加工(生産)」だけだ。他はすべてお金を生み出さないばかりかお金を食っているだけ*5)。従って「停滞」、「運搬」、「検査」この3つを順に、それらを可能な限り省いてゆくことがツボを心得た改善になる。

 加えて「加工(生産)」面では、「生産コストは設計で決まる」と言われるように「設計」段階がポイントで、機能とコストを調和させた製品設計が必要となる。ISO9000シリーズが華やかかりし頃、ISO9001による設計部門の業務の「見える化」で、部品等の共通化が図られ、コストダウンに貢献が大きかったという話を聞いた。

 従業員の自主的活動による業務改善は勿論大切であるが、ツボを心得た改善活動こそ全社で展開する必要がある。

*4)「経験曲線効果」といって、累積生産量が増大するに従い、コストが減少していくことが謂われているが、管理されない状態においては必ずしもそれは保障されるものではない。
*5)この節 西塚宏著「不良ゼロクレームゼロのための完全生産のしくみとその実践」産能大学出版部刊 参考
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経営を考える6

2009年03月16日 | Weblog
経営管理
経営を管理するためには、経営分析が必要であるが、それは一般的には財務分析を指す。財務分析とは財務諸表である、損益計算書(P/L)と貸借対照表(B/S)から得られる数値データから経営状態を明らかにすることをいい、当該企業の経営成績から、問題点を抽出することにある。

本によって表現の違いはあるが、経営分析では「安全性」、「収益性」、「効率性」、などを評価する。評価基準として、これまでの自社の実績との比較や同業種、同業態との比較などがある。利益が出ているかどうか。当座資金に余裕はあるか。不良在庫は増加していないか。売掛金の回収状況は良いか。金利の高い借金を抱えていないか。など一般的な着眼点で自社の財務諸表を診るだけでなく、「流動比率」、「当座比率」、「営業利益率」、「棚卸資産回転率」や「総資本回転率」などの経営指標を計算して確認する。「付加価値生産性」など労働生産性までにも踏み込めればなおいい。

これらは財務会計の勉強を少しした人なら常識であるけれど、日常管理として自社の経営に活かすことと、単に知っていることとは次元が異なる。難しい理論を振りかざす必要はない。四則計算ができれば十分である。

財務諸表は、自社の経営状況を知るための大切な管理会計のベースとなる。損益分岐点は確認しておく必要がある。費用を固定費と変動費に分ける*3)のも簡単ではないが、自社の費用をしっかり見極め、損益分岐点比率を余裕のあるレベルに維持したい。僅かな売上高低下で赤字になって慌てることのないようにしたい。

税務申告用に、年1回財務諸表を作って眺めるのではなく、日常的に財務状況をチェックすることが経営管理である。また全社としての財務状況や損益状況を診るだけでなく、製品・商品別に原価計算を行い、収益性を確認することや取引先別の収益性など、細やかな管理が望まれる。

また、経理部門だけにそれらの管理を委ねるのではなく、各職場のリーダーは、自職場の費用構造をしっかりと把握しておくことが必要である。職場毎に複式簿記は要らないが、リーダーは担当者から回って来た購入伝票や支払い伝票に単に判を押すだけでなく、自職場の費用簿をつけて無駄な経費の圧縮に努めるべきだ。真に不況に強い体質の企業とするためには、全社的品質管理活動と同様に全社的経費管理活動が必要である。

*3)固定費と変動費の分け方には、各勘定科目ごとに変動費か固定費かを決定しておく勘定科目法や、高低点法、散布図法、最小自乗法などがある。
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経営を考える5

2009年03月13日 | Weblog
経営革新
先日、マキノ雅彦監督の映画「旭山動物園物語」<ペンギンが空をとぶ>を観た。面白かったことは勿論、素晴らしい映画であった。加えて旭山動物園の廃園の危機から、日本で1番の入園者を誇る動物園になるまでの軌跡に、改めて企業再生のモデルを見るようで診断士として教わるところが多い映画でもあった。

映画は3年前からの企画だから、昔の旭山動物園は無い訳です。全国の動物園をまわって撮らせて貰ったそうですが、「CGを使わなくては絶対無理だと思われるような動物の仕草を、見事に映像で再現できたのは奇跡としか言いようがない」。と原案者であり、主人公のモデルである小菅正夫園長に言わしめた映画の試写会では、小菅氏は体が震えて立ち上がれないほど泣いたという。自分が自分でなくなるくらい感動したそうである。

