「大和魂」
『武士道の徳目は私たち日本人一般の道徳水準よりはるかに抜きんでている。今まで、私たちは連山のようにそびえ並んでいる武士道の徳目の中で、ひときわ秀でているほんのいくつかの峰を考察してきた。
太陽が昇るとき、まずもっとも高い山頂を朱に染め、やがて次第に下方の山腹や峡谷へ光が注がれる。このことと同じように、当初、武士階級を啓発した武士道の道徳体系は、一般大衆の中からこれに追随する者を引きつけていった。
民主主義は、天成の指導者をはぐくみ、貴族制度は人民の中に君主制にふさわしい精神を注入する。美徳は悪徳に劣らず伝染した。
「たった一人の賢人が仲間の中にいれば良い。そうすれば全員が賢くなる。伝染力というものはかくも急速である」とエマソン(ラルフ・ワルド・エマーソン:1803-1882:米国の思想家、哲学者、詩人)はいう。・・・
過去の日本はサムライにそのすべてを負っている、といっても過言ではないだろう。彼らは民族の花であり、かつ根源でもあったのだ。・・・社会的存在としては、武士は一般庶民に対して超越的な地位にあった。けれども彼らは道徳の規範を定め、みずからその模範を示すことによって民衆を導いた。・・・
サムライは民族全体の「美しき理想」となった。「花は桜木、人は武士」と歌われた俗謡は津々浦々に行き渡った。
武士階級は営利を追求することを堅く禁じられていたために、直接商売の手助けをするということはしなかった。しかしながら、いかなる人間の行動も、いかなる思考の方法も、武士道からの刺激を受けずにはいられなかった。日本の知性と道徳は、直接的にも、間接的にも武士道の所産であった。・・・
武士道は当初、「エリート」の栄光として登場した。だがやがて国民全体の憧れとなり、その精神となった。庶民は武士の道徳的高みにまで達することはできなかったが、「大和魂」、すなわち日本人の魂は、究めるところこの島国の民族精神性を表すにいたった。・・・
本居宣長は、“しきしまのやまと心を人とはば 朝日ににほふ山ざくらばな”と詠んで日本人の純粋無垢な心情を示す言葉として表した。たしかに、サクラは私たち日本人が古来から最も愛した花である。・・・サクラの花の美しさには、気品があること、そしてまた、優雅であることが、他のどの花よりも「私たち日本人」の美的感覚に訴えるのである。・・・
武士道は、ひとつの無意識的な、あがなうことのできない力として、日本国民およびその一人一人を動かしてきた。近代日本のもっとも輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が刑死前夜にしたためた次の歌は日本国民の偽らざる告白である。
“かくすればかくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂”
系統立てて説かれるわけではないが、武士道は日本の活動精神、推進力であったし、また現に今もそうである。』 了
本稿は、奈良本辰也氏訳、新渡戸稲造「武士道」(1997年初版、株式会社三笠書房)からの引用により編集したものです。