終わりの始まり
本書の著者である小塚かおる氏は、本書のあとがきに『「安倍さんはひどかったが、岸田さんはもっとひどい」取材をすると幾人もの識者からこんな言葉が出てくる。その感覚に半分納得する一方で違和感も覚えた。ならば安倍氏はマシだったのか。選挙演説中の銃撃という非業の死を遂げたこともあり、安倍氏の行なってきた政治に対しての評価がオブラートに包まれてしまいそうな気がする。・・・
安倍的なものが日本の政治や永田町にしっかり根を張り、朝令暮改で自分のない岸田氏によって、新型コロナウィルスのように自由自在に変異しながら増殖しているのが現状だ。知らず知らずのうちに罹患してしまわないよう、ウィルスに抗い、世間にも大声でしつこく呼びかけていく。そんな仕事を変わらず続けていきたい。』と述べている。
確かに今の自民党を診ると、安倍政権が「(自民党の)終わりの始まりだった」と言える状況にある。人材も枯渇しているかに見える。しかし、岸田首相の派閥には、今回、麻生さんの推薦で外務大臣に就いたという上川陽子氏や、小野寺五典元防衛大臣が居る。両名供岸田首相よりはるかに高学歴で国際通である。なぜ両名をもっと早く、自身の内閣で登用しなかったのか。そのことが今の岸田内閣の苦戦につながっている。高学歴なら良いと言っているのではない。日本の総理は、たかだか慶応や早稲田出くらいの学歴では不足である。勿論学歴(学識)は、政治家にとっての全く十分条件ではない。しかし、最低限の必要条件ではある。すでに昭和は遠く、角栄時代の政治家像では世界に通用しない。戦後生まれの年代は、英才の資質を持ちながら、家庭の事情で進学できなかった時代を生きていない。
安倍派に忖度し、ガラクタの人材の中から大臣を選ぶ必要などなかった。安倍氏が碌に後継者さえ育てていないというより、そのような能力を彼は持ち合わせていなかった。国際社会の中で、大国として生き残ってゆくためには、各界に優れた人材が必須であり、そのトップを務める現代の日本の総理大臣は、読み書き算盤(早慶レベル)だけでは不十分である。
安倍氏の数々の醜聞、拙い経済政策や恫喝政治の後遺症で、自民党は没落寸前である。自民党などなくなってもいいが、自民党の政治家も含め、先人が築き上げたこの素晴らしい国家をこのまま衰退させてはならない。
自民党も財界もトップの人材不足で、ここ20~30年衰退した。消費税は大企業の減税に使われ、日銀は国債ばかりか株式投資にさえ手を出した。
企業には大企業中心に非正規雇用者が溢れ、その儲けで重役連中の年収は増大した。すなわち勤め人の中でさえ大幅な格差が生まれた。それを主導したのは、小泉内閣で銀行の不良債権処理に貢献した人物で、そのまま安倍内閣の経済ブレーンとなっていたようでは、アベノミクスが国民のためになる経済政策には元々なり得なかったのだ。
少子化対策も、担当大臣が次々登場しただけで、何の成果も上げず、ピント外れの政策は本書(安倍晋三VS.日刊ゲンダイ)にも指摘がある。女性活躍は非正規雇用を拡大させただけで、大企業の儲けには貢献したが、トリクルダウンは全く起こらなかった。増えたのは貧しい若者たち、関連して若者の闇バイトであり、大麻汚染であった。
本稿『 』内は、小塚かおる氏「安倍晋三VS.日刊ゲンダイ」2023年10月刊からの引用です。