マキノ雅彦監督こと津川雅彦氏は、昨年の文藝春秋12月号に親友であった俳優の緒方拳さんへの追悼文を寄せておられる。共演者を本気でぶん殴る緒方拳さんのような本気の芸を受け入れた多くの客がいて、緒方さんが存在できたとし、現代の茶の間の客を次のように嘆いておられる。『四十年前フランスに行った時、テレビを観ていたら「テレビばかり観ていると日本人やアメリカ人みたいに馬鹿になるよ」と言われた。正しくいまの日本人は大宅壮一も「一億総白痴化」と予言した通りの国民になった。集中力を持ってドラマを鑑賞できるわけがない茶の間が客を育てる時代だ。更に戦後の個人主義と唯物主義が人品を卑しくした。客はタレントに下品、下等を求めて自分を慰め癒す。』

企業に企業理念がなくてはならないように、人には哲学がなくてはならない。いかなる職業にあっても、1流といわれる人には優れた哲学がある。その人が書いた文章を読めば、その人の想いが伝わる。会えば、滲み出る雰囲気にそれを感じることができる。その人が創った作品はやはりその人を伝える。

映画「旭山動物園物語」の主題は単なるサクセスストーリーではなく、生き物を尊び野生動物の能力を称えながら、異なる個性を許容し、弱いものさえ活かす人間賛歌へとつながっていく。しかし、なぜこの動物園が成功したのかを考察するとき、マキノ監督も「既存の玄人を乗り越え、新境地を開き、マンネリに風穴を開け業界に革命を起こす。あらゆる企業のお手本だと思う。」と述べておられる。

従業員の能力を信じ、全員参加で自らが必死に考え行動する。企業の経営革新を実現する秘訣は、ここにあるのではなかろうか。
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経営を考える4

2009年03月10日 | Weblog
組織と人事と戦略と
 私が就職した当時(1966年)は、大企業でも組織構造は大抵機能別であった。工場では工場長が当然一番偉かった。工場への情報はすべて工場長を経由して工場内下部組織に流れることが建前と見えた。資産管理の裁量は兎も角、工場が一企業体としての機能をその中で完結することができているように見えた。

当時は作った製品をいかに売るかの時代であった。工場は生産量のノルマを果すことで、社内の権限を確保することが出来ていたのではないか。やがて生産能力が需要を凌駕する。作れば売れる時代ではなく、顧客の求めるものを作らねばならない時代になった。顧客が新たに興味を抱くような商品開発が一層求められるようになった。

企業組織は多くの大会社で事業部制に移行する。この頃から「戦略」という言葉がよく聞かれるようになり、ターゲットマーケティングだ、マーケケットセグメンテーションだと、聞きなれない横文字が社内報や労働組合ニュースの労使懇談会報告などに踊るようになった。物流がロジスティクスと、広い概念で捉えられるようになったのも同時代だったように思う。

事業部制になって、工場は事業部で横断されるようになった。主要な人事権は事業部長が握り、日々の情報も業務指示も事業部から工場担当部署へ流れるようになる。工場長は安全管理と地元組織やその有力者とのコミュニケーションがその任務となり、事実上各事業部長の下座に置かれる。職場によっては所属長さえ経由せず情報と仕事の流れが出来る為、ライン管理者の権限も弱くなる。国家行政の大臣と官僚の関係の構図となってゆく。

機能別組織下の工場の人事課長は、工場他部の部長並みの権限があったけれど、事業部制の下では、人事異動や昇給・昇格時の手続きを司る人に成り果てたように見える。工場従業員への細やかな施策は影を潜める。全社的にも近視眼的な成果主義と相俟って、人件費抑制だけの戦略なき人事制度や給与体系を生み出す。

「組織は戦略に従う」というけれど、時代のトレンドとして事業部制にした企業が多かったのではないかと思う。その制度の功罪が十分認識されないまま運用されて、従って組織の根拠となった戦略は置き去りにされているのではないか。その意味で、日本の多くの企業にほんとうの意味の戦略があるのだろうか。また、その組織は真に機能的に運用されているのであろうか。各組織のリーダーは真にリーダーたるに相応しい見識、決断力、リーダーシップを有しているのだろうか。現在の日本企業の経営手法は、グローバル化を言い訳に従来の日本的経営の良さは切り捨てて、欧米の企業経営を単に模倣して来たに過ぎなく見えて仕方がない。

戦略があるなら、組織が常に機能的に運用され、各リーダーが真のリーダーであるなら、1兆円も稼いでいた日本のトップ企業が、1割強の売上げ低下で、突然赤字に転落することはないようにも思う。

組織は体裁ではなく、その中で働く人材が居てその使命を果す。きめ細かい優れた人事戦略なくして組織は効率的に機能せず、従って戦略の実現もない。 

従って、組織にとってはリーダーはじめ人材の育成こそが、その継続に最も重要な要件となるのだけれど、即戦力だ、何が出来るか、語学力は、など枝葉にこだわる近視眼的な人事によって、骨太の人材を育てることができていないのが現状ではないか。真の戦略が構築できない要因がそこにある。
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経営を考える3

2009年03月07日 | Weblog
経営戦略
 自社の製品やサービスを自社の資源を活用して、市場に展開する方策を規定することによって、競争優位を追求することを経営戦略という。マーケティング要素に4P(Product、Price、Place、Promotion)があるように、経営戦略も一般に4つの構成要素から成ると言われている。すなわち、事業領域をいう「ドメイン」、資源配分のパターンである「資源展開」、「競争優位性」および「シナジー」である。

「シナジー」は、取り扱う複数製品の資源展開における相乗効果のことであり、複数の事業を別々の企業で行うより、一つの企業で行った方がコスト的に有利になる「範囲の経済」の概念に近い。「ドメイン」は元々生物学用語で、生き物の棲息領域をいうと聞いたことがある。自社がどの経済市場で生きていくのかを、経営資源との兼ね合いもあり明確にする必要もあるが、顧客ニーズからの柔軟な発想によって、環境変化に対応させてゆくことが肝要である。広すぎても狭くてもいけない。また、持続的な「競争優位」を確立するために、他社に模倣困難な独自の組織能力を持つことが必要で、これを中核能力「コアコンピタンス」という。

 経営戦略は1960年代の米国で、軍事用語から企業経営に適用した概念である。それにしても超大国の大企業が、超エリートスタッフをふんだんに取り込んで練った筈の戦略が、なぜ世界の経済に大きな迷惑をかけるような体たらくに陥るのか。確信犯的と思われる怪しげな金融商品の創出によるマネーゲームも然ることながら、経営者の過剰な報酬慣習や株主中心主義、経済合理性に偏重した経営が組織の一体感を阻害しているためではないか。それはわが国の企業にも1990年代以降感染しているように思う。 

カンパニー制を取り入れたり、委員会設置会社になったりと、新しいことが大好きなことは結構であろう。原材料供給メーカーには品質面に非常に厳しい要求を課すことは悪いことではない。それにしても、供給メーカーの担当者が遠路出張で訪問しても、お茶ひとつ出さず、自社のルールを盾に依頼事項に耳を貸さずの姿勢はいかがなものかと感じていた。凋落が始まって外国人社長を入れることで、いかにグローバル企業を気取ってみても、棲み付いた病巣はそれだからこそ中々取り除くことは難しいように思う。

求人広告に、履歴書に添えて原稿用紙数枚の小論文を提出させて、不合格通知の紙切れ一枚送りつけるなら、図書券の1枚も添えられないものかと思う。絞り込んだけれど規定の退職金はお支払いしましたと、定年退職の感謝状に添える記念品さえ取り止めて、社長名の感謝状を白々しくさせてまでのコスト削減が、将来に亘って企業の利益に貢献するのだろうか。

いずれも大きな企業の傲慢さが、人としてのささやかな気配りさえ失くしている現実がある。無駄な経費の評価基準さえ分からなくなっているところに、没落への歩みが始まっている。

たとえ求職者であっても、パート従業員、派遣社員でも、企業OB、供給メーカーのしがない営業マンだったとしても、私生活では、製品を購入する立派な顧客やオピニオンリーダーにさえなり変わる可能性がある。

経営戦略は重要であるけれど、いくら分かったように計略を廻らせても、義とか情とかアナログ感覚の施策は芝居の世界だけのことと考える経営者だとしたら、その企業は危ない。
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経営を考える2

2009年03月04日 | Weblog
続、経営学の父
 ピーター・ドラッカー博士は、20世紀初頭ハプスブルグ帝国(現、オーストリア)の首都ウィーンで生まれた。20世紀を代表する知の巨人と言われ、日本にも多大の影響を与えた。マネジメント(経営)の発明者であり、分権化、目標管理、知識労働者また民営化なども氏の造語だという。

 ドラッカー博士の考え方やその受け入れられ方をみると、戦後の日本に「品質管理」を指導したデミング博士(1900年-1993年)やジュラン博士(1904年-2008年)と重なる。ほとんど同時代に生き、欧米の企業よりも高度経済成長期の日本企業がその思想を忠実に実行し、その考え方の正しかったことを立証した。

また、ドラッカー博士が「断絶の時代」(The Age of Discontinuity)を書いた1968年当時は、質時代の始まりの時期であった。マーケティングの分野では、「大量生産ベースの産業システム、投資中心の事業運営」から「顧客が求める価値を起点とした企業活動、事業領域の考察」への変化をもたらした時代。すなわち生産者の論理(プロダクトアウト)から顧客・市場の視点(マーケティングイン)へ変化した時代であった。*1)

ドラッカー博士は1940年代後半、GMで大規模な従業員意識調査を実施。ここで労働者が責任を持って、連帯しながら品質改善に取り組む必要性を痛感した。しかし、米国では労働者に責任を持たせるのは経営権の侵害をもたらす危険な思想として排除され、世界初の「品質管理(QC)サークル」の導入は頓挫した。

ところが、その思想は1950年代の日本で蘇る。ドラッカー博士を経由して従業員意識調査の結果はトヨタへ持ち込まれ、終身雇用や労使協調政策、小集団活動や改善提案活動として生かされた。それから半世紀、2008年トヨタの世界販売台数は897万車(‘07年934万車)となり、835万車(‘07年938万車)のGMを抜き去った。*2)

ドラッカー博士の基本思想は従業員至上主義とも言われ、資本市場を重視する米国的経営よりも、日本的経営に合致し、日本でドラッガーファンを増やした。しかし現在の日本の経営者に、ドラッカー博士はじめ、デミング博士、ジュラン博士の思想がどれだけ受け継がれているのであろうか。

*1)この節は飯塚悦功著「Q-Japan」日本規格協会2008年9月から引用
*2)数字は、日本経済新聞2009年2月27日時価総額構成比世界の自動車16社による。
本稿ドラッカー博士に関しては、日本経済新聞2005年11月13日「経営学の父」その思想と人生 を参考にさせていただきました。
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経営を考える1

2009年03月01日 | Weblog
経営学の父
 「経営学の父」勿論ピーター・ドラッカー博士(1909-2005)である。その語録のうちでも「労働力はコストではなく資源である」という言葉は有名である。

私は若い頃、会社で昇給やボーナス額にはしばしば苦言を呈していた。労働組合には、「我々はしっかり働いているのだから相応に賃上げを要求しろ」と文句を言っていた。会社人事や労働組合にはいやな人間であったけれど、それでも昇進・昇格査定にも影響することはなかった。当時は懐の深い人事管理者が多かった。

 ある時、懇意にしていただいていた工場の人事係長に、私は日頃の疑問を尋ねてみた。「人件費はコストではないんじゃあないですか?」。しばらく考えられた人事係長は、「やっぱりコストなんだよ」と言った。それで会話は途切れた。コストであるという説明まで私は求めなかった。ただ、私の突然のしかも飛拍子もない質問に、しばし考えられた人事係長を偉い人だと思った。

当時私は経営学の勉強をしていたわけでも、その分野の本を読んでいたわけでもなかった。ただ、昇給やボーナス額にこだわりのあった私が、逆説として、一生懸命働いて製品を作っても、それが売れずに収入が得られなかったら、その労働の対価は無に等しい。そんなことを考えていると、「労働の対価として支払われた人件費はコストではない」のではないかと考えるようになっていた。

 ピーター・ドラッカーなど全く聞いたこともなかった当時の私が、経営学の父と言われる偉大な人物と、似たようなことを考えていたことになる。後々先のドラッガーの言葉を知ることになり、吾ながらすごいと思った。そんな思い出が診断士を目指した今の自分につながっている。

 会社は雇用する従業員に、一時の業績に関わらず一定の給与を支払わねばならず、税法上も経費と認められており、人件費はコストであることには違いがない。また、人件費は付加価値額に算入されるように、企業活動によって生み出される価値の分配にあたる。そしてその価値を生み出す源泉たる重要な経営資源であることも間違いない。

 円錐体を上から見れば円と見え、横から見ると三角形に見える。一方の視点だけで物事を判断することは危険なのだ。人件費をコストと割り切れば、儲からなければ即賃金をカットし、人員をまず削減する施策も正解となろう。しかし、従業員は生活を懸けて働いている。原材料費や光熱費等と同じにされては堪らない事は、誰が考えても明らかではないか。

 ドラッカー博士の言葉は、人事マネジメントの重要性を指摘したものであり、現代の経営者は今一度噛締めねばならない言葉ではないか。
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